患者さんの笑顔のためー。 熱い想いを楽しく伝える、下町育ちの介護福祉士!/世田谷記念病院 介護福祉士/福崎 彩子さん
患者さんの笑顔のためー。 熱い想いを楽しく伝える、下町育ちの介護福祉士!
介護への熱い想いを語る姿はもちろん、何と言ってもそのパワフルでキャッチーなキャラクターがとても魅力的な福崎さん。
身振り手振りを交えて、笑いの絶えないインタビューとなりました。意外な経歴にも注目です!
パフォーマンスも交えて「楽しく伝えること」が大切
ご出身はどちらですか。
東京です。今も都内にいますけど、生まれはもともと江東区の下町です。特におばあちゃんの家が門前仲町っていう、本当に下町のメッカみたいなところにあって、その近くで幼少期を過ごしました。
ということは、まさにチャキチャキの江戸っ子という感じでしょうか。
都会っ子っていうよりは、どちらかっていうと江戸っ子って呼ばれちゃいますね。特にお年寄りの患者さんには、なぜかすぐわかっちゃうみたいで(笑)。
それもわかる気がします(笑)。現在は介護福祉士として、グループの介護管理部の関東エリア課長をご担当ですね。
最近就任しました。まだまだ不慣れではありますが。それと、世田谷記念病院の地域包括ケア病棟の主任も兼務しています。
管理的なお仕事がメインですか。
基本的には現場のお仕事を主体としながら、関東エリアの病院で介護責任者としての管理業務も行っています。1日中現場に立ちながら、その中で会議を行うこともありますね。
そのほかに、どのようなことを担当していますか。
グループの施設がオープンするにあたってのスタッフ向け研修に、講師として行っています。主に認知症ケアについてお話しています。とても基本的なことで、捉え方の問題でもあるんですが、現場に出るとつい業務重視となって、認知症ケアの基礎をおろそかになってしまいがちなんです。その研修をするとき、私はもう芸人扱いされていて(笑)。
講師というより芸人(笑)。
もうほんとにあれはアクションが必要なんで。研修なんて、少しでも楽しくお伝えしないと苦でしかないじゃないですか(笑)。だからちょっとパフォーマンスをする。
皆さんどんな感じで聞いているんですか。
いや、もうザワついている(笑)。
あ、おかしな様子が伝わってるんですね(笑)。
「もともと劇団に所属されてたんですか?」と、真面目に聞かれることもしょっちゅうです(笑)。
とても気になります! 講師をするようになったのは何かきっかけがあるんですか。
グループの高齢事業部の信頼する上司である前川さんが「福崎さんのキャラならうまく伝えてくれるんじゃないか」って導いてくれたんです。私もさらに理解が深まったし、それが伝わってみんなが実践できるようになったら、グループ全体の介護の質も上がるんだろうなと。やっぱり研修って、やればやるほど、自分にも得るものが大きいですし、自分がやるからには、こういう風に話をすることが大事なんだなと感じましたね。
基本的だけど見落としがちな、認知症の患者さんとの接し方
認知症ケアについては具体的にどういうお話をされるんですか。
認知症の患者さんに対する関わり方について「私たちが視点や考え方を変えることで、お互いが変わりますよ」ということをお話しします。例えばおむつを替えるとき「おむつ交換しますよ」って言いながら、患者さんの顔も目も見ずに布団を取ることって、案外やってしまいがちなことなんですが、そのときに、よく「寒い!」と言われることがあります。認知症の人の視野って顔の幅くらいしかないうえに、耳に意識がいっていないこともある。となると、事前に声をかけていても、いきなり布団を取られたような感覚を覚えて、抵抗してしまうんです。
伝えているつもりで伝わっていないということですか。
そう、今までは抵抗されることについて「なんでだろう」って思っていたけど、実は「私たちがきちんとお知らせしてなかったんだ」っていうことがわかるわけですよね。だから事前に「どこからどこまで見えますか」と確認したり、ちゃんと顔を合わせてから「〇〇をしますよ」っていう話をキチッとしてから入ったりすることが重要です。
こう聞くと基本的に思えることですが、なかなか実践できないものなのですね。
だからやっぱり広めるっていうのは、すごい大事だなって思うし、気づきになったらいいのかなって思います。自分もプロじゃないからそんなに伝える力もないし、ただ一生懸命やって、こんなこと言いたいんだなっていうことがわかってもらえたら。全て修行中ですよ、私も(笑)。
ご自身も学びながら伝えているんですね。その時に大切にしていることってありますか。
やっぱり、面白みがないといけないと思います。それは単にウケるとかいうことではなくて「この人だったらどういう風にしたら興味を持ってもらえるかな」ということを考えるんです。マンツーマンで教えるときもそうで、なるべくその人の良さを損なわずに、でも褒めすぎて失敗はしないように、きちっと信頼関係を作って指導ができるようにしたいです。とても難しいんですけどね。
「卒園式で泣く準備までしていた」幼稚園の先生になる夢
介護職を目指したきっかけを教えてください。
うちの祖父母がどちらも脳梗塞で、高次脳機能障害になったんですね。祖父のときは小さすぎて覚えてないんですけど、祖母のときは覚えていて、片言でしか喋れなくなっちゃったのを見て、正直、当時の私には意味がわからなかったんです。で、あとからそれを振り返ってみて「どう関わったら良かったんだろう」と思ったんですね。
その後、専門学校などに進まれたんですか。
その前に、実は幼稚園の先生にずっとなりたかったんですよ。自分が幼稚園児だったときから先生に憧れて「幼稚園の先生になるんだ」って夢見てずっと生きてきたんです。「思い出のアルバム」っていう曲わかります?
わかります、卒業式の定番ソングですね。
家にあった電子ピアノでその曲を弾きながら歌って泣くっていうことを常に訓練をしてたんですよ。「い〜つの〜こと〜だか〜 思い出してご〜らん♩」って(笑)。
未来の卒園式をイメージして(笑)。
それくらい強い想いがあったので、幼稚園教諭とか保育士の資格も取れる専攻科がある高校に入って、さらにそのままそこの専門学校に進んだんです。そしたらちょうどそのタイミングで、介護科が新設されたんですよ。
介護という選択肢も出てきたんですね。
このまま幼稚園の先生になることもできるけど、介護について勉強するっていう道もできて。その時におばあちゃんのことを思い出して、いいチャンスだし「やっぱりもう一年勉強したい」って介護の勉強をしたんです。そのうち、だんだん興味が介護に移っていきましたね。20年くらい前だったので、これから必要性が増していく分野だったというのもありましたし。
「これが介護の仕事なのか…」現場に立って知った現実
その後、実際に介護の現場に立たれていくわけですね。
学校の研修でいろんな施設に行くようになったんですが、メインは介護施設なんですよ。ただ、なぜか私は「病院で勤務したい」って思ったんですよね。
そのころだと、病院に介護士さんがいるっていうのは…?
まだ全然一般的でなかったです。病院からの求人募集も少なかったですね。その少ない中から見つけた病院に受かって働き始めたんですが、まあーそこのヘルパーのおばちゃんの強いこと強いこと(笑)! もうこういうの(手でピラミッドの形を作る)がしっかりできていて、お仕事って言ったらひたすらおしぼりを折るとか…。
仕事も人間関係もヒエラルキーがハッキリしていたんですね。
そうなんです。介護の時も、一斉にベッドを起こして、一斉に食事介助をする。その患者さん一人ひとりの情報は何もなくて、ただ言われたこと、その時必要なことをする。「これが介護の仕事なのか」と思いました。
現実を見たという感じでしょうか。
だから正直「病院ってすごい良いよ」って言いたいけど、どこの病院も必ず良いとは言えないな、と感じました。
介護福祉士になったつもりが、まさかの転身…?!
そこではそのまま働き続けたんですか。
それが実は、院内で保育士になったんです。
えーっ! 驚きの展開です。
働くうちに看護師さんたちと仲良くなったんですけど、なぜかその時期、子どもが生まれてすぐだったり、預け先に困ってたりっていう方が多かったんです。そこで私が保育士免許も持っているのを皆さん知っていたので「院内保育してくれない?」って頼まれたんです。
まさかのオファーですね!
私もやってみたいと思ったし、皆さんも、どうせなら知っている人に見てもらえる方が安心だからっていうことで、すぐ近くのマンションの一室を借りてくれてスタートして。
じゃあ介護士としては入ったけど、しばらく院内保育をやってたんですか?
1年半か2年くらいやっていましたね。子どもが増えたんでもう1人保育士さんが入ったんですけど、あるとき子どもがみんな巣立っちゃったんですね。で、その保育士さんの方は残ってもらって、私は介護の仕事に戻ることになりました。ただそのとき「私はこの現場で介護をし続けたいのかな」って思ったんですよね。
その疑問を持ちながら働くのは難しいですよね。
そこで次の病院を探そうかな、と思ったときに、都内にリハビリテーション専門の病院が新しく開院する、っていうチラシが家に届いていたんです。
次はそちらに移って働かれたんですか。
そこに応募して、無事に採用してもらえました。そこではリハビリテーションから、医師、看護師がみんな連携して1人の患者さんのために動くんです。最初の病院では、患者さんに全然関われていなかったという思いがありましたので、私の介護福祉士としての経験は、ここで培われました。
大きな経験となった、忘れられない、被災地支援のこと
福崎さんは東日本大震災の時、被災地に介護福祉士として支援に行かれたそうですね。
そのときはまだこのグループに移ってくる前だったんですが、いろいろな病院から集められた看護師や医師、介護士などの専門スタッフがいくつかのチームを作って、期間を分けて岩手県の石巻で支援活動を行いました。
実際に、どういった活動だったんですか。
病院や施設で被災された方たちが、そのまま避難所に移られているので、そこに行って支援活動を行いました。高次脳機能障害で、ご自分だけでは生活ができない方が多くて、起き上がりや歩行介助、食事介助やお着替え、避難所生活の何から何までをサポートしましたね。
普段やられていたようなことを避難所でも続けようっていうことですね。
そうです。介護をする側の人も被災しているので、そうした支援を必要とされていました。私が行ったのは2011年の5月でした。
まだ地震が起きて間もないタイミングですね。
余震も多くて怖かったのを覚えています。現地に着いてすぐ、担当の方から「地震の被害を自分の目で見てください。それから初めてここの人たちと関わってください」と言われました。テレビで見ていた光景を、臭いから何から、現実のものとして体感してほしいと。そういった対応も、すごいきちんとしているなと思いました。ただ実際に避難所に行って驚いたのは、地元の看護師さんが普通に仕事してるんですよね。
自身も被災されながらですよね。
ご自分の家も無く、帰るところは体育館。仕事と言っても当然お金になるわけではない。何だかナイチンゲールじゃないけど、自分たち専門職の本当の姿を見たような気持ちになりました。
状況を考えるとすごいことですね。
だから医療職、介護職もですけど、その必要性ということを非常に感じましたね。その人たちがいなかったら、死んでいってしまう人がたくさんいるわけで、周りの援助がないときは自分たちが率先してやらなきゃいけないって思いました。これは私の人生において、本当に忘れられない出来事になりましたね。
今でも思い出しますか。
思い出します。必ず。そのとき被災地の方とお話しして心に残ったのが「命があるっていいよね」という言葉と、「今生きてても働くとこもないよ」という言葉です。まず、命はあってこそだし、働く場所があるっていうこともすごい恵まれていることなのだなと実感しました。これが自分の中では忘れられなくて、仕事で大変なことがあったとしても「元気に生きていて、働く場所があることに感謝しよう」と思うようになりましたし、そこから、働きやすい環境は提供されるものではなく、自分でつくることに価値があるのだなとも思い至りました。
意識が変わるような大きな出来事だったんですね。
やっぱりテレビだけで見るだけでなく、実際に関わった経験というのは大きいです。自分の力だけでは難しかったと思うので、こういう機会をいただけたことに感謝しています。
連携の取れたチーム医療で、患者さんと深く関わる病院
お仕事されている世田谷記念病院の特長を教えてください。
やっぱり、医療、リハビリテーションと、違った職種がいるから、患者さんに対してチームアプローチができることが大きなポイントです。これを普通のことと捉えているのはごく一部の病院です。だからこそ世田谷記念病院のチームアプローチは価値があると思っています! たくさんの職種が関わる中で、介護もそのメンバーとして一緒になって、一人の患者さんの生活を見れるっていうのは、やりがいがありますね。
働きながらやりがいがしっかり感じられるんですね。
例えば毎日同じこと、頼まれたことだけをやって、自分からは特に何も意見をしないとすると「なんで介護福祉士になったの」と聞かれたときに、答えに詰まるかもしれない。だけど、この病院ではそういうことはないんじゃないかなと思います。なぜなら、患者さんやご家族と喜怒哀楽を共にして、生活の中に入って一緒に考える、その人の人生の中に自分も関わらせてもらうからです。
それぐらい、この病院での介護は、患者さんと深く関わることだと。
短期間だけど、とっても重要な時間ですよね。ある意味、その人の人生を変える瞬間に立ち会っているんです。手術・治療が終わったその後に関われる人として、介護福祉士は患者さんとご家族ととても距離が近い。その意味ではこの仕事を選んだ価値があると思っています。
患者さんが良くなっている、っていうことをリアルに感じられそうですよね。
そうなんですよね。やっぱり患者さんの生活を、私たちも見られるんで、日々良くなっていくのが見える。リハビリも病棟内でやっているから、変わっていくのがわかります。一気には難しいですが、徐々にでも日々喜びがあるんです。
一歩ずつという感じですね。それもチームでやってるからこそ見えることですね。
チーム内で、介護福祉士も意見も求められるし、やっぱり責任も伴うんですよね。でも自分が必要だっていうことを常に他職種が気づかせてくれますし、学ぶこともたくさんあります。
周りから認められながら仕事ができるっていうのはいいことですよね。
この環境だからこそですね。逆にこちらが求めることもありますし。無理して連携を作るんではなくて、もうこの病院自体が、チームでやるために作られてると言ってもいいかもしれませんね。
今後介護職を目指すみなさんにアドバイスはありますか。
やっぱり施設で実習して、介護の体験がそれで終わっちゃうと、選ぶ機会がなさすぎると思うんですよ。だから、いろんなところに足を運ぶことが大切です。環境の違いで、介護の視点とかケアの手法も何通りもあると思います。ただ「知ってる人がいるから」「楽そうだから」と就職先を選ぶことなく、しっかり自分の目で見て、進んでほしいですね。
世田谷記念病院とのことも、もっと知ってもらいたいですね。
実は見学会を毎月最終日曜日にやってるんですよ。見に来てくれる学生さんには、一つひとつコンセプトとその意味や取り組み、自分の役割などをお伝えしています。現代の医療と福祉の求める介護を知ってもらうためにも、チーム医療がどんなものかを見に来て欲しいです。私も見学対応していますし、大歓迎します!
今後の目標を教えてください。
グループ内で介護部として独立したということもありますし、教育研修体制の充実を図って、病院介護の魅力をもっと発信していきたいですね。
病院ならではの介護を広めていくということですね。
はい、それと入院から退院後までを想定したケアをするために、ご自宅に訪問することを当たり前にしていきたいです。仲間たちと一緒に考えながら取り組んでいけたらと思っています。
休日は、ビール&映画、ビール&フライドチキンでリフレッシュ!
話は変わるんですが、お休みの日はどう過ごしていますか?
映画をいつも見に行ってます。やっぱり別世界に行けるところがいいです。
どういう作品を見るんですか。
泣ける系とかよりは「ヒーロー!」みたいなのが好きです。「オーッ」て感じで。
じゃあ最近だとアベンジャーズとか。
そう! ほらほら、これも自分で作っちゃったから(スマホケースを見せてくれる)。
すごい! アイアンマンですね! ちなみに映画を見るときにこだわりはありますか。
一番大きなポップコーンとビールをセットで置いて見てます。必ず誰かと見に行くんですけど、いつもいいシーンで必ずトイレの我慢ができなくなって、一度抜けて戻って(笑)。だから2回見ます。絶対我慢できないってわかってるけどそのセットが楽しみで。それが最高の休日の過ごし方です。
何か、今ハマっている食べ物などありますか。
今は韓国のフライドチキン!
いわゆるフライドチキンと、どう違うんですか。
外が「カリッ」「サクッ」と、クリスピーになってて、中がもう本当に「ジュワ〜ッ」ってしてるんです。でそれでいろんな味があって、今じゃ韓国好きの人の中じゃ知らない人はいないくらい流行ってますね。
知りませんでした! どこで食べられるんですか。
新大久保です! 今度機会があったら連れてってあげます。私が食べたいからいつでも。アハハハ(笑)。で、それと、生ビールがもちろんセットで。必ずお酢でつけた大根が付け合わせであるんですけど、それも美味しくて!
わー美味しそうですね!
最っ高! もう今すぐ行きたいもん(笑)。
昨年(2017年)は、グループで参加した高円寺の阿波踊り(※)で踊られていたそうですけど、今年はいかがですか。
う〜ん、今年は、まだ参加したことないスタッフに参加を譲るかもしれないです…でも去年初めて阿波踊りを体験したんですけど、すっごい楽しかったです!
踊りがキレキレだったという噂を聞きました(笑)。
いやいやそんな(笑)。でも、グループの人たちとのつながりを、汗をかきながら感じられたいい機会でした。まだ参加していない人はぜひ参加して欲しいですね!
プロフィール
福崎 彩子
ふくざき あやこ
【出身】東京都江東区
【資格】介護福祉士
【担当】介護管理部 関東エリア課長
【趣味】映画鑑賞(マーヴェルなどヒーローものが多い)
【好きな食べ物】韓国のフライドチキン
【尊敬する人物】家族みんな