長い視点で、障害をお持ちの方やご家族に寄り添っていきたい ダラダラしていた大学生が福祉の道へと進むまで!/緑成会整育園 事務長/野澤 大輔さん
長い視点で、障害をお持ちの方やご家族に寄り添っていきたい
ダラダラしていた大学生が福祉の道へと進むまで!
地域の障害を持つ方を支える施設である緑成会整育園の事務長、野澤大輔さんのインタビューです。漠然と、子どもにまつわる仕事に興味を持っていた野澤さん。大学時代のある出来事をきっかけに、教育から福祉の道へと進む決意をされました。今回は、そんな野澤さんの経歴を中心に、社会福祉士の仕事や緑成会整育園の通所センターのことなどもお聞きしています。
ぜひご覧ください!
のどかな「散居村」で育ち
なんとなく東京へ進学
ご出身はどちらですか。
富山県の小矢部市っていうところです。育ったところは、「散居村」って言って、砺波平野の広い田園地帯に、戸建てがポツポツ点在してる風景が特徴的な地域でした。
野澤さんの家では農業はやられていたのですか。
うちもそうでしたけど、周りもみんな兼業農家でしたね。両親ともサラリーマンをしていましたけど、お米も作って。夏前に田植えがあったので、小さい頃はたまに手伝っていましたよ。
学生時代はどんなことをされていましたか。
大したことはしていないです(笑)。中学の時は野球部にいて副キャプテンをやったり、あとは塾に通って勉強をして、生徒会長もやったりもしていました。
今も事務長という立場ですけど、当時からそういう気質があったのですか。
いえいえ! それは周りから頼まれてやった感じでした。
高校では野球は続けなかったのですね。
高校は進学校だったんですけど、入学したら授業についていけなくなってしまい、勉強をやりたくなくなってダラダラと過ごしていましたね。
その後に進学はされたのですか。
漠然と、大学に進学しようということは考えていましたね。あとは単純に田舎を出たいというか、「ここじゃないところに行きたい」という気持ちもあって、関東の大学の文学部に進みました。
文学部を選んだのは何か理由がありましたか。
以前から何となく子どもに関わる仕事には興味を持っていたので、教師とか教育関係、福祉に関われたらと思って、教育関係が強い大学を選んだというのはありましたね。ただ、入学後はあまり授業に熱心ではなかったですね…。当時はインラインホッケーのサークルとアルバイトに打ち込んでいました。
では授業に強い興味が出たわけではなく。
文学部には入ったんですけど、実は僕どっちかっていうと理系だったんですよ(笑)。当時やっていた塾講師のアルバイトでは算数・数学を教えていましたし。得意なのは理系だけど、やりたいことは文系だったというか。大学を選ぶ時点では、自分のなかでもあまりまだ定まっていないところがありましたね。
教育や福祉に漠然と興味を持たれていたと。教育に興味があったということですと、教職課程は取られたのですか。
途中まで進めていたんですけど、在学中に、教育ではなくて福祉に進もうと思ったきっかけになった出来事があって、それで教職の方は辞めちゃったんです。
福祉の道へ進むきっかけは
塾講師のアルバイト
福祉に進むことを決めたきっかけを教えてください。
講師のアルバイトをしていた塾で、マンツーマンで教えていた生徒のなかに、ちょっと変わってるというか、コミュニケーションが難しい子がいたんです。そのうち、その子のお母さんともよく話をするようになると「お気づきだと思うんですが、ちょっと変わっている子なので」とも言われて。自分の興味ある話はすごい勢いで喋るけど、逆に興味がないことは全然聞いてくれない、ただ、勉強はものすごくできました。
成績は良いんだけど、コミュニケーションは取るのが苦手だった。
話を聞いていると面白いし、勉強はできるので講師としてはとても助かるんですけど、人の話に対して「そういうの興味ないんで」ってバシッと言い切っちゃうし、ものすごく尖った子だな、という印象でした。この仕事をしている今から思えば、アスペルガー症候群と言われる障害の特徴だったかもしれません。お母さんとしても、どちらかというと勉強のことよりも、友人関係や将来のことをとても心配されていたんです。
学校生活でも苦労があったのでしょうか。
実際、喧嘩をしてしまったり、関係がうまくいかなかったりという話も聞きましたね。そういう話を聞くうちに、僕のやりたいことは教育というより、福祉じゃないかと思うようになったんです。
どんな風に気持ちが変わりましたか。
漠然と、子どもに関わる仕事に就きたいと考えていましたが、塾で体験したこういう悩みを解決したいと思ったら、教育を通じた関わり方ではなくて、もっと長い目で見て、子どもや実際に子育てされる親御さんに寄り添って、一緒に悩んだり支えたりしていきたいと思いました。
教育の現場に立つことではなく、福祉を通じてサポートするということを考えるようになられたと。
それまでダラダラと大学生活を過ごしてきてましたけど、このことが真面目に自分の将来を考えるきっかけになりましたね。
実際にどう進もうと考えられたのですか。
社会福祉士の資格取得をしようと考えました。介護福祉士になって子どもたちを直接支援することも興味があったんですけど、親御さんを支えることや、地域に関わるっていうことにも携わりたかったので。一般的な四年制大学を卒業した場合、あと1年間養成校に通えば受験資格が得られるとわかったので、卒業後は地元に一度帰ってアルバイトでお金を貯めて、また関東に戻って専門学校に入学しました。
ちなみに、社会福祉士とはどういう業務を行う職種でしょうか。
利用者さんや患者さんの困りごとを聞いて、その問題解決のために、相談員やケースワーカーとして、施設や病院のサービスとかをつなぐ役割ですね。
こういったお悩みに対しては、このサービスが適しています、とつなぐような。
そのために、福祉関係の法令や制度とか、社会資源や社会制度をしっかり理解しなければいけないですし、どんな困りごとがあるのか、っていうことも把握していないといけないので、どちらも知ったうえで、つなぐ役割として機能するという仕事だと思います。介護施設や障害者に関する施設、病院、あとは行政関連の施設で働くことが多いですね。
キャリアのスタートは緑成会整育園
モヤモヤが続く新人時代
1年間の勉強ののちに、国家試験も無事に合格されて。
その期間はもうとにかく集中して勉強に取り組みましたね。資格を取得して、この緑成会整育園に入職しました。
最初の就職先がこちらだったのですね。
障害に関する施設で就職先を探していたんですけど、一口に障害と言っても幅広いので、特に緑成会整育園のように重症心身障害児施設だけを志望していたわけではなかったです。ただ、なるべく利用者さんに長く寄り添っていきたいと考えていたので、ここは3歳くらいのお子さんから、上は7、80代っていう高齢の方もいらっしゃって、長い関わり方ができるっていうことで、入ってみたいと思いました。
長い目で見て支援ができるところに興味を持たれたと。入った頃の状況は今とはどう違いましたか。
12、3年ほど前でしたが、当時は経営もこのグループになる前で、場所も緑成会病院の敷地内にありました。今は入所と外来、ショートステイの機能が現在の新しい建物に移転して、通所のサービスだけを元の建物で行っているんですが、当時は全てをその建物内で行っていたので、今よりも規模は小さかったですね。
では受け入れの人数も違ったのですね。
入所も外来も通所センターも、今は受け入れは倍以上になってますね。
入ってからはどんなお仕事をされましたか。
まずは現場のスタッフとしてのスタートでしたね。相談員として仕事をするにも、法制度のことも利用者さんの困りごとをしっかりわかっておかないといけないので、まずは現場で利用者さんに直接関わっていくと。
実際の仕事内容はどんなものだったのでしょう。
入所利用者さんたちの、日中活動や行事の企画、それと特別支援学校に通学しているお子さんもいたので、学校との調整役ですね。あとは親御さんとの日々のやりとりもしていました。
企画や調整がメインの役割だったのですね。
最初は利用者さんのこともわからないので、仕事を通じて知っていって、先輩に言われることをとにかく吸収して、一生懸命に取り組んでいましたね。でも、2年、3年と続けるうちに、だんだんと辛くなってしまって…。
どういう辛さだったのでしょう。
何と言っていいのか難しいのですが…。利用者さんに対してはどのスタッフも想いがとても強くて、僕もその姿を見ながら仕事をして、こういうこともああいうこともやりたい、と気持ちが高まっていったんですけど、それにつれて現実にぶつかると言うか。思うようにいかないことも増えていったんです。
やりたいことができなかった理由というのは主にどういうことでしたか。
その時点の体制が理由として大きかったと思います。利用者のみなさんは整育園でずっと生活されているので、やっぱり外での活動を体験してもらいたくて、レストランや公園への外出を企画するんですが、それを実現するには、僕ら以外にも看護師さんや介護士さんに付き添いをお願いしないといけない。でも、人がいなくて、そのための人員を確保するのも難しかったんです。
病棟での業務もありながら、外出の付き添いをするというのが難しかった。
それと、僕ら企画のスタッフと、看護師さん介護士さんが組織としてはっきり分かれてしまっていたので、イベントを企画しても一緒になって盛り上げる、っていう空気もできづらかったんですね。本来は協力してイベントを行いたかったんですが、みんなそれぞれの業務に手一杯でしたし、なかなか難しい状況でした。
みんな気持ちはあるけど、区分けが明確すぎたことで、一体感が出づらかったのですね。野澤さんとしてはどうされようとしたのですか。
どうしてこうなってしまうのか、状況を変えていきたかったので先輩に訴えてはいました。ただ、あまり話が進まず。若くて血気盛んでしたし、熱い気持ちはあったんですが、その当時はやり方がわからないという感じでした。
病院での相談業務を経てリフレッシュ
運営に携わる道へ
そういう気持ちで仕事をしながらも続けていかれて。
そのうち、緑成会自体の経営がこのグループに変わったんですけど、ちょうど緑成会病院の地域連携室で空きができてしまい、グループの方から「野澤さんやりませんか?」と声がかかったんです。1年間だけでしたが、それはとても新鮮でした。
ちょうど良いタイミングで異動があったのですね。
もともと社会福祉士として整育園で相談業務に就きたいという希望がありましたし、自分にとっても良い経験になるなと思いました。整育園と病院は違うので、単純に経験を活かせるということはなかったんですけど、医療保険や介護保険について、仕事として触れることができたのは大きかったです。
社会福祉士になるまでに学んではきていたところではあったけど。
もちろんある程度把握はしていましたけど、現場スタッフとして働いているとあまり意識することがありませんでしたので。ダイレクトに現場の相談業務をやらせてもらえるというのは貴重な経験でした。
その後はまた緑成会整育園に戻られて。
新しい相談員の方が入職して充足したのを機に戻ることになりました。戻ったところで、ちょうど当時の事務長さんから「運営の方を手伝ってくれないか」と、誘いをもらったんです。
野澤さんに声をかけられたのはどんな理由があったのでしょうか。
ん〜、何だったんですかね(笑)。
(笑)。特に明確な理由は聞いてなかったのですね。
その事務長というのが、入職当時からお世話になっていた介護福祉士の先輩だったので、付き合いも長くてやりやすかったというのはあったかもしれないです。
当然ですけど、仕事の内容も大きく変わりますよね。
なので、受けるかどうか、すごく悩みましたね。本当は相談業務に携わりたかったんですが、当時相談員は先任がいたので、僕がやりたいと言ってもすぐにできるわけではなかったんです。将来的に携わりたい、とは思っていましたけど、以前から抱えていたモヤモヤは継続していたので、このまま元の業務を続けたら、きっと仕事が面白くなくなってしまうし、問題解決もできないなと。
そこで決断をされた。
今までの夢は一旦閉ざすことになるけれど、事務方になってもっといろんなことを知れるし、もしかしたら何か解決できるかもしれないと思って、チャレンジしてみようと決めたんです。
視点を変えて取り組んでみることを選ばれたわけですね。
利用者さんの暮らしをもっと良くしたいと思っても、自分1人ではできないですし、みんなと協力することが必要です。でも、それを実現するためにはさまざまな問題や課題があって、その解決のためには緑成会整育園のことをもっと学ばないといけないですから。これは良いチャンスだと考えました。
地域の声に応えたい
移転とともに通所サービスの拡大に関わる
実際に事務に関わるようになっていかがでしたか。
緑成会病院で相談員を務めた時と同じで、とても新鮮でした。整育園のなかのことについて「ああ、こういうことになってたのか」と、あらためて知ることができましたね。
初めてわかる部分も多かったのですね。
最初はいわゆる医事課で、受付や会計業務からスタートして、徐々に福祉請求とか医療請求とかに関わり、そうこうしてるうちに総務のことに関わるようになりました。
緑成会整育園は2016年に今の場所に移転をしましたね。
重症心身障害者の入所待機者は、都内だけで600人はいらっしゃって、困っている方がいるのならもっと受け入れられるようにしていこう、というのが経緯だったと思います。当時僕は事務長補佐という立場で、中心メンバーということではありませんでしたけど、通常の事務業務もやりながら移転にまつわる業務もやって、記憶がないくらい忙しかったですね。
通所サービスを行う「通所センター」は、元あった緑成会病院の施設内に残ったのですよね。
移転後、元の建物が空いてしまうので、その活用法として、通所事業の拡大をすることになったんです。僕は、そのプロジェクトへ中心的に関わらせてもらいました。当時、通所サービスは、幼児部と成人部の2つだけだったのですが、そこに新たに3つのサービスを立ち上げることになりました(※)。
※児童発達支援「からふる」、放課後等デイサービス「はぴねす」、放課後等デイサービス「ちあふる」、通所成人部「うぃず」、通所幼児部「トマト」の5クラスを展開。くわしくは整育園通所センターのページをご覧ください。
一気に新しく3つというのはなかなかボリュームが大きいですね。
それもあって、当時はかなり忙しく過ごしていましたね…。
この地域だけに限らないとは思うのですが、こうした形の通所も需要が高いのでしょうか。
重症心身障害者の方が通える通所サービスというのが、需要に対して圧倒的に数が少ないです。特に放課後等デイサービスはとても需要が高いですね。
受け入れ先が少ないと。
決して多くはないですね。特に重症心身障害の方には医療ケアが必要なので、医師や看護師が必要なのですが、そこも込みで人員や設備があるところが限られてしまいます。うちはもともと病棟だったところを使っているので、環境が整っていたのは大きかったですね。
事務長になる覚悟は
以前から持っていた
現在は事務長という役職ですが、どのような経緯で立たれたのでしょうか。
新しくなった通所センターの管理をやりながら、事務長の補佐を半分やって、さらに総務経理の仕事もやってという感じでしばらく仕事をしていたんですが、当時の事務長がグループを離れることになったんですね。
そこで補佐だった野澤さんが事務長に立つことになって。どういう心境でしたか。
その話が出る前から、意識としては、もし事務長がいなくなっても、自分もその仕事をできるようになっておかないと、ということはあったんです。
なぜそのように思っていたのですか。
通所センターは、緑成会整育園と建物は離れていますけど、機能として独立しているわけではないので、通所をうまくいかせるためには、本体である緑成会整育園がしっかりしていないといけない。なので、通所の管理をすればするほど、本体のことも把握しておかなければという気持ちがありました。
野澤さんのなかで、緑成会整育園についても管理ができるように、という意識が事前にあったのですね。
お世話になっていた先輩が離れてしまう、ということは純粋にショックでしたが、事務長の仕事に携わることについては、どこか覚悟を持ってはいました。
発達障害の方の
相談窓口に大きな需要
緑成会整育園の地域での役割についてはどうお考えですか。
基本的にここの入所については、東京都で約600人いらっしゃる入所待機者の方から、在宅生活が難しい方が優先的に入られて、生活をしていただく場所となります。3歳から入る方もいれば、20代、30代になってから入る方もいて、いわばここが長く過ごしていく自宅になるわけです。ですので、そのなかでの暮らしをどう豊かにしていけるか、ということが大きな命題となります。
生活の場として充実させていくことを目指すわけですね。入所以外のサービスについてはいかがですか。
入所は東京都全エリアが対象ですが、短期の入所や通所、小児科の外来については、より身近な地域の方が利用されるので、近隣のニーズに応えられることを目指したいですね。
今後はどのような役割があるとお考えですか。
今までは、外来について、重症心身障害の方をメインでやってたんですが、現在は、発達障害のお子さんを対象としたニーズが非常に高くなっています。
そこにはどのような背景があるのでしょうか。
社会的に認知されたことで、相談を求める方も増えてきて。
ただ、社会的認知度は上がってきていても、実際にどこが相談窓口で、どこにかかればいいのか、ということについては、認知が追いついていない、と言えると思います。
特に医療に頼らず、そのまま生活されていく方もいらっしゃいますか。
多いと思いますね。その状況で、今は本当に少しずつ、緑成会整育園への問い合わせや相談が増えてきています。そういった方のためにも、医療機関としてどうあるべきか、ということも重要です。
医療の発展に伴って
新たな課題に直面
今後はどのような課題があるとお考えでしょうか。
医療が発展したことで、重症心身障害の方を取り巻く状況が変わってきています。例えば、以前までは医療ケアが必要なお子さんというと本当に重度の方だったのですが、最近は技術が進んで、例えば気管切開をしているお子さんも、今は普通に動けるようにもなっていて、小学校にも通っている子もいるくらいなんです。いざという時の吸引も自分ですることができますし。
以前と違って、学校生活が成立するようになったケースも増えたのですね。
特別支援学校に通うお子さんだと、吸引については学校の看護師さんがやってくれますし、通えるようになったケースも多いです。それ自体はとても良いことなんですが、問題は、制度側が追いついていないことにあります。
どういうことですか。
通所に関して、こちらの受け入れに関するグレーゾーンが広いというか、実際そういうお子さんが、一般的な放課後等デイサービスに通えるかというと、看護師さんがいないといけませんし、そうなると学童保育や児童クラブも難しいと。では重症心身障害者向けの放課後等デイサービスでお預かりするとしても、そちらは寝たきりのお子さんがメインですから、一緒に活動することが難しいんです。
そういった問題がまた新たに出てきていると。
こういった狭間でさまざまな課題があるんですが、自分たちはそこでどう受け皿となっていくべきか、というのは常に考えるところです。
医療が進むのは喜ばしいことですが、そのことでこぼれるものがあってはいけないですものね。
重症心身障害の方についても、医療の発達によって以前より平均寿命が長くなったことで、全国の施設で高齢の入所者さんが増えているんです。そのため、これまでは寿命を迎えてお亡くなりになる、ということが施設内では一般的だったのが、最近は悪性腫瘍や成人病への対応を迫られるケースも出てきています。
高齢化が進んだことで、そういった病気のリスクも増えてきたわけですね。
その治療が必要になった時、今はそこまでの医療を行う機能がここにはないので、急性期病院に移ってもらうんですが、その治療が終わったとしても、回復期リハビリテーション病棟や医療療養病棟に移って訓練ができるとは限らないんです。そのため、治療後すぐにこちらに戻られて、リハビリテーションに取り組むと。
通常行っているのとはまた違うリハビリテーションも行う必要がありますね。
問題はいろいろとあるので、今までの重症心身障害児施設や外来、通所のあり方でい続けることが、どんどん難しくなってきています。特に通所は受け皿が少ないですし、今は自分たちがやれる限りでやらせてもらっていますけど、困りごとも多様化していますね。今まで見たことのなかった問題が出てくることに関して、緑成会整育園としてのあり方が問われているところです。
障害をお持ちの方をサポートする
複合的な多機能施設「ココロネ板橋」
グループのケアホーム板橋に隣接して2020年11月に開設予定の「ココロネ板橋」についても伺います。こちらに野澤さんも関わっているとお聞きしました。
この話自体は、まだ僕が事務長補佐だった頃に初めて聞きました。その時はどうやって関わるかということは決まっていなかったんですが、今は運営について、緑成会整育園のスタッフが中心で動いているので、主にその補佐的な形で関わっています。
どういった施設となるのでしょうか。
多機能的な障害者の方のための施設になる予定で、就労継続支援B型事業所(※)や児童発達支援など、通所の機能がいくつか入ります。入所はショートステイのみですね。あとは、施設内に板橋区からの委託事業として『板橋区発達障がい者支援センター』が入って、そちらは先行して4月から開設となりました。
※就労支援B型事業所:障害により企業などに就職することが困難な方に対し、負担の少ない短時間で働ける場所を提供する事業所。非雇用型の支援なので、本人の体調に合わせ無理なく仕事に慣れていくことが可能です。
『板橋区発達障がい者支援センター』とは、どのようなものですか。
これは板橋区独自の事業です。発達障害がある、または疑いがある方でおおむね16歳以上の方に向けた相談窓口となります。介護サービスで言うところの地域包括支援センターみたいなもので、ここを入り口に、困りごとのある発達障害者の方と、法制度や行政サービス、社会資源をつないでいくものです。
発達障害の方に向けた相談窓口が求められているという話は、先ほどありましたね。
この準備にあたっては、区の担当者と発達障害者の家族団体のみなさん、発達障害に関わる区内区外の有識者・関係者のみなさんと毎月話し合いをして、どういうことをやるべきか、ということを詰めていきました。
通所の方はいかがですか。
生活介護事業と呼ばれる、いわゆる障害通所サービスを開設予定です。そちらは重症心身障害者の方向けクラスと、知的障害を含めたさまざまな障害の方向けのクラス分けになります。それと、児童発達支援という、未就学の障害児のための保育園のようなサービスも行います。
さらに、就労継続支援B型事業所の機能も入るわけですね。
グループのOUCHI(※)のように、ここでもカフェや工房を開く予定です。支援センターにいらっしゃるような、板橋区にお住まいの方の利用がメインになると思うのですが、発達障害で困ってらっしゃる成人の方の就労支援を、カフェや工房とリンクして行っていく事業です。どんな内容にしていくか、徐々に詰めていっています。
※OUCHI:東京都足立区、大内病院近隣に立つ、精神障害を持つ人たちが地域に戻るためのサポートをする施設。カフェとしても営業中です。くわしくはOUCHIのサイトをご覧ください。
OUCHIやココロネ淡路(※)のように、利用者さんが作ったものを販売していくというような形でしょうか。
それとともに、発達障害の方向けの作業として、パソコンを使った就労支援も進められたらと考えています。
※ココロネ淡路:「つながる」をコンセプトとした、兵庫県淡路市にある就労継続支援B型事業所。クラフト素材やコーヒーバッグを商品として作っています。くわしくはこちらのインタビューをご覧ください。
作業もさまざまに行えると。カフェなどは一般のお客さんも立ち寄れるものですか。
その予定です。もちろんココロネ板橋でも、緑成会整育園でのノウハウを活かせるように積極的にサポートできたらと思っています。緑成会整育園を良くしていくためには、ココロネ板橋のことも知らないといけないですし、OUCHIもそうですが、リンクするところはいっぱいあるので、お互いに良くなっていけるように学んでいきたいです。
※ココロネ板橋では求人募集を行っています! くわしくはココロネ板橋採用特設サイトをご覧ください。
緑成会整育園をより良い施設に
することがモチベーション
個人的に、お仕事で今後の目標はありますか。
僕の目標はもうずっと前から変わらないです。この緑成会整育園を、利用者さん・患者さんにとって良い施設にしていく、ということだけですね。
引き続きそこに取り組んでいく。
それが最初に福祉を志した学生の時からの夢ですね。もちろん大変なことも多いんですけど、それを今やれていることについては楽しさがあると言うか、僕の仕事のモチベーションになっていると言えます。
楽しさというのはどういった時に感じられますか。
ここまでを振り返った時に、現場スタッフとしてモヤモヤしながら仕事を続けていた時期と比べると、今は前向きに取り組めているんです。当時は、良い施設にしたいと思っても、僕はそれを叶えるための調整や課題解決ができませんでした。今はそこに携われる立場になったことで、より面白みを感じられるようになったと思います。
このポジションだからこそできることというのがわかって。
全体を見る立場に就いたことで、問題解決のためにはたくさんの経験や勉強を積み重ねることが必要だと、身をもって感じました。上手くできずにただモヤモヤしていた自分はまだ青かったのかもしれないなと、今は思います。課題は山のようにあるんですけど、あの頃と一緒で1人じゃできないので、みんなと一緒に取り組むということを、今は事務長としてやっている感じですね。
その時からの気持ちが引き続いて、モチベーションになっているのですね。
僕の人生観としても、仕事が上手くいくことがプライベートにも良い影響があると思っていますし、自分の子どもたちにも「お父さんは仕事をがんばっている」っていうところを見せられたらいいなと思っています。
がんばっている背中を見せられるといいですね。お子さんは今おいくつですか。
今は10歳、8歳、4歳、0歳です。
4人も! お父さんのお仕事については何か言っていますか。
いや〜、まだ理解はしてないですね。事務長の仕事って子どもには説明が難しいです(笑)。
楽しみは4人の子どもの成長
お休みの日はどう過ごしていますか。
まあ〜4人もいるので、やっぱり子どものことが多いですね。
ちなみに、4人の構成はどんな感じでしょうか。
上の2人が男の子、下2人が女の子です。みんな性格が違って面白いですよ。
お子さんとはどう過ごすことが多いですか。
上の2人とはゲームばっかりやっていて、僕もこの歳になって『スマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)』とか『フォートナイト』をやり始めています。
お子さんの方が上達が早そうですね。
それはもう上手ですよ。あとはリビングにホワイトボードを置いてあるんですけど、そこで勉強を教えてあげることもあります。
お〜、そこはさすが元塾講師ですね。
やっぱり教師を志していましたので。それはとても面白いですね。
趣味はありますか。
今は本当に子どもと過ごすことが多いので、個人的な趣味をやっている時間っていうのがあまりないです。あ、でもたまに家族みんなでキャンプに行きますよ。
ご家族大勢で行くのは楽しそうでいいですね。
ご家族大勢で行くのは楽しそうでいいですね。
(笑)。今後、個人的にやりたいことありますか。
強いて言えばハワイは行きたいですね。僕は3人兄弟の長男なんですが、3番目の弟が結婚式を挙げる時はハワイだと聞いているので、早く結婚してほしいなって(笑)。
これからのお話なのですか(笑)。楽しみですね〜。
でも一番の楽しみは、何より子どもたちの成長です!
プロフィール
緑成会整育園 事務長
野澤 大輔
のざわ だいすけ
【出身】富山県小矢部市
【資格】社会福祉士
【趣味】家族とキャンプ
【休日の過ごし方】とにかく子どもと遊ぶ
病院情報
緑成会整育園
小児科(小児神経科)、歯科、リハビリテーション科
肢体不自由児施設として開園し、重症心身障害児(者)施設を経て、今年で65年以上の歴史を持つ、医療型障害児入所施設です。2016年10月に新築移転。より多くの方がご利用いただけるよう入所病床は倍増、通所サービス内容もリニューアルいたしました。これまでに得た経験や知識を活かし、肢体不自由障害のみならず発達障害など障害を持つより多くの方をサポートします。また、見てわかる身体の障害だけでなく、周りの環境にも注目し、多様化する家族形態から生まれる孤立した育児環境や、なぜその障害を持ったのかという障害背景など、見て捉えにくい悩みにも対応・支援できるよう体制を整えていきます。