世田谷記念病院は、回復期リハビリテーション病棟107床、地域包括ケア病棟39床を有する病院。高齢の患者さんたちが自宅復帰を目指して治療やリハビリを受けています。お昼になると、患者さんたちと病棟スタッフが食堂に集まってきます。
「牛乳やヨーグルトなら飲めるとか、甘いジュースなら飲みたいとかありますか?」
「ヨーグルトとかがいい」
「じゃあ、後でお出ししますね」
管理栄養士の粟田麻友さんは、聞こえやすいようにゆっくりした口調で、さりげなく患者さんが口にしやすいものを尋ねています。「今日はね、ハワイの料理なんですよ」と食事の説明をしたのち、「ぜひ召し上がってくださいね」と患者さんの背中にそっと手を添えました。言語聴覚士(ST)の守屋淳一さんは、嚥下機能が落ちている患者さんの食事介助をしています。患者さんが飲み込む様子を確認し一口で食べられる量をスプーンに乗せます。「姿勢が崩れるだけで飲み込みに影響が出る」と、座る姿勢や首の角度にも目配りを忘れません。同病院の副院長で医師の前田朝美さんは、看護師たちと話しながら、患者さんの情報を共有をしていました。
世田谷記念病院では、栄養部のスタッフを中心にお食事中の患者さんの元を訪れる「ミールラウンド」を行い、食の進み具合や食べ方、必要な栄養がしっかり摂れているかなどを確認したり、その方の嗜好やその日の体調を伺ったりしています。食堂とナースステーションを行き来するスタッフの様子から、多職種がフラットに連携して患者さんを見守る同病院のあり方が垣間見えるようでした。今回は、前田さん、粟田さん、守屋さんに病棟での栄養ケアマネジメントについてお話を伺いました。
<プロフィール>
粟田麻友(あわた・まゆ)
管理栄養士。世田谷記念病院 栄養部 係長。2014年同病院に入職。2020年より、平成医療福祉グループ栄養部教育学術課。
守屋淳一(もりや・じゅんいち)
言語聴覚士。平成横浜病院 リハビリテーション部 課長。2012年世田谷記念病院に入職。2023年より平成横浜病院を中心に勤務。
前田朝美(まえだ・ともみ)
内科・総合診療科。世田谷記念病院副院長。総合内科医として都内の大学病院に勤務したのち、同病院に入職。
低栄養状態の患者さんと向き合う
ほかの回復期リハビリテーション病院と同じく、同病院の患者さんたちも約半数が低栄養の状態で入院してきます。前田さんは、「急性期病院からご紹介いただく患者さんは、治療を優先したがために低栄養や廃用症候群に陥った方も少なくない」と言います。
前田さん「急性期病院で専門的な治療を受けて病気が治り、命は救われたけれど、栄養状態が悪く嚥下機能も落ちてしまった患者さんを、私たちの病院に『リハビリお願いします』と紹介されることもあります。ゆっくりじっくり患者さんを診て、病棟スタッフみんなで力を合わせて身体機能を回復してもらい、お家に返してあげるのが慢性期の治療だと思っています」
実は、前田さん自身も、大学病院の内科で診察していたときは、「栄養管理よりも、体調管理や治療を優先していた」と振り返ります。しかし、同病院に来てから「ひと口でもいいから食べられるようにできるだけのことをしよう」という思いが年々強くなっています。
前田さん「この病院に来て、食べられる喜びが、患者さんにとってすごく重要なんだと感じるケースをたくさん経験したんですね。食べられなかった人が、リハビリやきめ細やかな栄養管理によって食べられるようになってお家に帰られたり、ほんのひと口でも食べることで患者さんもご家族も喜ばれる姿を見たり。今は、体調が悪くても安易に禁食にしたままにしない、禁食の間も栄養を落とさないようにと考えるようになりました」
このような背景から、回復期リハビリテーション病院では入院時の栄養状態の把握が重要です。入院初日に、医師、看護師、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)、管理栄養士、薬剤師、ソーシャルワーカーなどが「合同評価」を行い、退院予定も含めて目標を設定。1週間後のカンファレンスで正式な目標・計画を立て、病棟のスタッフがそれぞれの専門的な立場から患者さんのケアにあたります。
では、病棟のスタッフはいつどんなふうにして、患者さんの栄養状態を診て把握しているのか、それぞれの視点と連携のあり方を詳しく聞かせていただきましょう。
患者さんの栄養状態を多職種で診る
医師は、カルテに記録された食事摂取量や、血液検査でアルブミンやヘモグロビン、コレステロールの値などを調べて栄養状態をチェックします。もし、栄養状態が落ちていたら管理栄養士に相談。必要な栄養量と患者さんが食べられる量を計算してもらいます。「この病院の管理栄養士さんは、患者さんの状態に合わせて、必要な栄養をどのように補うのかを提案してくれる」と前田さん。その提案を受け、食事や経管栄養剤の変更などのオーダーを行っているそうです。
管理栄養士は医師からの提案を受ける以前に、全患者の必要栄養量は合同評価時点で算出して提供内容を決定しています。粟田さんは「管理栄養士に対する期待や任せてくれる範囲が大きいからこそ、知識や技術も必要だと感じている」と言います。
粟田さん「医師の先生たちは付加食や栄養素のことをよくご存じです。具体的なオーダーをいただくこともありますが、ほとんどの場合は管理栄養士から食事の提案をしています。『経管栄養剤で下痢を起こしたから栄養剤の種類や投与方法を調整してほしい』『今の食事摂取量なら点滴を切っても大丈夫?』など、相談された案件に対して解決案を複数提案して判断してもらいます」
管理栄養士というと「厨房で調理する人」というイメージがあります。粟田さんも入職当時は、数ヶ月厨房業務を経験して調理師との信頼関係を築いてきました。今も厨房が忙しいときにはフォローに入っています。また、付加食や栄養素の追加を依頼するときは、その理由を説明して調理師の理解を得るように努めています。双方の連携が患者さんのためにより良いパフォーマンスを実現できると考えているからです。今は、同グループの栄養部の「管理栄養士はなるべく病棟にいて栄養管理をする」という方針に基づき、できるかぎり病棟で過ごすようにしているそうです。
粟田さん「病棟にいるだけで正確な最新情報をキャッチできるんです。『食欲がないらしい』『ごはんが硬いと言っていた』という情報が入るとすぐ患者さんに話を聞きに行ける。嚥下機能が落ちている可能性があれば、STさんに評価をお願いしたり、入れ歯に不具合があるなら歯科衛生士さんに相談して修理を依頼したりとタイムリーに対応できます」
嚥下機能の評価、安全に食べられる食形態や食べるときの姿勢を診るのはSTの役割。嚥下障害のある方のリハビリ、嚥下開始食のとろみ量の調整なども細やかに行っています。
守屋さん「水を飲んでもらって嚥下の状態を見たり、聴診器で喉の音を聞いたり。詳しく診るなら、造影剤を入れたゼリーや食物を食べてもらい、誤嚥の有無を観察する嚥下造影検査や、喉の状態や嚥下後の食物の様子を直接観察できる嚥下内視鏡検査も必要に応じて実施しています。これらの評価を行い、嚥下機能に応じた食形態やとろみの選定を行っています。」
医師は、薬の副作用で食べられない場合などは薬剤師に相談。うつや認知機能の低下が認められるときには、精神科の医師に診断を依頼することもあります。食事介助をする看護師や介護士、患者さん本人や家族からの聞き取った情報は病棟スタッフ全体で共有しています。
前田さん「どうしても食べられない場合や、必要な栄養が口からとれない場合、胃ろうや中心静脈栄養(TPN)の相談をします。患者さんの病状に沿って最終的な判断を下すこと、胃ろうや点滴が必要になったときにご家族や患者さんに説明することなどは医師の役割です。その判断をするためにも、患者さんに関わるすべての職種から意見を聞き、みんなで相談することが必要なんです」
胃ろうには「もう口から食べられない」「寝たきりになる」などと、マイナスイメージをもつ人もいますが、経鼻胃管栄養に比べて違和感や不快感が少なく、嚥下訓練や経口摂取を併用して行えるなどのメリットもあります。胃ろうは、食べるための重要な治療戦略のひとつでもあるのです。
ひと口でも食べてもらうために力を合わせる
患者さんの食が進まない理由はひとつとは限りません。味の好みや食べ物の好き嫌いから、「脳卒中の後遺症で手が動きにくい」「薬の副作用で食が進まない」など病気や治療に起因する理由までさまざまです。だからこそ、前田さんが話すように「患者さんに関わるすべての職種」で患者さんを診ていかなければなりません。
粟田さん「ミールラウンドでは、食べる姿勢や動作、むせ込みや噛みづらさはないか、どの食べ物は食べられて、何を食べ残しているか、など細かく様子を確認しています。ストレートに『食事が進まない理由はありますか』と尋ねることもありますが、食事をしている様子からヒントを得て、食べたいもの、食べやすいものは何か、なぜ食事が進まないのか、などを聞き取っていきます。『食事を用意してくれる管理栄養士に言うのは申し訳ない』と遠慮する方もいるので、看護師さんやリハビリスタッフなど他職種から聞いてもらうこともあります」
食事環境も「食べられない理由」になることがあります。周囲がざわざわしていると気になる人は静かな席のほうが食が進むそう。また、認知症や高次脳機能障害などがある患者さんは、注意散漫になるとむせやすい傾向があります。「食形態、食事の環境、食べる姿勢など、トータルで考えていく必要がある」と守屋さんは言います。
守屋さん「食事介助によって食べる量は変わることがあります。人によって食べ方も違うので、かきこんで食べてしまう方には、あえてお箸や小さいスプーンを渡して一口量を減らしつつ、その後の食事摂取量やむせ込みの有無を、看護師、管理栄養士と共に観察していきます。食べる姿勢の調整はPTに、食事動作の評価や自助具*に関してはOTに相談します」*動作の困難を補うための道具や装置。食事に関するものでは、握力が低下した人が持ちやすい箸やスプーン、むせやすい人が飲みやすいコップなどがある。
食事介助では、管理栄養士から「必ず食べさせてほしい」と言われたものは、できるだけ食べてもらうようにするなど食事内容にも配慮します。STが介入しない朝食と夕食のようすは看護師・介護士の声を聞いたり、カルテを確認したりしながら食事内容を検討していきます。栄養が充足すると、嚥下機能は改善しやすくなります。
守屋さん「嚥下機能を改善するトレーニングはたくさんあるので、少しずつ機能を上げて経口摂取につなげていきます。程度にもよりますが脳卒中後でも、舌や喉に麻痺が強く残っていなければ、リハビリテーションで筋力が改善することで食べられるようになるケースもあります。また、急性期病院で入院している間に、廃用症候群と低栄養が進行してしまうケースが多く見られます。管理栄養士に栄養バランスのアセスメント、STのほかにもPT・OTによるリハビリ、医師や薬剤師による薬の調整など、やはり多職種がトータルで診ていかなければなりません」
食べることは、人生のしあわせをつくっている
ランチを食べに出かけたり、家で料理をつくって食べたり、あるいは仕事の後に飲みに行ったり。「食べる」という行為はあまりにも日常のなかに根差していて、その大切さをふだん意識することがないほどです。同病院のスタッフは、その「食べる」を失う意味を深く受け止めながら患者さんに寄り添い続けています。
守屋さん「口から食べることには、食事を摂るときに感じる味や感情、家族団らんの思い出なども含まれるんじゃないかと思っていて。病気になってそれが失われるのは、その人の人生の一部を失うようなものだと思うんです。だからこそ、少しでも口から食べられるなら、その人の幸せのひとつになるだろうという思いでいつもリハビリをしています」
「家族と一緒に食事するときは患者さんの表情が全然違う」と守屋さん。あるとき、患者さんに「マクドナルドのポテトを食べたい」と言われたため、ご家族に買ってきてもらい一緒に食べたところ、その後から食事が進むようになったと教えてくれました。何がきっかけになるかわからないからこそ、病棟スタッフはその糸口を探し続けています。
粟田さん「七味や醤油のボトルをお渡しして、自分でかけられるようになったことで食事ができるようになった患者さんや、あんみつが食べたいと言われてすぐに購入して食べてもらったところ、それをきっかけに食欲だけでなくリハビリの意欲も上がった患者さんもいます。そのため、管理栄養士は食べたいものは何とかして用意するようにし、患者さんの食べるをサポートしています」。
ただ、患者さんの思いを大切にするからこそ葛藤する場面もあります。
守屋さん「たとえば認知症の患者さんの場合、ご家族が『せめて口から食べさせてほしい』と言っていても、ご本人に拒否されることもあります。僕らも食べてもらいたいけれど、こちらのエゴになっていないか考えないといけない。さまざまな方法を駆使したにもかかわらず食事量が伸びない患者さんもいます。本来であれば楽しいはずの食事が苦痛になってしまうのではないかと悩むこともあります」
こうしたケースに出会うたびに、病棟のスタッフは「何ができるだろうか」と議論しながら最善策を探ります。「この病院では意見を出すと『一度やってみたら』と背中を押してもらえる。今までダメと言われてきたことを試して成功するパターンも多い」と守屋さん。立場を超えて自由に議論できる環境は、「患者さんにとって一番だと納得できる」医療を実現する土壌にもなっています。
大切なのは「退院後、その人がどうなりたいか」
栄養状態が改善し、リハビリや治療の効果が出てきたら退院の日が近づいてきます。「退院後はどんな生活をしたいか」を患者さんから聞き取り、退院時までに達成したいゴールを設定。リハビリや必要な処置を行います。「あくまで患者さんが主体。私たちは『少しでも安心して退院できるようにサポートさせていただく』というスタンスで伝えるようにしている」と粟田さん。退院後の生活に感じている不安を一つずつていねいに取り除いていきます。
たとえば、自宅に帰ってからも続けられる食事の方法を計画したり、食事介助をする人がいるかどうかを確認したり。胃ろうをしている人ならどの栄養剤がいいのかなども決めて退院指導を行います。必要に応じて、ソーシャルワーカーと相談しながら、訪問リハビリや訪問看護なども検討。栄養面で不安なことがある人には、同病院からの訪問栄養指導も行っています。粟田さんは現在、数人の患者さんに訪問栄養指導を行っています。
粟田さん自宅で家族と食事するときに『自分だけ嚥下調整食を食べるのは嫌だ』という人がいたら、どのような食べ物であれば、家族と同じものを食べられるかなど、退院後も安全かつ楽しく食事ができるような具体的な提案を心がけています。すべて教科書通りの指導をするのではなく、体調を見ながら本人が納得できるところを一緒に探っています。また、困ったことやトラブルがあればキャッチして、訪問看護師さんやリハビリの人につなげることもあります」
「入院から退院まで、さらには地域のサポートまでしていきたい」と粟田さん。低栄養だった患者さんが体力を回復し、医療によって病気を直したり、リハビリによって体の機能を取り戻したりして自宅に戻ってからも、健やかでいられるように。そのためには、同病院のスタッフは病院の枠内にとらわれません。彼らが目指しているのは、病気や怪我を治した先にある「その人らしい人生を生きられる」ことなのだと思います。
次の記事では、病院の厨房で患者さんと病棟スタッフの食事をつくる、管理栄養士と調理師の方たちにお話を伺います。
プロフィール
フリーライター
杉本恭子
すぎもと・きょうこ
京都在住のフリーライター。さまざまな媒体でインタビュー記事を執筆する。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)。