人間にとって食べることは、言うまでもなく生命活動に必要なこと。食事から摂取した栄養素は、身体の機能を維持するためのエネルギーとなっています。同時に、食べることは生きる喜びであり、文化的な営みでもあります。おいしい料理をみんなで食べた味の記憶が人生に刻まれることもあるでしょう。
しかし、加齢や疾病により、味覚は変化・鈍化し、噛む力や飲み込む力、消化・吸収する機能も低下するため食事量が減りやすくなります。エネルギー量が減ると体を動かさなくなり、筋力や身体機能も低下。さらに食欲も落ちて栄養状態が悪化するという悪循環に陥り、「低栄養」になってしまいます。低栄養は、転倒や寝たきりのリスク、あるいは免疫機能の低下などを招きます。そのうえで大きな病気で手術をし、長期間点滴だけで過ごすと心身ともに大きなダメージを負います。
多くの回復期・慢性期リハビリテーション病院や介護施設を有する平成医療福祉グループにとって、低栄養は長年取り組んできた課題のひとつ。QOL*に最大限考慮してさまざまな栄養摂取方法を検討し、多職種連携による栄養状態の回復に努めています。
本特集では3本の記事にわたり、同グループの栄養管理の取り組みを取り上げます。今回は、同グループの副代表・北河宏之先生と栄養部部長・堤亮介さんにインタビュー。医療のにおける栄養管理の重要性、そして「口から食べる」意義についてお話を伺いました。
*Quality of Lifeの略。治療・療養生活を送る患者さんの生活の質のこと。
<プロフィール>
北河宏之(きたがわ・ひろゆき)
平成医療福祉グループ副代表。兵庫県出身。2010年、弥刀中央病院に入職。2014年、グループ副代表に就任。グループ医療事業部門において経営企画医師、また臨床部門、学校事業部門においても部門長を務める。共同編集した著書に『慢性期医療のすべて』(2017 メジカルビュー社)がある。
堤亮介(つつみ・りょうすけ)
平成医療福祉グループ 栄養部部長。管理栄養士。神奈川県立保健福祉大学卒業後、2012年にヴィラ南本宿に入職。2015年からは栄養部の業務を兼任し、施設・病院の厨房立ち上げに携わる。
※プロフィールの所属・肩書きは取材時のものです。
栄養摂取によって治療効果を上げる
回復期リハビリテーション病院に入院する人は、約半数が低栄養だと言われています。急性期病院で重大疾患や骨折の手術や治療を受けた患者さんを受け入れることも多く、なかには脳卒中の罹患後に摂食嚥下障害に陥る人もいます。脳外科医として勤務していた頃、北河さんは理学療法士(PT)や作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)と脳卒中の患者さんの予後を話し合うなかで栄養摂取の重要性を感じたそうです。低栄養のままでリハビリをすると、体は脂肪、さらには筋肉までも分解して、カロリーとして消費してしまうからです。
北河さん「リハビリで消費するカロリーを摂取できないと、筋肉をつけて回復するために一所懸命リハビリをしているはずなのに自分の体をどんどん消耗させてしまう。これでは、元も子もないわけです。患者さんの状態から『今は何が必要か』を見定めるのは、医師や管理栄養士の仕事です」
堤さんも、管理栄養士の立場から「病院では、栄養なくして治療もリハビリも効果が出ない」と話します。近年では、北河さんのように栄養ケアの重要性を認識する医師も増え、医学部における栄養教育の導入も検討されるようになりました。
堤さん「医師や薬剤師、他職種のみなさんも栄養の知識はありますが、栄養を食材に置き換えて調理の方法まで考えられるのは管理栄養士だけです。患者さんとの対話のなかで『これなら食べられるよ』という気持ちに寄り添いながら、必要な栄養と食材をつなぐ役割を求められていると感じています」
患者さんの栄養状態を知る指標のひとつに、血液中のタンパク質の60%を占める「アルブミン」があります。アルブミンには、血管中の血液量と体内の水分量のバランスを取り、また薬を体の必要な部位に運ぶ働きもあります。アルブミン値が低下すると血管外に水が溜まるなどの症状が出たり、薬の効果が悪くなったりします。
北河さん「栄養障害は、タンパク質の摂取不足や消化吸収障害によって起きます。つまり、栄養が不足すると、リハビリの効果も出ないし薬の効きも悪くなってしまう。そもそも、体力が落ちて体の機能も低下すると、患者さんの意欲そのものが出なくなります。場合によっては、一時的に高カロリー輸液を点滴したり経管栄養*を投与したりしながら、栄養状態を回復させることが必要な局面もあると思います」*経管栄養には、細い管を鼻から食道を通って胃に栄養剤を入れる「経鼻胃管」と、腹部に内視鏡手術などでお腹に開けた穴にチューブで胃に栄養を注入する「胃瘻(PEG)」などの方法がある。
「回復期の医療において、栄養管理は一丁目一番地」と堤さん。同グループでは、患者さんの栄養状態を回復させ、もう一度食べられるようにさまざまな工夫を行っています。
「口から食べる」にはたくさんの意義がある
同グループでは、嚥下が難しい患者さんには、嚥下開始食(ゼリー、とろみ状)、嚥下訓練食(ゼリー、ペースト)、介護食(硬さの異なるソフト食2種)を、病態や病気に合わせて評価して提供。できるだけ「口から食べてもらう」ことを目指します。
口から食べることにはたくさんの意義があります。ひとつは、咀嚼による唾液の分泌が促す口腔内の自浄作用。もうひとつは、食べる筋力と嚥下機能の維持です。箸やスプーンを持つ手指、口に運ぶときには腕や背中、噛んで飲み込むときには顔周りや舌、喉の筋肉など。意識しながら食べてみるとたくさんの筋肉が動くことがわかります。口から食べなくなるとこれらの筋肉が衰え、嚥下機能が低下して誤嚥*のリスクが高くなります。また、口から食べることは、消化器官の動きや粘膜を維持し、消化吸収や免疫の低下も防ぎます。
*食べ物や飲み物が食道ではなく気管に入ってしまうこと
どうしても口から食べられない場合は経管栄養が用いられます。同グループでは、半固形タイプの天然濃厚流動食(PEGペースト)をオリジナルで開発・製造。「通常の食事と同様の食材を入れて、胃や腸の生理的な機能を使うことは免疫機能を保つうえでも重要」だと堤さんは言います。経管栄養によって栄養状態が改善し、体力が回復したことにより、再び口から食べられるようになる患者さんもたくさんいるそうです。
堤さん「市販の経管栄養材は、粉末の栄養素で調整されているものが多いのですが、当グループのPEGペーストは完全に天然素材です。肉や魚などのタンパク性食品、にんじんや大根などの野菜、ごまやアーモンドなどの油脂性食品など、合計18種類の食材からつくっています。半固形タイプのものは、コストや配送・管理が難しいので今でもなかなかありません。グループ全体で使うことでコストを抑えて実現させています」
「口から食べる」には心に関わる意義もあります。食事は目も舌も喜ばせると同時に、人とのコミュニケーションの場をつくるものです。また、その人自身を育んだ土地の郷土料理や家族団らんの思い出も絡まっています。料理をつくるのが好きな人もたくさんいます。同グループが「口から食べる」を最後まであきらめないのは、食事を通して心身両面から生きる力を取り戻してほしいからなのです。
食事制限から栄養改善へ
従来の医療における栄養の取り組みでは、生活習慣病の予防や病気の重症化予防のため、減塩やカロリー制限指導に重きを置いてきました。しかし、近年では介護予防*の観点から、「食べる楽しみ」を人間の基本的欲求として肯定し、低栄養を防ぐことが推奨されています。高齢者の身体機能や生活機能を維持することは、QOLの向上にもつながると考えられるようになったからです。
*要介護状態の発生をできる限り防ぐ(遅らせる)こと、そして要介護状態にあってもその悪化をできる限り防ぐこと、さらには軽減を目指すこと(厚生労働省)
北河さん「学会などでも『食べられるなら食べたほうがいい』という流れに変わってきました。実際に生命予後のデータを見ると、痩せているより少し太っているほうがいいようです。高齢者の場合は、食が細って痩せていく方も多いので、食を制限して低栄養に陥るよりは、カロリーが補えている方がいいと思います」
北河さんは「どんなに栄養バランスが整った完璧な食事でも、口に入れてもらえなければ話にならない」と言います。たくさんの患者さんと出会うなかで、「最初のひと口を食べてもらう難しさ」を実感してきたからこその言葉です。
北河さん「ギリギリの状態で命を保っている人になんとか食べてもらいたいときには、その人にとって食欲をそそるものを用意してあげるほうがいいと思うんです。我々でも、ちょこっとだけ食べたらお腹が空くことってあるじゃないですか。たとえばジャンクフードでもいい。それがきっかけで食べられるようになれば元気になってくれる。リハビリもできて、治療やお薬の効果が上がるようになればいいと思います」
そんなときのために約50種類もの「付加食」を用意しています。ゼリーやプリン、ジュース類、麺類のほか、変わったところではたこ焼きやマグロの刺身、お菓子もアイスクリームやマドレーヌなどもあります。また、同グループの施設・病院では、2015年から365日3食をすべて異なるメニューで提供。郷土食や行事食なども盛り込み、食事を楽しんでもらえる工夫をしています。最近では、匂いや味の刺激が強いカップ麺なども試しているそうです。
北河さん「人間は、特に嗅覚を失うと味を感じなくなり食欲がわかないんです。嗅覚や味覚に異常があるときも、甘味の強いもの、柑橘系やスパイスを効かせた刺激のあるものならわかりやすい。スダチを絞るだけで素麺を食べられた方もおられます。また、亜鉛欠乏によって味覚障害が起きることもあり、注射や飲み薬、あるいは食事に入れて亜鉛を補うと食べられるようになるケースも見られます」
視力が衰えて色の薄い食事がおいしそうに見えない人は、色鮮やかな食事の方を喜ぶこともあるそうです。同じ食事を目の前にしても、患者さん一人ひとりの体の状態や病状によって、見え方も味わいも違うーーだからこそ、患者さんの要望を“わがまま”と決めつけずに、とことん寄り添う姿勢が求められます。
北河さんはじめ、病棟スタッフから「こんな食べ物を用意してほしい」という要望を集約し、グループ全体の取り組みへと体系化していくのは栄養部の役割。イレギュラーな要望にいつでも対応できるよう、近年は厨房の効率化に力を入れています。
堤さん「病棟スタッフからの相談にすぐ対応できるのがグループ直営食堂の強み。ふだんの給食はできるだけ効率化・省力化して、低栄養で状態が悪い人に何かしてあげたいときに、全力で手をつけられる体制をつくっています」
患者さんの様子を把握し、病棟スタッフとの連携を強めるためにも、「管理栄養士はなるべく病棟にいる方がいい」と堤さんは言います。栄養部では、数年前から厨房業務の改善に取り組み、管理栄養士が病棟での栄養管理に集中できる体制を整えつつあります。
患者さんの背景にある食文化を読み解く
人は自分が生きてきた時代、生まれた国や土地によって食べるものは異なり、家庭ごとの味付けや料理の方法も違います。さらに言えば、人それぞれに食べ物の好みもあります。それは、その人自身と深く結びついているからこそ尊重されるべきものです。北河さんは、患者さんがどのような食文化のなかで生きてきたのか、できるだけ読み解こうとしています。
北河さん「ペースト食を食べてもらうにしても、本当はスプーン1本だけで食べてほしくないんです。現実問題としては難しいけれど、少しでもつまめるものがあるなら、箸を使える人には箸を使ってほしいと思うことがあります。西洋化が進んだ時代に育っていないお年寄りは、箸がないから食べられない、味噌汁がついてないから食べられないということもあるんじゃないかと考えるんです。条件が許せば、きっかけがビールでも良いじゃないか、とも思っています」
患者さん自身の意思を尊重するため、同グループでは食事の持ち込みを許可しています。家族の手料理、好きなお店の食べ物などを食べて、栄養状態がぐんぐん回復する人も。ときには、3食すべて持ち込み食だけを食べる患者さんもいるそうです。
北河さん「人間にとって食べる楽しみは、人生の最後まで残る欲求のひとつじゃないかと思います。たとえ臨床は良くならなくても、食べたり飲んだりできるようになりたいという人もいます。僕自身も食べることは好きですし、人生の楽しみのなかに占める割合が大きい。患者さんに食べられるようになってほしいと思う背景には、そういう個人的な思いもあるかもしれません」
堤さんは、かつて老人介護福祉施設で働いていたとき、利用者の方たちは「最後に何を食べたいか?」を話し合っていたそうです。「最後の晩餐はやっぱりヒラメの刺身に日本酒かな」「私は甘いものがいい」「寿司かなあ」。その会話を聞きながら、医療のなかに「最後のときに食べられるように食欲を戻し、食べたいものを選べる環境をつくる」ことの大切さを感じていたそうです。
堤さん「リハビリや治療は、日常に帰るためのものだと思うんです。だけど、食事は『最後にこれを食べたい』『これを食べたいから治療をがんばる』という目標にもなれる。退院後の生活の基礎にもなる部分です。その意味を大切にできる管理栄養士でありたいし、栄養部でありたいと思っています」
今、私たちはあたりまえのようにお腹を空かせて、食べたいものを食べ、食べ物を飲み込んでいます。でも、いつか歳を重ねて、あるいは病気を患って、その「あたりまえ」をできなくなるときが来るかもしれない。同グループが目指しているのは、そんなときも患者さん本人の意思を尊重し、安全を守りながらできるだけ個別性のある対応をする医療です。
次の記事では、病棟の現場での栄養管理について、同グループ世田谷記念病院の医師、管理栄養士、言語聴覚士の方たちにお話を伺います。
プロフィール
フリーライター
杉本恭子
すぎもと・きょうこ
京都在住のフリーライター。さまざまな媒体でインタビュー記事を執筆する。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)。