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ひとプロジェクト【第42回・前編】緑成会整育園 事務長/野澤 大輔さん

    • 長い視点で、障害をお持ちの方やご家族に寄り添っていきたい
      ダラダラしていた大学生が福祉の道へと進むまで!

    • 今回は、地域の障害を持つ方を支える施設である緑成会整育園の事務長、野澤大輔さんのインタビューです。漠然と、子どもにまつわる仕事に興味を持っていた野澤さん。大学時代のある出来事をきっかけに、教育から福祉の道へと進む決意をされました。今回は、そんな野澤さんの経歴を中心に、社会福祉士の仕事や緑成会整育園の通所センターのことなどもお聞きしています。
      ぜひご覧ください!

  • のどかな「散居村」で育ち
    なんとなく東京へ進学

    ご出身はどちらですか。

    富山県の小矢部市っていうところです。育ったところは、「散居村」って言って、砺波平野の広い田園地帯に、戸建てがポツポツ点在してる風景が特徴的な地域でした。

    野澤さんの家では農業はやられていたのですか。

    うちもそうでしたけど、周りもみんな兼業農家でしたね。両親ともサラリーマンをしていましたけど、お米も作って。夏前に田植えがあったので、小さい頃はたまに手伝っていましたよ。

    学生時代はどんなことをされていましたか。

    大したことはしていないです(笑)。中学の時は野球部にいて副キャプテンをやったり、あとは塾に通って勉強をして、生徒会長もやったりもしていました。

    今も事務長という立場ですけど、当時からそういう気質があったのですか。

    いえいえ! それは周りから頼まれてやった感じでした。

    高校では野球は続けなかったのですね。

    高校は進学校だったんですけど、入学したら授業についていけなくなってしまい、勉強をやりたくなくなってダラダラと過ごしていましたね。

    その後に進学はされたのですか。

    漠然と、大学に進学しようということは考えていましたね。あとは単純に田舎を出たいというか、「ここじゃないところに行きたい」という気持ちもあって、関東の大学の文学部に進みました。

    文学部を選んだのは何か理由がありましたか。

    以前から何となく子どもに関わる仕事には興味を持っていたので、教師とか教育関係、福祉に関われたらと思って、教育関係が強い大学を選んだというのはありましたね。ただ、入学後はあまり授業に熱心ではなかったですね…。当時はインラインホッケーのサークルとアルバイトに打ち込んでいました。

    では授業に強い興味が出たわけではなく。

    文学部には入ったんですけど、実は僕どっちかっていうと理系だったんですよ(笑)。当時やっていた塾講師のアルバイトでは算数・数学を教えていましたし。得意なのは理系だけど、やりたいことは文系だったというか。大学を選ぶ時点では、自分のなかでもあまりまだ定まっていないところがありましたね。

    教育や福祉に漠然と興味を持たれていたと。教育に興味があったということですと、教職課程は取られたのですか。

    途中まで進めていたんですけど、在学中に、教育ではなくて福祉に進もうと思ったきっかけになった出来事があって、それで教職の方は辞めちゃったんです。

    福祉の道へ進むきっかけは
    塾講師のアルバイト

    福祉に進むことを決めたきっかけを教えてください。

    講師のアルバイトをしていた塾で、マンツーマンで教えていた生徒のなかに、ちょっと変わってるというか、コミュニケーションが難しい子がいたんです。そのうち、その子のお母さんともよく話をするようになると「お気づきだと思うんですが、ちょっと変わっている子なので」とも言われて。自分の興味ある話はすごい勢いで喋るけど、逆に興味がないことは全然聞いてくれない、ただ、勉強はものすごくできました。

    成績は良いんだけど、コミュニケーションは取るのが苦手だった。

    話を聞いていると面白いし、勉強はできるので講師としてはとても助かるんですけど、人の話に対して「そういうの興味ないんで」ってバシッと言い切っちゃうし、ものすごく尖った子だな、という印象でした。この仕事をしている今から思えば、アスペルガー症候群と言われる障害の特徴だったかもしれません。お母さんとしても、どちらかというと勉強のことよりも、友人関係や将来のことをとても心配されていたんです。

    学校生活でも苦労があったのでしょうか。

    実際、喧嘩をしてしまったり、関係がうまくいかなかったりという話も聞きましたね。そういう話を聞くうちに、僕のやりたいことは教育というより、福祉じゃないかと思うようになったんです。

    どんな風に気持ちが変わりましたか。

    漠然と、子どもに関わる仕事に就きたいと考えていましたが、塾で体験したこういう悩みを解決したいと思ったら、教育を通じた関わり方ではなくて、もっと長い目で見て、子どもや実際に子育てされる親御さんに寄り添って、一緒に悩んだり支えたりしていきたいと思いました。

    教育の現場に立つことではなく、福祉を通じてサポートするということを考えるようになられたと。

    それまでダラダラと大学生活を過ごしてきてましたけど、このことが真面目に自分の将来を考えるきっかけになりましたね。

    実際にどう進もうと考えられたのですか。

    社会福祉士の資格取得をしようと考えました。介護福祉士になって子どもたちを直接支援することも興味があったんですけど、親御さんを支えることや、地域に関わるっていうことにも携わりたかったので。一般的な四年制大学を卒業した場合、あと1年間養成校に通えば受験資格が得られるとわかったので、卒業後は地元に一度帰ってアルバイトでお金を貯めて、また関東に戻って専門学校に入学しました。

    ちなみに、社会福祉士とはどういう業務を行う職種でしょうか。

    利用者さんや患者さんの困りごとを聞いて、その問題解決のために、相談員やケースワーカーとして、施設や病院のサービスとかをつなぐ役割ですね。

    こういったお悩みに対しては、このサービスが適しています、とつなぐような。

    そのために、福祉関係の法令や制度とか、社会資源や社会制度をしっかり理解しなければいけないですし、どんな困りごとがあるのか、っていうことも把握していないといけないので、どちらも知ったうえで、つなぐ役割として機能するという仕事だと思います。介護施設や障害者に関する施設、病院、あとは行政関連の施設で働くことが多いですね。

    キャリアのスタートは緑成会整育園
    モヤモヤが続く新人時代

    1年間の勉強ののちに、国家試験も無事に合格されて。

    その期間はもうとにかく集中して勉強に取り組みましたね。資格を取得して、この緑成会整育園に入職しました。

    最初の就職先がこちらだったのですね。

    障害に関する施設で就職先を探していたんですけど、一口に障害と言っても幅広いので、特に緑成会整育園のように重症心身障害児施設だけを志望していたわけではなかったです。ただ、なるべく利用者さんに長く寄り添っていきたいと考えていたので、ここは3歳くらいのお子さんから、上は7、80代っていう高齢の方もいらっしゃって、長い関わり方ができるっていうことで、入ってみたいと思いました。

    長い目で見て支援ができるところに興味を持たれたと。入った頃の状況は今とはどう違いましたか。

    12、3年ほど前でしたが、当時は経営もこのグループになる前で、場所も緑成会病院の敷地内にありました。今は入所と外来、ショートステイの機能が現在の新しい建物に移転して、通所のサービスだけを元の建物で行っているんですが、当時は全てをその建物内で行っていたので、今よりも規模は小さかったですね。

    では受け入れの人数も違ったのですね。

    入所も外来も通所センターも、今は受け入れは倍以上になってますね。

    入ってからはどんなお仕事をされましたか。

    まずは現場のスタッフとしてのスタートでしたね。相談員として仕事をするにも、法制度のことも利用者さんの困りごとをしっかりわかっておかないといけないので、まずは現場で利用者さんに直接関わっていくと。

    実際の仕事内容はどんなものだったのでしょう。

    入所利用者さんたちの、日中活動や行事の企画、それと特別支援学校に通学しているお子さんもいたので、学校との調整役ですね。あとは親御さんとの日々のやりとりもしていました。

    企画や調整がメインの役割だったのですね。

    最初は利用者さんのこともわからないので、仕事を通じて知っていって、先輩に言われることをとにかく吸収して、一生懸命に取り組んでいましたね。でも、2年、3年と続けるうちに、だんだんと辛くなってしまって…。

    どういう辛さだったのでしょう。

    何と言っていいのか難しいのですが…。利用者さんに対してはどのスタッフも想いがとても強くて、僕もその姿を見ながら仕事をして、こういうこともああいうこともやりたい、と気持ちが高まっていったんですけど、それにつれて現実にぶつかると言うか。思うようにいかないことも増えていったんです。

    やりたいことができなかった理由というのは主にどういうことでしたか。

    その時点の体制が理由として大きかったと思います。利用者のみなさんは整育園でずっと生活されているので、やっぱり外での活動を体験してもらいたくて、レストランや公園への外出を企画するんですが、それを実現するには、僕ら以外にも看護師さんや介護士さんに付き添いをお願いしないといけない。でも、人がいなくて、そのための人員を確保するのも難しかったんです。

    病棟での業務もありながら、外出の付き添いをするというのが難しかった。

    それと、僕ら企画のスタッフと、看護師さん介護士さんが組織としてはっきり分かれてしまっていたので、イベントを企画しても一緒になって盛り上げる、っていう空気もできづらかったんですね。本来は協力してイベントを行いたかったんですが、みんなそれぞれの業務に手一杯でしたし、なかなか難しい状況でした。

    みんな気持ちはあるけど、区分けが明確すぎたことで、一体感が出づらかったのですね。野澤さんとしてはどうされようとしたのですか。

    どうしてこうなってしまうのか、状況を変えていきたかったので先輩に訴えてはいました。ただ、あまり話が進まず。若くて血気盛んでしたし、熱い気持ちはあったんですが、その当時はやり方がわからないという感じでした。

    病院での相談業務を経てリフレッシュ
    運営に携わる道へ

    そういう気持ちで仕事をしながらも続けていかれて。

    そのうち、緑成会自体の経営がこのグループに変わったんですけど、ちょうど緑成会病院の地域連携室で空きができてしまい、グループの方から「野澤さんやりませんか?」と声がかかったんです。1年間だけでしたが、それはとても新鮮でした。

    ちょうど良いタイミングで異動があったのですね。

    もともと社会福祉士として整育園で相談業務に就きたいという希望がありましたし、自分にとっても良い経験になるなと思いました。整育園と病院は違うので、単純に経験を活かせるということはなかったんですけど、医療保険や介護保険について、仕事として触れることができたのは大きかったです。

    社会福祉士になるまでに学んではきていたところではあったけど。

    もちろんある程度把握はしていましたけど、現場スタッフとして働いているとあまり意識することがありませんでしたので。ダイレクトに現場の相談業務をやらせてもらえるというのは貴重な経験でした。

    その後はまた緑成会整育園に戻られて。

    新しい相談員の方が入職して充足したのを機に戻ることになりました。戻ったところで、ちょうど当時の事務長さんから「運営の方を手伝ってくれないか」と、誘いをもらったんです。

    野澤さんに声をかけられたのはどんな理由があったのでしょうか。

    ん〜、何だったんですかね(笑)。

    (笑)。特に明確な理由は聞いてなかったのですね。

    その事務長というのが、入職当時からお世話になっていた介護福祉士の先輩だったので、付き合いも長くてやりやすかったというのはあったかもしれないです。

    当然ですけど、仕事の内容も大きく変わりますよね。

    なので、受けるかどうか、すごく悩みましたね。本当は相談業務に携わりたかったんですが、当時相談員は先任がいたので、僕がやりたいと言ってもすぐにできるわけではなかったんです。将来的に携わりたい、とは思っていましたけど、以前から抱えていたモヤモヤは継続していたので、このまま元の業務を続けたら、きっと仕事が面白くなくなってしまうし、問題解決もできないなと。

    そこで決断をされた。

    今までの夢は一旦閉ざすことになるけれど、事務方になってもっといろんなことを知れるし、もしかしたら何か解決できるかもしれないと思って、チャレンジしてみようと決めたんです。

    視点を変えて取り組んでみることを選ばれたわけですね。

    利用者さんの暮らしをもっと良くしたいと思っても、自分1人ではできないですし、みんなと協力することが必要です。でも、それを実現するためにはさまざまな問題や課題があって、その解決のためには緑成会整育園のことをもっと学ばないといけないですから。これは良いチャンスだと考えました。

    地域の声に応えたい
    移転とともに通所サービスの拡大に関わる

    実際に事務に関わるようになっていかがでしたか。

    緑成会病院で相談員を務めた時と同じで、とても新鮮でした。整育園のなかのことについて「ああ、こういうことになってたのか」と、あらためて知ることができましたね。

    初めてわかる部分も多かったのですね。

    最初はいわゆる医事課で、受付や会計業務からスタートして、徐々に福祉請求とか医療請求とかに関わり、そうこうしてるうちに総務のことに関わるようになりました。

    緑成会整育園は2016年に今の場所に移転をしましたね。

    重症心身障害者の入所待機者は、都内だけで600人はいらっしゃって、困っている方がいるのならもっと受け入れられるようにしていこう、というのが経緯だったと思います。当時僕は事務長補佐という立場で、中心メンバーということではありませんでしたけど、通常の事務業務もやりながら移転にまつわる業務もやって、記憶がないくらい忙しかったですね。

    通所サービスを行う「通所センター」は、元あった緑成会病院の施設内に残ったのですよね。

    移転後、元の建物が空いてしまうので、その活用法として、通所事業の拡大をすることになったんです。僕は、そのプロジェクトへ中心的に関わらせてもらいました。当時、通所サービスは、幼児部と成人部の2つだけだったのですが、そこに新たに3つのサービスを立ち上げることになりました(※)。

    ※児童発達支援「からふる」、放課後等デイサービス「はぴねす」、放課後等デイサービス「ちあふる」、通所成人部「うぃず」、通所幼児部「トマト」の5クラスを展開。くわしくは整育園通所センターのページをご覧ください。

    一気に新しく3つというのはなかなかボリュームが大きいですね。

    それもあって、当時はかなり忙しく過ごしていましたね…。

    この地域だけに限らないとは思うのですが、こうした形の通所も需要が高いのでしょうか。

    重症心身障害者の方が通える通所サービスというのが、需要に対して圧倒的に数が少ないです。特に放課後等デイサービスはとても需要が高いですね。

    受け入れ先が少ないと。

    決して多くはないですね。特に重症心身障害の方には医療ケアが必要なので、医師や看護師が必要なのですが、そこも込みで人員や設備があるところが限られてしまいます。うちはもともと病棟だったところを使っているので、環境が整っていたのは大きかったですね。

    事務長になる覚悟は
    以前から持っていた

    現在は事務長という役職ですが、どのような経緯で立たれたのでしょうか。

    新しくなった通所センターの管理をやりながら、事務長の補佐を半分やって、さらに総務経理の仕事もやってという感じでしばらく仕事をしていたんですが、当時の事務長がグループを離れることになったんですね。

    そこで補佐だった野澤さんが事務長に立つことになって。どういう心境でしたか。

    その話が出る前から、意識としては、もし事務長がいなくなっても、自分もその仕事をできるようになっておかないと、ということはあったんです。

    なぜそのように思っていたのですか。

    通所センターは、緑成会整育園と建物は離れていますけど、機能として独立しているわけではないので、通所をうまくいかせるためには、本体である緑成会整育園がしっかりしていないといけない。なので、通所の管理をすればするほど、本体のことも把握しておかなければという気持ちがありました。

    野澤さんのなかで、緑成会整育園についても管理ができるように、という意識が事前にあったのですね。

    お世話になっていた先輩が離れてしまう、ということは純粋にショックでしたが、事務長の仕事に携わることについては、どこか覚悟を持ってはいました。

  • 次回:高齢化社会を迎えた今、緑成会整育園の果たす役割。また、板橋区でスタートする新しい施設「ココロネ板橋」とは!

    後編は2020/04/03公開予定

    profile

    緑成会整育園 事務長 野澤 大輔(のざわ だいすけ)

    【出身】富山県小矢部市
    【資格】社会福祉士
    【趣味】家族とキャンプ
    【休日の過ごし方】とにかく子どもと遊ぶ

    病院情報

    一般財団法人 多摩緑成会 緑成会整育園

    東京都小平市小川町1丁目741-34

    小児科(小児神経科)、歯科、リハビリテーション科

    肢体不自由児施設として開園し、重症心身障害児(者)施設を経て、今年で65年以上の歴史を持つ、医療型障害児入所施設です。2016年10月に新築移転。より多くの方がご利用いただけるよう入所病床は倍増、通所サービス内容もリニューアルいたしました。これまでに得た経験や知識を活かし、肢体不自由障害のみならず発達障害など障害を持つより多くの方をサポートします。また、見てわかる身体の障害だけでなく、周りの環境にも注目し、多様化する家族形態から生まれる孤立した育児環境や、なぜその障害を持ったのかという障害背景など、見て捉えにくい悩みにも対応・支援できるよう体制を整えていきます。