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リハビリスタッフとして働く意義を感じた患者さんとの出会い…熱心な理学療法士から、事務長へと至った経緯を伺います/緑成会病院 事務長/岡 師明さん

医療事業部2021.03.05
医療事業部

リハビリスタッフとして働く意義を感じた患者さんとの出会い…
熱心な理学療法士から、事務長へと至った経緯を伺います

緑成会病院の事務長、岡師明さん。もともと理学療法士(PT)として入職し、熱心に臨床に打ち込んでいた岡さんはある時、前任事務長の異動に伴い、事務長職を任命されますが、事務経験のなかった当初は戸惑うことも多かったそうです。そんな岡さんが事務長に至るまでの経歴や、今も深く記憶に残るPT時代のエピソードを中心に伺いました。ぜひご覧ください!

野球に打ち込んだ高校時代
リハビリテーションに興味を持ちつつ、バイトに打ち込んだ大学時代

岡さんは緑成会病院で働かれて何年くらいになりますか。

もう11年くらいですね。もともと理学療法士(PT)として入職しました。

ご出身もこの近辺なんですか。

埼玉県です。今は合併してふじみ野市という名前になっていますね。ここに入職して1、2年目くらいまでは住んでました。入職してみたら当時は飲み会が多くて、帰るのが大変で引っ越したんですけど(笑)。

(笑)。それが引っ越しの理由なんですか。PTさんはスポーツをされている人が多い印象ですが、子どもの頃はどんなことをされていましたか。

僕はずっと小学3年生くらいから高校生いっぱいまで野球をやっていました。

だいぶ長くやられていたんですね。

高校の時は、最高で県ベスト8までいきましたよ。僕はベンチでしたけどね(笑)。

でもベンチ入りはされてたんですね。ちなみにポジションは。

キャッチャーです。遠投とかでの肩の強さを買われて。ただ、最後の大会はベンチも外れたんですよ(笑)。ベスト16までは行ったんですけど。高校時代は本当に野球しかしてなかったです。勉強したのも受験の時くらいでした。

高校を卒業してからはどういう進路に進まれたんですか。

大学のリハビリテーション科に進みました。

大学からリハビリの道に進んだんですね。野球をやっていたのも影響しているのですか。

当時、よく接骨院に行くことがあって、接骨院を開業するのもいいなとなんとなく思っていたんですね。ただ柔道整復師とPTの違いがあまりわかっていなくて。大学にも行きたかったので、PTは大学で学べるので進んだんです。実際入学してみたら、柔道整復師と全然違うものだ、っていうのがすぐわかって(笑)。

(笑)。PTを選んだのはどんな理由があったんですか。

そんなに深くは考えてなかったですけど、作業療法士と言語聴覚士と比べた時に、PTはスポーツに関われるということを知ったので、それはいいなと。

実際にリハビリを学ばれてみていかがでしたか。

実技を勉強し始めて段々面白くなってきましたね。野球をやっていた当時から体の動きに興味があったので、大学で人の体の動き方とか筋肉の動きを勉強した時に「体ってこうやって動いてるんだ」っていうことがわかるのが楽しかったですね。

野球部時代から体の動きに興味があったのですね。

キャッチャーだったので、ピッチャーの投球フォームを見てましたね。ピッチャーと一緒に「肘が下がってるね」とかフォームを確認して。ボールを遠くへ投げるためにはどこの筋肉を鍛えたらいいのかとか、そういうことも考えながらトレーニングしていました。

そういった下地があれば、リハビリ的な考え方もなじみそうですね。じゃあ授業は割と熱心に出られて。

いや、そこまで熱心に勉強したとは限らなくて、飲食チェーン店でアルバイトした記憶だけが残ってますね。当時「ワンオペ」とか「ブラックバイト」っていう言葉が話題になってた頃で…(笑)。

渦中の時に働いていたんですね(笑)。今は違うと思いますが、当時だとなかなか過酷そうなイメージがあります。

僕は特定のお店で働くというよりは、アルバイトが急に休みになって穴が開いた店舗を飛び回って働いていましたね。深夜帯から朝まではこのお店に入って、日中に移動して、昼前からこの店に入って、という感じで。

店舗を掛け持ちしたうえ、だいぶ長時間働かれて。よく体が持ちましたね。

なんとかなってましたね。お客さんが入ってくると音が鳴るので、深夜帯はその音でフッと起きて「いらっしゃいませ〜」って出ていって、牛丼盛って出して。

(笑)。それなら授業もおろそかになりそうです。

数えてないからわからないですけど、学年で1、2を争う再試率だったと思いますよ(笑)。

毎週末のように長野まで研修へ
熱心に取り組んだPT時代

緑成会病院には新卒で入職されたとのことですが、どうしてこちらを選ばれたんですか。

当時、病院の運営がこのグループに変わって新しくスタートしたところで、立ち上げに携われるっていうのが魅力でしたね。このインタビューにも出ていたリハビリテーション部の裵さん(※)が当時見学の案内をしてくれたんですけど、今は業務を作っている最中だという話を聞いて。完成されたシステムがない状態から携われるのも貴重だなと思ったんです。

いちから業務に関わっていけるところが魅力だったと。実際入られていかがでしたか。

最初は慌ただしかったですね。僕は入院患者さんのリハビリ担当だったんですけど、業務量に対してまだスタッフ数が少なかったので、みんなで協力しながらがんばって回してました。

当時特にどんなことに打ち込んでいましたか。

足病医学の勉強をさせてもらったのと、シューフィッターの資格を取りました。

足に関連したリハビリについて学ばれたと。どんなきっかけがありましたか。

入職して2、3年目に、参考書や文献を読んでも、患者さんがなかなか良くならないと思って悩んだことがあって、いろいろ調べて長野県の赤十字病院の勉強会を見つけたんです。そこにほぼ毎週末通うようになって、足に関する項目を学ばせてもらいました。

長野県まで! リハビリの現場では学んだことをどう実践されたんですか。

患者さんの歩き方や体に合わせて靴をチョイスするんです。靴自体についても、踵の高さやソールの硬さ、指の曲がり具合を調整したり、それとインソールを作ったりしていました。本当は、実際に型を取ってアメリカで作ってもらうんですが、そこまでは難しかったので、足病医学の考え方に基づいて、インソールを切り貼りして厚さを調整していましたね。歩き方もそれで本当に変わりますので。

初めての患者さんに残る後悔…
寝たきりの患者さんとの出会いで、リハビリの意義に気が付く

PT時代に印象に残っている出来事はありますか。

一番最初に関わらせてもらった患者さんですね。当時入院されていた、90代後半の女性の方だったんですけど。ご自宅に戻りたいという希望がありながら、家庭の事情で難しいということで悩まれていたんです。今の自分なら、在宅サービスや介護保険サービスについての知識もあるので、事情に合わせた提案もできたと思うんですけど、当時は何も言えなくて。最初の患者さんということで、すごく良くしてもらったのに…という想いがありましたね。

入職したてでは難しかったのかもしれないですね。

大学でも学術的には勉強したことなんですけど、僕がそれをうまく使えませんでした。それともうひと方、僕が入職して3、4年経った頃に担当した当時30代くらいの男性の方も印象に残っています。

どんなことが印象的だったのですか。

緑成会病院に入院される前に、病気で片麻痺になって急性期病院に搬送されていたんですが、そこでは急性期治療を施した後、予後を見て「これからは歩けないし、ずっと寝たきりだから」ということでリハビリもさせてもらえなかったそうなんです。そのため「回復期リハビリテーション病棟に入っても良くならない」という判断で、当院の医療療養病棟に転院されてきました。

入院当時は「歩けない」という判断をされていたと。

でもその方がすごく熱心にリハビリをされたんです。「寝たきりだ」と言われていたような状態から回復されて、実際今では1人で歩けるくらいになっているんです!

そんな状態から、そこまで回復を遂げられたんですね!

医療療養病棟って、そもそもはリハビリをしない病棟なのに、うちのグループでは積極的にリハビリを行っています。しっかり時間をかけてリハビリすれば、こうやって良くなっていく方もいる、っていうのは、ここだからこそできたんじゃないか、と思いました。このグループでリハビリ職として働く意義を強く感じた出来事でしたね。退院後も、近くまで来た時に病院に立ち寄って声をかけてくださって、僕のことを覚えていてくれたのが本当に嬉しかったです。

ある日、持ちかけられた事務長職の道
「やりたいことは全部やる」

PTに取り組んでいたところから、今のような総務の仕事にシフトしていかれたのは、どんなきっかけがあったのですか。

当時僕はリハビリ科の係長として、訪問リハビリをやりながら、訪問系やデイケア・デイサービスの管理をしていたんですね。そんな時期に、医療事業部の田村さん(※)から、話があるからと世田谷記念病院に呼ばれて「岡くん、事務長やらない?」って言われました。

いきなりそう言われたら驚きそうですね。どうお返事したんですか。

やっぱり驚いたので「ちょっと考えさせてください」と答えました。自分としては、まだまだリハビリもしたかったですし、勉強したいこともあるし、やらなきゃいけないこともいろいろとあったので、後日その想いを田村さんに伝えたら「じゃあ、全部やったらいいんじゃない?」って言われたんです。

その反応についてはどう思ったんですか。

「あ、じゃあ全部やればいいんだ」って(笑)。

ちょっと丸め込まれた感じがありますね(笑)。岡さんに声がかかったのはどうタイミングだったのですか。

前任の事務長が、平成扇病院へ異動することが決まっていたようなんですね。なので私が後任として任命いただいて、移るまでの2、3カ月は一緒について仕事を教えてもらいました。

就任当初は厳しい視線も…

実際、事務長職として立ってみてどうでしたか。

最初は「事務ってこういうことをやってるんだ〜!」っていうところからスタートでした。ただ、ついこないだまでリハビリスタッフだったのに、事務長になったからには専門外のことも「これどうなってますか」って聞かれますし、自分と近い同僚だったスタッフからも、気づけば「岡さん事務長でしょ?」っていう目線で見られるわけですよ。

なった以上は立場として仕方ないですけど、最初はちょっとキツそうですね。

労務管理とか契約内容のこととか、まったくそれまで知らなかったことも質問されるんですけど、どう答えていいかわからないんですね。でも「『わからない』って言っちゃ絶対ダメだろうな」と思って、「後で返答しますね」って答えて、とにかくわからないことは調べたり人に聞いたりして対応していってました。

その対応を積み重ねていかれたと。

そういうことを繰り返していくうちに、今は少しは事務長らしくなってきたのかなと思います。病院の総務部とか、グループ総務部、人事部のみなさんにはわからないことをたくさん聞きましたね。

事務長を受ける時は「やりたいことを全部やる」という気持ちがあったと思うのですが、その後どうなったのですか。

やっぱり全部やろうとすると難しかったですね。しっかりと事務長一本になりました(笑)。

(笑)。ちなみに「リハビリに携わりたい」という気持ちが湧くことは今もありますか。

気持ちとしてはあるんですけど、やっぱり現場から離れちゃったんで、患者さんに触れることに、以前と比べて怖さはありますね。リハビリの知識もアップデートされていませんから、患者さんにとっては現役のスタッフが対応するのが一番いいと思っていますし、僕自身は事務長職にやりがいを感じています。

次回:事務長になってわかったその苦労ー。失敗をバネに、スタッフと一緒により良い病院作りに取り組みます!

地域連携室がニーズを常に察知
コロナ禍でも入院にはダメージが少なかった

今現在は緑成会病院の事務長として、主にどういったお仕事に取り組まれていますか

各部署のデータ管理や問題の解決がメインですね。例えば直近で言うと訪問診療を立ち上げたんですけど、システムをどういうものにするかとか、中身をどういうふうに作って、誰が担当するか、というところに取り組んでいました。既に運営されているものについても、問題なく運営されているか、数字上のモニタリングをして、下がった時には対応しています。

そのなかで、日々起こる問題にも対応されていくと。

先日、新型コロナウイルス感染者が出てしまった際も、収束に向けて対応していました。院内の感染委員会はじめ、スタッフのみんなが対策を徹底してくれたおかげで、広まることなく落ち着きました。

適切な対応が取れたと言えそうですね。コロナ禍での病院運営へのダメージはいかがですか。

2020年については、むしろ前年よりもベッド稼働率が上がったんですが、これはもう単純にうちの地域連携室のおかげです。

どういった対応をされているんですか。

近隣病院で入院を希望される患者さんがいないか、情報収集を徹底するのはもちろん、院内でも外来やデイケア・デイサービス、訪問部門を利用されている方の中に、入院を希望されている方がいないか、ということも常にチェックしているんです。

そういったニーズを常にチェックされているんですね。コロナ禍の状況でも、そういった活動を続けたことが、高い稼働率につながっていったと。

1床空きそうになったとして、入れ替えの都合で1日ぐらいであればしょうがないんですけど、もし2、3日空床になってしまうのに、どうしても埋まらない、っていう時には相談をもらって、入院を希望される方がほかにもいらっしゃらないか、ディスカッションしながら進めています。

事務長になりたての頃に学んだ
積極的なベッドコントロールへの姿勢

そういったベッドコントロールの対応はどうやって学ばれたんですか。

ベッドコントロールについては、やりながら学んだ面もありますし、事務長になりたての頃に、当時いた社会福祉士さんや看護部長の動き方を見て、勉強させてもらいました。今は2人ともグループの別の場所で活躍されているんですけど、その2人が積極的な姿勢で取り組んでいたので、僕も影響を受けました。

どういった面で影響を受けましたか。

急性期病院からの入院相談が無かったとしても、入院したい患者さんはほかのところにいるかもしれない、と考えて動く姿勢ですね。あとは、受け入れるために院内の体制を整えることです。症状の重い患者さんを受け入れる際には特に内部の調整が必要ですから、そこで当時の看護部長が院内の連携役として動かれていました。

内と外と、どちらにも気を配る必要があるわけですね。

ただ、こんなことを僕が言ってますけど、基本はほとんど地域連携室がやってくれるんですね。僕に相談が来ても、いろいろ言っているうちに地域連携室のなかで解決してくれることも多いので、その辺は恵まれてるなって思いますね。

ちなみに、コロナ禍の影響について、入院以外部門への影響はいかがでしたか。

外来とデイケア・デイサービスは、どうしても利用控えがありました。ただ、そういった時も訪問リハビリを利用していただくなど、ご提案を続けています。これも、僕が言うより前にリハビリ部門の方で取り組んでくれて、本当にありがたかったですね。

地域の方の在宅生活を
幅広くサポートできる病院に

緑成会病院はこの地域でどんな役割を果たす病院だと思われますか。

基本的には、リハビリテーションと、在宅部門ですね。地域でには高齢の患者さんが増えていますので、当院の回復期リハビリテーション病棟でしっかりリハビリをして良くなって在宅復帰をされて。さらに、在宅生活で体調に不安があれば、医療療養病棟で、リハビリと治療をしていただくと。家に帰られてからも、訪問リハビリやデイケア・デイサービスでしっかりとサポートして、病院全体で入院も在宅どちらも支えていけたらと思っています。命を助けるような急性期的な部分以外の、医療や介護を担っていきたいです。

地域の方が、健やかに生活し続けられるようにサポートされると。今後の展望はいかがですか。

立ち上げたばかりの訪問診療を、しっかり伸ばしていくとともに、連携する訪問ステーション「てとてと小平」についても拡充して、在宅生活を幅広くフォローしていきたいですね。そのうえで、何かあったら病院を利用していただくと。

訪問診療はまさにこれからというところですか。

今後はさらに医師も拡充して、重度の方やお看取りについても広げていくのが、フォローしていくのが使命だと思っています。

岡さん個人として今後の病院運営について思うところはありますか。

もともとリハビリスタッフだったこともあるので、さらに質の高いリハビリを提供できるようにということは常に考えています。また、病院の展望ともマッチするんですが、僕自身、訪問リハビリなど在宅部門に長く携わっていたので、地域の介護サービスの事業者さんとも関わりがあるんですね。そことの連携も、より力を入れていきたいなと思っています。

そこはご自身の経験が活かせる部分ですね。

あとは、在宅の患者さんが増えてくることを見越して、医師をさらに増やして、診療科目に幅を持たせられたらと思っています。呼吸器系や消化器系の医師もいれば、リハビリテーションに強い病院でありながら、診療科目としては総合病院に近くなってくるので。在宅生活に関するあらゆる悩みに対応できるようになっていくのが理想ですね。

前任の事務長への失礼な一言に反省…
今思う、事務長職のやりがい

事務長の仕事については、どんな面白みや、やりがいを感じますか。

病院を良い方向に変えるために、より具体的に何かができる、というのは、今の立場だからこそだと思いますね。例えば体制を強化したいと思った時、ちゃんと理論立った説明ができて、決済が取れれば、スタッフ採用をさせてもらえる。物品についても、根拠がしっかりあれば、購入することができる。それまでは、何かしたくても権限がないことでふつふつと溜まってしまうことがあったんです。それで前任の事務長にも強い言い方をしてしまったことがありましたから…(笑)。

えっ、どういうことがあったんですか。

リハビリ科の係長だった時、前任の事務長と、医療事業部の田村さん(※)が病院で業務の打ち合わせをしてるところに入っていって「なんでここできてないんですか!」って事務長に言ってしまったんです。今思えばすごく失礼な言い方でしたね。実際その場で田村さんに「なんでそんな感じで話を持ってくるの?」って聞かれたので、ひとつひとつ事情を説明したら「だとすると、その言い方はないよね」って冷静に怒られて、僕も「すいませんでした」と(笑)。

(笑)。今なら逆に前任の事務長の気持ちがわかりそうですね。

前任の事務長にも謝りました。でも「やってみないとわかんないよね〜」って言ってくれて、優しかったです。

ありがたい言葉ですね。自分でものちのち同じようなことを体感したんじゃないですか。

そういうこともありましたね。なので、スタッフから「こうしてほしい」という要望があると、「じゃあそれを進めるためには、こういうことを知りたいから、〇〇について調べてください」とか、「こういう書類を作ってください」っていう風に伝えて、決済を取るための提案をお願いしてきました。

なるほど、要望を通すためには、しっかりした根拠や提案の仕方は大事ですね。

その点について、今は部署の役職者がみなさんよく対応してくれるので、僕があれこれ言わなくても回る部分もあるんです。

部門内でうまく回せているんですね。そういった提案の仕方を繰り返し伝えてきたからこそなんでしょうか。

そうだといいですね。でも、そもそも僕が立つ前からみなさんちゃんとやられていたところも大きいです。それと、提案の仕方については、田村さんが親身になって提案書を見てくれるので、僕もそれを受け継いでいるんです。院内で提案書や稟議書が来た時は、なるべく通りやすくなるように、一緒に見ながら話すようにしています。

自分がしてもらったことを、さらに伝えていくと。

自分がそういう仕事の仕方を教わったので、ほかのスタッフにもそうやって伝えていけたらと思っています。僕自身そのことで成長できたし、自分で調べて提案するっていうスキルがつけば、いろんなところで活躍できる人になれると思うので。医療職としてもプラスですし、患者さんにとってもいい影響があるんじゃないかなと思っています。

自粛期間に始まったロードバイク熱
目指すは大阪!

お休みの日はどう過ごしていますか。

コロナ禍になってから、なかなか外出も以前のようにできなくなって。運動不足なんで、何か運動したいなと思って、初めてロードバイクを買ったんです。

自転車に乗って運動不足を解消しているんですね。

最近、1日100kmくらいは走れるようになりました。

かなり長距離ですね! 100kmくらいだとどの辺りまで行けるんですか。

こないだはディズニーランドまで行きましたよ。それで100km弱くらいですかね。がんばって到着して、敷地の周囲をぐるっと回って帰ってきました(笑)。

特に中にも入らないんですね(笑)。

あとは奥多摩湖にも行きました。ただ登りが本当に辛くて、最後の最後のトンネルで挫折して戻ってきました(笑)。

すごいハマりようですね。

こういうタイミングなんで、自転車なら出かけやすいかなと思ったんです。誰か一緒にやる人はいないかなと思って知り合いに声をかけてるんですけど、辛そうだから誰もやりたがらなくて、結果1人でいつも行っています(笑)。

(笑)。何かほかに楽しみはありますか。

今までは年に一回ぐらい、大学時代のバイト仲間と旅行に行ってましたよ。大体いつも弾丸で、ロングドライブする旅行が多くてですね。

どんな旅行なんですか。

1泊2日で四国の観光名所を全部車で巡るとか、山口まで飛行機で行って、そこで車を借りて、各地に寄りながら東京まで帰ってくるとか。

楽しそうだけど大変そうな旅行ですね。

ほとんど車に乗ってますからね。しかもどこか立ち寄っても、すぐ移動しないといけないので「もう行かないと」って(笑)。

(笑)。今後やりたいことはありますか。

今度は自転車で200kmくらい走りたいですね。ちょっとずつ行ける距離を伸ばしていって、いつか、何日かかけて大阪くらいまで行きたいです。

それだけ自転車に乗っていたら、健康にも良さそうですね。

でも自転車に乗った後って、本当にビールがおいしいんですよ(笑)。

プロフィール

岡 師明

岡 師明

緑成会病院 事務長

おか かずあき

【出身】埼玉県ふじみ野市
【資格】理学療法士
【趣味】ロードバイク
【好きな食べ物】唐揚げ、カレーライス、あんこ、シュークリーム

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