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人のためになって働ける仕事を求めて 私にとって看護師は天職/平成扇病院 看護部 副部長/岩原 奈緒子さん

看護部2018.09.21
看護部

人のためになって働ける仕事を求めて 私にとって看護師は天職

2016年の平成扇病院の立ち上げに看護副部長として携わった岩原さん。厳しい看護の現場を経ながらも、常に朗らかな雰囲気をまとっているのが印象的でした。笑いの絶えないインタビューでしたが、小さいころから看護職へ抱いたその想いは熱いものでした。

※所属、肩書は取材当時のものです

幼いころから図太い性格?!

出身はどちらですか。

生まれは埼玉県の大宮です。埼玉生まれの埼玉育ちですね。

じゃあ生粋の埼玉っ子っていう感じですか。

ただ高校からずっと学校は東京なので、むしろ東京に出てからの方が長いですね。埼玉の友達はほぼいません(笑)。アッハッハッハ!

東京の友達がほとんどと(笑)。小さいときはどんなお子さんでしたか。

今と変わらないと思います。なんていうか、図太い(笑)?

図太い(笑)。

私は3人きょうだいの真ん中なんですけど、一番上のお姉ちゃんは抱っこしてないと大泣きして大変なのに、私は廊下に置いといてもグーグー寝てて「放っておいても大丈夫」っていう(笑)。弟は末っ子で甘えん坊でしたし、割と私は放置でしたね(笑)。

それは強いですね(笑)。学生時代は何かやられていましたか。

小中学校はバレーをやっていて、高校ではなぜかダンス部に入りました。

バレーを続けずにダンスを始められたんですね。

もともと体を動かすのが好きで、興味はあったんです。で、高校で女子校に入ったらダンス部があって、しかも鏡ばりのダンス室もちゃんとあって、やってみたいなと思って入部しました。ものすごいハマりましたね。

ドキュメント番組で憧れた看護師の仕事

その高校に進まれたときにはすでに看護師を目指していたんですか。

高校に入る前から看護師を目指していましたね。本当は衛生看護科に入りたくて学校見学に行ったりもしてましたが、母親から「まだ進路を確定させるには早いんじゃない」と言われて、結局普通科の高校に進みました。

看護師はいつから目指していたんですか。

小学生の頃からですね。お恥ずかしながら、きっかけはテレビ番組なんですよ。

ドラマですか?

わかる方が少ないかもしれないんですけど「密着24時 白衣の天使(※)」っていう番組があって、小学校低学年の頃から見るのを楽しみにしていました。そこで看護師に憧れたんです。

現場に密着するドキュメント番組ですよね。小学生が見るには厳しい場面もありそうですが、それでも憧れたのはなぜでしょう。

3人きょうだいの真ん中でずっと放置されてきた影響か、その番組を見て、「人から必要とされたい」「私も人のためになりたい」って思ったんですよね。だから、こんなこと言うとバカだと思われるかもしれないんですけど、看護師が天職だと思ってやってきたんですよ。

それはとても素晴らしいですね!

別の仕事をやりたいって転職される人ももちろんいるわけですけど、私は全然思ったことがなくて、素敵な仕事だなと思って、続けています。

看護師3日目、怖くて怖くて泣きました…

看護師が素敵な仕事だというのは、どういうところで思われますか。

こんなに多種多様な人たちと関わって、仕事の内容が多岐に渡るのも、看護師だからこそだと思っています。それこそ雑務から下の世話から人の命を助ける場面まで、広くのことに携われて、それで患者さんやご家族に感謝されるっていうのがすごいなって。

ご自身が看護師になってすぐのころはどうでしたか。

いやあ〜もう怖かったですよ! 怖くて怖くて泣きましたよ〜(笑)。

(笑)。そのころはどんな病院で働いていたんですか。

まだこのグループとは違う病院にいて、人工透析をやってる腎臓内科がメインの病棟配属でした。そこにICUみたいな部屋があって、人工呼吸器をつけて人工透析を回している患者さんがたくさんいらっしゃったんですが、急変したり、亡くなられる方も多くて。新人の私からすると、もうすごい怖くて、立場が上がると担当になるんで「成長しなくていいから、あの部屋の担当になりませんように」って、思ってましたね。

それでもそのうち担当するようになって。

そうですね、何年か経つうちに、必然的にやるようになりました。人の命に直結するような場面にしょっちゅう会ったので、急変時対応はすごい鍛えられましたね。

最初は怖いものですか。

ものすごく怖かったです。今も忘れられないのが、入って3日目のことなんですけど、「とにかく先輩のことを手伝わないと」と思って、清拭せいしき(※)をしている主任に「手伝います!」って言ったんですね。でも患者さんをよく見て「あれ? 昨日は管が入ってたのに抜けちゃってる、おかしいな」と思ったら、その方は亡くなられていて、先輩は死後の処置をしていたということに気がついて。そしたらもう怖くなって泣いちゃったんです。

※入浴のできない患者さんの身体を拭いて清潔を保つこと。

初めて仕事で死を目の当たりにしたんですね。キャリアを積むうちに精神的に強くなっていくんでしょうか。

よく「慣れちゃいけないけど、慣れなきゃいけない」って言われるんです。本当にその通りだと思います。

やっぱり慣れ過ぎてもいけないんですね。

先輩からは「泣いていたらご家族が困るでしょ」って言われましたね。でも、確かに私たちが泣いたらご家族は困るかもしれないんですが「一緒に想いを共有してくれる看護師がいるんだな」って思っていただく場面があってもいいかもしれないと、上司になった今となっては思いますね。

管理者としてもやりがいを見出す

現在はどういったお仕事をされているんですか。

もともとこの病院の回復期リハビリテーション病棟の師長と兼務だったんですが、この6月で兼務を外れました。

つい最近、専任になったんですね。立場が変わると視点も変わりそうです。

視野が広がるっていうのはすごくありますね。今まで自分の担当病棟があって、その大変さがわかっていたので、守るべき数字もあるけど、スタッフがかわいいから無理させたくないと、遠慮してた部分があったんです。でも管理者に立場が変わって、やっと最近、病院全体のことがわかって指摘できるようになりました。

お仕事のやりがい的にはどうですか。

ちょっとだけまだ現場が恋しいです(笑)。患者さんやご家族と接する機会がほぼなくなってしまいましたね。

それはちょっと寂しいですね。

でも病院全体を良くするということではちゃんとやりがいがあります。それと、この役職だからこそもっと積極的に取り組みたいと思っているのが、対外的なアプローチですね。急性期病院から患者さんをご紹介いただくことが多いので、うちの病院のことをもっと知ってもらうために、アピールをしていかなければと思っています。

人と接している方がお好きそうですね。

部屋にこもってずっと事務仕事をしていると寂しくなるので、1日のうち何時間かは、総務の部屋に行って仕事をしたり、違う病棟に行ったりします。みんなの様子も見られますし、今まで接することができなかったスタッフの声も聞けるのでいいんですよね。でも行くと嫌な顔されますよ。「えっ、ここで仕事するんですか?」って(笑)。

平成扇病院のビヨンセ?!

そういえば話が戻りますが、ダンスと言えば、岩原さんが以前グループの忘年会でビヨンセ(※)を踊ったという噂が…(笑)。

ああっ、恥ずかしい(笑)。

(笑)。なぜに出ることになったのですか。

2016年が、ちょうどこの平成扇病院が立ち上がった年で、新しい病院を盛り立てていこうという話になり、「出ろ出ろ」って言われまして。でも「え〜出るんですか?」って言いつつ、踊り好きだから、内心「いいじゃん」って思ってました(笑)。

相当盛り上がったと聞きました。

平成扇病院のみんなが盛り立ててくれましたね。もともと在籍していた、同じグループの世田谷記念病院のスタッフもみんなで盛り上げてくれて。

ぜひ見たかったです(笑)! 今後やる予定はないんですか。

もうやりませんね、あとは後輩に任せようと思ってます(笑)!

回復期に携わって感じた新たな喜び

このグループに入られたのはどんなきっかけがあったんですか。

そろそろ違うことをしたいなって思っていたときに、このグループの世田谷記念病院立ち上げの話を聞いたんですね。そのとき一緒に働いていた後輩から「ここに転職するから岩原さんも一緒にしましょうよ」って言われて(笑)。

ずいぶん軽いノリで転職を(笑)。

本当ですよね(笑)。でも話を聞いたら、回復期リハビリテーション病棟があって、地域に根ざしながら在宅復帰をサポートしていくっていうところに興味を持って。私も老年看護をずっと長くやっていたんで、その経験を活かしてご自宅に戻すための看護をやってみたいなと思って、移ることにしました。そう、以前このインタビューに出られた福崎さん(※)とも、世田谷記念病院で一緒に働いていたんです。

※世田谷記念病院 福崎さん インタビュー記事

そうだったんですね! 実際に回復期の仕事に携わってみていかがでしたか。

最初は勝手が違うので戸惑ったんですけど、患者さんが元気になって家に帰られるのがすごい素敵だな、と思いながら続けるうちに、どんどん楽しくなっていきましたね。

続けるうちに魅力に気がつかれたんですね。

そのころ担当の患者さんで、脳梗塞の後遺症から麻痺と高次脳機能障害があって、セルフケアができなくなってしまった方がいらっしゃって、その方がどうしてもしたかったことが「自分自身で靴下を履きたい」っていうことでした。がんばるけど自分では履けない、じゃあどうしたら履けるだろう、っていうことを一緒に考えて、ついに履けたときは、本当に嬉しかったです。

やっぱり、自分でできるっていうことは大きな喜びとか自信につながりますよね。

些細なことだし、人に任せてしまえばいい、っていう風に思うかもしれないんですが、そういった当たり前なことが当たり前にできなくなってしまった方たちをサポートするのが、私たち回復期リハビリテーション病棟の看護師の仕事なんです。とても素晴らしいことだなって感じました。

その患者さんもすごく喜ばれたでしょうね。

本人もですが、ご家族がとても喜んでいたのが印象的でしたね。

アットホームさが魅力の平成扇病院!

平成扇病院の特長はどんなところがありますか。

平成扇病院はけっして大きい病院ではなく、病床も建物も小さくて、働いてるスタッフもそこまで多くはないですが、その分、本当にアットホームだと思います。スタッフもみんな人間味があると言いますか。

そういえば、今日院内で1年目の看護師の方に話を聞いたら「病院は人間関係が厳しいっていうイメージがあったけど、入ったらそんなことなかった」って話されてました(笑)。

そうですね(笑)。うちは新人のスタッフでものびのびと仕事ができるんじゃないかなと思います。雰囲気が怖くて自分の意見が言えないっていうことはなく、新しい病院だからこそ、みんなの意見を取り入れて構築していくようにしています。話しやすい雰囲気を、師長さんたちが作ってくれていますね。

院内を歩いていても和やかな雰囲気を感じました。

そういう雰囲気って、患者さんに絶対伝わるじゃないですか。だから絶対いいと思いますね。もちろん仕事なんで厳しい場面もあって当然なんですけど、患者さんやご家族に伝わるのは良くないですからね。

働きやすさについてもお聞きしたかったんですけど、やっぱりそのアットホームさが大きいですか。

そうですね。あと私がすごい思っているのが、子持ちの方に優しいです。

お子さんがいるスタッフさんも多いんでしょうか。

はい、もう子供が大きくなっているスタッフも多いですし、師長さんたちも寛容ですね。お子さんが熱を出して急に休みたいとなったときも、嫌な顔をする人もいないですし。そういった点でも働きやすいなと、この病院に来てすごく思いました。

スタッフが目標を持てる、もっと魅力的な職場に

お仕事での目標を教えてください。

看護部の副部長として、より働きやすい環境を作っていきたいと思っています。無理して業務を回していると、スタッフが力を発揮しづらくなって、結果的に患者さんの不利益にもつながります。一人一人が持っている能力を存分に発揮できて、患者さんとしっかり向き合えるっていう環境に、もっとしていきたいですね。

やっぱり平成扇病院も含めて、どの病院も決して多くない人数で回しているというのが現状ですよね。

そうですね。でも、もっと大変な病院の話も聞くと、うちはまだ人数がいる方だなと思っています。看護師は転職しやすい職種ではあるので、極端な話、今日辞めても、明日どこかで働ける、っていうくらいの印象がある方もいると思うんですよね。そういう風にならないように、魅力的な職場にしたいですね。そのためには待遇はもちろん、それにプラスして目標が持てるといいなと思います。

お金はもちろん大事ですけど、それだけでは続けられない仕事でもありますよね。

例えば「家から近い」「給料がいい」というのも大事な要素なんですが、やっぱりそれだけではモチベーションが保てないんです。もちろん働くのは生活のためではあるんですが、それに加えて何か自分でやりたいことを見つけて欲しいと思います。本当に些細なことでもいいので。

そのための手助けもしてあげることはあるんですか。

何か興味を持っているものがあるのであれば、こういう研修があるよ、っていうのを教えてあげることはしたいですね。このグループは、研修に対しての補助が手厚いのがいいところなので、積極的に利用して欲しいです。本当に、ここまで補助を出してもらえるのはなかなかないんじゃないかと思います。

心強いですね。教育体制はいかがですか。

新卒のスタッフに関しては、看護部の教育委員会で体制を作って教育を行っています。項目ごとに演習のプログラムを組んで、例えば注射だったら「筋肉注射を実施する前に、こういう手順を踏んでこうやりますよ」ということをしっかりと実施しています。

今で言うと、特定行為研修(※)はグループ全体で力を入れている思うんですが、平成扇病院では2名の方が資格を取られていますよね。

そうですね。先生たちが協力的で、今も1名実習生がいて教えてくれています。ある一定の水準に達した人を推薦することになるので、希望する人全員が受けられるとは限らないんですが、こうした資格を取るための道筋がしっかりとできているのが特長です。

※医師又は歯科医師の判断を待たずに、特定行為(一定の診療補助)を行える看護師を計画的に養成していくことを目的とした、国の研修制度。

癒しの存在は、お酒と猫ちゃん

お休みの日はどう過ごされることが多いですか。

なんだろうな〜。前の日飲んで、昼まで寝てます。アッハッハ!

豪快ですね(笑)。休日に何かをするっていうことはあんまりないですか。

私これと言った趣味があんまりないんで、おいしいものを食べておいしいお酒を飲んで、人と話すのが楽しいですね。あとは映画と海外ドラマが好きなんで、ずっと見ています。

職場の人と飲みに行くことは。

ありますよ! 福崎さんとも行きます。

お二人が揃うとすごく盛り上がりそうです(笑)。

そうかもしれないです(笑)。

お酒は主に何を飲まれます?

何でも飲みますけど、一番飲むのはレモンサワー(笑)。

趣味があれば教えてください。

趣味とまで言えないかもしれないですが、旅行が好きでたまに行きますね。

思い出深いところはありましたか。

赤ワインが好きなので、山梨県の勝沼ぶどう郷ってワイナリーがいっぱいあるところに行って、ワインがぶ飲みツアーをしましたね(笑)。今年も行く予定です。

がぶ飲み(笑)! それは楽しそうですね。日々の癒しはありますか。

おうちに猫がいます!

わ〜いいですね。お名前は?

「おかめ」です。おかめだけど、オスです(笑)。これですね(写真を見せてくれる)。

かわいいな〜! ハチワレで凛々しい顔ですね。

そうそう。猫のはっちゃんっていうハチワレの子のDVDが出て人気だから、うちも稼げるんじゃないかなって(笑)。

そっちですか(笑)。

だから芸とかさせてって考えていて。

何かできる芸はありますか。

いえ、何もないです(笑)。

(笑)。

プロフィール

平成扇病院 看護部 副部長

平成扇病院 看護部 副部長

岩原 奈緒子

いわはら なおこ

【出身】埼玉県さいたま市
【職種】看護師
【趣味】おいしいお酒と料理を楽しみながら人と話す
【好きな食べ物】焼き鳥(レバーの塩に、ごま油とネギが大量にかかったもの)
【尊敬する人物】看護部の加藤部長(いつも相談に乗ってくれる)