「わたしは、人生の最期をどこで迎えたいのだろう?」。
特集「介護のプライド」4本目の記事のテーマを「看取り」に決めたときからずっと、この問いを胸に置いていました。両親を見送って以来、いつか迎えるその日を考えることは増えたけれど、「最期の場所」のイメージはまだ掴めていません。
厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査報告書」(2023年)には、「最期を迎えたい場所」に踏み込んだ設問があります。たとえば、認知症が悪化して身の回りのことに手助けが必要な状態になった場合、「介護施設で最期を迎えたい」と回答した人は53.1%、医師、看護師、介護支援専門職では約70%とさらに高い数値を示しています。
なぜ、多くの人は介護施設を「最期を迎えたい場所」に選ぶのでしょうか。
看取り介護に向き合う、神奈川県の介護老人福祉施設「ヴィラ神奈川」での取材を通して、その理由の一端が見えてきました。お話を伺ったのは、同施設の看取り委員のメンバー、看護主任・小泉由紀江さん、介護福祉士の加藤ユカリさん、高橋寿子さんです。
<プロフィール>
小泉 由紀江さん(こいずみ・ゆきえ)
看護師、ヴィラ神奈川 看護主任。急性期病院にて勤務した後、結婚退職。クリニックでの勤務を経て、2013年にパートとして入職。子育てが一段落したのち常勤に。看取り委員会のメンバー。
加藤 ユカリさん(かとう・ゆかり)
介護福祉士、ヴィラ神奈川 ユニットリーダー。従来型の特別養護老人ホームにて勤務した後、結婚・出産を機に退職。子育てが一段落したのち、登録ヘルパー、グループホームを経て、2013年にユニット型特別養護老人ホームとして開設したヴィラ神奈川に入職。看取り委員会のメンバー。
高橋 寿子さん(たかはし・ひさこ)
介護福祉士、ヴィラ神奈川 ユニットリーダー。特別養護老人ホームに勤務した後、2016年に前職時代の同僚の誘いを受けて入職。看取り委員会のメンバー。
看取り介護を導入するまでのこと
ヴィラ神奈川が、「看取り介護」に本腰を入れはじめたのは2024年のこと。キーパーソンとなった看護師の小泉さんは、以前から「最期までここにいたいというご希望があれば、私たちも一緒にいたい」と思っていたそうです。

小泉さん:積極的な治療は希望せず、自然な形で見送りたいと考えているご家族に「ここでは看取りができないから他に行ってください」と言うのは申し訳ない気がしていて。また、急変時に救急搬送先がなかなか決まらずハラハラすることもありますし、退院後は身体が弱って元の施設に戻れず、医療療養病棟のある病院や有料老人ホームを探して右往左往するケースも多く見てきました。最期のときを穏やかに過ごせないと利用者さんもご家族もつらいだろうし、「最期までここにいたい」と言ってもらえるなら、みんなで叶えてあげたいねという気持ちはありました。
看取り介護とは、医師に回復の見込みがないと診断され、人生の最終段階に差し掛かった人に提供するケアのこと。QOL(Quality of Life、生活の質)の維持や向上を主な目的とし、その人らしい最期を過ごせるように支援するとともに、そのご家族を支えることも含みます。
先述した「介護施設で最期を迎えたい」というニーズが高まるとともに、特別養護老人ホームなどで看取りを行うケースが増えています。こうした状況を受け、同省は2021年度・2024年度の介護報酬制度改定で、「看取り介護加算」*を見直し。中重度者・看取りへの対応の充実や、本人の意思を尊重した医療・ケアの方針決定支援を求めるなど、制度的な後押しを行いました。
*看取り介護加算 医師が医学的知見に基づき、回復の見込みがないと診断した利用者に対し、看取りケアを実施した場合に算定される介護報酬。施設基準や研修の実施などの算定要件が設けられている。
小泉さん:ヴィラ神奈川は、同じ平成医療福祉グループに属し、また横浜市内に立地する平成横浜病院と、協力医療機関として契約を結んでいます。以前から、お看取りの事例はありましたが、看取り介護加算に準じた看取り介護をはじめたのは2024年。当グループが、横浜市内で訪問・在宅診療を行う「おうち診療所二俣川」がオープンしたのを機に、「おうち診療所の在宅医療を利用して、お看取りをしてみませんか」との提案を受けてのことでした。
看取り介護の導入前には、数カ月をかけて全スタッフを対象とした研修を実施。医師から看取り期の身体の変化やACPについて学び、「看取り期の利用者さんにしてあげたいこと」を考えるグループワークなどを行いました。介護福祉士の加藤さんは、「スタッフが利用者さんに何をしてあげたいかを考えるという視点に斬新さを感じた」と言います。
*ACP(Advance Care Planning):「病気などにより意思決定能力が低下したときに備えて、今後の治療や療養について、患者さんの意向をかなえるために話し合うプロセス」と定義される。日本では「人生会議」という名称もある。

加藤さん:前職でもお看取りをしていましたが、あまり私たちが特別なことをする機会もなくて。利用者さんや家族さんのお話を聞いて、本人の希望を叶えるために最期の時間を使うという発想はなかったんです。研修を通して、そういうこともあるんだという受け止め方をしましたし、ただ静かに見送るだけではなくて私たちも何かできたらいいなと感じました。
家族のような他人だからできること
看取り期に入った利用者さんは、食事の量が減ったり、眠っている時間が長くなったり、少しずつ身体機能が低下していきます。自分の意思を伝えられる状態であれば、食べたいものや飲みたいもの、会いたい人や行きたい場所を本人に聞くことができますが、すでに意思の疎通が難しいケースも少なくないそうです。そういうときは、どんなふうに関わっているのでしょうか。
小泉さん:ご家族に聞いて、ご家族の希望で動いたりします。ただし「一緒に住んでいないからわからない」というご家族も多いので、スタッフ側から「こういうことをしてあげたいのですが、一緒にいかがですか?」と提案することもあります。
利用者さんを毎日を見守って過ごすスタッフは、ときとしてご家族が知らなかった一面を知る機会もあります。加藤さんは、食事が摂れなくなってきたときに「ワインが飲みたい」と言われた、100歳の利用者さんのエピソードを教えてくれました。
加藤さん:施設としてお酒はNGではないのですが、その方が普段から飲まれていたわけではなかったので、いきなり本物のワインではなく、スタッフがまずはワインボトル型のペットボトルに色を塗り、生まれ年を描いたラベルを貼ってぶどうジュースを入れました。用意したワイングラスに注いで「これなら飲める?」と聞くと、「やっぱりこれが一番ね」っておっしゃって、毎日ちょっと飲んでくださいました。ところが、ご家族は「母はお酒なんて飲んだことはないのに」とびっくりされたんですよ。他人だからこそ、言えることもあるのかもしれませんね。
スタッフは、ときとして家族の間でもつれてしまった絆をほぐす役割を担うこともあります。介護福祉士の高橋さんは、「みんなで100歳のお誕生日を祝った利用者さん」のことを忘れがたく思っています(前述の利用者さんとは別の方です)。

高橋さん:体調を崩して入院した後、施設で最期を迎えたいと戻ってこられた方がいたんです。退院してからちょうど12日目は100歳のお誕生日。介護士も看護師もみんなで「100歳までがんばろう!」と毎日声を掛けました。親子関係がこじれていた娘さんも毎日来てくださるようになって、だんだん確執がなくなってお顔も穏やかになられて。お誕生日は、療法士さんや栄養士さんも集まってみんなで盛大にお祝いしました。娘さんも、すごく喜んでくれました。
その利用者さんが静かに息を引き取られたのは、誕生日の二日後のこと。高橋さんは、のちに娘さんからいただいた感謝のお手紙を、今も折に触れて読み返しています。
「I am so happy!」と笑顔を見せた利用者さん
看取り期に入るとき、多くの家族はさまざまな葛藤を抱えます。「回復の見込みはない」という医師の診断を受け入れ難かったり、「病院で最期まで治療を受けるのか。施設で静かに看取るのか」に迷ったり。看取り介護をするスタッフはご家族と一緒に悩みながら、揺れ動く思いに寄り添うことになります。
加藤さんは、100歳を迎えてなお足漕ぎ車椅子で移動し、自分でトイレにも行っていた穏やかな利用者さんのお看取り介護で、「母の命を決めていいのか」と迷う娘さんの気持ちに向き合いつづけました。

加藤さん:車椅子からご自分でずり落ちて環椎骨折をして入院された後、こちらに戻ってから食べられなくなってしまって。なかなかご本人の意思が聞けない状態で、娘さんはすごく迷われていました。注射が大嫌いな方だったので、病院での最期は希望していないんじゃないかと思う一方で、お母さんの延命治療をしないと決めることもできず、すごく葛藤されたんですね。
それでも利用者さんは、ひとり暮らしの娘さんを気づかって、お見舞いに来られるたびに「だいじょうぶ?」とやさしく声をかけておられたそうです。だからこそ娘さんは、「母はまだ話せているのに、最期が近いという実感がわかない」と受け止めきれなかったのです。
加藤さん:相談できるご家族もおられず、おひとりで悩むだけ悩まれて。そんなとき、ある男性利用者さんがお誕生会を過ごされた当日のうちに亡くなられたケースがあって。「ぎりぎりまでお話しされる方もいらっしゃいますよ」とお伝えしたら、娘さんはちょっとびっくりされて、ようやく「本当に看取りの日は近いんだ」と思われたようです。
娘さんがヴィラ神奈川でのお看取りを決めると、すぐにスタッフは動きはじめました。まだお元気だった頃、「一度でいいから娘が住んでいる家を見たい」と言われていたことを娘さんにお伝えして、車で連れていくことにしたのです。リクライニング車椅子では家のなかには入れないけれど、「せめて家の前まででも」という思いでした。

小泉さん:事務所の前で車を待ちながら、「今から娘さんのお家に行くよー」と言ったら、利用者さんはすごくうれしそうに笑って「I am so happy!」とおっしゃったんですよ」。
加藤さん:お家を見て、娘さんと一緒に写真を撮って。ここに戻ってからも娘さんとお話しして、ずっとニコニコしながら娘さんを見ておられました。そして、娘さんが帰って30分後、夕食時に顔色が変わっておられて。その日のうちに亡くなられました。娘さんと一緒に、スタッフも悩みに悩んだお看取りでしたが、今思い出せるのは最期まで笑顔でいらっしゃったことなんです。
ACPは、一度決めたらその通りに進めるのではなく、何度も話し合うプロセスそのものだと言われています。ヴィラ神奈川での看取り介護は、利用者さん本人を中心に置いて、ご家族やスタッフがその意思を尊重してそれぞれが大切にしたいことを重ね合わせていく、ACPのプロセスそのものに思われました。
利用者さんにとって「家族」みたいな存在になりたい
実は、看取り介護をはじめたとき、スタッフからは消極的な声もありました。とりわけ、人の死に立ち会った経験が少ないスタッフが、看取り後の居室に入ることをためらうこともありました。しかし、お看取りを重ねるごとに「もっとこうしてあげたかった」という気持ちが残り、スタッフの気持ちに変化が生じてきたそうです。
高橋さん:お看取りの方がいると、スタッフのなかに「何かできることをしてあげよう」という雰囲気が自然に生まれるんです。時間が許すかぎりみんながその方のお部屋に行って声をかけたり、動けない状態が続いているなら体位変換や口腔ケアをていねいにして、いつお見舞いの方が来てもいいようにきれいに整容をしてあげようとかね。
3人とも、利用者のみなさんのことをまるで家族のように親しみをこめてお話しされていましたが、お看取りをつらく感じることはないのでしょうか。

小泉さん:お看取りの後、振り返りシートに記入したことをもとに、それぞれが考えていたこと、思い出を話しあうデス・カンファレンスで、いったん区切りをつけています。それでも落ち込んだときは、ご家族にいただいたお手紙や亡くなった利用者さんと撮った写真を見返して、自分の気持ちを建て直しています。
高橋さん:「この施設に入れてよかった」「ここで最期を迎えられて良かった」という言葉をいただくと、もうご家族と一緒に泣いてしまって。私も「ここで働いていて良かったな」と思えるんです。
取材を通して、強く感じたのは介護と看護のタッグの強さ、さらには相談課、栄養課、リハビリテーション課までが一緒になって看取り介護に取り組むチームの力です。「小泉さんは、介護側の気持ちをすごくわかってくれる看護師さん」と高橋さん。その声に、信頼の厚さを感じました。
小泉さん:急性期病院に勤めていた頃は、治療という立場で患者さんに関わっていました。でも、この施設に来てからは、利用者さんにとって家族みたいな存在になりたいと思うようになりました。グループの理念が「じぶんを生きる を みんなのものに」へ変わってからは、「ここはお家なんだから、お家にいるのと同じようにどんなことをしてもいいよ」とみんなが思えるようになって。「利用者さんやご家族が喜んでくれるなら、どんなことでもしていいんだ」という意識に変わってきています。

「これからやりたいことはありますか?」と聞いてみると、現在計画中の「おめかしレク」について教えてくれました。ドレスアップしてお化粧をした利用者さんを、写真が趣味だという施設長に撮影してもらう、という企画です。すでに、すてきな洋服の寄付を募ったり、アクセサリーを集めたりと準備を進めているそうです。
晴れ姿の利用者さんについて話しているとき、3人はとてもうれしそうでした。そのようすを見ていて、冒頭に書いた「わたしは、人生の最期をどこで迎えたいのだろう?」という問いの答えがおぼろげながらも見えてきました。たぶん、「どこで」という言葉には「どんな人たちがいて、どんなふうに関係を結んでいるのか」をより多く含むのではないでしょうか。そう考えると、今回お話を伺った、小泉さん、加藤さん、高橋さんのようなスタッフに出会って、「最期までここにいたい」と言われる利用者さんの気持ちを理解できる気がしました。
介護という仕事の魅力、介護技術、介護職のキャリア形成、そして看取り介護ーー特集記事「介護のプライド」では、「介護の現場で起きていること」にフォーカスを当てながら進めてきました。それぞれの取材のなかでは、「人と人がていねいに関わる」姿であり、その関わりから「じぶんを生きる」をはじめる背中を見せていただきました。平成医療福祉グループの理念「じぶんを生きる を みんなのものに」は、一人ひとりのスタッフ、一人一人の利用者さんがそれぞれに、お互いにていねいに関わりあうことから、現実になりはじめるのだとわたしは思います。
プロフィール

フリーライター
杉本恭子
すぎもと・きょうこ
京都在住のフリーライター。さまざまな媒体でインタビュー記事を執筆する。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)、『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』(晶文社)など。

フォトグラファー
生津勝隆
なまづ・まさたか
東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。





