全国に100以上の病院・施設を運営している平成医療福祉グループ。回復期リハビリテーション、療養、地域包括ケア、急性期、精神科など、さまざまな病棟機能を持つ病院、訪問事業(看護、介護、リハビリテーション)、介護施設や障がい者福祉サービスを展開しています。
「特集リハビリテーション」最後の記事では、同グループのリハビリテーション部の多様な働き方にフォーカス。各領域で活躍するセラピスト8名をご紹介します。
心にふれるリハビリテーション
リハビリといえば、機能訓練や日常動作訓練など身体に働きかけるものというイメージが強いでしょうか? 同グループでは、精神疾患・障がい、重症心身障がいなどを抱える人たちへのリハビリを通して、身体機能の回復だけではないリハビリの可能性に着目しています。
精神科のリハビリは「答えがない」から面白い。
精神科病院 大内病院で働く作業療法士の島村敦さんは、20代の頃に作業療法士の資格を取得しました。お母さんがめまいの病気を患ったときに、「身体とは違い、外から見てわからない病気」に関心をもち、精神科医療に携わりたいと思ったことがきっかけだったそうです。2014年に大内病院に入職してから、亜急性期病棟、精神科訪問看護、重度認知症デイケア、精神療養病棟、スーパー救急病棟などを経験してきました。

「精神科リハビリは答えがない部分が面白いんです。たとえば、同じ人であっても昨日は正解だったことが今日は違っていたりもします。症状や予後によってアプローチも変えています。まずは休息が必要な方には体を休めていただき、部屋から出られるようになったら、抱えておられる生きづらさを少しでも軽くできるように働きかけます。作業していると集中できて幻聴が聞こえなくなる方もいますし、編み物をしているとリウマチの痛みを忘れて穏やかに過ごせる方もいます」。
この日は、病棟でカフェが開かれていました。コーヒーを淹れるのは島村さんたち、作業療法士のみなさんです。「朝起きてカフェに行く」「オーダーする」「コーヒー豆を挽く」「後片付けをする」「コミュニケーション」など、カフェに参加すること自体が「社会生活の練習」のためのリハビリになっています。カフェに集う患者さんたちが、島村さんに話しかけるときの自然さがとても印象的でした。
「患者さんには、いつ話しかけてもいいよと言っています。スタッフステーションで記録をつけているときでも入ってきていいよって。まちのなかで退院した患者さんに声をかけてもらえたりすると、覚えていてくれたんだなとうれしくなります」。

病棟の廊下には、作業療法でつくった小さなアート作品が飾られていました。小さな薬玉は、ある患者さんがみんなにつくり方を教えてくれたものだそう。「みんなに見てほしいと言ってくれた人の作品だけを展示しています」と島村さん。一人ひとりの患者さんの意思を尊重しつつ入院生活を支えるあり方が、小さな松ぼっくりのアートからも感じられました。
重症心身障がい児者のリハビリ
緑成会整育園は、重症心身障がい、発達障がいの方のための医療機関・障がい福祉施設。重症心身障がい児者の入院・入所、障がい児の外来や通所(放課後デイサービス)などを行っています。作業療法士の金子仁美さんは、以前は高校の養護教諭として不登校や学力不振をかかえた生徒への対応や手帳等を使用して就労を考えている生徒への進路指導を行っていたそうです。
「なかには発達的な特徴のために不登校になったけれど、福祉の力を借りて就職できたケースもありました。その頃に、地域の特別支援学校の先生や就労先にいる作業療法士の方たちに出会い、自分も作業療法士として関わりたいと思うようになりました」。

整育園には、未就学児から子どものときにここに来た80代の方まで、年齢も症状も動かせる体の範囲もさまざまな入所者さんがいます。同じアプローチをして、同じリアクションが出るかどうかも定かではなく、他職種からの情報を共有してもらいながら評価を積み上げることを大事にしているそうです。重症心身障がい領域のリハビリの特徴は、「一人ひとりに合わせてリハビリのプログラムをつくること」だと言います。
「たとえば、脳血管疾患や骨折であればリハビリの流れがある程度決まっています。重症心身障害児者のみなさんは、言葉でのやりとりが難しい方も多いので、どんなことに興味があるのか、どのくらいの身体機能、認知機能があるのか、常に反応を探りながらリハビリを進めています。最初は反応がなかった方でも、繰り返すうちに笑顔になったり、表情の変化や自発動作、目的的な動作が出現することがあるんです。こちらの関わりに対して何らかのアクションが感じられて、日々のプログラムの目標とするアプローチにつながるとうれしいですね」。
言葉を介さないコミュニケーションだからこそ、やりとりが成立したのを感じると「あ!きた!」という感じがすると金子さんは笑顔で話してくれました。「つながったなと思ったときはすぐにスタッフ間で共有します」。入所者さんを真ん中に、チームのなかに広がるコミュニケーションのかたちがここにもありました。
スポーツ整形領域のリハビリテーション
「地域のかかりつけ医」の役割と並行して、整形外科とリハビリテーションに特化した医療を提供している西宮回生病院。競技復帰までを包括的にサポートするスポーツ整形外科にはプロのアスリートも受診に来ており、プロサッカークラブのガンバ大阪とはパートナー契約も結んでいます。プロスポーツからレクリエーションスポーツまで、スポーツをする人が抱えるさまざまな問題や悩みをサポートする、同院のアスレチックリハビリテーションについて現場の声を聞きました。
世界レベルのアスレチックリハビリテーションを目指して

理学療法士の島本大輔さんは、サッカー選手時代に怪我をしたことがきっかけとなり、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナーと理学療法士の資格を取得。入職3年目に、同院のアスレチックリハビリテーション立上げに参加しました。
「サッカーやフットサルチームの試合に帯同することもあるので、スポーツ救命ライセンスなどの資格も取得しています。マッサージやテーピングなどのメディカルサポートが中心ですが、今まで3回心肺蘇生もしました。当院のスポーツ整形外科にはサッカー日本代表選手も来られています。いろんなリハビリを体験されているので、彼らのリハビリを担当するとこちらの学びになることも多いです」。
同院の評判を聞いて「スポーツ整形外科領域で働きたい」という療法士の応募もあるそうです。しかし、島本さんは「高齢者のリハビリも、アスリートのリハビリも自分のなかでは同じ。まずは療法士としての仕事をしっかり学んでから来てほしい」と言います。
「アスリートを対象とするリハビリは求められるレベルが高くて失敗できないのではと言われるのですが、高齢者もアスリートも失敗できないのは同じです。高齢者では日常的動作、アスリートはスポーツ動作、もちろん負荷設定は違いますが、人を見て判断して情報を取得するという考え方に変わりはありません。新しい知見を得るために、学会にも積極的に出向いて学術活動にも力を入れています。臨床、スポーツ現場、学術の3本柱をそれぞれ太く長くするために、自らトップを走り続けたいです」。

「今後は、世界トップクラスのスポーツ整形外科診療を展開しているFIFAのIsokinetic Medical GroupやドーハのAspetar hospital と同じ水準を目指したい」と島本さん。遠くないいつの日か、世界中のアスリートがやってくる病院になるかもしれません。
離島、インドネシア、厚労省。療法士として転機をつくる
同グループのリハビリテーション部には、病棟を出て新しいチャレンジをするさまざまな機会が設けられています。ここからは、離島プロジェクト、海外事業、厚生労働省への出向を経験した療法士の方たちにお話を伺います。
東京の離島で考えた「地域に根ざすリハビリ」とは?
「離島プロジェクト」は。東京都の離島(利島、青ヶ島、御蔵島)にリハビリスタッフを派遣し、訪問リハビリや在宅支援などを通じて、地域住民の健康とQOL向上を目指す取り組みです。同プロジェクトの立ち上げに関わり、第一号参加者にもなったのが、世田谷記念病院の理学療法士 塚本泰成さん。2022年6月から1年間、利島(としま)で活動しました。
※利島での活動については、こちらの動画でご覧いただけます。Mission Report | 離島プロジェクト 利島村

「ちょうど働きはじめて4〜5年が経って、『療法士としてどんな人生を歩んでいくのか』と立ち返って考えていたときに、離島プロジェクトがはじまったので手を挙げました。正直に言うと、離島の状況を知って過疎地医療のために役に立ちたいと思ったというよりは、新しいことがはじまって面白そうだなという気持ちのほうが強かったです」。
利島の住民は約300名。一人のセラピストが住民に与える影響は大きい一方で、医療資源が限られた環境における唯一のリハビリ職という難しさも痛感したそうです。塚本さんは講習会やリハビリテーションを実施するだけでなく、「住民のひとり」として積極的に交流の機会と関係性をつくっていきました。

「病院で働くなかでも『地域に根ざす』と口で言ってはいましたが、こちらの理想を押しつけていたところがあったんだなと気付かされたというか。住民として暮らしながらリハビリをしていると、地域で暮らしている人たちの側の目線で、地域のなかで僕らはどうあるべきなのかを考えられるようになりました。また、利島のような離島は、人口減少や少子高齢化が進み、住民の規模も小さいので、課題解決に向けて先進的に取り組める地域でもあります。ここでの経験は、本土での僕らのあり方を考えるよいきっかけにもなると思います」。

今、利島では4人目のリハビリスタッフが活動中。塚本さんは、引き続き「離島プロジェクト」チームの一員として、プロジェクト参加者のバックアップを行っています。また、三つの島で共通の項目を用いて体力測定を行い、得られたデータを今後の活動に生かすことも考えているそうです。
インドネシアのリハビリ・クリニックの立ち上げに参加
海外事業の目的は二つ。ひとつは経済連携協定(Economic Partnership Agreement)などを通じて日本で経験を積んだインドネシア人スタッフが母国で活躍できる場を整えること、もうひとつは、現地ではまだ定着していない回復期リハビリテーションの考え方と日本のノウハウを融合させ、地域の医療水準向上に貢献することです。隠田良祐さんは、インドネシア・ジャカルタ市に「Heisei Rehabilitation Clinic」の立上げ準備のために、2024年10月から半年間ジャカルタに滞在しました。

「入職してから10年を超えて新しいチャレンジをしたい気持ちがあって、面白そうだなと手を挙げたんです。前段階として国内研修として来日したインドネシアの療法士に継続した教育をしたり、オープン後のオペレーションを学んでもらったりするためにジャカルタに滞在しました。僕以外にも海外事業チームのメンバーが、現地セラピストの国内研修を行っていますし、現地での教育も担当しています」。

ジャカルタに滞在して感じたのは「日本とインドネシアのリハビリの違い」。同グループのクリニックだけでなく、ゆくゆくはインドネシア全体のリハビリの質を向上することが、海外事業プロジェクトの目標です。
「インドネシアのセラピストは、考えすぎずにすぐ行動するのでスピード感があり、リハビリの即時的効果につながることもあります。一方で、日本のリハビリが大事にしている臨床推論をする意識をもってもらうよう伝えることも大切。インドネシアのリハビリに日本の考えを融合するイメージです。伝え方にも工夫をしていて、否定はせず、新しい考えへの有効性を実感してもらいながら指導するよう意識していました。さらにブラッシュアップして、現地の患者さんにリハビリの効果を理解してもらえるようにしたいですね」。
リハビリテーション部のなかで、スタッフがさらに輝ける場所をつくる取り組みのひとつになるよう、海外事業の可能性を拡げていきたいと言う隠田さん。いまは国内から、海外事業を力強くサポートしています。
厚生労働省で人のつながりを広げる
緑成会整育園(医療型障がい児者入所施設)の理学療法士 松本徹也さんは、2023年4月から翌年7月まで、厚生労働省医政局医事課に出向。医師の養成過程を通じて医師の偏在対策のための政策を担当する、医師養成等企画調整室という部署に所属しました。それまで、理学療法士として主に体を使う仕事をしてきたせいもあり、「書類まみれの仕事」への急激な環境変化についていけず、最初の1カ月月で3キロも体重が減り、じんましんも出たそうです。
「厚労省への出向を希望したのは、リハビリテーション部門長になって4年が経つ頃でした。過去の部門長はいろんな挑戦をしている方が多く、また現場も落ち着いてきたタイミングだったので、やりたいことに挑戦しようと思いました。厚労省では、大臣や医政局長の国会答弁の草案をつくったりしていました。行政文書の読み方や膨大なタスク処理の方法などは鍛えられましたね。また、官僚のみなさんが議員に対して行う、客観性のある説明のしかたも参考になりました」。

医政局医事課は、60〜70名の職員の約半数が出向者。医系技官として入省している医師、理学療法士、言語聴覚士などのコメディカル、あるいは生命保険会社の社員などもいたそうです。グループの外に出たからこそ出会えた人たちとのつながりを、松本さんは今も大事にしています。
「たとえば、新しい事業をやりたいなと思ったときは、出向時に知り合った別法人の病院事務長の方に連絡をとって相談しましたし、『マネジメントをやりたい』と言っていた方をグループ内の病院に紹介したこともあります。厚労省で得た知識や経験は、今すぐ現場に役立てられるものではありませんが、いろんな形で影響を受けていると思います」。
今後も、機会があれば「新しい挑戦をしてみたい」と言う松本さん。療法士でありながらも、その人らしい生き方や挑戦のチャンスがあることも、リハビリテーション部の特徴のひとつなのです。
地域の安心をつくるリハビリテーション
リハビリテーション部では、病棟から出て地域のなかにリハビリを通じた安心をつくる取り組みも行っています。最後に、利用者さんのご自宅での訪問リハビリ、そして地域のニーズに応えて培ってきた小児リハビリの取り組みを紹介します。
たった一人でも笑顔にする、訪問リハビリ
朝一番、訪問ステーション てとてと東大阪を尋ねると、デスクで仕事をしている所長の上田昇さんが笑顔で迎えてくれました。てとてと東大阪は、地域密着型の訪問看護ステーション。看護師、リハビリスタッフが利用者さん宅を訪問し、安心して在宅生活が送れるようにサポートしています。上田さんが初めて訪問リハビリをしたのは、弥刀中央病院の回復期リハビリテーション病棟に勤務していた頃でした。

「訪問リハビリに出たとき、『自分のやっていたリハビリはなんだったんだろう?』と衝撃を受けました。ご自宅に帰られてからのその人らしい生活を想像しないまま、“リハビリのためのリハビリ”をするのは悲劇だとさえ思いました。たとえば、患者さんのご自宅は必ずしも整った環境があるとは限らないのに、それを想像すらしないで単に段差練習をしてしまったり、患者さんの性格や特性、家族背景を考慮せず、リハビリ職としての正解を押し付けてしまったりしたこともありました。何のためのリハビリをやってきたのか?を根本から問い直していきました」。
2017年にてとてと東大阪の開設が決まったとき、上田さんは所長に抜擢されました。同グループ初の訪問看護ステーションだったため、立ち上げの時期は何もかもが手探り状態。当時サポートを担当してくれたグループ病院の事務長に助けてもらいながら、地域の病院へ営業をしたり、当時の介護福祉事業部部長や、リハビリ部の池村部長に話を聞いてもらったり励ましてもらったりしながら、足場を固めていったそうです。2年ほど前からは現場に出る頻度を減らしながら、マネジメントに専念する体制に移行しました。「うちは、訪問看護や訪問リハビリをやりたくて入職したスタッフばかりです」と胸を張ります。

「在宅医療では、利用者さんに求められることと医療者として提供すべきものが合致したときに初めて信頼関係ができます。座るのも大変な人に対して、セラピストとしての知識や技術を駆使して運動した後に、座るのが楽になったりすると『信じていいのかな』と思ってもらえる。小さな目標でも達成できたら『一緒にやっていけるかな』と向き合ってもらえる。1回に訪問できる時間は非常に限られていますが、人によっては年単位で関わることもできます。その方の残りの人生を自分らしく生きてもらうために『1回の限られた時間で何ができるのか』という思いは強くなっていきました」。
「人と接する仕事ですから、人と人の関係になれたら」と上田さん。事務所の壁にはスローガンが掲げられていました。「たった一人でも笑顔にする仕事をしよう!それがいつかみんなを笑顔にできる!」。

子どもがのびのび過ごせる好循環をつくる
「小児リハビリに関わるようになったのは、小児科を通じてリハビリの相談に来られた乳児のお子さまの担当に、何の経験もなかったのに手を挙げたことがきっかけでした。もともと、いろんなことに興味があり、新しいことに挑戦してみたい性格なんです。その後2、3年は、どんどん予約が入ってくるので、記憶がないくらいに仕事と自己研鑽に打ち込んでいました。同じく、小児科医もイチから勉強して、月1回セラピスト向けに勉強会を開催してくださったり、学会へ誘ってくださったりしました。先生も私たちもワンチームであること、時代に合わせて臨床を更新していく姿勢が小児セラピストの士気とやりがいをさらに高めています」。
それから約10年が経ち、淡路島の東浦平成病院の個別療育は、島内のみならず神戸市や明石市から通ってくる患者さんもいるほどに求められるようになりました。通ってくるのは、自閉スペクトラム症やADHD、LDなどの発達障がいの子どもが約8割、あとは脳性麻痺等の肢体不自由、ダウン症等先天性疾患の子どもたちです。リハビリの対象年齢は0〜18歳。本人や家族が日常生活において「大きく困ることなく、適応できた」と感じるまで一緒に訓練しているそうです。

「小児リハビリのやりがいは、子どもたちの言葉が増えて行動が変化していくようすを間近で見られることです。『ちょうだい』『もう一回』と身振りが出たり、泣き喚いていた子が終了時に上手に切り替えができるようになるたび、我が子の成長を見守るように喜べるのは、小児リハビリの大きなモチベーションのひとつです。ありがたいことに、毎年少しずつ小児セラピストが増えていますので、リハビリを必要とする子どもを取りこぼさず支援し、保護者、教師、保育士などの関係者の不安も減って、子どもたちがのびのび楽しく過ごせる好循環をつくりたい」。
中村さんにはたくさんの夢があります。ひとつめは「淡路島内において、個別療育といえば平成医療福祉グループ」と言われること。そして、その先に思い描いているのは「障がい福祉にやさしい島」として全国に認知されることです。今後は行政との連携企画にも挑戦していくそう「最近は、夢の実現に向けて一緒に語れる仲間も増えました」と目を輝かせていました。

「どうしても、医療機関だけではできないこともあります。子どもたちが日常を過ごす学校や保育園において発達特性への理解が少しでも広がればと思い、来年度より園や学校向けに勉強会の企画もしています。また、近隣の小学校の先生方との情報共有カンファレンスも実施しています」。
グループ内の病院から、「小児リハビリの外来ニーズはあるけれど、マンパワーがなくて悩んでいる」という相談を受けることもあるそうです。中村さんたちが10年かけて積み上げてきた小児リハビリの知見が、グループを通じて各地に広がることも、夢を叶えていく一歩になるかもしれません。
近年、同グループのリハビリテーション部では、「ケアにおけるリハビリテーション」へと視野を広げています。単なる機能回復だけではなく、日々の関わりのなかで対象者の「じぶん を 生きる」を真剣に考えて「次の一歩」につなげる関わりを行うこと。そして、既存の体制やルールの枠組みにとらわれず、むしろ枠組みを利用して創造すること。そして何よりも「自分たち自身も、ワクワクできる、楽しめる仕事をする」ことが、対象者の「その人らしさ」を支えることに結びつくと考えています。
こうした考え方によって、ますますリハビリの可能性は広がっていくに違いありません。今回ご紹介できなかった分野で活躍する療法士のみなさんには、あらためて機会を設けてお話を伺いたいと思います。
プロフィール

フリーライター
杉本恭子
すぎもと・きょうこ
京都在住のフリーライター。さまざまな媒体でインタビュー記事を執筆する。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)、『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』(晶文社)など。

フォトグラファー
生津勝隆
なまづ・まさたか
東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。





