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ひとプロジェクト【第11回・前編】システム事業部長/千田 丈慈さん

ひとプロジェクト 千田さん
ひとプロジェクト 千田さん

きっかけは、自身に見つかった がん
医療への恩返しで取り組む、システムの仕事!

第11回となるひとプロジェクト。今回は、医療・福祉の現場をITで下支えする、システムの仕事を担当する千田丈慈さんです。高校を中退して起業〜倒産という異色の経験を持つ千田さん。平成医療福祉グループのシステム事業に携わるようになったのは、自身に訪れた命の危機からだったそうです。ぜひご覧ください!

パソコン売り場で勝手にコードを打つ!

―ご出身はどちらですか。

生まれは岡山なんですけど、すぐ東京に行ったので、出身はほぼ東京都中野区です。

―記憶としては中野の記憶ばっかりですか。

そうですね。新中野から新宿までの間が遊び場でした。

―都会っ子ですね〜。

でも小学生とか中学生の時は中野区から出てないんです。非常に物心が着くのが遅い子でした。

―引っ込み思案だったんですか。

う〜ん、多分周りにあんまり興味がなかったんでしょうね。遊ぶときも誘われたら行くけど、自分からは行かない。

―割と一人の世界で完結してたというか。

今も意識しないと人と触れ合わないですから(笑)。

―(笑)。システムの仕事に興味を持ったのも、そういったところからですか。

小学4年生の頃にパソコンと出会ってからですね。

―早いですね。ご家族に詳しい人がいたんですか。

誰もいませんでした。

―じゃあパソコン買ってもらって、勉強をされたとか。

いえ、当時まだ30万円くらいしたんでさすがに買ってもらえませんでした。そこでまず本を買いまして、それをノートにひたすら写経するわけですよ。で、当時中野駅前のマルイにパソコン売り場があって、そこに本で覚えたコードを打ち込む(笑)。

―えっ! 勝手にやってたんですか(笑)。

そう(笑)。打ち込んでは「動いた!」っていうのを日々やっていました。

―意外な学び方ですね。

それからまともなパソコンを手にしたのは中学生の頃でしたね。

―もともと研究家肌だったんですか。パソコン以外のことも熱中してたとか。

いや、そうでもなかったです。パソコンと出会って、初めて夢中になるものを見つけたという感じでした。

 

 

モテを動機に始めたあれこれ

―スポーツは何かやっていましたか。

色々と手をつけては辞めて、の繰り返しでしたね。無理言って剣道始めさせてもらってひと月で辞めたり(笑)。竹刀とか袴を用意してもらったのにね。

―決断が早かったですね(笑)。

中学校1年生のときはモテたくて軟式テニス部に入って、2年生のときはモテたくて生徒会役員をやりました。

―じゃあ立候補して演説もして。

そうそう、心にもないことを言って(笑)。その後、3年生の時は美術部に入りました。

―結果、それぞれはモテにつながったんですか。

いや、特にモテなかったですね〜。

―関係なかったと(笑)。千田さんのインタビューが載った本『フリーター漂流』(※)によると、高校時代は音楽活動に打ち込んでいたとのことでしたが、そのきっかけは。

それもモテたくてですね(笑)。

※『フリーター漂流』著/松宮健一(旬報社)。NHKスペシャルとして放送された同名の番組の書籍化。千田さんは高校中退後、フリーターから起業した経験について語っている。

―やっぱりそうなりますよね(笑)。

中学3年のとき、何を思ったか受験で一番大変なときに親からキーボードを買い与えられまして(笑)。そこから「音楽楽しい! キーボード楽しい!」ってなりましたね。

―当時はどんな音楽に夢中だったんですか。

え〜っ、恥ずかしいな(笑)。最初コピーしたのはレベッカです。そこから入って、ユニコーンとか、あとは岡村靖幸が大好きでしたね。

―まさに当時に人気が出始めていた方々ですね。そこからバンドを始めて。

でも、やっぱり他人に興味がないのであまりうまくいかず、一通り自分で全部楽器をやるっていうことになりました。

 

バンド活動に打ち込むも、一転して起業の道へ

―音楽に情熱とお金をつぎ込んで、結果的に学校を辞めるくらい熱中していたんですよね。

いえ、『フリーター漂流』ではちょっと端折られていますけど、そもそも高校自体に行きたくなかったんですよ。普通科に通っていたんですけど、本当は商業科に行って商売を覚えたいと思ってたので。

―もともとそういう想いがあったんですね。

中学時代に決めたこととして、会社を作って売って、仕事しない人生を歩もうっていうのがありました。そのためには普通科の高校に行って大学行ってだと時間かかっちゃうから、と思ってたんですけど、親からは普通科に行けと言われまして。

―そこが合わなかったんでしょうか。

そうですね。で、文化祭で劇をやることになったんですけど、その脚本を書くために学校に行かなくなり。

―え、書くために行かなくなったんですか(笑)?

家で脚本を書いて、放課後学校に持っていくっていう生活をしているうちに、学校に行く習慣がなくなり、そのうち出席日数が足りなくなり。

―じゃあ留年することになって辞めたんですね。

いや、留年したんだけど、やっぱり2回目は知ってる話ばっかりだからつまらなくて(笑)。

―そりゃそうですよね(笑)。

それで辞めました。

―そこからはバイトしたりバンドしたりでしたか。

そうですね、その時はあんまりコンピュータについてはやってなかったですね。

―当時はCDを作ったりとかっていう活動はされていたんですか。

CDは、まだインディーズで作るのが大変だった時代でしたね。なのでデモテープを作っていろんなところに送ってましたね。新宿JAMとか下北沢屋根裏とかによく出てました。

―どちらも今はなき老舗ライブハウスですね。

ストレイテナー(※)と対バンしたこともありましたね(笑)。

※1998年に結成された日本のロックバンド。2003年、メジャーデビュー。

―えーっ本当ですか! 恐らく2人時代のころでしょうか。ちなみにやられていたバンド名は?

それは恥ずかしいな(笑)。

―(笑)。それだけバンドをやっていたのに、そこから起業に結びつくのがすごいですよね。

そのバンドでレコーディングをしましょうってなって、軽井沢に車で行くときに、車をぶつけまして。それが借金の元ですね。それを一発で返すために起業を思いつきました。

―まさかの理由で起業されましたよね(笑)。

本にも書いてありましたが、その起業が一度失敗し、その後は今の仕事につながっていくわけです。

高校中退後の18歳、まだ起業する前の千田さん。暇だったため母親の仕事について行ったニューヨークの「Tavern on the Green」という高級レストランの前にて。

 

余命宣告を受けて開眼、グループに携わるようになるまで

―若くして倒産を経験して、あらためて事業を立ち上げたわけですよね。

結局は自分で商売するのはあんまり向いてないということに気がつきました。それよりは、誰かの仕事のために何かをやってあげる方が、相手も僕も幸せだよねっていう風に切り替わっていきましたね。その中で一番長いのは学校のシステムの仕事です。生徒一人ひとりの入学前から卒業後進路まで管理するっていうものを開発しまして。ほかにも広告の仕事なんかもやってました。

―そういった仕事をやりながら、平成医療福祉グループの仕事に携わっていくようになったのはどういった経緯があったんですか。

7年前にがんになったことが大きかったです。実はがんが発覚する前に、縁あってこのグループから「システムやWebサイトをちゃんと整えたい」っていう依頼を受けていたんですけど、一旦固辞していて。そうこうしてるうちに、舌にがんが見つかったんです。2011年の12月のことでした。さらにその前の1月に娘が生まれていてですね。

―すごいタイミングですね。

ドラマチックでしょ(笑)。がんが見つかったとき「ほっといたらどうなるんですか?」って聞いたら、「来年のお正月は来ないと思ってください」って言われました。それで「絶対この子の記憶に残るまでは生きていよう」って思って手術することにしたんです。手術で舌を切るから、それまでの間に食べたいもの全部食べました(笑)。ほら、首のここに手術の痕が。

―あ〜残ってますね。

手術によって味覚が変わったり失ったりするかもしれないっていうんで、とりあえず食いたいもん全部食っておこうって思って、2週間かけて豪遊しました。

―すごい(笑)! ちなみに何を食べたんですか。

えっと、確かキャビアだけは食べれなかったんですよね。当時、ネットで食べたいものリストを公開してて(笑)、それでみんな情報をくれました。ステーキを食べに行ったときは、店員さんに「これが僕が人生で食べる最後のステーキなんです」って言いました(笑)。

―言われた方も驚いたでしょうね(笑)。

そうしたら「ランチでは出さないお肉なんですけど、うちが出せる最高のお肉なんで、ちょっと高いですけどいいですか」って言って出してくれました。

―とてもいいお店ですね。

泣いてしまいましたね。だから毎年その時期になると、そのお店で「1年生き延びた記念」のパーティーをやってるんですよ。

―手術後、味覚はどうなったんですか。

変わりましたね。もともと辛いものが苦手だったんですけど、平気になったんですよ。でもそれ以外は変わってないですね。

―じゃあそこから回復して、グループの仕事に携わろうと。

手術後、集中治療室で目覚めて、「ああ、生き残った」って思ったんですね。ただ、しばらくは寝たきりで、しかも強力な薬のせいで寝られない、っていう状態が続きました。

―それはなかなか辛いですね。

その間ずーっと考え事をしてて、「生き残ったからには、この先の人生、医療に恩返ししなきゃいけない」って開眼したんです。だから、これはもう思し召しだなと思って、固辞してた依頼を受けることにしたんですよ。

―それがきっかけになったんですね。

それまでは全然医療とか福祉とか接点なかったですから。

 

社員でないことは必ずしも重要ではない

―今もご自身の会社もやり続けながら、グループに関わっているっていう状態なんですか。

はい、二足のわらじです。ただ、このグループの社員ではないんです。

―外部委託というか。

外注業者の人が、サービスを提供しに来ているっていう状態です。

―外注業者だけど、部長ではあるっていう(笑)。

そうそう(笑)。

―社員にならないのは、グループとほど良い距離感を保ちたい、みたいなこともあるんですか。

いや、それはないです。仕事に関しては、完全に中の人として、責任持って取り組んでいます。ただ、自分の会社の仕事もあるから、グループとしての通常の労働契約に乗って働くことが難しいので、そこを特殊対応してもらっているという状況です。今はそれでやれているので、特に変える必要もないかなというところで。

―グループの仕事にしっかりと取り組みつつ、ご自身の会社も両立するとなると、その形になるということですね。

そうですね。だから、僕にとって社員でないということ自体は、必ずしも重要ではないんです。
 


 
 

次回:「『千田はもういらない』と言われたい」。システム事業を牽引する、そのモチベーションとは!


 

後編は10月26日(金) 公開予定

 
 
 


profile


システム事業部 
システム事業部長 千田 丈慈(せんだ じょうじ)

【出身】東京都中野区
【職種】システムエンジニア
【趣味】焚き火
【好きな食べ物】タン塩
【好きなミュージシャン】Fatboy Slim(ビッグビートに影響を受けた)