高齢化社会の進展や家族介護の限界などから検討が進み、日本で介護保険制度が施行されたのは2000年4月1日。その後も高齢者数は増え続け、2000年に約2,200万人だった65歳以上の人口は、2024年には約3,600万人(全人口の約3割)に。65歳以上の要介護・要支援認定者数は約220万人から約710万人と3倍超に急増しました*。それに伴い、介護職に従事する人も増え続けていましたが、2022年をピークに減少傾向となり、その後は下げ止まった状態で、全国的に求人が求職を大きく上回る状態があります。
介護職が増えない要因としては、低い給与水準や身体的・精神的負担の大きさ、社会的評価の得られにくさといったさまざまな課題が考えられます。そのなかでも介護職に就く人たちには、介護の仕事に魅力を感じながらも、管理職になる以外のキャリアアップの道筋を描けず、長く働けば働くほど、キャリア上の目標に迷いが生じやすい傾向があるのではないでしょうか。
介護を一生の仕事とするために、いったいどうキャリアと向き合えばいいのでしょう。35年前に介護士として働きはじめ、介護業界の変遷を見続けてきた、和歌山県海南市の介護老人福祉施設「緑風苑」副施設長でケアマネジャーの甲斐靖久さんに、仕事を続けるなかで見つけた目標ややりがいについて伺いました。
*介護保険制度の概要(令和7年7月 厚生労働省老健局)
<プロフィール>
甲斐 靖久(かい・やすひさ)
社会福祉法人和生福会 緑風苑 副施設長、ケアマネジャー。1991年、20歳のときに和歌山県内の特別養護老人ホームに就職し、介護の世界へ。介護士として10年、系列のデイサービスの職員として10年、ケアマネジャーとしてさらに10年勤める。2021年、緑風苑に入職。2026年4月に副施設長となる
利用者さんや職員との関係性を大切にする

「〇〇さん、おはようございます! 食欲戻ったみたいだね。何か困ったことがあったらいつでも言ってください」
「おはようございます! 〇〇さん、目やにの具合はどうですか? 良くなってきたみたいけどまだ気になるかな」
朝8時。甲斐さんは、介護記録や看護記録を確認したうえで、施設長とともに、全フロアをラウンドします。「一般的に、施設のケアマネジャー(介護支援専門員)は必ずしも、毎朝利用者さん一人ひとりに声を掛けて回るわけではない」と言います。
甲斐さん「そんなにすばらしいことをやっているつもりはないんですよ。単純に、この年になると利用者さんの顔と名前をなかなか覚えられなくて(笑)。声掛けをしていると、記録にもしっかり目を通すようになるし、顔と名前を覚えられるから行くようにしているっていうだけなんです」。

これが結果的に、利用者さんの信頼を得ること、職員との関係性づくりにも結びついています。
甲斐さん「僕は利用者さんが、家で暮らすときと同じように、周りの人に少しでもわがままが言えて、そのわがままを叶えられる施設がつくりたい。だから利用者さんには『何かあったらいつでも甲斐を呼んで』と伝えています。これは職員に対しても同じです。信頼関係ができていれば、向こうも相談しやすいし、僕も話を聞いてもらえるじゃないですか」。
確かに職員のみなさんも、通りがかりであれば事務室までわざわざ行くよりも気軽に相談することができます。利用者さんも甲斐さんの名前を覚えて、ご指名で相談してくれるのだそう。顔を覚えるためにはじめた朝の挨拶まわりは、今では施設全体の関係性づくりのカギになっています。

驚いたのは、甲斐さんがベッドや車椅子の修理もしていること。「昔は自分で直すのがあたりまえだったから」と手慣れた様子でやってのけていました。ショートステイの送迎、受診の付き添いなども、「ケアマネジャーの業務範囲」にこだわらずに進んで引き受けているそうです。
甲斐さん「受診の時だからこそ、ご家族と深い話ができることもあるんです。『認知症を発症される前はどんな方だったんですか?』『今後、状態が悪くなっていくと思いますが、どうしたいと考えておられますか?』と聞いていくと『実はうちのお母さんは…』と思いがけないお話が聞けることもあります」。
ご家族との会話は、日々の利用者さんの言動を理解してよりよいケアにつなげるヒントになります。また、より広い視野に立てば、ACP(Advance Care Planning*)の一環としても大きな意味をもちます。甲斐さんにとって大事なのは「利用者さんのためになるかどうか」。だからこそ「業務範囲」からはみ出てしまうのではないかと思いました。
*ACP: 「病気などにより意思決定能力が低下したときに備えて、今後の治療や療養について、患者さんの意向をかなえるために話し合うプロセス」と定義される。日本では「人生会議」という名称もある。
おむつ外しとの出会いが、介護という仕事への意識を変えた
介護職からケアマネジャーの資格をとり、今は副施設長という管理職に就いている甲斐さんですが、「これがキャリアアップのお手本だとは思いませんし目指していたわけでもありません」と言います。ここで一度、甲斐さんのキャリアパスを振り返っていただきましょう。
甲斐さんが特別養護老人ホームで働きはじめたのは20歳のとき。それから35年間、介護の仕事との向き合い方はどのように移り変わってきたのでしょうか。
甲斐さん「母親の実家がお寺で、子どもの頃から養老院への慰問や音楽隊の活動などに参加していたので、人と関わる仕事がしたいと思うようになりました。最初は児童養護施設で働きたいと考えて保育系の専門学校に進学しました。その学校から特別養護老人ホームでの研修に行ったとき、僕は大したことは何もしていなかったのに、最終日に利用者さんが僕の両手を握って『ありがとう』と言ってくれたんです。なんだか感動してしまって。これからは介護職も必要だと言われはじめていた頃でもあったので、介護の仕事もいいなと思いました」。
最初に勤めたのは、前職の特別養護老人ホーム。当時は、65歳以上で要介護1以上であれば入居できたため、身体や認知機能の低下が軽度な方もたくさんいました(現在は、原則として要介護3以上が入居条件とされています)。
甲斐さん「20歳そこそこの若い職員は珍しかったので、実の孫みたいにかわいがってもらって。そのおかげで、毎日本当に楽しかったです。ただ、当時の僕は業務をこなしていただけでした。決まった時間におむつを交換して、食事介助をして、レクリエーションをする。おむつもまだ布で、ごわごわのゴムパンツのなかに何枚も重ねて、汚れたら1枚抜くのが普通のことでした。そのことに対して何も疑問を感じていなかったし、嫌だとも思っていなかった。だから『いい介護をしてきました』とはとても言えません」

その意識が変わったのは、2005年に全国老人福祉施設協議会主催の「おむつ外し(おむつゼロ)」の講習を受けたとき。おむつ外しとは、利用者の尊厳を守り、身体的苦痛を軽減するために、水分摂取・常食の提供・適度な運動・自然な排便を促すケアなどを軸として「おむつでの排便ゼロ」を目指す取り組みです。さまざまな施設や病院で実践されています。
甲斐さん「それまで、身体機能が低下した高齢者は車椅子かベッドに寝たきりで、トイレにも行けず、おむつをするのが当たり前だと思っていました。でも、きちんと生理学などを学んだうえで、下剤を抜いたり、水分量を管理したりすると、車椅子だった方が椅子に座り直せるようになり、おむつをしていた人がトイレで排泄できるようになり、立つこともやっとだった人が歩けるようになっていったんです。僕が当たり前だと思っていた光景は当たり前じゃなかった。利用者さんが元気になっていく姿を目の当たりにして、介護という仕事が楽しくてしかたがなくなりました」。
緑風苑ならやりたいことをやらせてもらえる
利用者さんの変化を通じて、甲斐さんのなかで、介護の目的は「利用者さんの生活の基礎を守ること」だということがはっきりしました。
甲斐さん「担当者会議では、直近1週間と3カ月前の水分量を並記してきちんと水分が摂れているかを確認しています。水分補給と食事量のベースができていないと、おむつ外しもできないからです。まずは朝起きて、ご飯をちゃんと食べて、ゆっくり眠れることを保証する一日をつくるのが、ケアマネジャーや介護士の役目。そこに気づけたのは、やはりおむつ外しを通じて知識や技術を得たから。理論をしっかり学んだうえで実践すれば、きちんと結果はついてくるんです」。
とはいえ、おむつ外しはそれまでの常識では考えられなかった取り組みです。当時は、ほかの職員さんを巻き込むことにとても苦労したそうです。看護師さんや理学療法士さんを根気よく説得して仲間をつくり、介護度の低い利用者さんから実践して成功例を積み上げていきました。それでも反対意見は根強く、「10年続けても施設全体の理解を得るのは難しかった」と甲斐さんは振り返ります。
実は、この経験は緑風苑に転職するきっかけにもなっています。甲斐さんが緑風苑に関わるようになったのは約10年前。前職の施設で管理職に昇進したとき、「現場の仕事も続けたい」と週1回のアルバイトに来るようになったのです。
甲斐さん「緑風苑でも、利用者さんはおむつをしていたんですね。あるとき、とある利用者さんが(おむつのなかの便を)触って大変だという話をしていて。僕は『トイレに連れて行って便座に座るようにしたらどうですか』とおむつ外しの提案をさせてもらったんです。それを実践している途中で僕はいったん辞めたんですけど、しばらくしてまたアルバイトに戻ったら、僕が提案したおむつ外しの取り組みは継続していて、グループ学会でも発表してくれていたんです。この施設は週1回しか来ないアルバイトの意見も聞いてくれるんだと思って。正式に働かないかと誘っていただいたときも、ここだったらやりたいことをやらせてもらえるだろうと思いました」。

こうして甲斐さんは2021年に緑風苑に転職。50歳を超えての転職は「勇気がいりました」と笑います。しかし「やりたいことをやらせてもらえるだろう」という確信どおり、甲斐さんは自分の目指すケアのあり方を形にし、理想とする施設づくりをのびのび進めています。
甲斐さん「平成医療福祉グループは、バックアップ体制がすばらしいです。現場の主任がいて、マネージャーがいて、ケアアドバイザーがいる。人材の層が厚くて、ポジションごとにちゃんと信頼して託してくれて、成長していくように見守ってくれているんです。おむつ外しも、朝の挨拶まわりも自由にさせてくれている。そこがグループの懐の大きさだなぁと思います。自由な分、責任も大きいので気が抜けないというのもあるんですけどね」。
大切にしているのは「まずやってみる」という姿勢
甲斐さんは2001年にケアマネジャーの資格を取得。緑風苑でもケアマネジャーとして採用されました。かつては介護福祉士として経験を積んだのち、ケアマネジャーの資格を取得するというのがキャリアアップの流れとしてありました。
甲斐さん「介護福祉士は、利用者さんの真横でケアができる仕事。一方でケアマネジャーは、一歩下がって全体を見る仕事です。僕は、ケアマネジャーになってはじめて、利用者さんの周りにいる介護士さんや看護師さんなど、いろいろなスタッフの存在が目に入るようになりました。それは資格を取ったからこそ生まれた視点です。現在は、介護福祉士が必ずしもキャリアアップとしてケアマネジャーを目指すことはなくなっていますが、僕自身はこの資格を取ってよかったなと思っています」。

介護福祉士とケアマネジャーという両方の視点をもつ甲斐さん。基本的なケアプランを作成した後、担当者会議で職員としっかり話をして、どんなケアを提供するかを具体的に検討することにも力を入れています。
甲斐さん「たとえば、ケアプランには『トイレ介助します』という文言しか書いていません。そこで僕は担当職員と『どんなやり方でする?』と話し合っていくんです。立ち上がりが難しいという話になったら、パイプで手すりをつくって設置してみることもあります。手すりをつけてみて、よかったら続ければいいし、ダメだったらすぐ外してねということにしておけばいい」。
甲斐さんが大切にしているのは、「まずやってみる」という姿勢です。
甲斐さん「普通は失敗しないように事前にたくさん議論すると思うんですけど、僕はやりながら軌道修正して正解を導くほうがうまくいくと思っているんですね。特に職員から提案があった場合は、可能な限りやってもらうことにしています。たとえうまくいかなかったとしても、提案した職員の表情は確実によくなっている。僕はある意味、それも成功といっていいんじゃないかなと思うんです。職員も自分の提案したことだったら責任をもって見てくれるし、修正にもすぐ対応してくれます。僕自身がおむつ外しに出会って取り組ませてもらったことで介護の仕事が楽しくなったので、同じようにしたいんです」。
一方で、副施設長としては「管理職として職員のスキルを認める力をつけて、きちんとキャリアアップできる環境をつくりたい」と考えています。施設として介護の知識や技術を高める努力を評価することは、職員のモチベーションを高めることにもつながります。
甲斐さん自身は、学んだ介護の知識や技術を同僚に伝える勉強会を企画し、自らのスキルアップと施設全体の底上げにつなげてきたそうです。これまで、職員向けに「水分の大切さ」と「看取り」の勉強会を、ご家族には「看取り」についての説明会を開催しました。
甲斐さん「勉強会は、自ら得た知識やスキルを業務に生かしたり、実施したりするのに一番有効なんです。伝わるように原稿を書いて推敲を重ね、見やすい資料にまとめていくなかで、知識はより深まりますし、介護に対する解像度も自然と上がります」。
勉強会や説明会を通じて企画者自身が成長し、参加した職員は学びを深めて、より良い介護を提供できるようになる。それは、結果的に利用者さんのためにもなっているのです。
「悔い」を受けとめることがより深いケアにつながる
緑風苑自体をより良い施設にしていくために、今後、特に力を入れたいと考えているのが「看取り介護」です。すでに、看取り委員会の立ち上げも計画しています。
甲斐さん「自宅で最期を迎えたいと望みながらも、家族には迷惑をかけたくないといった理由で病院や施設を選ぶ人もいます。施設と家の違いは、『これが食べたい、あれがしたい』とわがままが言えるかどうかです。では、施設が家の代わりになるにはどうしたらいいのでしょうか。たとえば、普通食を食べるのが難しい方が、どうしてもここのパンが食べたいと言われたときに『じゃあ僕の目の前で食べるようにしましょう。危ないと思ったら僕がすぐ取りますから』と言えるかどうか。そんなふうに、できる限り利用者さんの思いを受け入れて、その人に寄り添ったケアや看取り介護をしていきたいと思っています」。
緑風苑では、看取りの後、関わった職員が集まり、最期の様子や提供したケアを振り返る「デスカンファレンス」を実施し、記録にまとめて回覧しています。また、グリーフケアも兼ねて、担当職員からご家族に手紙を書いてお渡ししたりもしているそうです。

甲斐さん「看取りは職員にとっても辛いものです。でも僕は亡くなることは自然の流れであり、それを否定したくはないんですね。だからできたこと、できなかったことを語ってもらい、記録の最後には、したことをすべて肯定する形でコメントを綴らせてもらっています」。
死との対峙は重たいことですが、同時に深い気づきや学びもあります。利用者さんの死を受けとめ、自身の感情としっかり向き合うことから、介護という仕事についてもより深く考えることができるようになります。
甲斐さん「特に『悔い』を受けとめることが大切なんですね。それがこの先のいいケアにつながるし、一人ひとりの成長にもつながっていく。それは、人生の最期に寄り添う看取り介護という仕事でしか経験できない、介護という仕事の魅力なのだと思います」。
35年間、介護の仕事に携わり続けてきた甲斐さんは、自分が取り組んだことで利用者さんが少しでもその人らしく過ごせるようになっていく姿を見て、介護の仕事にやりがいを見出し、可能性を感じました。穏やかな日常を整え、人生の最期に寄り添うにはどうすればいいかという探求心は、今も尽きることがありません。仕事の取り組み方が変わり、視野が広がり、役職も任せられるようになりましたが、それは「少しでも良い介護を」という気持ちの先に自然と導かれた「結果」だったように思います。
介護には正解がないとよく言われます。それは裏を返せば、追い求める「理想の介護」の形に合わせて、自身のキャリアも自由に広げていくことが可能だということでもあるのかもしれません。
次回は、介護老人福祉施設「ヴィラ神奈川」の看取り介護の取り組みについて伺います。
プロフィール

ライター
平川友紀
ひらかわ・ゆき
フリーランスのライター。神奈川県の里山のまち、旧藤野町で暮らす。まちづくり、暮らし、生き方などを主なテーマに執筆中。

フォトグラファー
生津勝隆
なまづ・まさたか
東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。




