便秘や下痢になると、お腹の具合が気がかりで一日中落ち着かない……という経験は誰にもあるもの。その状態がずっと続くと、日常生活を平穏に過ごすことが難しくなりQOL(Quality of Life, 生活、人生の質)が低下します。排泄の悩みは人に打ち明けにくく、尿漏れや便漏れはその人の自尊心を傷つけかねません。また、排泄は人間が生きるうえで不可欠な営みであるにもかかわらず、それに関する問題を話すことはタブーとされており、そもそも排泄ケアの重要性は社会的に認識されていないことは大きな課題です。
今回は、排便ケアを基軸としたコミュニティケアのプロフェッショナル「POOマスター」の資格をもつ、平成横浜病院の看護師・原亜里奈さんに、排便の悩みが人の暮らしや人生に与える影響の大きさ、「気持ちよく出す」ことの大切さについてお話を伺いました。
<プロフィール>
原 亜里奈(はら・ありな)
平成横浜病院 地域医療連携室・患者サポート室 看護師。2006年東邦大学医学部看護学科を卒業後、公益財団法人 がん研究会有明病院に入職。看護師として、消化器(胃、大腸、食道)、骨軟部、婦人科などの病棟を担当。2020年より訪問看護を経験したのち、2022年平成横浜病院に入職。2023年12月POOマスター認定試験に合格。
「気持ちよく出す」ためのコンチネンス・ケア
POOマスターとは、「コンチネンス・ケアの概念のもと、患者さんのために行動できる人であれば、多くの職種が取得できる資格」。医師、看護師、介護士、ソーシャルワーカー、薬剤師、栄養士、療法士のほか、教員や行政職員など600名以上の方が、POOマスターの資格を取得し、全国各地で活躍しています。
まずは、コンチネンス・ケアについてかんたんに説明しましょう。
日々の生活のなかで排泄をコントロールできている状態は、「コンチネンス(continence)」という言葉で表されます。排泄をコントロールできない(incontinence)状態を改善し、コンチネンスを維持するためのケアは「コンチネンス・ケア」と呼ばれます。海外では泌尿器科医師を中心として積極的に尿失禁を治療する動きがはじまり、1970年にイギリスを中心にInternational Continence Society(ICS)を設立。1980年代には、排尿障がい専門のクリニックで働く看護師や骨盤底筋体操を専門とする理学療法士たちがコンチネンスアドバイザー協会を設立しました。日本では、1990年に「すべての人が気持ちよく排泄のできる社会創り」をスローガンに、NPO法人日本コンチネンス協会が発足しています*。
*西村かおる:排泄ケアの過去・現在・未来, 北海道医療大学看護福祉学部学会誌第4巻1号, 7-14,2008
POOマスターは、石川・小松市で合同会社プラスぽぽぽ、コミュニティスペースややのいえなどを運営する、榊原千秋さんが設立した民間認定資格。榊原さんは、保健師、助産師、看護師の資格を持ち、NPO法人日本コンチネンス協会認定コンチネンスアドバイザーでもあります。小松市では排泄ケアや研究に関わる医師や看護師、大学、自治体が連携してコンチネンスケア検討委員会を立ち上げ、「コンチネンスケア推進都市・こまつ」を目指す取り組みが進んでいます。
原さん「排泄の問題は、身体だけでなく、精神的、社会的、経済的な介護負担が大きいので、その人らしく生きること、住み慣れたまちで暮らし続けることを難しくさせるんですね。うんちの話がタブーにならないコミュニティがつくれると、高齢の方たちや障がいのある方たちとその介護者、病院で働く人たち、地域全体も活性化することにもつながっていくというところが、小松市の取り組みのねらいだと思います」。
コンチネンス・ケアという概念には、排泄の問題は地域や社会にも関わってくるという大きな視点が含まれているのです。
排便が気がかりだと自分らしく生きられない
原さんが排便ケアに取り組みたいと思ったのは、がんの専門病院に入職して3年目を迎えた頃。病棟には、化学療法、放射線治療、がん性疼痛をコントロールするための服薬により、便秘に悩む患者さんが多くいたそうです。

原さん「当時、私が患者さんに介入するとうんちが出るというので、病棟スタッフから“うん神さま”って呼ばれていたんです(笑)。あるとき、産後まもなくから3カ月間抗がん剤治療を受けていた骨肉腫の患者さんがおられて。やっと三日間の外泊ができることになり赤ちゃんのもとに戻れることになったので、排便コントロールについて一緒に考えて「大丈夫だからね」と送り出したのですが、ご自宅で便失禁をしてしまったんですね。その患者さんは『赤ちゃんを抱いたらまた失禁するんじゃないか』と不安で、子どもと遊ぶのも怖かったと言われたんです」。
余命に限りのあるお母さんにとって、待ちに待った赤ちゃんを抱いて過ごせる大事な3日間だったのに、うんちのことばかり気にして過ごさせてしまった。「自分は今まで何をやっていたのだろう」と痛切な思いを抱いた原さんは、排便ケアを自らのメインテーマにしようと決めたそうです。もうひとつ、ご自身の妊娠・出産経験も排泄ケアに向き合う理由になりました。
原さん「子どもがすごく大きかったので、産後3カ月くらいは便意と尿意をほとんど感じなくなってしまって。授乳しながら自分で時間を決めてトイレに行くという、いわば排泄に振り回される日々を経験しました。その後、パートナーの海外転勤で日本を離れていたのですが、帰国して現場に戻ったら排泄ケアをメインにやりたいと思っていました」。
救急医療から回復期・慢性期医療までを担う平成横浜病院には、非常に多くの職種によるカンファレンスが開かれています。「多職種が集うこの病院の強みを活かせば、気軽にうんちの話をしながら患者さんが望むサポートをできるのでは?」と期待を感じた原さんは、平成医療福祉グループの資格取得応援制度を活用してPOOマスターの資格を取得。2024年9月に開催された第19回平成医療福祉グループ学会では、教育セッション「気持ちよく出すための排便ケア〜大きなお便り受け取ろう」を発表しました。実は、このセッションが今回原さんにお話を聞きたいと思うきっかけになりました。
「気持ちよく出ているか」を大切にする
平成医療福祉グループ学会での発表で、原さんは冒頭で「排泄の問題は人の尊厳に関わること」であると強調していました。また、患者さんの排便を「大きなお便り」というポジティブな言葉で表現していたことも印象に残りました。


原さん「うんちが出ていればいいんだという考え方でいると、『下剤を使って出せばいい』という発想になってしまう。あるいは、切れ痔で痛みを感じながら、ウォシュレットでしゃーっとやりながらの排便でも『出ていればOK』って話になっちゃうけど、患者さん本当にそんな排便を望んでいるのでしょうか。やっぱり、本人のなかで気持ちよく出せる感覚があることが一番大事なんです。患者さんの価値観やニーズを捉えないと、気持ちよく出すという目標にもっていけないと思います」。
排便のタイミングは人それぞれ。「お腹の張りや苦しさがないなら、必ずしも毎日出なくてもいい」と原さん。たとえば、排便周期が4日だとわかっているなら「3日目の夜に下剤を処方して大腸刺激を与える」というアセスメントができるそうです。また、食事内容で腸内環境を整えることもひとつの方法です。
原さん「うんちの性状は食べ物でも変わります。オクラなどネバネバしたものを食べるとうんちのすべりが良くなりするっと出しやすくなります。長時間トイレに座っていられない高齢者の方たちも、出しやすい便ならトイレ動作が苦痛じゃなくなります。便が出にくく強くいきむと迷走神経反射を起こしたり、下痢で低ナトリウム血症になったりして倒れてしまうこともあります。日頃からお通じを気にかけて腸内環境を整えておくことは転倒予防にもつながるんですね」。
腸内環境が整うと便はジャスミン茶のような匂いになり、患者さんたちが感じる排便ケアに対する遠慮を軽減できるそうです。また、下剤の使用頻度を減らせるというメリットもあります。認知症の患者さんは、トイレに行ってもすぐに『トイレに行きたい』と言われることがありますが、日々の関わりのなかでトイレに固執する背景を探ることも大事です。

原さん「認知症の患者さんは嵌入便(かんにゅうべん)のケースも多いんです。塊になった便の周りから漏れた少量の便でおむつが汚れるので出ていると判断されてしまうけれども、本人は気持ち悪いままだからご家族とけんかになることもあります。本人が便意を訴えるなら、まずは指を入れて直腸診をしたほうがいいですね」。
嵌入便は、肛門付近まで降りてきて大きな塊になったカチカチの便です。お尻に硬い異物が挟まっている不快感と便意に一日中苛まれます。嵌入便を出すには、浣腸をするか肛門から指を入れて便を出す摘便で取り除くしかありません。そんなときこそPOOマスターの出番です。
原さん「私は排便ケアの時間がとても好きなんです。摘便しながら『いいのつかまえたよ〜!』って喜んで仲良くなったりしてね。マッサージしながら『出るといいね』『今、ガスをつかまえたね』って言い合っていると、患者さんが自分の話をぽろぽろっとしてくれるんです。娘さんのこと、会社が大変だったとき、それぞれの人生のストーリーを聞かせてもらえる。病棟勤務だったときは、忙しい業務から少し離れて患者さんと深く話し込める大事な時間になっていました」。
ガスや便が出たことに対して「申し訳ない」「ごめんね」と言う患者さんに、原さんは「腸が動いている証拠だからいいんですよ」「便が出ないほうが大変ですよ」と伝えるそうです。その言葉よりも、便が出た時に一緒に喜んでくれる原さんの笑顔に、患者さんは安心して自分のことを語りはじめるのではないでしょうか。

排便ケアは意思決定支援の根底にある
原さんは、POOマスターという資格をもつことによって、「やりたいケアを周囲にわかりやすく示せるようになった」と言います。今は、病棟からの相談に応じて患者さんの排便ケアを行っています。
原さん「患者さんが排便ケアを強く拒否されることもあるので、『困ったときは、排便ケアの専門家がいるからと伝えてくださいね』と言っています。いったんPOOマスターが介入することで、病棟のスタッフと患者さんの関係性が悪くならないようにできたらとも思っていて」。
患者さんに会うときは、「私は排便ケアの資格をもっています」と名刺を渡して挨拶をして、お腹のマッサージをしながら信頼関係をつくっていくそうです。そのうえで、「(排便の状態を)見せてもらえますか?」とお願いして、必要に応じて摘便などの処置を行います。
原さん「今は、地域連携室で勤務をしているので、病棟での排便ケアにぐいぐい介入することはできないのですが、今後は病棟スタッフにPOOマスターを増やして活動を広げていきたい思いはあります。興味をもってくれている管理栄養士さんや療法士さんがいるので、『POOマスターの資格を取ったら一緒にやろう!』と伝えています」。
平成医療福祉グループ学会の後、グループ内の他施設から「排便ケアに取り組みたいのでPOOマスターの資格を取りたい」という相談もありました。まずは平成横浜病院のなかにPOOマスターを増やして、いずれはグループ内の病院・施設にPOOマスターを増やして「全国POOマスター会議を開きたい」と思い描いています。
看護師として、原さんが一番望んでいるのは「患者さんのそばにいるという実感があること」。そして、患者さんの意思決定支援に関わりつづけることです。排便に関する悩みは、患者さんが自分の意思を一番表現しづらいところだからこそ大事にしたいと原さんは考えているのです。

原さん「排便のことが気がかりだと、一日何もできないですよね。そうすると、自分らしく生きるってことがなかなかできなくなってしまう。だからこそ、心配事を少しでも減らせるとひとつでもふたつでも前向きに考えてもらえるかなと思っています」。
平成横浜病院からはじまっているPOOマスターの活動は、これからの平成医療福祉グループの排便ケアをどう変えていくのでしょうか。しばらく時を置いて、またお話を聞いてみたいと思います。
次の記事では、入院患者さんの排泄ケアを担う病院介護士の方にお話を伺います。
プロフィール

フリーライター
杉本恭子
すぎもと・きょうこ
京都在住のフリーライター。さまざまな媒体でインタビュー記事を執筆する。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)。

フォトグラファー
生津勝隆
なまづ・まさたか
東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。