怪我や病気は、誰もが経験するものです。その治療をする病院や福祉施設は「すべての人が」いつか必ず関わりをもつ場所だからこそ、「すべての人にとって」安心できる場所であることがとても重要です。そこで大切になるのが、性別、年齢、国籍、人種、障がい、性的指向、性自認、価値観、働き方など、一人ひとりの「違い」を尊重し合う「ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)」の視点です。
平成医療福祉グループでは、2023年4月に「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」および「多様なSOGI*の尊重宣言」を発表。同時に「ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)推進室」を設立しました。ダイバーシティ(多様性)は、グループのビジョン「じぶんを生きる を みんなのものに」にそのまま直結する重要なテーマです。D&I推進室は代表直下の組織として、グループ全体のD&I推進に取り組んでいます。
なぜ、医療や福祉にはD&Iの視点が必要なのでしょうか。D&I推進室の立ち上げメンバーで、グループのD&Iの取り組みを牽引してきた松本武士さんに詳しく伺いました。
*SOGI (ソジ、ソギ)「性的指向(Sexual Orientation)」と「性自認(Gender Identity)」の頭文字を取った言葉。性的マイノリティ(LGBTQ+)だけでなく、多数派も含めたそれぞれの性のあり方を指す概念。
<プロフィール>
松本武士(まつもと・たけし)
大内病院 リハビリテーション部 課長。D&I推進室メンバー。2015年4月に大内病院に入職。2020年にはACTの立ち上げに関わり、ACTチームリーダーに。2023年4月から2025年3月まで人事部に異動し、大学院で精神科リハビリテーションについて学ぶ。4月より現場復帰し、現在は精神障がいの回復期にいる患者さんが多く入院している病棟を担当している。2026年1月より現職。
ジェンダーやセクシャリティに関する医療現場の課題を解決したい
松本さんは作業療法士として、2015年に東京都足立区の精神科病院「大内病院」に入職しました。働くなかで感じたのが、LGBTQ+やジェンダーに関する現場の解像度の低さでした。
松本さん「たとえば、身体的には男性の患者さんですが『わたしは女性なんです』とおっしゃる方がいました。これは『性自認』の話なんですね。それなのに、その方を担当しているスタッフが『男性のことを好きになるの?』という質問をされていたんです。どのような相手に恋愛感情が向くかというのは、『性的指向』の話です。性自認と性的指向はまったく別の話なんですけど、それがごっちゃになっている。カルテに、医学用語でもなんでもない『男色』という言葉が書かれていたこともありました。スタッフから理解がない発言が出ることや、『他の患者さんが女っぽくて気持ち悪い』と話す患者さん同士のコミュニケーションの場に遭遇することもあります。そういうことは、巡り巡って患者さんの不利益になるので、変えていかないといけないと思っていました。

松本さんは、東京に出てきてまもなく、複合的マイノリティのピアサポートグループ「カラフル@はーと」など、LGBTQ+の人々が経験した困難や抱えている悩みについて話す場に関わっていたことがありました。課題意識をもったのは、その経験も大きかったと言います。
松本さん「そこでは、性的マイノリティの中でも、さらに複合的な困難がある人たちの置かれている現場を知ることができました。たとえば、発達障がいや精神障がいがある人たちは、LGBTQ+のコミュニティではメンタルの面で偏見や差別の対象になったり、居場所を得られなかったりすることがあります。逆に精神科医療にかかってデイケアへ行ったら、そこではセクシュアリティの面で無理解や偏見、心無い言動に遭遇し、傷つくことがあります。こういった表に出てきにくい現状を知り、困っている人ほど誰にも相談できずにいると感じました。彼らは社会の中に居場所が見つからず、社会参加がしづらい。その結果、自死で亡くなる方もいましたし、連絡が取れなくなってしまう方もいました。
医療は本来、公的な要素が強く、すべての人にとって大事なセーフティネットです。それなのに、LGBTQ+の人々など、異性愛・シスジェンダーを暗黙の前提としてつくられた医療の仕組みがある現状では、周縁化されてしまう人たちについては支えきれていない。それをどうにかできないかと、ずっと考え続けました」。
病気になって入院するとき、弱った心身を安心して委ねたい病院という場が、LGBTQ+の人たちにとっては安心できない場所になっている。実際に、LGBTQ+の人たちは差別や侮辱を受けた経験から受診をギリギリまで控え、病気の発見が遅れる傾向があることは、複数の調査からも明らかになっています。さらに、うつ病や適応障がいなどの精神疾患を経験する割合が高いとも言われています。

松本さん「HIVの治療・予防やホルモン治療などを行う専門医は、しっかり対応していると思います。でも、そのほかの街中の医療機関がLGBTQ+に詳しいかっていうとそうではない。ただ、2016年に医学教育モデル・コア・カリキュラムが変わって、医学生や看護学生は、性の多様性やLGBTQ+について学ぶことになったんです。だから少しずつは変わってきているとは思います」。
変化の兆しはある一方、医療現場でなかなかダイバーシティに焦点が当たっていかない要因はどこにあるのでしょうか。
松本さん「医療の文脈の中でダイバーシティが大事だということは、話を聞けば多くの人がわかってくれます。無関心層の人でも『まぁ大事だよね』という反応はちゃんと返ってくるんです。その前提は共有できているんですが、たとえば脳卒中のリハビリをしているときに大きなウェイトを占めるのは、壊れてしまった運動機能や体の感覚の機能に医学的に介入することなんですね。そこにどうダイバーシティを組み込んでいけばいいのかは臨床レベルではみんな知らないんです。
最近になってLGBTQ+の方々への医療現場での対応について、書籍やガイドラインが出始めました。次のプロセスとしてはグッドプラクティスをたくさん蓄積して、それを共有していくことが必要ではないかと思います」。
急激に変えることは難しいからこそ、地道に現場で実践し、参考となる事例を積み上げていく。松本さんはまず自分が働くグループから、それを進めようとしています。
グループ内でD&I推進の活動を始める
松本さんがグループ内でD&Iを推進する活動を始めたのは2020年ごろ。介護福祉事業部の水戸抄知さんとの出会いが、最初の一歩を後押ししました。
松本さん「大内病院の近くにOUCHI CAFEができて、ときどき顔を出しているうちに、水戸さんと話をするようになったんですね。すっかり意気投合して、問題意識も共有し、何かやってみようという話になったんです」。
そのときはじめたのが「またあしたプロジェクト」という取り組み。ジェンダーやLGBTQ+、障がい者雇用について課題意識をもつ人々が集まり「また明日、笑顔で会おう」をスローガンに勉強会などを行いました。
松本さん「それをきっかけにD&Iにちゃんと取り組もう、やるなら推進室のような形がいいという話になって、代表に相談したんです」。

D&I推進室には「SOGI/LGBTQ+」「人種・国籍・言語」「障がい」の3つのチームがあり、「SOGI/LGBTQ+」の分野では、これまでに「ダイバーシティ&インクルージョン宣言」の策定、「同性パートナーシップ制度」の創設、LGBTQ+・ジェンダーについての研修などを行ってきました。とはいえ、まだまだ必要なことのほんの一部だと言います。
松本さん「病院や施設は、男性と女性しかいないという前提での男女分けになっているところが圧倒的に多い。今後はトランスジェンダーの方にもインクルーシブな形で配慮した分け方に変えていきたいです。健診事業もやっていますが、特にトランスジェンダーの人たちは健診を受けにくい現状があり、その原因のひとつに男女分けされた仕組みがあると指摘されています。健診へのアクセスを改善することも大きな課題だと思っています。
あとは書類関係ですね。たとえば性別欄をどうするか。性別情報は、医学的に検査値の判断をするときにどうしても必要なものではあります。でも、一回聞いてカルテに反映するだけでいいはずなので、何回も聞くことは避けたい。男女が選べるだけでなく、空欄になっていて自分で書く形式にしたり、選択肢を『男性・女性・その他』にしたり。『男性・女性』になっているけれども『ジェンダー・セクシュアリティに関して相談しておいたほうがいいことがある方はこちらにご記入ください』という欄をつくってもいい。パターンはいくつか考えられると思いますが、それを整理したいと思っています。
それから、同性パートナーをキーパーソンにする場合のルール化もしたいです。キーパーソンは血縁の家族でなければダメだということはなく、同性パートナーでも法的な問題はないんですよ。でも、まだ広く知られていません。そのあたりのガイドラインがつくれたらいいなと思っています」。
多様性が包摂された社会は、多くの人にとって生きやすい社会になっていきます。たとえば、独身で身寄りのない人や家族と遠く離れて暮らしている人にとって、近くで暮らす友人知人からキーパーソンを選べることは、それだけで大きな安心につながるのではないでしょうか。
アンコンシャス・バイアスを乗り越えるために「知る」
実は、D&Iを推進する松本さん自身も、これまでいろいろな失敗をしてきたそうです。それには誰もがもっている「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」が大きく関わっていると言います。差別は意識的に行われるものばかりではないのです。
松本さんいくつかの大学で非常勤講師をしていたんですけど、そのうちの一つに在日韓国人の先生がいたんですね。すごく仲良くさせてもらっていて、一緒に多様性の授業を担当していました。人にはいろいろな背景があって、表向きは見えなくても社会生活が困難な人がいるんだよという内容の授業です。そんな授業をしておきながら、私はあるとき『この間、期日前投票行ってきたんですよね。もう行きました?』と先生に聞いたんです。それこそ何の悪気もなかったんですけど『いやいや、投票権ないからね』って返されて。
そういうのって、たぶん誰でもやってしまっているんですよね。そのときは指摘してもらえたからまだ良かったんですけど、大抵は流されて、気づいてすらいない。私はジェンダーやセクシュアリティに関しては当事者性もあるし、勉強もしているから、いろいろなことをお伝えできる立場にあるとは思っています。でも、だからといってそのほかの多様性に関して自分が学び手じゃないということは全然ないんです。むしろ、ある種のマイノリティでいると、自分が持っているその他の側面のマジョリティ性や特権に気づきにくくなることすらあると思うんです」。
アンコンシャス・バイアスを乗り越えるために大切なのは「知ること」だそう。マイノリティがどのような状況に置かれていて、何が良くて何がダメなのかを知るだけでも、意識は変わっていきます。
松本さん「性的マイノリティに関しては、35時間勉強するか、35人の当事者を見るとひととおりのことは習熟できると言われています。私たちが研修で提供しているのは、そのスタートラインの部分です。構造的な問題があることすら知らない人も多いので、まずは問題を認識してもらうところから始める。それだけでも興味をもって勉強してくれたり、考え方が変わったりするんですね。ALLY(アライ:LGBTQ+を理解し、当事者を支援する人)の認定制度をつくったのですが、研修を受けた方が興味をもってALLYになってくれるケースも増えています」。

「ここにいない人がいる」ことを考える
D&I推進室が本格的に動き始めて3年弱。やりたいこと、やるべきことは次から次へと出てきて、課題は山積みだそう。

松本さん「先ほども話したように医療や福祉は公共性が高く、命や生活に対してのインパクトがとても大きい。だから『平成医療福祉グループはダイバーシティに取り組んでいるので、うちに来れば大丈夫です』というだけでは不十分だと思うんです。自分が深夜に救急車で運ばれたとき受け入れ先が見つからなくて、三つめの病院でやっと入院した経験があります。どんな病院に入院するかわからない可能性があるからこそ、最終的には日本の医療や福祉全体にD&Iの理念が浸透していくことを目指さなければいけないと思っています」。
松本さんは、D&Iについて学ぶうちに「ここにいない人たちのことを考えるようになった」と続けます。
松本さん「レインボーパレードに行ったら、当事者がいっぱいいて、本当にいろいろな人たちがいるんだなと思う。でもそのときに“ここにいない人たちがいる”っていうことをどれだけ考えられるかが、D&Iを進める上で大事なテーマだと思っています。自分の視界に映る人たちが幸せならそれでいいっていうところをもう一歩超えないと、本当の意味でのD&Iは実現しない。そのために何をしたらいいのかは、未だに模索中ではあるんですけどね。
残念ながら、今は海外でも日本でもLGBTQ+に対するバックラッシュが起こっています。でも、社会がどうであれ、命や健康が守られることは人権の一つ。そのことを忘れずに、取り組み続けなければならない問題だということは、ぶれずに伝えていきたいです」。
長い時間をかけて根深く浸透した意識や規範を変えることは簡単ではありません。しかしすべての人が「じぶんを生きる」ためには、多様性が尊重され、権利が守られる社会の実現は不可欠です。松本さんは理想の医療と福祉の実現のため、遠く見えないところまで手が届くよう、一歩一歩、歩みを進めています。
次回は、D&I推進室のみなさんに、グループのD&Iの取り組みについて伺います。
プロフィール

ライター
平川友紀
ひらかわ・ゆき
フリーランスのライター。神奈川県の里山のまち、旧藤野町で暮らす。まちづくり、暮らし、生き方などを主なテーマに執筆中。

フォトグラファー
生津勝隆
なまづ・まさたか
東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。




