1984年の創業以来、高齢者医療とリハビリテーションに取り組んできた平成医療福祉グループ。青壮年層を対象とする標準治療だけでなく、高齢者向けに独自のノウハウを蓄積し、入院中や退院後のQOL(Quality of Life、生活の質)を最大化する取り組みを続けてきました。
同グループのミッション「じぶんを生きる を みんなのものに」を実現する行動指針(アクション)として、退院後の暮らしを視野に入れて「最後まで口から食べ、自分でトイレに行けるように」「身体に負担をかける多剤服用を見過ごさない」などを徹底。病気ではなく「人」を診ることを大切にして、患者さんの生きる力を高めることに尽力しています。
しかしながら、高齢の患者さんのなかには、入院を経て人生の最終段階を迎える方たちもおられます。今回は、ACP(Advance Care Planning*)を特集。そのとき、病院で働く医療者はどんなふうに患者さんやご家族など周囲の方たちに関わればよいのか、そのヒントを探ります。
本記事では、同グループ副代表・天辰優太さんが、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(厚生労働省)の2017年度改訂にも関わった、医療法人社団オレンジ理事長・紅谷浩之さんと対談。前編では、ACPの歴史から語りはじめていただきました。
*ACP: 「病気などにより意思決定能力が低下したときに備えて、今後の治療や療養について、患者さんの意向をかなえるために話し合うプロセス」と定義される。日本では「人生会議」という名称もある。
<プロフィール>
紅谷浩之(べにや・ひろゆき)
医療法人社団オレンジ理事長。オレンジホームケアクリニック院長。1976年福井県福井市生、2001年福井医科大学を卒業。救急・総合診療を中心に研修し、名田庄診療所、高浜町和田診療所にて在宅医療・地域医療を学ぶ。2011年福井県内初の複数医師による在宅医療専門クリニックを福井市内に開設。住み慣れた場所で幸せに自分らしく生きていくことを支えるため、地域づくりまちづくりにも取り組んでいる。ACPに関連する書籍として、編著『在宅医ココキン帖』(へるす出版)、共同執筆『わたしたちの暮らしにある人生会議』(金芳堂)などがある。
天辰優太(あまたつ・ゆうた)
平成医療福祉グループ副代表、経営企画医師、訪問事業部部長。1987年大分県大分市出身。2012年岐阜大学医学部卒業。岐阜市民病院で初期研修後、厚生労働省に入省。介護報酬制度、診療報酬制度の改定や国立ハンセン病診療所の医師確保、医師の働き方改革に携わる。2020年に同グループに入職。
医療の発展と「患者の自己決定権」
――はじめに、ACPの歴史的背景から伺いたいと思います。
紅谷さん:心臓マッサージと人工呼吸による心肺蘇生法が開発された1960年代以降、自然の摂理で亡くなる命を人の手によってある程度は蘇生できるという考え方が出てきました。さらに点滴による栄養治療法、人工呼吸器なども発達し、差し迫った死を回避できる方法が大幅に増えて、自然の摂理として捉えられてきた命というものを、ある程度まで人の手によって蘇生できる時代がはじまったわけです。そうすると、「助けられるなら、助けた方がいい」という従来の医療の理屈だけで突っ走ると、「つらい思いをしながら生き延びる時間が長くなってもいいのか」という議論が始まったと理解しています。
それにともなって、「患者自身に治療を決める権利がある」と自己決定権を主張する運動も起きました。

紅谷さん:一方的に医療を受けるだけではなく、医療サービスを受ける側として医師と対等な立場を求める運動です。延命のための治療を受ける権利があるなら、断る権利もあるだろうという議論になったのだと思います。1969年には、弁護士のルイス・カットナー(Luis Kutner)が「リビング・ウィル(Living Will)」の概念を提唱する論文を発表しました。リビング・ウィルは、自分の希望する医療を事前に指示する文書です。つまり、判断能力がなくなると治療を拒否する権利が奪われる可能性があるので、意思決定できなくなったときに備えて、治療に同意する範囲をリビング・ウィルによって指示しておくというわけです。
その後、リビング・ウィルは全米に広がり、1976年、米・カリフォルニア州で成立した自然死法(Natural Death Act)によって法的な拘束力をもつようになりました。
紅谷さん:1975年に、カレン・クィンランさんという21歳の女性が、長時間の呼吸不全により脳に重大な損傷を受けて、意識が戻らないまま人工呼吸器につながれました。家族は「カレンは、器械につながれたまま生き続けるのは嫌だと言っていた」と人工呼吸器を外すように主張し、受け入れなかった病院に対して裁判を起こします。最高裁で「治療を拒否する権利」が認められて人工呼吸器が外されたのですが、カレンは自力で呼吸を回復して水分・栄養補給を継続しながら9年間生存しました。自然死法は、このような事件を経て成立したものです。
30年遅れてはじまった日本のACP
日本では、いつ頃からACPの議論がはじまったのでしょうか。
紅谷さん:現場の実感では、日本は30年くらい遅れていますよね。70年代にアメリカでリビング・ウィルやAD(Advance Directive、事前指示*)の重要性が認識されていたのに、2000年代の日本はまだまだ「医師が最善の治療を判断する」というパターナリズムが主流でした。

天辰さん:延命治療に関するDNR(Do Not Resuscitate:蘇生処置拒否*)同意書などは、1980年代から日本でも広まってはいましたが、アメリカのように法制化の動きはありませんでしたね。
紅谷さん:1997年の医療法改正で、インフォームド・コンセント(説明と同意)が義務付けられましたが、DNRが普及したのはその後だったように思います。それ以前の1995年には、アメリカで9100人を対象にADの有効性を調査するSUPPORT研究が行われ、ADは必ずしも希望する医療の実現に反映されていないことが明らかになりました。この研究に関わっていた人のなかから、ACPの考え方が生まれたのです。
インフォームド・コンセントでは、医師が病状や治療の選択の説明をして、患者本人が同意するというように、意思決定の分業が行われていました。ACPでは、患者本人と家族、医療者、ケア従事者が共同(協働)で意思決定を進める。しかも、結論をはっきりさせることより、繰り返し対話するプロセスを重要視します。
日本では、2006年に富山・射水市で7人の末期がん患者の方たちが、外科部長によって人工呼吸器を取り外されて亡くなった事件が契機となり、厚生労働省が「終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会を設置しました。
天辰さん:そうですね。厚生労働省が「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン(以下、ガイドライン)*」を策定したのは翌2007年です。紅谷さんも参加された2017年の検討会を経て、2018年にガイドラインを改訂したときに、日常の対話プロセスについても明文化されましたね。
紅谷さん:2007年のガイドラインでは、病院における医師と患者の対話に限定されていましたが、改訂を経て介護施設や在宅の現場も想定したものになりました。また、本人が意思決定できないときに備えた話し合いに参加するメンバーに、家族だけでなく、友人や知人も含むものとし、「本人の意思は変化しうるものであり話し合いは繰り返すことが重要」とするなど、ACPの重要な概念が盛り込まれています。
*厚生労働省「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」の改訂について(2018年3月)
*AD:将来自らが判断能力を失った際に自分に行われる医療行為に対する意向を前もって意思表示すること。事前指示を行えなくなったときに決定を行う代理人指示、治療内容への希望や拒否を伝える内容的指示がある。
*DNR:DNAR(Do Not Attempt Resuscitation、心配蘇生を試みない)とも呼ばれる。いずれも、心肺停止時に心臓マッサージ、AED、気管挿管、人工呼吸器などの心配蘇生措置を行わないことのみを指し、それ以外の緩和ケア、点滴、輸血、透析、抗菌薬投与などの治療は継続される。
患者さんの意思をプロセスで捉える
天辰さん:在宅医療の現場ではガイドライン改訂以前から、ACPの概念は当然のものと認識されていたのでしょうか。
紅谷さん:そうですね。僕らはACPや人生会議という言葉が認識される前からずっと、本人中心の対話をしながら、その人の今後をどこでどうするのかを一緒に考えていて。うちのスタッフは自然とACPのプロセスベースで話していたし、「こういうことをACPと言うらしいよ」みたいな感じでした。2011年にオレンジを立ち上げて、2014、5年頃にACPに詳しい先生が視察に来てくださったとき、医療事務のスタッフまでACP的な発言をしていることに驚かれていました。

紅谷さんがACPという言葉や概念を知ったのはいつだったのでしょう
紅谷さん:ACPという言葉が緩和ケアの研修会に登場しはじめたのは、2010年頃だったと思います。2014年に厚生労働省が「人生の最終段階における医療体制整備事業」で全国の10病院を指定して研究をはじめて、2015年に在宅医療も入れるべきだというので、僕らオレンジホームケアクリニックと北海道の静明館診療所が手を挙げて入ったんです。
僕らはある1カ月に在宅医療を受けた9人の末期がん患者さんを対象に、希望する治療方針と医療・療養を受けたい場所について調査しました。退院時点においては、5人は「自宅で最期を迎えたい」、4人は「今は家に帰りたいけど、最期は病院に戻りたい」と希望していましたが、経過のなかで対話を重ねた結果、全員がご自宅で亡くなられました。
カルテを見ていくと、6割以上の診療のなかで「悪化したらどうしたいですか」「急変したときは?」「人生の最期はどこで過ごしたいですか」という対話をしています。僕らも振り返ってみてはじめて、在宅医療はけっこうな割合で、日々の診療のなかに大事な話が入り込んでいるんだとわかったんですね。
天辰さん:当グループは在宅医療にも取り組んでいますがメインはやはり病院です。今は診療報酬のしくみでも、適切な意思決定支援が義務付けられていますので、入院時には必ずお話をしています。そして、普段の回診では病状の移り変わりによる気持ちの変化や本人の叶えたいことを確認はせず、なんとなく入院時に決めたことを前提として退院調整をして、ご自宅に帰っていただいていることに対して課題感があります。一方で、在宅医療では、診療の半分以上は家族ぐるみで人生の最後についてお話しています。病院と在宅のACPの違いをどう考えていけばいいのだろうかと思っています。

抗生物質の発見、外科手術の進歩、集中治療、抗がん剤、透析……。近代以降、とりわけ20世紀以降の医療は、生命を維持・延長する技術を飛躍的に発展させました。それによって救われた命は数えきれず、確実にこの世界をより良くしたことに疑いの余地はありません。しかし同時に、「人間は単に命を永らえるだけでは「生きる」と言えるのだろうか?」という問いも生まれました。
医療が生んだ問いに対する答えのひとつが、ACPという考え方であり哲学だと言えそうです。後編では、在宅医療と病院それぞれのACPへの関わりについてより具体的に議論していただいています。ぜひ、次の記事もご一読ください。
プロフィール

フリーライター
杉本恭子
すぎもと・きょうこ
京都在住のフリーライター。さまざまな媒体でインタビュー記事を執筆する。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)、『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』(晶文社)など。

フォトグラファー
生津勝隆
なまづ・まさたか
東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。


