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グループのシステム事業に管理者として携わる 原点は「ものづくりを通して人に喜んでもらいたい」という想い/システム事業部 副部長/才賀 明さん

システム事業部2020.07.24
システム事業部

グループのシステム事業に管理者として携わる
原点は「ものづくりを通して人に喜んでもらいたい」という想い

医療・福祉の現場をITでサポートする、システム事業部の才賀明さん。「実は特にコンピュータが好きなわけではないんです」と話す才賀さんですが、システムの仕事に長く携わり、さまざまな業界も経験されてきました。そんな才賀さんの経歴を中心に、仕事の喜びに目覚めたきっかけや、IT化過渡期のシステム事情など、興味深いお話が伺えました。ぜひご覧ください!

幼い頃から物作りに興味
今の興味はシンガーソングライター

こういったインタビューは今まで出たご経験は。

以前求人系の会社に勤めていたときは、何度か出ましたね。今もネットで見られると思います。

そうなんですね! 慣れてらっしゃるというか。

なので自分の顔と名前が出ることにはそんなに抵抗がないですね。

ご出身はどちらですか。

東京の世田谷区で、上祖師谷と呼ばれる辺りです。

小さい頃はどんなお子さんでしたか。

当時はファミコンが流行っていて、小学校の卒業文集で「ファミコンソフトを作りたい」って書いた記憶がありますね。

当時からそういったエンジニアに興味があったのですか。

というよりは、今もですけど、作るっていうこと自体が好きなんです。例えば工作とか、授業で言うと技術とか美術が好きで、基本的に勉強はあまりしてなかったです。

例えば理系教科が好きということもなく。

理系なんて意味わからなかったです! ずっとシステムに携わってますけど、特別システムやコンピュータが好きなわけではなくて、自分が作ったものを通して喜んでもらえる、感動してもらえるっていうところがいいんですよね。そういうことで言えば、最近はシンガーソングライターになりたいと思っていて。

えっ、シンガーソングライター!

以前弾き語りをちょっとやっていたことがあって、またやりたいなと思っているんです。

何かを作って喜んでもらう、ということにずっと興味があるんですね。では学生の頃スポーツに打ち込まれた経験などは。

スポーツはほとんどやりませんでしたね。集団行動が苦手で、部活は基本的に嫌いでした。だから1人で遊ぶことが多くて。ちょうどドラゴンクエストが流行っていたので、昼夜逆転するくらいやり込んでました。

中高時代はずっとそんな感じで過ごされて。

高校生になるとバイクが欲しくなって、そのためにアルバイトをして買って、第三京浜を走っていました。

ちなみにそれは暴走族的なことでは…。

よくそうやって言われるんですけど、どっちかっていうと、走り屋とまではいかないけど、バイクで走ること自体を楽しんでいました。今考えたら危ないなっていう走り方でしたけど(笑)。

高校を卒業してからの進路はどう考えていましたか。

まず、もともと大学に行ってまで勉強しようという気もなかったので、実務的なことを学んだ方が就職に有利かなって考えて、商業高校に入学をしていたんです。商業高校では簿記とかに触れますし、経理職で就活をしようと思って。結果的に、ドラッグストアの本部に採用になりました。

当時は早く就職したいという気持ちが強かったですか。

実は僕結婚が割と早くて、高校時代のバイト先のスーパーで、当時社員だった2歳上の奥さんと出会ってるんです。

じゃあ結婚もあって、なおさら早く就職しようという気持ちがあり。

ただ、卒業してすぐ結婚はちょっと大変かなと思ったのと、お金を貯めて結婚式も挙げたいねっていうことになって、結局は僕が21歳の歳で結婚しました。でも当時は早く結婚したかったですし、早く自立したいっていう気持ちは強かったですね。

実は希望していなかったシステムの仕事
FAXに悩まされたキャリアのスタート

ドラッグストアの本部に採用されて、経理の仕事に就かれたのですか。

ところが経理にいかせてもらえず、なぜかシステムに配属されたんです。

希望と違う部署に! そこがシステムとしてのキャリアのスタートになったと。

それまではパソコンに興味もなくて、触ったこともなかったですから。希望は経理だったし、当然そうなるものだろうと思っていたのに、いざ研修が終わって配属が発表されたらシステムになっていたんですけど「まあいいや」と思って。

当然ゼロからのスタートなわけですよね。

先輩が横について教えてくれましたし、大手がやってる有料の研修にも行かせてくれて、専門学校に行かずとも学べてラッキーだったなと思いました(笑)。

当時のドラッグストアではどういうところにシステムが導入されていたのでしょう。

基本的なところですね。発注や仕入れ、レジの売上管理とか。当時は各店に注文用の端末があって、それを通じて「トイレットペーパー ○ケース」という感じで発注するんですけど、在庫の関係もあって希望通りに納品できないときは、その結果をFAXで各店に送るんです。その頃は50店舗くらいあったと思うんですが、FAXを4、5台並べて発注結果を次々に流してました(笑)。

発注まではデジタルだけど、結果のお知らせは紙だったんですね(笑)。

まだシステムで知らせる術がなかったんです。FAXだと、向こうが紙切れしてたら送れないし、途中で紙が詰まったりもしますし「嫌だなあ」って思いながらやってましたね。

勤めていた間でどういうキャリアを積まれていかれましたか。

最初はプログラムが作れないので、2、3年目からそういった教育とか研修を受けて作れるようになってくるんです。そこで、作ったものを喜んでもらえた経験があって、すごい嬉しかったですね。そこで初めて「プログラマーって楽しいな」って思いました。

仕事の楽しさを感じられたのですね。例えばどういったものを作ったのでしょう。

例えば、商品部でやる商品分析や売れ筋の分析で使われたシステムですね。当時はExcelも世の中に無かったので、商品の売り上げデータを可視化するシステムを内製で提供してたんです。今なら、Excelや市販の売上管理ソフトを使えば簡単なんですけど、まだ会社にパソコンの台数も少なかったですし。

そこではどのくらい働かれたのですか。

6年経って離れたんですが、もっとプログラムの力をつけたいなと思うようになったんです。社内システムの仕事だけじゃなく、いろいろな会社にシステムを作って提供する、いわゆるベンダー(※)側になったら、さらにスキルアップできるんじゃないかと思って、転職することにしました。

※ベンダー:IT業界においては、ソフトウェアやハードウェア、システムなどを提供する側を意味する。

仕事の基礎を身に付けた
金融業界のお仕事

ではドラッグストアを離れ、今度はシステムを提供する側に移られて。

100人規模くらいの会社で、情報システムのソフトウェアを開発する、いわゆるソフトハウスと呼ばれるタイプの会社に入りました。大手とも仕事をしていて、僕は大手の証券会社のシステムを担当しました。

小売から金融業界と、また雰囲気も変わりそうですね。

硬いというか、やっぱり特にお金を扱う業界ですので、プログラムを作ってもバグは許されないし、テストもきっちりするし、スーツもバッチリ着ないといけなかったです(笑)。業界の中でシステムに一番お金を使ってるのは金融業界なんですよ。

IT投資が大きい業界なんですか。

銀行、証券、保険っていうのは、システムがないといろいろ仕事ができないわけです。僕はそこに10年いて、システム開発の基礎やプログラミング、設計、お客さんと話して要件定義(※)をすることだったり、っていうことを学んでいきました。今につながるベースは、そこで培ったと思います。

※要件定義:ユーザーが求める目的に基づき、その実現のために実装する機能や性能を明確にする作業。

技術的にも進んでいる業界と言えたのですね。10年勤めてどう感じられましたか。

ある程度はやり切ったというか、学べる技術は身に着けることができたと感じました。でもそこで思ったのは、ベンダーとして仕事をしていると、やっぱり「外の人」なんですね。お客さんのために仕事をするもやりがいはあるんですけど、外注の業者としてやれることはある程度枠が決まっている。だから、今度は自社のためにもっと深く仕事をしたいと考えるようになりました。

その違いは大きいですか。

例えば今みたいに社内にいると、仕事のスタートがざっくりしています。「こうしたい」っていう想いだけがまずあって、まずシステム化するかしないかの段階からの相談も多いわけです。

解決したい問題があって、システムとしてどう関わるかというところから。

解決策はいろいろあって、必ずしもシステムに限らないかもしれない。そういうところからもっと深くやりたいなと思って転職先を探していたら、求人系の会社から声がかかって、移ることにしたんです。

多くの叱咤激励を受けながらも
マネジメントの楽しさを知った

小売、金融を経て、今度は人材系の業界に。

社内システムの開発のマネージャーでした。8年半くらい勤めたんですが、最後の3年は部長という立場になりました。そこがかなりオーナー権限が大きい会社で、理念経営も強かったので最初は驚いたんですけど、オーナーのこともだんだん魅力ある人だなと感じるようになりましたね。

強烈だからこそ惹かれる部分もあったと。

そこに転職したことで、技術を学べた、ITの力が上がったって言うよりは、そのオーナーに精神的に鍛えられたところが大きかったかもしれないです(笑)。

では、けっこう詰められた経験も…(笑)。

最初はめちゃくちゃ言われましたよ(笑)! でもそれも、ユーザーファーストや理念を徹底するためっていうことが根底にありましたし、そういうことを叩き込まれて、心は強くなったと思います。その会社では「どこでも活躍できる人財を育てる」っていうことが理念として言われていたけど「嘘じゃないな」と感じるところはありました。

マネジメントが仕事の中心となったことについてはいかがでしたか。

今でもそうですけど、どちらかと言うとそっちが好きなんですよ。中期計画を作ったり、各部門と話してどういうものを作るか決めたり、部内のマネジメントに携わったり。部長として働いた最後の3年は、組織全体を見るとか、教育どう考えるとかを学ぶわけですよ。そういうことは面白くて。もう今ではプログラムを一から作れって言われても難しいですね。

しばらく離れると難しいものですか。

それもありますし、そこから離れたくてマネージャーをやってるのもあるので(笑)。ずっとプログラムを作っていたい人もいるし、以前この記事に出たシステム事業部長の千田さん(※)は今でもプログラムを作れるうえに、マネジメントもできるからすごいんですけど。

プレイングマネージャー的な動き方ができると。才賀さんは、そういう立場に実際に立ってみて楽しさに気がつかれたのですね。

もちろん、部長になるといいことばかりでなく責任も伴うので、ほかの幹部から強めの叱咤激励もあるし、それはそれで心折れそうになりながら。まあ結局折れませんでしたけど(笑)。そういう意味では鍛えられましたね。

そういった強めの叱咤を受けて、相手に言い返すことはなかったのですか。

最初はそういうこともありましたけど、それは意味ないなって思ったし、そう言ってくる人は必ずしも仕事ができるとも限らないというか、冷静に話せる人が最終的に残っていくんですよ。もちろんシステムが止まったりとか、障害が長引いちゃったりした時に言われるのはしょうがないんですけど。

復旧に努めるほかないですよね。

システムは障害がつきものなんですが、考え方は2つあって、まず起きないようにするっていうことと、起きそうになった時に予知できるようにするっていうことがあります。

そういったノウハウも、自身がマネジメントに携わるようになってから身に付けられたことですか。

それまで携わってたのはどちらかと言うとソフト面だったんですが、今度は「インフラ」って言われるようなハード面、ネットワークとかサーバーも見ないといけなくなるわけです。最低限、どういう仕組みになっているのか学んでおかないと、経営者には話せないじゃないですか。でも専門でやってる人からしたら「全然知らないよね才賀さん」っていうレベルだとは思うんですけど(笑)。

あらためて学ぶことも多かったと。

システムの仕事と言っても幅広いですから。その辺も満遍なく見ないと一生マネジメントには携われないので。高校卒業後は「勉強したくないな」っていう気持ちもあって大学に行きませんでしたけど、結局社会に出てからは、勉強しなきゃいけないことが多かったですね。

システム化の余地が大きい医療業界
グループのIT環境を「普通」にする使命

このグループに入職するまでの経緯はどのようなものでしたか。

当日務めていた人材会社はある程度IT化が進んでいて、同じ場所にいても今後やることが少ないと感じていて、ほかの業界に移ることは考えていたんです。そこで家族が長期入院したことをきっかけに、医療業界に目が向きました。

どんなことが気になりましたか。

システムの目線で病院内を見回すと、まだまだアナログな部分が多くて「もっと効率化できそうなところがあるな」と感じました。システムとしてやれることが多そうだなと。そのタイミングで、ちょうど転職エージェントを通じてこのグループから話をいただいたんです。

医療に興味を持ったタイミングに出た話だったのですね。このグループへの印象はどうでしたか。

とにかく「患者さん・利用者さんのため」っていう姿勢がいいなと思いました。ただ、面接で話を聞くと、システム化されていない部分が多い印象でした。でもそこが逆に伸び代だし、面白そうだなと思ったんです。面接の時言われたのは「6年くらい前までは、まだメールも使っていなくてFAXだったんですよ」って(笑)。

FAXに因縁がありますね(笑)。

それと、当時すでにグループ全体のスタッフが1万人以上いたんですけど、システムのメンバーは40人くらいと、規模の割に少なかったんですよ。かといって、外部に仕事を依頼しているわけでもなく、これはまずいなと思いました。

求められるシステムの仕事量に対して、人員が足りていなかったと。

グループの副代表から言われたのは「普通に仕事ができるIT環境にして欲しい」ということでした。やっぱり人数が少ないこともあって障害が多かったんです。

当時はすでに、現在のシステム事業部長の千田さん(※)も関わって、手を入れていた時期ではありましたか。

取り組んでいる最中でしたが、1人ではとても手が回らなかった。今は僕が副部長になって2人で管理していて、グループの大きさからするとちょうどいいです。千田さんはテクニカル寄りで、新しいことを取り入れる役割、僕はどちらかというとマネジメントとかベースを作る方で、重なるところもあるんですけど強みが違いますから。

ほかに取り組んだことはありましたか。

当時はまだ評価体制がなかったので、目標管理をして、それに対して評価をする仕組みを作りました。そういう体制がないことが、モチベーションの低下や人材が離脱にもつながって、さらにIT環境が不安定になるわけです。だから僕はバケツに空いた穴を塞いで、上から水を入れると。「その結果これくらいお金がかかりますけど、安定した環境が提供できると思います」とお話しました。

コストに対して、返ってくるものもそれなりに大きいということですね。実際に、「普通に仕事ができるIT環境」の整備に取り組んでみていかがでしたか。

3カ年の計画を組んで、まずスタッフの増員に取り組んだんですけど、人が入るまでが大変でしたね。ひと口にシステムと言っても、ネットワークに強い人、サーバーに強い人は別ですから、それぞれに集まってもらうところで苦労しました。今はもうメンバーは揃って、この3年で量は充足したので、ここからどう質を高めるかっていうのを考える、第2ステージに入っていますね。

より高いレベルのサポートを行うため
作りたいのは「コールセンター」

現在、才賀さん自身が取り組んでいるメインのお仕事はどんなことになりますか。

立場として2つあって、システム事業部の副部長として全体を見るっていうことと、サポート課の課長も僕が兼任しているので、その仕事ですね。

サポート課のお仕事はどんなことですか。

病院内のパソコンや電子カルテのトラブルに対応する仕事ですね。各病院に院内SE(システムエンジニア)が常駐して、対応してくれています。これからは、そこを変えていこうと思っているんです。

どのように変えようと考えているのでしょう。

病院ごとにいるスタッフの得意分野や能力は、当然それぞれ違うわけです。仕事の能力って、経験やセンスで人ごとにまちまちなになるものなので、バラつきがあるのは仕方ないにしても、担当者によって、病院ごとのサービスレベルに差が出てしまうのは良くない。だから、コールセンターのような機能を作って問い合わせ先をひとつにすることで、サービスレベルの標準化を図っていきたいんです。

院内でのサポート対応を常駐スタッフが行うのではなく、一律サポート課として受けられるよう機能を変えていくと。

サービスレベルを均一的に上げるには、個人の能力だけに頼らない仕組みを作ることが重要で、それにはコールセンター的な機能が必要だと思っています。まだまだ計画の段階ですけども。

必ず各病院などに常駐スタッフがいなくてはならない、ということもなくなるのでしょうか。

グループが拡大していくとして、それに比例して人も増やしていく、というのは必ずしも正解ではなくて、今いる人員でも結果的にサービスレベルが上がって、常駐コストが下がればウィンウィンだと思っています。そのために、地域ごとにスタッフを配置して、必要に応じて現場対応もしていきたいです。

今後ほかに取り組んでいきたいことはありますか。

今考えているのは、グループ全体のITリテラシーの向上です。

IT環境の整備もそうですが、ITへの意識についても向上に努めたいと。

医師が患者さんを診るっていう行為には、必ずしもIT環境がいらない、とも言えて、要は紙とペンでカルテを作っても別にいいわけじゃないですか。

規模によってはそれで事足りるところもあるかもしれませんね。

医療・福祉職の基本は、手を差し伸べて取り組む仕事ですし、なかなかパソコンに触れる機会がなかったというスタッフさんも多いと思います。ただ、サポート課に、パソコンの基本的な内容でご質問いただくことも多いので、そういった困りごともある程度は自己完結できるとスムーズですし、結果的にそれがお互いにとっていいことだなと。

具体的にはどのような取り組みになるのでしょうか。

FAQサイト(※)の作成や、マニュアルの充実、入職時の研修に取り入れる、といった取り組みを考えています。ノートパソコンが支給される役職もあるので、そのタイミングで研修をするのもいいかもしれません。現在は特に新型コロナウイルスの問題もあるので、なるべく対面でなくてもできるような方法を考えていますが、それで少しでもIT知識の底上げができたらいいなと思っています。

※FAQサイト:よくある質問(Frequently Asked Questions)と、その回答を用意して、疑問を解決するためのサイト。

アナログの「手当て」の良さを大切にしながら
デジタル化による効率アップを進めていく

今後もこうした取り組みで、IT化を進めていくと。

その際に、全てをデジタル化することがいいことだと言う人もたまにいるんですが、僕は必ずしもそう思わなくて、アナログとデジタル、やっぱり両方があることが大事だと思ってます。

どちらの良さも大事にしたいのですね。どういった意味でそう思われますか。

自分の話になるんですけど、最近人間ドックを受けて、内視鏡検査をしたんです。ちょっと辛い瞬間もあったんですけど、その度にベテランの看護師さんが「大丈夫ですか?」って背中をさすってくれて、そのことにめちゃくちゃ感動して(笑)。「手当て」ってすごく重要だし、本当に尊い仕事だなと思ったんです。

実際に手が触れることで得られる安心感はありますよね。

リアルの良さというか、寄り添うっていうことは大事だなと感じました。でも、デジタル化することで良く変えられるところもあるので、そのバランスですね。さっきのコールセンターの話も、全てをコールセンター化して現場には一切行きません、っていう話ではなくて、合理化とか標準化できる余地があるところは進めていこうということです。

合理化とか標準化と聞くと、単純にいろいろ切り捨てる、という印象になりそうですけど、そういうことではないわけですね。

標準化って、グループで大切にしている理念や取り組みを横に展開するっていうことですし、いいことだと思うんです。合理化にしても、例えば必要な物品の購入で無駄が出ないように、ほかの病院と一緒に購入して少しでも安くしよう、とか、グループだからこそできることじゃないですか。電子カルテを自社開発して各病院に導入するっていうことも、グループの規模があってこそできる取り組みですから。

コロナ禍だからこそ求められる
オンライン面会・オンライン診療の取り組み

最近では、新型コロナウイルスの影響でオンライン診療やオンライン面会の導入に取り組まれたそうですが。

まず先にオンライン診療をスタートさせました。緊急事態宣言があり、外来の受診が減っていた時期でした。患者さんとしても、外来を受診したいけど行けない、という状況でしたので、オンラインや電話で診療できたら便利だなと。今まで再診からしか認められていなかったのが、この状況なので初診から受けられるように変わりましたし。

それもきっかけになったと。どういったものを導入されたのですか。

GoogleのDuoというアプリを使うことにしました。「今日明日にでもできるよう、すぐに導入を」という状況でしたし、一からシステムを構築して、という時間はなかったので、世にあるサービスを組み合わせて提供しよう、ということで検討しました。

すぐ導入できて、広く使っていただけるもの、ということで決められたのですね。

みんなでいろいろアプリを実際に使って試しましたね。病院側にもiPadから電話をかけられるアプリを入れて、なんとか迅速に整備することができました。

オンライン面会はその後に行うことになって。

オンライン診療を導入したすぐ後に、介護福祉事業部の前川部長(※)から、特養や老健で、面会がずっとできずに寂しがっている方がたくさんいるので、オンライン面会ができないか、と相談をもらったんです。オンライン診療と同じシステムを使ったので、導入は早かったですね。早く使ってほしいと思って、iPadの設置とスタッフさんへの操作説明を、僕自身も何施設か回って行いました。

サイトに利用の様子を掲載していた施設もありましたけど、喜ばれた方も多かったみたいですね。

久々に顔を合わせたからか、泣きながらオンライン面会をされている様子を写真で見た時に、私も泣きそうになったし、やって良かったなと感じました。

どちらのサービスも利用を継続していかれる予定でしょうか。

引き続き活用してもらえたらと思いますね。オンライン診療については国の方針がまだ議論されているようなので、どうなるかわかりませんが、オンライン面会の方はずっと続けて使っていただければと思います。新型コロナウイルスに限らず、さまざまな理由で面会に行けない方も多いでしょうから。

距離であったり、ご家族の体調やお仕事など、事情はいろいろあるかもしれないですね。

いろいろな事情で直接行けないということはよくあることだと思います。でも、そういう時に顔を見て喋れるって大事ですよね。もちろん、直接会えたら一番いいとは思いますけど。

システム事業部として、今後の展望はいかがですか。

先ほども話したように、量は揃ったので質を向上していこうっていうことですね。システムに対して、投資という意味ではもうしっかりされていると思うので、その分の効果を最大化したい。グループ職員のみなさんに適切なIT環境を提供することで、結果として患者さん・利用者さんに適切な医療・福祉サービスが提供されるよう、IT面でサポートしていきたいです。

お酒を飲みたくて毎日11kmのウォーキング
憧れはミュージシャン

最後に、お仕事以外の話を伺います。いろいろと趣味が多いそうですね。

僕すごく日に焼けてるじゃないですか。それを見て「どこか行ったんですか」ってよく聞かれるんですけど、趣味がまず、サバイバルゲームで、週1くらいでやってます。それで日に焼けるのと、ウォーキングもやっていて、去年は1日平均約10km歩きました。

1年間毎日10kmですか! すごい!

スマートフォンのヘルスケアアプリで見てみると、2019年は1日平均10.5kmなんで、年間3,700kmくらい歩いてることになります。

すごい距離ですね。今年も継続中ですか。

今年は目標を1km増やして、1日11km歩こうとしています。結果的に、現時点で1日平均11.5kmくらい歩いています。

達成しているんですね〜。

これがけっこう大変なんですよ。朝夕と、お昼休み、休日を駆使してなんとか1日平均11kmを維持しています。

歩く時はお1人ですか。

1人ですね。うちでは保護犬を飼っていて、以前は一緒に歩いてたんですけど、さすがに距離が伸びてくると犬もそんなに歩きたくないみたいで、「こいつヤバいんじゃないか」って思うようになったのか拒まれてしまって、もう僕だけで歩いてます(笑)。

(笑)。そもそもそんなに歩くようになったのはどんな理由ですか。

健康のためです。お酒を飲むのもご飯を食べるのも好きなんだけど、歳をとると代謝が落ちて太ってくるので、それを少しでも抑えることを目的に。

なるほど、存分に好きなものを楽しむためなんですね。

でも最近は、それにしても11kmも歩くのもどうかなって思ってきてます(笑)。

お酒はかなりお好きですか。

好きですね。量を飲むしほぼ毎日飲んでいます。たまに記憶もなくしたり(笑)。

(笑)。人間ドックを受けたとおっしゃってましたけども。

それが結果は問題なかったんですよ。

すごい! どんなお酒がお好きなんですか。

ウイスキーと日本酒ですね。日本酒と蟹味噌とか、塩昆布の組み合わせが最高ですね。ご飯とかラーメンも好きなんですけど、太りやすいのでなるべく肉とか野菜、魚を食べるように心がけてます。でも酔っ払ってくると結局最後にラーメン食べちゃって、しかもそれを覚えてないこともあって(笑)。

(笑)。ちなみにインタビュー序盤で、以前弾き語りをされていたと話していましたけど、それはどこで披露されていたんですか。

誰にも披露していないです、20代当時から誰にも(笑)。

じゃあずっとご自宅でこっそりとやっているんですね。

だけど、なんでもいいから職業を変えていいよ、って言われたら、僕はミュージシャンになりたいんですよ。そんなになれる力もないし、音楽の成績もよくなかったけど、簡単な曲だったらできるなっていうので、ちょっとずつ独学で勉強しているんです。それを聴いて感動してくれる人がいたら、僕の人生は最高だなと思っています。

プロフィール

システム事業部 副部長

システム事業部 副部長

才賀 明

さいが あきら

【出身】東京都世田谷区
【趣味】ウォーキング、サバイバルゲーム
【好きなお酒とつまみ】ウイスキー、日本酒(と蟹味噌、塩昆布)