平成医療福祉グループに在籍する療法士は約2000名(理学療法士約1200名、作業療法士約550名、言語聴覚士約250名)。グループの全職員の1割以上、看護師に次ぐ職員数です。彼らが所属する、リハビリテーション部を統括しているのが部長の池村健さん。入職して20年、統括部長になって13年目を迎えました。
慢性期・回復期医療の先駆者、そしてトップランナーとして、同グループはどのようにリハビリテーションの質の向上やスタッフの育成に力を入れてきたのでしょうか。また、在宅復帰後の生活にまで視野を広げて関わりつづける、これからのリハビリテーションのあり方とは? 過去の取り組みも振り返りつつ、池村さんにじっくりお話を伺いました。
<プロフィール>
池村健(いけむら・たけし)
平成医療福祉グループリハビリテーション部統括本部長。認定理学療法士。呼吸療法認定士。2005年入職。博愛記念病院、平成病院、徳島赤十字病院(1年間の出向)を経て、2012年に世田谷記念病院の設立準備に関わると同時に現職に就く。2019年、HMW Rehabilitation Clinic(インドネシア、ジャカルタ)の設立にも関わった。現在は博愛記念病院に勤務。
リハビリテーションの拡大期に入職する
池村さんが入職した2005年、リハビリテーション部ではスタッフ数約200名のところに、約50名もの新規採用に踏み切りました。最終面接で当時代表を務めていた武久洋三会長(以下、前代表)に「これからはリハビリが重要だと思っている。好きなようにやっていいからがんばってほしい」と言われたと池村さんは振り返ります。
最初の勤務先は博愛記念病院の医療療養病棟。寝たきりに近い患者さんも多かったのですが、当時から離床の重要性に着目したリハビリに力を入れていたそうです。

池村さん「入院生活を少しでも充実したものにしてもらうという施設に近い目的と、誤嚥性肺炎や心不全などの疾病を予防する視点での目標の両面から離床に力を入れていました。在宅復帰できない患者さんのために、日中だけでも家に帰る時間をつくる『デイホーム』を企画して。看護師、療法士、運転手さんと3人がかりで行くのですが、家に帰ると患者さんがすごくいいお顔で過ごされるのを見て感動しました。採算度外視の“持ち出し”になる企画を許してくれたのは、前代表の器の大きさだったと思います」。
入職2年目には、博愛記念病院に回復期リハビリテーション病棟(以下、回リハ病棟)を新設する計画が持ち上がりました。池村さんは「開設メンバーとして、回復期リハビリテーションのノウハウを吸収してくるように」と、平成病院の回復期病棟への異動辞令を受けました。
池村さん「博愛記念病院の回リハ病棟は24床からスタート。患者さんが在宅復帰するための方法やルートづくり、院内のスタッフ教育をして実績をつくり病床数を増やしていきました。グループが在宅医療に目を向けていくステージを経験できたのは、すごくラッキーだったと思います」。
新人時代から大きな仕事を任されたのは、池村さんの「負けず嫌いの性分」と目標に向かって困難をものともせずにまっすぐ進む「勇往邁進」さがあればこそ。当時の目標は「博愛記念病院のリハビリをグループで一番にすること」でした。

池村さん「まずは院内から変えていこうと、同期や後輩を巻き込んで研鑽の機会を増やし、学会発表や論文投稿にも力を入れました。学生時代の同期や後輩が『一緒に仕事したい』と入職してくれたこともあり、みんなで盛り上げていけたなあと思います。それでも、グループで一番になれたと実感するまで5年近くかかりました」。
次に目指したのは「県内で一番」ーーその目標を叶えた頃、次なる大きな使命が待っていました。世田谷記念病院の開設とグループ全体のリハビリテーション部を統括する本部長のポストです。2013年、「人生で一番働いた」という1年間の開設準備を終えて、博愛記念病院に戻った池村さんはリハビリテーション部の組織づくりに着手しました。
管理者の仕事は「人としくみをつくること」
「統括本部長として何をすべきか?」を考えるために、池村さんはまず「自分の足でグループの全病院・施設を見て回るラウンド」をはじめました。
池村さん「病院や施設のようすも、そこで働いているスタッフのことも全然知らなかったので、とにかく全部回ろうと思ったんです。ラウンドすると、各病院・施設の特徴や課題も見えてきましたし、スタッフのキャラクターもイメージがつかめました。それぞれの管理者さんたちと話して感じたのは、みんなすごい熱いものをもっているなーということ。一方でいろんな課題も見えてきました。同じグループにいるのに情報が共有されていなかったり、使っているツールがバラバラだったり。やりたいことを実現する方法がわからなくて困っている人たちもいました」。
これらの課題を解決し、リハビリテーション部を盛り上げるにはどうしたらいいのか? 池村さんが出した答えは、「人としくみをつくること」でした。
池村さん「『人をつくる』のなかには、『人を育てる』と『関係性をつくる』が含まれるだろうと思いました。まずは関係性をつくる方からはじめようと思い、役職者の会議のほか、学会や研修会など顔を合わせる機会があるたびに、スタッフとの交流を重ねました。やっぱり、同じ仕事をしているから話が合うしみんなのパワーも感じました。横のつながりをつくれば自然に高まっていく予感があったので、関係性がなじんできたタイミングでリハビリテーション部に横串を通していくチームや委員会をどんどん立ち上げていきました」。

委員会と専門チームで横断的な組織をつくる
現在、リハビリテーション部では、研究や研修を実施して専門性を高めていく10のチームと、部内の全職員が情報を共有して協力しあって業務を進めていく5つの委員会があります。チームの立ち上げにあたって、グループ全体からメンバーを募集すると全国から手を挙げる人が集まってきたそうです。

グループを横断するチームや委員会が定期的に会議や研修を行うことによって、部内の関係性づくりは大きく進展しました。また、各チームの取り組みは、リハビリテーション部全体の専門性の底上げにも寄与しています。ちなみに、委員会とチームに参加するメンバーに対する部門貢献手当て、学会発表の際の交通宿泊費のサポートなど、給与面でのサポートもあります。
池村さん「チームと委員会を立ち上げた10年前に想像していたよりも、いい感じになっているなと思います。それは僕の力というよりは、周りのみんなをつなげたこと、そして背中を押してくれた前代表と代表のおかげだと思います。スキルアップにつなげるため、資格取得や研修費の補助制度をつくりたいと言ったときも、すぐに人事部を巻き込んでかたちにしていくバックアップをしてくれました」。
協力してくれる同僚たち、ついてきてくれる後輩たち、引き上げてくれる上司や経営陣。池村さんは常に「周りの人たちのおかげで」と口にします。「思いやりと感謝」というぬくもりは、関係性をつないでいく力にもなりました。
患者さんの人生全体をみるセラピストとは
急性期、回復期、慢性期の病棟でのリハビリ、小児や重度障がい者、スポーツ分野、精神分野でのリハビリ、福祉施設でのリハビリ……同グループがもつ病院・施設の多様さと同じだけ、リハビリテーション部が取り組むリハビリは非常に多岐に渡ります。
池村さん「たとえば肩専門の整形外科病院には、肩を専門とする理学療法士や作業療法士もいます。ただ、これだけ幅広い患者さん・利用者さんをみる組織では、臓器別専門医的なセラピストよりも、総合診療医的に包括的に人を診る力が必要です。うちのグループのセラピストは専門性の研鑽を根幹に置きながら、包括的に人をみるジェネラリスト路線を習得するスタッフが多いことが強みですね」。
患者さんを大きな木にたとえるならば、膝や肩は「枝先の部分」。木の生命を育む幹や根っこ、さらには生きていくための土壌となる地域や家族までを含めた「大きな木全体をみられるスタッフを育てたい」と池村さんは言います。

池村さん「どのセラピストも、2〜3年目くらいまでは強みをつくりたいと思うんです。資格を取ったり、技術を磨いたり、知識を増やしたりするのですが、自分ひとりでやるには限界がある。そのとき、トータルで患者さんをみるスタッフがたくさんいれば、集団としてのすごいパワーを発揮できるようになります。この集団としてのパワーこそ、リハビリテーション部の強みなんです」。
自分なりの“強み”ができたら、それをグループ全体で共有するステージに目を向ける。さらには、患者さんが退院した後の生活をサポートする方法や地域での予防活動を考えるなど、グループの外にも視野を広げていくセラピストもいるそうです。
池村さん「みんなでがんばって勉強している姿や学会発表後のうれしそうな顔を見るのは、管理職ならではの楽しみなんですよ。成長するスタッフを見ているのは、患者さんが良くなっていくのを見るうれしさに近いものがありますね」。
話しながら、その姿を思い浮かべているのか、目を細めてうれしそうに笑う池村さん。統括本部長になってもうすぐ14年、たくさんの「成長する姿」が脳裏に焼きついているようです。
ケアの視点でリハビリの可能性を広げていく
昨年、池村さんを含むエリア部長8名は、グループの理念「じぶんを生きる を みんなのものに」のもとで、リハビリテーション部が目指す未来を議論する合宿を実施。部としてのミッション、アクション、バリューを掲げました。
池村さん「リハビリテーションは、患者さん・利用者さん一人ひとりの未来を考えて、その人らしさを支える仕事です。僕たちの関わり次第で人生を左右するかもしれないんですね。だから部のミッションは『人生に関わる覚悟を持って、真剣にリハビリテーションを実施します』としました。以前のミッション『絶対に見捨てないリハビリテーション』は僕らの信念でもあるので、引き続きバリューとして残しています」。

リハビリテーション部の理念、組織、関係づくり、教育のしくみが整ってきた今、池村さんはこれからどんなことを目指そうと考えているのでしょうか。
池村さん「代表はよく『医療も福祉もケアだ』と言います。患者さん・利用者さんの生活全体を支えるのがケアであるなら、リハビリはまさしくケアそのもの。リハビリ職の人たちは、グループの方向性を理解しやすい環境にいると思っています。『家に帰れてよかったー!』で終わりではなく、その先にある仕事や生活、買い物も友だちとのつきあいも、車の運転もお風呂もありますよね。今は、そこまでを考えたリハビリをやろうというフェーズになってきています」。
たとえば、博愛記念病院の回リハ病棟のリハビリスタッフは、患者さんの職場に電話をかけて、患者さんの状況を伝えながら職場復帰に必要な調整を行っているそうです。脳血管疾患による身体障がいや高次脳機能障害がある患者さんの運転再開(免許更新)の手続きのために、運転免許センターに出向くこともあります。
池村さん「ケアとしてのリハビリという観点を、もう少しわかりやすく学ぶ機会を提供することが課題であり目標です。もうひとつは、学びの機会をより楽しく、参加しやすいものにすることも大事だなと思っているんです」。
「やりたい人」が多いほど組織は発展する
もともと学びの機会の多いリハビリテーション部ですが、若手の勉強会への参加率が下がってきていたそうです。でも、患者さんに向き合う姿勢はとても真剣。「きっと患者さんのために学びたい気持ちはあるに違いない」池村さんは感じていました。「患者さんのためになるから知りたい、面白そうだから学んでみたいと思わせる勉強の体制をつくりたい」と言います。
池村さん「今、いろんなチームがLINEのオープンチャットなどのSNSツールを使ってメンバーを集めていて。PTチームが開催した『LINEで気軽に聞ける。最近のバランス評価』という勉強会には、約300名が自主的に参加したと聞いて驚きました。やり方次第で学びたいスタッフはたくさんいるはずなんですね。近々チームリーダーで検討ディスカッションして、楽しく学べる場を増やそうと考えています」。
長年取り組んできた「関係性としくみづくり」も、引き続き見直しやアップデートを重ねています。「病院ごとのリハビリテーション部の部長や課長などの役職を増やしたため、同じ役職同士が集まって研修やディスカッションを行う機会づくりにも着手しました。

池村さん「あるときから『人としくみをつくる』に『活躍の場をつくる』も加え、役職のポストを増やしてきました。ただ、ポストの数にも限界があるので、若いスタッフがリハビリのフィールドを超えて活躍できる場を増やしたいと思っています。今年のHMW学会では、言語聴覚士から『嚥下食のキッチンカーで介護施設を回りたい』という発表がありました。すごく面白い企画だし、僕もついていってとろみをつけたお酒を出したい(笑)。いろんなアイデアをどんどん出してほしいですね」。
「やりたいと言う人が増えるほど組織は発展する」と池村さん。その言葉の背景には、前代表、代表をはじめとする多くの上司に「背中を押してもらってきた」経験が積み重なっているようでした。
池村さん「何かをやりたいと言われたら基本的には止めませんし、実現できるように応援しています。わくわくする組織、わくわくする部門、もっと新しいことを考えてみようという流れが続けば、グループだけではなく医療・福祉の世界、さらには社会全体にいい影響を与えていけると思うんです」。
話している池村さん自身が、一番わくわくしているように思えて、取材チーム一同も熱い思いに鼓舞されるような気持ちになりました。次の記事では、リハビリテーション部の中枢を担うエリア部長のみなさんにお話を伺います。どうぞお楽しみに!
プロフィール

フリーライター
杉本恭子
すぎもと・きょうこ
京都在住のフリーライター。さまざまな媒体でインタビュー記事を執筆する。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)、『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』(晶文社)など。

フォトグラファー
生津勝隆
なまづ・まさたか
東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。


