インドネシアと日本を結ぶ出会い 山口県で国際結婚した、介護スタッフ夫婦のこれまでに迫ります!/ヴィラ本郷・グループホーム本郷/鈴木信彦・ユリアンティ夫妻
インドネシアと日本を結ぶ出会い
山口県で国際結婚した、介護スタッフ夫婦のこれまでに迫ります!
山口県岩国市のヴィラ本郷・グループホーム本郷で働く鈴木信彦・ユリアンティ夫妻。インドネシアからのEPA候補者(※)として、ヴィラ本郷で研修をしていたユリアンティさんは、当時同施設で働いていた信彦さんと結婚されました。結婚5年目、グループ内でも珍しい、候補者と日本人スタッフのカップルは、どのように出会い、結婚に至ったのでしょう。恥ずかしがるお2人ですが、お互いのことやご家族、また利用者さんを思いやる素敵なお話が聞けました。当初は結婚に難色を示していた信彦さんのご両親の心を揺さぶった、ユリアンティさんからのお手紙とは…。ぜひご覧ください!
※EPA:特定の国との間で人材の移動や投資など幅広い分野で経済関係を強化していく取り組み。平成医療福祉グループのEPAの取り組みについては、こちらをご覧ください
初めの夢はレストランオーナー
希望を持ってインドネシアから日本へ
インタビューよろしくお願いします! お2人とも職種は介護福祉士ですか。
信彦:私は介護福祉士なんですが、ユリは介護士です。何回か試験にチャレンジしてはいるんですが。
ユリアンティ:試験は5回受けました。いつもギリギリで…(笑)。
なるほど、引き続き挑戦中ですね。
信彦:そうなんですよ〜。(目の前のお茶を飲もうとする)
ユリアンティ:あなた、こういう時はお客さんに「どうぞ」とおすすめしてから自分が飲むものですよ。
信彦:あっ…。
いえいえ、お気になさらず(笑)。ではお茶をいただきます。それぞれ、この本郷で働き始めたのはいつからですか。
信彦:ユリが2010年の1月に入って、私がその半年くらい後に入職しました。彼女はインドネシアからのEPA候補者の2期生ですね。
EPA候補者としては早い時期の来日だったんですね。
信彦:今はインドネシアからの候補者は本国での看護師経験が必要なんですが、当時はまだその縛りがありませんでしたし。
ユリアンティさんはインドネシアではどんな仕事をされていたんですか。
ユリアンティ:病院で医療事務の仕事をしていました。
信彦:その病院内の掲示板に、日本でのEPA候補者募集の貼り紙があって、それを見て応募したそうですよ。
ユリアンティ:その貼り紙を見るまで、日本のことなんて全然考えたこともなかったんです。
では急に思い立ったんですね。
信彦:しかもその応募締め切りが3日後っていう、かなりギリギリのタイミングで。
ユリアンティ:だからその日の夜に書類を全部書いて、次の日に出しました。
信彦:ほかの応募者は大学で日本の勉強をしてたりするんですけど、ユリは「あいうえお」も全然わからんまま。50音表を天井に貼って、それを見ながら寝たって言ってましたから。
本当に勢いで応募をしたんですね。そう思い立ったのはどうしてですか。
ユリアンティ:私はもともと、インドネシアでオーナーとしてレストランを開きたいと思っていたんです。そのためにお金を貯めようと思って、それで日本で仕事をするということを考えました。
まずは自分の夢のために、日本で仕事をするっていうことを考えたんですね。
ユリアンティ:でもその途中でこの人を見つけて、夢は少しずつ変わりました。最初は日本の男性と結婚するなんて、ちょっとでも考えられませんでしたよ(笑)。毎月の給料でお金を貯めて、本当にレストランを作りたかった。でも、もう落ち着きました、「それが人生だ」って。今は本当に、介護は素晴らしい仕事と思って取り組んでいますよ。
公務員試験に合格も
日本行きを選択
ちなみにユリアンティさんが生まれ育ったのはインドネシアのどんなところですか。
ユリアンティ:ジョグジャカルタというところです。世界遺産のボロブドゥール遺跡があって歴史もありますし、有名な大学もあって、いろんなところから学生も集まる、日本で言うと京都みたいな場所ですね。
なるほど、確かに京都の印象に近いですね。信彦さんも何度か行かれたんですか。
信彦:それがまだで、今度初めて行くんですよ。今までに2回行く予定があったんですけど、その都度、子どもが生まれるタイミングに当たってしまって。
ユリアンティ:今回やっと落ち着いて行けます。
EPA候補者として日本へ行くと言った時、ご家族の反応はいかがでしたか。
ユリアンティ:最初は父に止められました。でも私がマッチングしていろいろテストも受かったのを見て、「どうしても行きたいなら、気をつけて行ってきなさい」って、送り出してくれました。
信彦:ユリは気が強いんです(笑)。
ユリアンティ:でも実はインドネシアの公務員試験も受けていて、そちらも合格したんです。箱根で介護の研修を受けているところに、親から「公務員試験に受かったよ」という連絡が来て。
そこで公務員を選ばなかったんですね。
ユリアンティ:「あなたの旦那さんは日本にいるよ」って、神様が示してくれたのかもしれません(笑)。
信彦:「日本に行くとええことがある」って教えてくれたんじゃろうねえ。
日本へ行く意思も相当強かったと。
ユリアンティ:そうですね。とても悩んだのですが、それ以上に「日本でがんばろう!」っていう気持ちは強かったです。
信彦:でも、東京みたいなピカピカなところで働くと思っとったんよね。
ユリアンティ:当時はそうでした(笑)。でも今考えれば、こういうのどかな場所は日本のあちこちにあるし、素敵だなと思っていますよ。
先輩後輩の関係であり
お姉ちゃんと弟の関係
信彦さんはご出身はこの辺ですか。
信彦:山口ではなく広島の出身なんですが、ここからもそう遠くはないです。
今は隣接するグループホーム本郷の管理者とのことですが、最初はヴィラ本郷に入られて。
信彦:もともと広島で別の仕事をしていたんですが、そこを離れて新たに仕事を探すことになって。なかなか仕事が少ない時期だったんですけど、ちょうどヴィラ本郷の求人チラシを目にしたんです。
ちょうどいいタイミングで見つかったんですね。
信彦:未経験者歓迎っていうところが大きかったです。ほかにも施設の求人はあったんですけど、どこも未経験者には敷居が高くて。とりあえず見に行ってみようっちゅう感じで面接に来たら、スムーズに内定をいただけて、すぐ働けることになりました。
お互い第一印象は覚えていますか。
信彦:入職したての私にとっては一番の先輩でしたね。新人は夜勤に最初入れないので、毎日昼間のシフトに入ることになるんですが、同じく毎日昼間に働いているのがEPA候補者だったので、ユリと、同期入職の候補者のエティーさんからいろいろ教えてもらうっていう感じでした。
ユリアンティ:信彦さんは、利用者さんに対してとても優しくて、仕事もすごく真面目。個人個人を尊重していて、私と考え方が近かったんです。
信彦:そこなんですよね! 考え方が近いけえ、今でもたまに言いますけど、どっちかっていうとお姉ちゃんみたいな感じです。
ユリアンティ:そういう関係もあるし、友だちでもあるし、パートナーでもあるし。話しやすいし、相談しやすい。モチベーションを高め合えます。
とてもいい関係ですね。割と最初から気が合う仲だったんですね。
ユリアンティ:でも「愛してる」の話とか全然ないです(笑)。
信彦:男に全然興味なしで来とるけえね。
ユリアンティ:仕事は仕事でしたね。
結婚までは秘密のお付き合い
EPA候補者としての研修期間、働きながら勉強するというのは大変でしたか。
ユリアンティ:両立するのは、やっぱり大変な時もありました。
信彦:その頃ヴィラ本郷はまだEPA候補者を受け入れ始めの頃だったので、施設としてもまだノウハウが確立していなくて、その意味でも大変だったと思います。
ユリアンティ:なので信彦さんには、スカイプ(※)をしながら勉強を教えてもらって。
信彦:おっと、その話は恥ずかしいな(笑)。まあ、仕事の後、お互い家に帰ってから、そういうこともありましたね。私自身も介護経験はゼロだったので、一緒に本を読みながら勉強しながら。
※インターネットを通じて無料でビデオ通話やチャットができるサービス。
ちょっと下世話な聞き方をして恐れ入りますが、それでお互いへの気持ちが芽生えたということは…。
信彦:その辺はちょっとナシにしましょう(笑)。
どうやって想いが深まったか、とか、結婚の決意みたいな話も聞きたかったんですが(笑)。
信彦:いやいや、もうそこはボンヤリとさせてください(笑)。
ユリアンティ:実は結婚するまでみんなに内緒だったんですよ、ずっと。
そうだったんですね!
ユリアンティ:やっぱり私は研修中という身でしたし、仕事は仕事、という気持ちで、プロフェッショナルとして働きたかったので、自分たちからは言わないようにしていました。
信彦:人事的なことは、山口平成病院の山本看護部長(※)が管理者なので「結婚しようと思っているんです」っていう相談をして。まあそこで看護部長も背中を押してくれて、施設のみんなに発表しました。ビックリしとったねえ。
ユリアンティ:会議の時に報告したら、みんな「え〜〜っ!」って(笑)。
よくバレずに続きましたね。
ユリアンティ:気付いていた人もいたかもしれないですけどね。同期のエティーさんだけは知っていて、3人で一緒にお出かけもしていました。
出会ってからすぐ気が合って、結婚までの流れは順調だったんですか。
ユリアンティ:本当に、愛のことは全く話さなくても、仕事への考え方が似ているだけでなく、気も合っていましたので、自然と仲が深まってという感じでした。だから結婚までも順調だったと思います。
信彦:いや恥ずかしいな、本当にこの話は。最後に、この話はフィクションですって、書いておいてもらいたいです(笑)。
それは記事の信憑性が下がるからダメです(笑)。
泣きながら書いた…
お義母さんへの手紙
いざ結婚、と決めてからの流れはどうでしたか。
ユリアンティ:スムーズでした。私は、いいことならスムーズに行く、と信じているんです。
信彦:芯が強いけえ、あんまり壁を壁と感じないんですよ。だからやらなきゃいけないことがあっても、大変と思わずに乗り越えるというか。
ユリアンティ:これまた面白い話なんですが。
お、なんでしょうか。
ユリアンティ:信彦さんのご家族とは面識があったんですが、あらためて結婚のご挨拶をしたとき、やっぱり初めは良い反応ではありませんでした。それは、宗教のこともあったから。
信彦:結婚するにあたって、私がイスラム教に改宗するっていうことが必要だったので、うちの親も最初は否定的で。でもユリはその話を聞いたら、すぐうちの母に手紙を書いたんです。
ユリアンティ:ご両親も大切な存在ですし、私は真剣に考えて書きました。「お義父さん、お義母さん、これまでいろいろと連れて行ってくれてありがとうございます。もし結婚がダメという結論でも、親が自分の子どものことを真面目に考えるのは当然なので、私は理解します。私はお二人のことも大事にしたいし、もし結婚できなくても、信彦さんとも友だちになりたい…。だから、結婚できなくても、これからもどうぞよろしくお願いします」っていう内容を書いたんです。
すごく想いのこもった手紙ですね…お話を聞いただけでも感動しました!
ユリアンティ:私は泣きながら手紙を書きました。私のせいで、家族をぐちゃぐちゃにしたくない、信彦さんには未来がある、私にも未来がありますから。
信彦:母もその手紙をもらって、1人で処理しきれなかったんでしょうね。叔母がたまたま遊びに来たので、母がその手紙を見せて相談したらしいんですよ。そしたら叔母が「こんなええ嫁さんおらんでよ! 否定しちゃいけん!」って言って、それで母も踏ん切りがついたみたいですね。まあうちの両親も古い人間ではあるので、そういうことはありました。
ユリアンティ:でも今すごい幸せですし、ご両親ともすごく仲が良いです。お義母さんは挨拶とか、お茶のこととか、とてもしっかりしています。そんなタイプの家族ですから、私もちゃんとしようと。そのおかげで、日本の文化や歴史も学びながら生活しています。
お母さんからいろいろと教えてもらうことも多いんですね。
信彦:ユリは地域でもすっかり顔が知れていて、みんなに声をかけられているんですけど「昔の日本人を見るようだ」って言われていますよ。ただ、ユリからしたら「これがインドネシア人だよ」って(笑)。
地域のみなさんとも交流があるのは良いですね。
ユリアンティ:本当、ここは第二の故郷で、大事なところです。もしいつか離れることになったら、泣くと思います。そんなこと考えるだけで寂しいですね。近所のみなさんはとても明るくて、毎朝「ユリちゃんおはよう」ってご挨拶してくれます。
信彦:私はむしろ認識されていなくて、「ユリの旦那さん」って言われていますよ(笑)。
生まれながらの違いも尊重して
お互いのペースで
ユリアンティさんのご両親は、結婚に反対ということは特になく。
ユリアンティ:そうですね。祝福してくれました。
信彦:そう考えると私は何も努力してないんですね(笑)。ユリがまさかそんな手紙を出してるっていうことも知らなかったくらいで。
実際、改宗されるというのは大きな決断ではあったと思うんですが。
信彦:基本、仏教もイスラムも、人に優しくあろうというところではそう変わらないんですよね。
ユリアンティ:イスラム教のイメージは、怖いっていう人もいると思うんですけど、そんなことはないんです。平和な宗教。いいことをすると、いつかいいことが返ってくるという。
仏教にもある考えですね。
信彦:1日5回お祈りをするとか、そういう戒律はしっかりしていますが、根本的な考えは、馴染みがあるものではあります。
実際どんな感じで生活されているのですか。
ユリアンティ:私は生まれた時からイスラム教と共に生活していましたけど、信彦さんはそうではないので、生活については、少しずつ少しずつですね。私としては、結婚したからこうしなきゃいけない、ということではなく、徐々にそういう気持ちになっていけばいいなと思っています。
信彦:なので、今のところは自分のペースでやらせてもらっています。
何より今は子どもが一番
ご結婚してお子さんと暮らす今は、どんな夢を持って仕事していますか。
ユリアンティ:子どもが生まれたりなどもあって大変だったのですが、介護福祉士の試験に合格したいですね。夢は願わないと叶いません。それと、もっと優しく介護したいです。あと仕事以外の話としては、元気に子育てができたらいいですね。
信彦:子どもは4歳と2歳の女の子なんですが、かわいいんですよ〜。そのためにがんばらないといけないなと思っています。
ユリアンティ:そうですね、子どもが生まれて、今までの夢にもっとプラスです。で、将来的には、いつか私の子どもがレストランをオープンさせて…。
信彦:まだその夢を持っちょるん(笑)?
ユリアンティ:ずーっと残ってる(笑)。
レストランを開きたいっていう気持ちがあるのはどうしてですか。
ユリアンティ:サービスするのが好きなんです。みんなが満足して、「おいしかったです」って言ってもらいたい。上手ではないけど料理は好きですし。インドネシアの料理も、和食も作ります。和食は大好きで、もっと和食の勉強もしたいなと思っています。
レストランはずっと夢としてあるんですね。
ユリアンティ:レストランのことは、考えると楽しいので、疲れた時とかにふと思い出すことがあるんです。でもやっぱり今の夢としては、子どもの成長が一番なんですね。
子育てしながら長く働きやすい職場
EPA候補者の帰国に涙…
お子さんが生まれてもお仕事は続けられて。
ユリアンティ:みんな家族みたいな雰囲気で、働きやすいです。子育て中は時短勤務もできますし、急に子どもの熱が出たっていう時も対応してもらえます。
ヴィラ本郷、グループホーム本郷、どちらの施設も長く働いているスタッフが多いですか。
ユリアンティ:そうですね、長い人は15年くらい働いています。
信彦:退職者が少ないですね。退職にしても、引っ越しを機にとか、結婚を機にとか、そういった理由がほとんどで。
働きやすいっていうのが理由としてあるんでしょうか。
ユリアンティ:私にとってはそうですね。
信彦:子育てしているスタッフにもそうですけど、そもそもEPA候補者に対する支援自体が、グループとして手厚いですね。
グループの制度として、候補者の家賃や食費は比較的抑えているそうですね。
信彦:おかげでユリも仕送りができました。インドネシアは互助関係が強くて、もう卒業しましたけど、当時ユリも甥っ子の大学の学費を世話していましたから。
ユリアンティ:そこはお互い様なんです。もしかしたら将来、今度は甥が私たちの子どもを支援してくれるかもしれない。
信彦:そういう風にみんなで支え合うのが文化みたいですね。
ユリアンティ:日本ほど社会保障の制度がまだ整っていないというのも理由かもしれないです。でも、インドネシアもどんどん成長していますし、制度も少しずつできてきています。
ちなみに今現在、EPA候補者の方はヴィラ本郷に何人いらっしゃるんですか。
ユリアンティ:今は4人ですね。少し前にちょうど1人インドネシアに帰ってしまって。
信彦:介護福祉士の試験を受けた時に、合格点の半分以下だったら帰らなきゃいけないという決まりがあって、本当は残りたかったのに、泣く泣く帰国することになって…。
ユリアンティ:帰ると決まって、みんな泣きました。本人はとても真面目だし、がんばり屋さんだし、特に利用者さんみんなに明るく接していました。
がんばっていたことがわかっているだけに、残念ですね。
ユリアンティ:とても残念でした。気持ちがあっても帰らないといけないっていうのはやっぱり悩ましいです。
信彦:もったいないですよね。施設長も大泣きしていましたよ。
働くうちに気が付いた
介護職の素晴らしさ
これからのお仕事の目標はありますか。
ユリアンティ:利用者さんが、歳を重ねてもその人らしく、自分の家と感じてもらいながら、この場所で良かったと安心してもらえたら、私たちも嬉しいですね。
信彦:グループホームも一緒ですね。利用者さんは認知症の方なので、夕方になると「もう帰らにゃ」とか「ここはどこ」とおっしゃる方もいて。なるべく、みんなでここで楽しく生活できて、不安な気持ちにならないようにと努めています。
ユリアンティ:本当に、介護の話になるとたくさん話すことがあってキリがないです(笑)。日本に来てこの10年間、たくさん勉強になりました。新しいこともどんどん出てきます。認知症についても、勉強したとしても、本当に利用者さんと会ってみると、全然違いますから。
やっぱり教科書だけではわからないことがたくさんあると。
信彦:利用者さんが100人おったら、100人それぞれの対応になりますからね。
ユリアンティ:疲れることもありますけど、そんな時も自分を元気づけています。介護は人としてすごい勉強になります。利用者さんたちと深く接しますし、素晴らしい仕事だと思いますよ。でも、すごく申し訳ないことなんですけど、日本に来てすぐの頃は、介護の仕事を魅力的だと思ってない時もあって。
そういう時期もあったんですね。
信彦:それは、日本に来てから、施設で働く前の研修で、「介護の仕事は給料も低くてどうのこうの」って、よくない風に言った講師の人がいたそうなんですよ。
マイナスに捉えるようなことを伝えられたんですか。
ユリアンティ:でも、今は、これまで介護の仕事のキャリアを生かして、レベルアップしていきたい。スキルについて、サービスについて、もっと成長したいんです。
インドネシアの介護施設事情
日本での努力は必ず生かせる
EPA候補生として日本に興味を持っている人にアドバイスはありますか。
ユリアンティ:夢を持って、3年間を大事に過ごしてほしいですね。勉強して合格して、できれば日本で働き続けられたらいいですけど、もし母国に帰るとしても、学んだことや日本の技術を、国で生かしてもらえたらいいなと思います。
お互いの国のためになればいいですからね。
ユリアンティ:私のように家族ができることもありますしね。いろいろと活躍ができる道もあると思うので、ぜひぜひ世界のために、日本に来てほしいですね。
ちなみにインドネシアの介護施設事情はどんな感じですか。
ユリアンティ:施設はあるけど数はまだ少ないです。考え方としては、自分の親は家族が最後まで家で見守る、というのがまだ強くあります。お手伝いさんが手伝ってくれているという家庭も多いですね。
介護施設を利用するという考えはまだポピュラーではないのですね。
ユリアンティ:でも少しずつ状況は変わってきていますし、これから施設も増えるかもしれないです。
そう考えると、日本でこうして介護の勉強をして経験を積むことは無駄じゃないですね。
ユリアンティ:その経験はとても大事です! 例えばもし私が今インドネシアに帰ったとしても、あちこちからウェルカムだと思いますよ。やっぱり日本はタイムマネジメントの意識が高いので、日本で働いていたことはとても喜ばれるみたいです。
もし日本で学びたいと思って迷っている方には、挑戦することをお勧めしますか。
ユリアンティ:絶対挑戦した方がいいですし、もっと多くの方に来日してほしいです。
楽しく利用者さんに過ごしてもらう
川柳もそのためのひとつのツール
信彦さんはグループホーム本郷でどのようなお仕事をされていますか。
信彦:管理者という立場で仕事をしているんですが、利用者さんの対応が半分、管理業務・事務業務が半分っていう感じです。基本的にはみなさんに楽しく過ごしていただけたらいいなって思っています。
先ほど拝見しましたけど、確かにすごく明るく接していましたね。
信彦:それとトラブルがないように安全に、ですね。私は基本的に慎重派と言いますか、それでいておっちょこちょいな部分もあると自覚しているので、すごく気をつけています。
やっぱり大事な部分ですよね。
信彦:おかげさまでスタッフにも恵まれていますので、協力して利用者さんに快適に過ごしていただけたらと。またグループホームは地域密着というのがモットーなので、今後はもっと地域の方と交流を持って、お互い手を取り合って、生活していけるような環境を作れるようがんばっていきたいです。今はそれが少しずつ芽吹いてはきているかなっていうところではあります。
信彦さんに聞きたかったことがあるのですが、グループのInstagramでやっている「私が、詠みました」という川柳の企画(※)に、いつもかわいらしい句を送ってくださいますよね。とても入選率が高いので、どうやって作られているのか、とても気になって。
信彦:毎月いつも1本は送ろうという目標を立てて送ってるんです。やっぱりこういったものは、目標を決めないと続かないので。
※グループの病院・施設の患者さん・利用者さん・スタッフから募った川柳を掲載する企画。グループのInstagramはこちらからご覧ください。
川柳を作ることにハードルを感じる方もいそうですね。
信彦:ゼロから一句をまるまる作るのは大変でも、お話ししながら題材を探して作っているんです。普段から話すなかで気になる発言があったら「じゃあこれをテーマに川柳を作ってみようか」って言って、お手伝いしながら作ってもらっています。
なるほど、普段のコミュニケーションがとても大切になってきますね。ほかの施設の方にも参考になるかもしれないです。
信彦:なるほど、普段のコミュニケーションがとても大切になってきますね。ほかの施設の方にも参考になるかもしれないです。
川柳もその一環なんですね。
信彦:面白く過ごしてもらうための、ツールとして使っています。
ぜひそうしていただけたらありがたいです。
これからも2人で手を取り合い
笑顔のある家庭を
今後、どういう家庭を作っていきたいですか。
信彦:多くは望まないので、みんな元気で、ニコニコ笑顔で暮らしたいですね。
ユリアンティ:子どもたちのために。お互い手と手を取り合って、できるだけ一緒にやっていきたいです。やさしく正しい家庭がいいですね。
信彦:こんなことを人前で話すことになるとは思わなかったです(笑)。
ユリアンティ:本当に全部バレた(笑)。
(笑)。お互い今は向かい合わせの施設で働いていますよね。
信彦:目の前ですけど適度に距離があって、しかもお互いの立場や状況もわかるので、仕事の相談とかアドバイスはしやすいですね。
ユリアンティ:夫婦が近い距離で働くことって、恥ずかしい、気を使うという声もありますけど、私にとってはやりやすいですね。足りないところをお互い補えます。私は信彦さんに「スタッフさんにも普段から感謝の気持ちを伝えないとダメ」って言っています。
信彦:そういうアドバイスはありがたいですね。今日の話を聞いてるとわかると思うんですけど、私は基本、どうでもいいような話をバーっとするんですけど、ユリの話はね、実に深いというか(笑)。
いえいえ、お2人から良いお話を聞かせていただいていますよ(笑)。
信彦:ただ「今までお付き合いした人のなかでは一番ロマンチックがない」って言われましたよ(笑)。
急にその話を(笑)。
ユリアンティ:恥ずかしい(笑)。でももうそこは理解してます。代わりに信彦さんのご両親が、私にお花をよくくれます。「私の息子は絶対にプレゼントとかそこまでしないから代わりに」って。
さすがご両親は理解されていますね。
ユリアンティ:今はロマンチックよりは、お互いに理解し合えることが大事です。安心感がある方が良いですね。
信彦:ちなみに今日、ユリの誕生日なんですよ。
そうだったんですか、おめでとうございます!
ユリアンティ:昨日、サプライズパーティーをしてもらいました。
信彦:ちょっとしたことですけど、私が休みだったので、ご飯を作って、両親と子どもたちと一緒にユリの帰りを待ってたんです。
しっかりお祝いされてるじゃないですか! 嬉しかったでしょうね〜。
ユリアンティ:嬉しい! 涙が出ました。
プロフィール
ヴィラ本郷
鈴木 ユリアンティ
すずき ゆりあんてぃ
【出身】インドネシア ジョグジャカルタ市
【職種】介護士
【趣味】料理(インドネシア料理も和食も作る)
【夫婦共通の趣味】旅行と子育て
グループホーム本郷
鈴木 信彦
すずき のぶひこ
【出身】広島県
【職種】介護福祉士
【好きな食べ物】錦糸卵
【夫婦共通の趣味】旅行と子育て
病院情報
社会福祉法人 平成記念会
ヴィラ本郷・グループホーム本郷
ヴィラ本郷は1999年開設した介護老人福祉施設です。入所およびショートステイのサービスを提供し、のどかな本郷の環境のなか、利用者さん一人ひとりに合わせたケアに取り組んでいます。隣接するグループホーム本郷は、少人数の認知症高齢者と介護スタッフが、食事の支援や掃除などを協力し合いながら共同生活を送り、症状の改善や心身機能の維持・向上を図ります。