ひとプロジェクト 第58回【前編】緑成会病院 事務長/岡 師明さん

緑成会病院

事務長

岡 師明 さん

Oka Kazuaki

リハビリスタッフとして働く意義を感じた患者さんとの出会い…
熱心な理学療法士から、事務長へと至った経緯を伺います

今回は、緑成会病院の事務長、岡師明さんです。もともと理学療法士(PT)として入職し、熱心に臨床に打ち込んでいた岡さん。ある時、前任事務長の異動に伴い、事務長職を任命されますが、事務経験のなかった当初は戸惑うことも多かったそうです。前編では、そんな岡さんが事務長に至るまでの経歴や、今も深く記憶に残るPT時代のエピソードを中心に伺いました。ぜひご覧ください!

  • 野球に打ち込んだ高校時代
    リハビリテーションに興味を持ちつつ、バイトに打ち込んだ大学時代

    岡さんは緑成会病院で働かれて何年くらいになりますか。

    もう11年くらいですね。もともと理学療法士(PT)として入職しました。

    ご出身もこの近辺なんですか。

    埼玉県です。今は合併してふじみ野市という名前になっていますね。ここに入職して1、2年目くらいまでは住んでました。入職してみたら当時は飲み会が多くて、帰るのが大変で引っ越したんですけど(笑)。

    (笑)。それが引っ越しの理由なんですか。PTさんはスポーツをされている人が多い印象ですが、子どもの頃はどんなことをされていましたか。

    僕はずっと小学3年生くらいから高校生いっぱいまで野球をやっていました。

    だいぶ長くやられていたんですね。

    高校の時は、最高で県ベスト8までいきましたよ。僕はベンチでしたけどね(笑)。

    でもベンチ入りはされてたんですね。ちなみにポジションは。

    キャッチャーです。遠投とかでの肩の強さを買われて。ただ、最後の大会はベンチも外れたんですよ(笑)。ベスト16までは行ったんですけど。高校時代は本当に野球しかしてなかったです。勉強したのも受験の時くらいでした。

    高校を卒業してからはどういう進路に進まれたんですか。

    大学のリハビリテーション科に進みました。

    大学からリハビリの道に進んだんですね。野球をやっていたのも影響しているのですか。

    当時、よく接骨院に行くことがあって、接骨院を開業するのもいいなとなんとなく思っていたんですね。ただ柔道整復師とPTの違いがあまりわかっていなくて。大学にも行きたかったので、PTは大学で学べるので進んだんです。実際入学してみたら、柔道整復師と全然違うものだ、っていうのがすぐわかって(笑)。

    (笑)。PTを選んだのはどんな理由があったんですか。

    そんなに深くは考えてなかったですけど、作業療法士と言語聴覚士と比べた時に、PTはスポーツに関われるということを知ったので、それはいいなと。

    実際にリハビリを学ばれてみていかがでしたか。

    実技を勉強し始めて段々面白くなってきましたね。野球をやっていた当時から体の動きに興味があったので、大学で人の体の動き方とか筋肉の動きを勉強した時に「体ってこうやって動いてるんだ」っていうことがわかるのが楽しかったですね。

    野球部時代から体の動きに興味があったのですね。

    キャッチャーだったので、ピッチャーの投球フォームを見てましたね。ピッチャーと一緒に「肘が下がってるね」とかフォームを確認して。ボールを遠くへ投げるためにはどこの筋肉を鍛えたらいいのかとか、そういうことも考えながらトレーニングしていました。

    そういった下地があれば、リハビリ的な考え方もなじみそうですね。じゃあ授業は割と熱心に出られて。

    いや、そこまで熱心に勉強したとは限らなくて、飲食チェーン店でアルバイトした記憶だけが残ってますね。当時「ワンオペ」とか「ブラックバイト」っていう言葉が話題になってた頃で…(笑)。

    渦中の時に働いていたんですね(笑)。今は違うと思いますが、当時だとなかなか過酷そうなイメージがあります。

    僕は特定のお店で働くというよりは、アルバイトが急に休みになって穴が開いた店舗を飛び回って働いていましたね。深夜帯から朝まではこのお店に入って、日中に移動して、昼前からこの店に入って、という感じで。

    店舗を掛け持ちしたうえ、だいぶ長時間働かれて。よく体が持ちましたね。

    なんとかなってましたね。お客さんが入ってくると音が鳴るので、深夜帯はその音でフッと起きて「いらっしゃいませ〜」って出ていって、牛丼盛って出して。

    (笑)。それなら授業もおろそかになりそうです。

    数えてないからわからないですけど、学年で1、2を争う再試率だったと思いますよ(笑)。

毎週末のように長野まで研修へ
熱心に取り組んだPT時代

緑成会病院には新卒で入職されたとのことですが、どうしてこちらを選ばれたんですか。

当時、病院の運営がこのグループに変わって新しくスタートしたところで、立ち上げに携われるっていうのが魅力でしたね。このインタビューにも出ていたリハビリテーション部の裵さん(※)が当時見学の案内をしてくれたんですけど、今は業務を作っている最中だという話を聞いて。完成されたシステムがない状態から携われるのも貴重だなと思ったんです。

いちから業務に関わっていけるところが魅力だったと。実際入られていかがでしたか。

最初は慌ただしかったですね。僕は入院患者さんのリハビリ担当だったんですけど、業務量に対してまだスタッフ数が少なかったので、みんなで協力しながらがんばって回してました。

当時特にどんなことに打ち込んでいましたか。

足病医学の勉強をさせてもらったのと、シューフィッターの資格を取りました。

足に関連したリハビリについて学ばれたと。どんなきっかけがありましたか。

入職して2、3年目に、参考書や文献を読んでも、患者さんがなかなか良くならないと思って悩んだことがあって、いろいろ調べて長野県の赤十字病院の勉強会を見つけたんです。そこにほぼ毎週末通うようになって、足に関する項目を学ばせてもらいました。

長野県まで! リハビリの現場では学んだことをどう実践されたんですか。

患者さんの歩き方や体に合わせて靴をチョイスするんです。靴自体についても、踵の高さやソールの硬さ、指の曲がり具合を調整したり、それとインソールを作ったりしていました。本当は、実際に型を取ってアメリカで作ってもらうんですが、そこまでは難しかったので、足病医学の考え方に基づいて、インソールを切り貼りして厚さを調整していましたね。歩き方もそれで本当に変わりますので。

  • 初めての患者さんに残る後悔…
    寝たきりの患者さんとの出会いで、リハビリの意義に気が付く

    PT時代に印象に残っている出来事はありますか。

    一番最初に関わらせてもらった患者さんですね。当時入院されていた、90代後半の女性の方だったんですけど。ご自宅に戻りたいという希望がありながら、家庭の事情で難しいということで悩まれていたんです。今の自分なら、在宅サービスや介護保険サービスについての知識もあるので、事情に合わせた提案もできたと思うんですけど、当時は何も言えなくて。最初の患者さんということで、すごく良くしてもらったのに…という想いがありましたね。

    入職したてでは難しかったのかもしれないですね。

    大学でも学術的には勉強したことなんですけど、僕がそれをうまく使えませんでした。それともうひと方、僕が入職して3、4年経った頃に担当した当時30代くらいの男性の方も印象に残っています。

    どんなことが印象的だったのですか。

    緑成会病院に入院される前に、病気で片麻痺になって急性期病院に搬送されていたんですが、そこでは急性期治療を施した後、予後を見て「これからは歩けないし、ずっと寝たきりだから」ということでリハビリもさせてもらえなかったそうなんです。そのため「回復期リハビリテーション病棟に入っても良くならない」という判断で、当院の医療療養病棟に転院されてきました。

    入院当時は「歩けない」という判断をされていたと。

    でもその方がすごく熱心にリハビリをされたんです。「寝たきりだ」と言われていたような状態から回復されて、実際今では1人で歩けるくらいになっているんです!

    そんな状態から、そこまで回復を遂げられたんですね!

    医療療養病棟って、そもそもはリハビリをしない病棟なのに、うちのグループでは積極的にリハビリを行っています。しっかり時間をかけてリハビリすれば、こうやって良くなっていく方もいる、っていうのは、ここだからこそできたんじゃないか、と思いました。このグループでリハビリ職として働く意義を強く感じた出来事でしたね。退院後も、近くまで来た時に病院に立ち寄って声をかけてくださって、僕のことを覚えていてくれたのが本当に嬉しかったです。

ある日、持ちかけられた事務長職の道
「やりたいことは全部やる」

PTに取り組んでいたところから、今のような総務の仕事にシフトしていかれたのは、どんなきっかけがあったのですか。

当時僕はリハビリ科の係長として、訪問リハビリをやりながら、訪問系やデイケア・デイサービスの管理をしていたんですね。そんな時期に、医療事業部の田村さん(※)から、話があるからと世田谷記念病院に呼ばれて「岡くん、事務長やらない?」って言われました。

いきなりそう言われたら驚きそうですね。どうお返事したんですか。

やっぱり驚いたので「ちょっと考えさせてください」と答えました。自分としては、まだまだリハビリもしたかったですし、勉強したいこともあるし、やらなきゃいけないこともいろいろとあったので、後日その想いを田村さんに伝えたら「じゃあ、全部やったらいいんじゃない?」って言われたんです。

その反応についてはどう思ったんですか。

「あ、じゃあ全部やればいいんだ」って(笑)。

ちょっと丸め込まれた感じがありますね(笑)。岡さんに声がかかったのはどうタイミングだったのですか。

前任の事務長が、平成扇病院へ異動することが決まっていたようなんですね。なので私が後任として任命いただいて、移るまでの2、3カ月は一緒について仕事を教えてもらいました。

  • 就任当初は厳しい視線も…

    実際、事務長職として立ってみてどうでしたか。

    最初は「事務ってこういうことをやってるんだ〜!」っていうところからスタートでした。ただ、ついこないだまでリハビリスタッフだったのに、事務長になったからには専門外のことも「これどうなってますか」って聞かれますし、自分と近い同僚だったスタッフからも、気づけば「岡さん事務長でしょ?」っていう目線で見られるわけですよ。

    なった以上は立場として仕方ないですけど、最初はちょっとキツそうですね。

    労務管理とか契約内容のこととか、まったくそれまで知らなかったことも質問されるんですけど、どう答えていいかわからないんですね。でも「『わからない』って言っちゃ絶対ダメだろうな」と思って、「後で返答しますね」って答えて、とにかくわからないことは調べたり人に聞いたりして対応していってました。

    その対応を積み重ねていかれたと。

    そういうことを繰り返していくうちに、今は少しは事務長らしくなってきたのかなと思います。病院の総務部とか、グループ総務部、人事部のみなさんにはわからないことをたくさん聞きましたね。

    事務長を受ける時は「やりたいことを全部やる」という気持ちがあったと思うのですが、その後どうなったのですか。

    やっぱり全部やろうとすると難しかったですね。しっかりと事務長一本になりました(笑)。

    (笑)。ちなみに「リハビリに携わりたい」という気持ちが湧くことは今もありますか。

    気持ちとしてはあるんですけど、やっぱり現場から離れちゃったんで、患者さんに触れることに、以前と比べて怖さはありますね。リハビリの知識もアップデートされていませんから、患者さんにとっては現役のスタッフが対応するのが一番いいと思っていますし、僕自身は事務長職にやりがいを感じています。

次回:事務長になってわかったその苦労ー。失敗をバネに、スタッフと一緒により良い病院作りに取り組みます!

後編を読む

profile

緑成会病院 事務長 岡 師明(おか かずあき)

【出身】埼玉県ふじみ野市
【資格】理学療法士
【趣味】ロードバイク
【好きな食べ物】唐揚げ、カレーライス、あんこ、シュークリーム

病院情報

東京都小平市小川西町2丁目35番1号

一般財団法人 多摩緑成会 緑成会病院

内科・循環器内科・整形外科・リハビリテーション科・脳神経外科・脳神経内科回復期リハビリテーション病棟、医療療養病棟の2つの病床機能を有し、救急、急性期医療後の患者さんを迅速に受け入れ、入院早期からの積極的な全身管理とリハビリテーションを行い、できるだけ早く自宅や施設に退院していただくことを目標としています。また、在宅療養中や施設入所中の方の状態が悪化した際にも、後方支援病院として迅速に受け入れを行います。退院後も、外来診療のほか、訪問・通所リハビリテーションや施設訪問診療などを通し、一貫した取り組みで地域の患者さんを支えてまいります。