学生時代から一貫して目指すのは「リハビリテーション+看護」 体育会の青春時代を経て、突き進んだ看護の道/世田谷記念病院 看護部長/榎並 由香さん
学生時代から一貫して目指すのは「リハビリテーション+看護」
体育会の青春時代を経て、突き進んだ看護の道
世田谷記念病院で看護部長を務める榎並由香さん。高校生活で過酷な部活動に打ち込んだ榎並さんは、その経験や親からの勧めをきっかけに、看護の道へと進みます。看護師を目指すまでのことや、世田谷記念病院入職までの道のりを中心にお聞きしました。超体育会系の部活話も飛び出します。ぜひご覧ください!
青春時代は縦社会!
厳しく過ごした寮生活
榎並さんには以前、ひとプロジェクトの取材時に立ち会っていただいたことがありましたけど、その時はまさかご自身が取材されるとは思っていなかったんじゃないでしょうか。
本当ですよ(笑)!
ご出演いただきありがとうございます(笑)。では出身から伺いますね。
新潟県です。山形県との県境の辺りで、いわゆる下越地方ですね。
雪深そうな地域ですね。
今は量が半分くらいに減りましたけど、小さい頃は2階から出ないといけないほど積もった時もありましたね。
ご家族はどんなお仕事をされていましたか。
お父さんが消防士で、お母さんは普通の会社員でした。でも兼業農家で、お米を作っていました。
今も作られているんですか。
ちょうど去年やめたんですよ。なので、お父さんのお米が食べられるのもこの秋までです。それまでは「なくなったよー」って連絡すると送ってきてくれてたんですけどね(笑)。
いい環境ですね(笑)。学生時代はどんなことをされていましたか。
あまり勉強が得意ではなかったんですけど、運動は好きだったので、新潟市内の体育科がある高校に進んで、バレーボール部に入りました。
体育科のある高校はなかなか珍しいですね。どんな生活でしたか。
今はもうなくなったみたいですけどね。午前中は授業をやるんですけど、午後は「授業」という名の部活をするんです(笑)。
なるほど、さすが体育科。相当厳しい環境でしたか。
年間を通してほとんど休みがなくて、親に会えるのは試合とか練習を見にきてくれた時だけでしたね。
当時としては、どういう気持ちで取り組んでいたのですか。
辛かったですよ〜〜! 特に寮生活は規律が厳しくて大変でした。女子寮内で部活ごとに規律が違うんですけど、バレー部は一番厳しかったです。登下校する時は一列に並んで歩いて、後ろから車とか自転車が来る時は「すいません、車です」って毎回言って、先輩に事故がないようにするとか(笑)。
すごい縦社会を感じる登下校ですね(笑)。
帰りは学校を出たらダッシュして、先輩が着く前にテーブルに寮の食事をセッティングしておく、とか。洗濯機も自由に使えませんでしたから。
えっ、使えないっていうのはどういうことですか。
寮に洗濯室があって、先輩がまず洗濯機を使うんですけど、意地悪な人は、洗った洗濯物をずっと入れっぱなしにするんですよ。後輩は勝手に出すわけにいかないから、洗濯したいのにずっと使えなくて。
それは本当に意地悪ですね(笑)。
なので、夜中に目覚ましをかけて、空いてる洗濯機を探して使うんです。お風呂も大浴場なのに、後輩は湯船に入っちゃいけないっていうのもありましたね…。今じゃ考えられないです。
ちなみに自分が上に立った時は後輩たちにそういう理不尽なことは。
言わなかった…と思うんですけどね(笑)。
部活引退後はどうされたんですか。
引退してすぐ寮を出ました(笑)。ちょっと遠かったですけど実家に戻って、電車で1時間くらいかけて通学をして。
キラキラした青春っぽい思い出はないんですか。
ないですよ! みんな前髪オンザ眉毛の耳出し刈り上げですよ(笑)。
生意気な看護学生
実習で目覚めたリハビリテーションへの興味
看護のお仕事は以前から興味がありましたか。
最初は看護師なんて頭の片隅にもなかったです。小さい時から、病院独特の空気が苦手だったくらいですから。
何か思うところがあったのでしょうか。
体育科に進んでいたっていうのもあって、骨折した人とか、リハビリ用の装具を着けている人とか、あとは残念ながらケガのせいでスポーツを続けられなくなってしまった人を目にする機会があったんですね。そういうことに関して、興味があると言ったら変ですけど、けがや障害を負ったまま、どう過ごしていくんだろうっていうことに、なんとなく興味はありました。
身近でそういったケースを見たことが影響したと。
最終的には、母親の勧めも大きかったですね。自分が看護師になりたかったけど、ならなかったという想いがあったのと、手に職を持った方がいいっていうアドバイスもあって。山形県の看護学校に進みました。
学校はいかがでしたか。
楽しかったですよ〜。山形はいいところでしたし、仲間にも恵まれて、それと高校時代とのギャップですね(笑)。「自由になった!」って思いました。
大変なことはなかったですか。
勉強はそれなりにがんばりましたよ。実習も大変でしたけど、高校生活と比べると、どうしてもそっちの方が辛かったですから(笑)。
やっぱりその体験が強烈だったと(笑)。
今までそれで乗り越えてこられたのかもしれないですね。
実習が厳しくてという話もよく聞きますけど、そんなこともなく。
ん〜記憶にないですね。逆に、学生のくせに生意気だったと思います。
どんなことがあったのでしょう。
急性期病院の脳外科病棟に実習に行った時、脳卒中で片麻痺になられていた60代の男性患者さんを担当させてもらったんですけど、その方は学生の私が担当することも快く引き受けてくださって。本当に良くなってほしいと思って、奥さんに「どんな状態で退院してほしいですか」とお聞きしたら、「自分でトイレに行けるようになって欲しい」って言われたんですね。
当初はまだその状態ではなかった。
寝ている姿しか見たことがなかったですし、最初受け持ったときはオムツをつけていて、看護師さんも「オムツの中にしてくださいね」って、伝えていて。忙しいので仕方ないとは思うんですけど「トイレに行きたいっていう希望があるのに、オムツにさせるってどういうこと?」って思ってました。そこで「私だったらトイレに連れて行けるような気がする」って勝手に考えたんです。
まだ学生だったのにすごいですね。
現場の看護師さんに「トイレに連れて行っていいですか」って言ったら、「えー」って言いながらも「まあ行ってみようか」って、オッケーしてくれました。そのうち、失禁もなくトイレで排泄できるようになって。
すごいですね!
実習生なのに生意気だったかもしれないんですけど、患者さんのためを思っての行動でしたし、その時「リハビリに取り組める看護師っていいな」って、リハビリに興味を持ったんです。結局それが今に至るまで自分のやりたいことになっています。
念願のリハビリテーション病院
「楽しちゃダメ」の教え
では就職もリハビリを意識されたのですか。
もともと関東に出てこようと思っていて、リハビリテーションと名のつく病院を探したんですけど、当時は本当に少なかったですね。横浜にあるリハビリテーション病院を受けようと思って、専門学校の先生に相談したら「その病院の看護部長、私の同級生だよ」っていう偶然もあって、そこにすぐ応募しました。
すごい偶然ですね! そこはどんな病院でしたか。
整形外科と脳外科の混合病棟で、みなさん手術目的で入院してくるんですけど、手術後ではなくて、事前にリハビリを始めて、手術をしてさらにリハビリをしていました。
実際仕事されていかがでしたか。
楽しかったですね〜。そこでやっていたのが、自分がやりたかったリハビリだったんでしょうね。
どんなことをされていたのですか。
「この人もベッドから起こしちゃうんだ!」っていうくらいの患者さんを起こしてトイレに連れて行っていましたね。今は当たり前のように「どんどん起こしなさい」「どんどん早くからリハビリしなさい」っていう考えも浸透していますけど、当時はまだまだだったので、最初は驚きましたね。日中も、患者さんには病衣やパジャマから日常着に着替えてもらって、っていうこともその頃からやっていましたし。そこで先輩から教えてもらったことは大きかったです。
どういった教えがあったのですか。
「家に帰れるようにしてあげるためには、何をしなきゃいけないか、看護師として常に考えなきゃいけない」って言われましたね。「患者さんが寝たきりになっているのはこちらの都合でもあるから、どんどん離床させてADL(日常生活動作)を拡大して、ご自分でできることを増やしていかなければいけない。手を抜いたら良くならないんだよ」って教えられました。
大切な教えですね。そこではどのくらい働かれていたのですか。
3年くらいですね。やりたかったリハビリについて関わりつつも、実は急性期医療についても気になっていたんですね。専門学校の同級生たちは急性期病院に行った人も多かったので、自分には急性期医療の知識が足りていないのでは、っていうところが少し気になったこともありました。
実際に急性期病院で働かれたのですか。
その後、実際に移って働いてみたんですが、やっぱり私はリハビリに関わる看護に携わりたいなとあらためて思いました。医療機関によって役割が違いますし、看護への考え方も人それぞれですから、私としては、患者さんがリハビリを通して良くなっていくお手伝いをしたいと。
デイサービスなどの現場も経験
さらに深まるリハビリテーションへの興味
急性期病院を経験された後は、どんな働き方をされたのですか。
病院を退院された患者さんは、ご自宅に戻る方もいれば、施設に入られる方、デイサービスや訪問看護を利用される方、さまざまじゃないですか。みなさんどうやって生活を送っているんだろう、って興味を持ったので、派遣会社の方に頼んで、いろいろ見させてくださいってお願いして、数カ月単位でそういった事業所を回らせてもらいました。そしたら、もっとリハビリテーション看護に興味が湧いたんです。
それはどうしてですか。
受け持った患者さんが良くなるもならないも、私たちに責任の一端があって、その方の人生を左右する仕事なわけですよ。患者さんやご家族が望んでいるのに、状態が悪くてお家に帰れないとか、諦めざるを得ないっていうこともあり得ると思うと、想いをもっともっと叶えられるように、看護師ができることがもっとあるはずだ、と燃えてきたんです。
患者さんのご自宅や生活を見ることで思うこともありましたか。
実際に生活の場に伺うことによって、退院後の生活がイメージできるようになりましたね。
ずっとリハビリのことを考えながら看護師のキャリアを積んでいかれていますね。
やっぱりあれもこれもはできないので、自分が取り組んでいきたいことを考えてきたと思います。
世田谷記念病院に入職するのはどういった経緯でしたか。
都内のリハビリテーション病院で5年ほど働いて、そこでのつながりで、世田谷記念病院の立ち上げに誘われて、移ることにしました。
ちなみにそのリハビリテーション病院はどういった病院でしたか。
チーム医療にいち早く取り組んでいる病院で、面白いなと思いましたね。制服が全職種同じだったり、全員が「さん付け」で呼び合っていたり。患者さんも良くなっていましたしね。
新鮮な環境だったと。
でも大変さもありましたよ。脳卒中の方がほとんどで、重症度が高い方も多かったですし、夜勤の時は一晩中走り回っていないといけませんでした。その分スタッフも多めに配置はされていたんですけどね。
体力的な大変さが大きかったですか。
自分は体力があると思っていたんですけど、「これはキツイ」って思いました。いいところもいっぱい吸収できたし、ここまでずーっと働き続けていたので、ちょっと息抜きをしようと思って離れたんですけど、その後に世田谷記念病院に入ることになりました。
世田谷記念病院が開院
病棟立ち上げで感じた苦労
移った時は開院前だったのですか。
開く前の準備段階で入りましたね。師長候補と、看護部長の候補が定期的に集まって、マニュアルとか看護手順を作るところから始めました。なかなか苦労しましたけど、みんなで手分けしてどうにか開院前に準備しましたね。
最初はどんな立ち位置でスタートされたのですか。
回復期リハビリテーション病棟(以下、回復期リハビリ病棟)の師長でしたね。その後、2014年に地域包括ケア病棟の立ち上げに師長として関わることになりました。
当初は回復期リハビリ病棟と、医療療養病棟の2つだったと。
当時は医療療養病棟が2つあったので、そのうち1つを地域包括ケア病棟に転換することになりました。どんどん地域から患者さんを紹介してもらって、状態を改善して、在宅復帰してもらう。今よく言われている「ときどき入院、ほぼ在宅」の実現ですね。ただ、かなり大変でした(笑)。
どんなご苦労がありましたか。
地域包括ケア病棟自体、2014年に新しく始まったばかりの制度でしたので、前例がありませんでした。どうしようと思ったけどやるしかないですから。入院日数の上限が60日と回復期リハビリ病棟よりも短いので、治療とリハビリを並行して積極的に行って、早い段階で良くして退院につなげていくのが使命だなと思いました。
実際どう取り組まれたのですか。
病棟スタッフは、もともと医療療養病棟で働いていたので、リハビリに長く携わってきたスタッフも必要だなと思って、部長にお願いして何人か回復期リハビリ病棟から移ってもらいました。ただ、もちろん療養の病棟とはやり方が違うので、方法が浸透するまで苦労がありました。
みなさん、今までやられていたようなやり方で当初は仕事をされて。
その状況で、新しく回復期リハビリ病棟のやり方を押し進めていったので、当初は「めんどくさいのが来た」っていう怖い視線も感じながらでした(笑)。
やり方がガラッと変わることに抵抗がある方もいたかもしれないですね。今も残っているスタッフさんは。
もちろんいますよ。今の看護副部長もその時からのメンバーです。
当時はその副部長も榎並さんを怖い視線で見てたのですかね。
どうでしょうか…その話はしたことがないですね(笑)。でも「大変だったねあの頃」っていう話はしますよ。そのうち、自然と地域包括ケア病棟のスタッフとしての役割が浸透していって変わりましたね。それこそ日中、病衣やパジャマから着替えるっていうことも、当たり前のことになっていきました。
進む慢性期医療へ理解
手をかけることの大切さ
立ち上げから在籍する榎並さんから見て、現在と開院当時を比べて、病院のどんなところが変わったと思われますか。
働きやすさはだいぶ変わったんじゃないかと思います。目指す方向が、当初よりもしっかり定まっているので、やることが明確化してきているというか。グループで掲げている方針も浸透してきたのかもしれないですね。
ほかに変化を感じる点はありますか。
看護師の採用面接で「在宅看護に興味がある」「リハビリテーションに興味がある」と言って入職してくれるスタッフが多くなりましたね。「急性期病院で大変な時期の患者さんを見てきたけど、その後に患者さんがどうなっていくのかを自分たちは見れなかった」「家に帰るためのお手伝いをしたい」と話してくれるスタッフが集まるようになりました。
それこそ、看護師を志した当時の榎並さんのような考えを持って入ってくるスタッフも増えたと。
リハビリテーション看護や慢性期医療の役割というものが浸透したのもあるかもしれないですね。
面接などでよくお伝えしていることはありますか。
慢性期の病院だからと「患者さんに寄り添いたい」と志望動機をお話しされる方も多いんですが「寄り添うことは本当に大事なことですけど、決して忙しくないわけではないですよ」とお伝えしています。急性期、慢性期や回復期、在宅医療と、それぞれの忙しさがありますから。
慢性期と聞くと、ゆったりできるイメージを持たれがちかもしれませんね。
最初に就職した病院でも言われたことですけど、手をかければかけるほど、患者さんが良くなっていくのがわかるから、忙しくはなるけど、そこにしっかり取り組んでいくことが大事だよ、とお話するようにしています。
リハビリテーションに取り組む病院における
看護師の大切な役割とは
基本的なことを伺いたいんですが、リハビリがメインの病院での看護師の役割とは、どういったものなのでしょうか。
医師がチーム医療の中心として、患者さんの治療方針や指揮を取るのは当然あるんですけど、患者さんの身体的・精神的なことや背景を知ったうえで、いろんな職種と連携する、その要になるのが看護師だと思います。看護師と介護士は、24時間その患者さんのことをみていますから。
一番長い時間関わっているのはその2職種になるわけですね。
昼夜の様子がわかるので、在宅復帰後を考えると「昼はこういうことが必要で、夜はこういうことが必要」っていうのは看護師・介護士が一番よくわかってるんじゃないかなと思います。
では「こういうことをしていきましょう」という提案も看護師から。
しています。例えば「夜の排泄動作について、こういうところで手間取っているので、リハビリの時に、もうちょっと強化してもらいたい」と話すこともあります。
そう考えると確かに楽ではないですね。榎並さんご自身は今は管理者として、現場からは離れてはいるわけですか。
本当は自分の患者さんを受け持って、生意気かもしれないですけど、自分がやってきた看護をスタッフに現場で伝えたいな、と思う時があります。でも、この立場になっちゃうとずっと患者さんに関われるわけではないのでなかなか難しいですが、気がついたことは師長さんに伝えるようにしています。それと、どれだけスタッフが想いを持っているかなっていうのはすごく気にしています。
どんな「想い」ですか。
患者さんが病気になって障害を負った時に、世田谷記念病院を選んで入院してくださったからには、ここで良くしてご自宅に戻っていただくっていう責任があると思うんです。患者さん・ご家族の想いを叶えてあげられるか、あげられないか、ここが人生の分かれ道にもなると思っていて。「自分が受け持った患者さんは、絶対に良くして帰してあげたい」と思って、取り組んでほしいな、とはいつも思っています。
患者さんにとっては一世一代のことでもありますからね。
私自身、友だちのお母さんに入院してもらったことがあるんですけど、やっぱりスタッフを信頼していないと、自分の家族や友だちに勧められないと思うんですよ。その時は実際に感謝してもらえましたし、「いい病院」だと言ってもらえて、そのことが私にとっては誇りになっています。自信を持って勧められる病院にしたいと思って取り組んでもらえたらいいですね。
台風19号の被害を経て強まった団結力
さらに快適な病院へ
2019年は台風19号による水害もあったと思うのですが(※)。
私は当日休みだったんですけど、大変なことになるのではと思って、朝から来ていました。結果的に内水氾濫で下から水が上がってきたのですが、ものすごい勢いで、最後は1階の胸元くらいまで水が来ていましたね。
その時は、患者さんを上の階に避難させて、翌日、水が引いた後は各医療機関に全患者さんを搬送されたわけですよね。
大変ではありましたし、各方面にご迷惑をおかけしましたけれど、できる限りのことは手を尽くしました。グループの各病院施設からスタッフが応援に来てくれて、こういう時ですがグループのありがたみを感じましたね。受け入れなどに協力いただいたグループ外の医療機関のみなさんにも感謝しかありません。
その後は病院改修が始まって、今年の3月からリニューアルオープンとなりました。
その間スタッフは、グループ内の病院・施設に出向していました。離れていくスタッフも多いのではないかと心配していたんですが、多少の退職はあったものの、ほとんどは残ってくれました。
やっぱり、みなさんここを立て直したいという気持ちも。
あったと思います。結果的に団結力が高まった気がしますね。ちょっとしたトラブルがあったとしても、みんな慌てなくなりましたし。
災害を経て、対応力が養われたのかもしれないですね。新しくなった世田谷記念病院アピールするとしたらどんなところでしょうか。
災害を経験したことで団結力が強くなって、より一層良いチームになったと思います。もちろん病院全体もリニューアルしたので、患者さんの生活環境・リハビリ環境もより良く整いましたね。居室やリハビリスペースも、さらに使いやすくなっています。
リハビリスペースは以前よりも明るい場所になりましたね。
日差しがさらに入るようになって、開放感が増しました。気持ちよくリハビリに取り組めると思います。
受け入れをさらに幅広く
退院後への取り組みもさらに強化
現在、患者さん受け入れに関してはどんな状況ですか。
リニューアル後は大変な時もあったのですが、今日時点ではおかげさまで満床になっていて、入院を待機していただいているような状況です。
何か取り組みをされたのでしょうか。
新規開拓に力を入れました。地域の開業医の方が、この病院のことをどれだけ知っていただいているのかなと思い、ご挨拶に行き始めたんです。それぞれ専門性を持った医師がいて、急性期病院同様の治療も一生懸命行いつつ、リハビリに取り組んでいる病院なんです、っていうことをお話しさせていただいて。そのためか、新しくご紹介いただけることも増えてきましたね。
今後どんな病院にしていきたいですか。
看護のことだけで言えば、みんなが在宅支援看護師(※)くらい知識をつけられたらなと思っています。特別な資格を取るっていうことではないんですけど、役割としては、ソーシャルワーカー+看護師、みたいなことですね。
入院から退院後のことまで一貫して考えられる看護師を増やしたい、ということですか。
全員が在宅支援看護師に、ということではないですけど、患者さんの退院後の生活を考えた看護に、もうちょっと力を入れていきたいんです。看護師の家屋訪問も、今は機会を増やしています。
訪問した場合、実際にどのようなことをされるのですか。
退院して家に帰ることが決まったとして、病院での生活は日々見ているのでわかりますが、家に帰った時にどんなことが不自由になるか、必要になるかは、実際に見てみないとわからないわけです。ご自宅の環境を確認させていただいて、残りの入院期間でどんなことをしていくか、調整していきます。場合によっては家の改修も必要になってきますし。
今後さらに増やしていかれると。
介護士さんにも、もっと行ってもらいたいと思っています。介護的な視点で見て気がつくこともたくさんあると思うので。
愛するドーベルマンと過ごす休日
休日はどう過ごしていますか。
犬と一緒に過ごしていますね。常に犬中心です。今は行けないですけど、犬と泊まりに行ったり、ドッグランに行ったり、多摩川沿いで犬友達と一緒に遊ばせたり。
犬を飼われているんですね!
ドーベルマンとスタッフォードシャーブルテリアを飼っています。旦那がずっとドーベルマンを飼いたいという希望があって、念願叶って2年前から飼い始めて、スタッフォードシャーブルテリアは最近増えました。
ドーベルマンというと、番犬や警察犬の強そうなイメージがあります。
優しい甘ったれさんです。イメージが悪いですけど怖くないですよ! この前は散歩中にハフッて何かくわえたと思ったら、財布を拾いましたからね。交番に届けましたよ。
すごい!
もう家族みたいなものですし、大事な存在ですね。彼らがいなかったら、大変な時期は心が折れていたかもしれないです。
今は趣味に時間を使うっていうよりは、犬と一緒に過ごすことが多いですか。
前はチームに所属して、バレーボールもしていたんですけど、週末に試合があると、それで自分の休みがなくなってしまうので、最近はやっていないです。院内にも別のチームに所属してる介護士さんがいて、試合で戦ったこともあるんですよ(笑)。
(笑)。たまにやりたくなることもありますか。
ありますよ。ちょっと前に、犬の散歩をしていたら、中学生くらいの子たちが輪になってバレーをやってたので、「入れて〜」って言って混ぜてもらいました。
大胆ですね(笑)。
「バレーやってたんですかー?」って言われました(笑)。
プロフィール
世田谷記念病院 看護部長
榎並 由香
えなみ ゆか
【出身】新潟県
【趣味】犬と過ごすこと、バレーボール
【好きな食べ物】ワイン(重いやつ)
病院情報
医療法人 平成博愛会
世田谷記念病院
内科・整形外科・リハビリテーション科
急性期病院での治療を終えられた患者さんを迅速に受け入れ、入院早期からの積極的な治療とリハビリテーションにより、できるだけ早く自宅や施設に退院していただくことを目標としたPost Acute Care(急性期後の治療)を専門的に行う病院です。