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特集記事|ACP vol.3

延命治療の現場からはじまるACPとは?
最期の瞬間まで「じぶんを生きる」を実現するケアリンクを目指して

ACP2026.07.07

病気などにより、意思決定能力が低下したときに備えて、今後の治療や療養について患者さんの意向をかなえるために話し合うプロセスは、ACP(Advance Care Planning、日本では「人生会議」の名称もある)と呼ばれています。


ACPを特集するにあたり、前半2本の記事では平成医療福祉グループ副代表・天辰 優太さんが、「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(厚生労働省)の2017年度改訂にも関わった、医療法人社団オレンジ理事長・紅谷 浩之さんと対談。ACPの歴史的背景や在宅医療の現場での実践、病院における患者さんとの関わり方について語り合っていただきました。


ふたりのお話を通して見えてきたのは、ACPとは病院だけでも在宅医療だけでもなく、私たち一人ひとりの人生のすべてを含む、非常に長いプロセスであるということでした。しかし、“人生の終わり”を意識する最初のきっかけは、病気が見つかったり具合が悪くなって救急搬送されたりと、予期せぬときに突然やってくることもあります。


そこで今回は、ACPのプロセスのなかで「病院での延命治療」にフォーカス。平成横浜病院の藤原 秀臣さんに、「延命治療とは何か?」についてお話を伺いました。

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<プロフィール>
藤原 秀臣(ふじわら・ひでおみ)
循環器内科専門医、内科専門医。平成横浜病院 経営企画医師。名古屋市立大学卒業後、虎の門病院本院・分院にて9年間勤務したのち、2025年4月平成医療福祉グループに入職。

グラデーションをつけてはじまる延命治療

延命治療という言葉を聞いたとき、人工呼吸器や点滴など、医療機器につながれている状態をイメージする人も多いかもしれません。しかし医療行為とはそもそも、いのちを長らえるためにあるとも言えます。では、どこからが「延命治療」なのか。急性期病院でその現場を経験してきた藤原さんに、あらためて延命治療の定義から教えていただきました。

藤原さん「一般的には「回復の見込みが少ない患者さんに対して行う、生命維持を目的とした行為」とされることが多いと思います。ただ僕の見解では、急性期や慢性期の場合だったり、一人ひとりの状況によって大きく違ってくるもので、どの行為が「延命行為」であるという明確な線引きや定義はないと考えています」。
平成横浜病院 経営企画医師 藤原 秀臣さん

たとえば心肺停止状態の方に対して、胸骨圧迫(心臓マッサージ)や人工呼吸などにより、呼吸と循環の機能を維持するために行われる処置は、「蘇生行為」と言われます。この時点では、自己心拍が再開するのかどうか、蘇生行為をやってみないとわからないことが多いそうです。しかし、心肺蘇生後に自己心拍は再開しても自発呼吸が戻らずに人工呼吸器を装着し続ける、あるいは自発呼吸は戻っても心臓の動きが再開しない場合に、体外式心肺補助装置を装着し続けることは「延命治療」となりえます。特に急性期医療ではこうした、蘇生行為と延命行為のグラデーションの中で行われるケースが多いとのこと。

藤原さん「つまり僕たち医療者がフルファイト*したとしても、生命を維持する体の機能が、何かしらの医療的サポート補助がないと保てず、回復する見込みがないと医療者が判断したときには、治療を続けることが「延命行為」という言葉に変わる。僕自身はそう考えています。しかしこれはあくまで医療者側の判断基準であることには注意が必要です。その医療的な意味を、最初からご家族が同様のレベルで理解できているとは思えません。そのため、こうした事実のみでご家族に対して「延命治療です」と言い切ることは避けた方がいいと考えています」。
*フルファイト:心肺停止や急変時に救命措置や延命治療に全力を尽くすこと

「自然なかたちで人生の最期を迎えたい」。きっと多くの人がそう願うことでしょう。延命治療に対して、寿命を引き延ばしているような先入観がある人も少なくありません。藤原さんは、治療が延命行為へと移行するなかで、患者さんやご家族から「これは延命治療ですか?」と聞かれることがあるそうです。

藤原さん「臨床の場でご家族からこのような質問があった場合には、「蘇生行為」と「延命治療」の間で悩み葛藤されており、「回復の見込みがないのに処置を続けることは望まない」という真意を含んでいる場面を多く経験しています。急性疾患の場面では、延命行為の境界が比較的はっきりとしていることが多いですが、慢性疾患が進行した状況ではその境界がわかりにくくなることがあります。そんなときこそきちんと状況をお伝えし、ご意向を確認すべきだと考えています。尊厳を無視した治療になっていないかどうか。いったん延命治療を開始すると、中止という行為には非常に重い決断を伴います。適切なプロセスが必要だからこそ、より細やかにご家族の葛藤なども伺うようにしています」。

延命治療からはじまるACPのかたち

ACPは、もしものときのために、自分が望む医療やケアについて前もって考え、家族や医療・ケアチームなどと繰り返し話し合い、共有するプロセス。しかし、入院や手術など、差し迫った状況になってからはじまることも少なくありません。患者さんご本人やご家族の気持ちの揺らぎを受け止め、懸念を晴らしながら、個人を尊重する対話の重要性についてうかがうと、藤原さんは医師としての矜持を滲ませました。

藤原さん「急性期で病院に運ばれる場合、たとえ高齢の方であっても、状態に応じた適切な医療行為によって奇跡が起きることはあります。奇跡までは起こせなくても、最期にご本人やご家族にとっては思いもよらなかった大事な1時間をつくってあげられるかもしれない。それが、とても大事なACPの時間になったりするんです。それは延命行為ではないかと批判的に考える意見もあるかもしれません。でも、ただ闇雲に命を救おうと言うものではなく、受容のステップになることもあるんです。私としては患者さんの尊厳を最重視しつつ、ご家族の気持ちにも最大限寄り添いたいと考えています」。

慢性期・回復期医療に取り組む同グループの病院には、高齢の患者さんが数多く入院されています。医師として高齢の患者さんを担当する藤原さんは、“最期”を意識しはじめた方たちとどのように向き合っているのでしょうか。

藤原さん「高齢の患者さんの場合は併存症も多く、若い人より回復力も衰えるため、どのような医療行為であったとしても、最終的な局面では「延命治療」になり得ます。医師として、患者さんの全身状態をきちんと把握し、現在どのような局面にいるのか、評価を正しく行うこと。その上で、ご本人の尊厳や ご家族の気持ちの機微に向き合いながら、治療方針や退院後の暮らしかた、そして、どのように最期を迎えたいかといったことを話し合う。僕自身も心がけてきたこうした向き合い方は、今で言うところのACPです。
 
最近はACPというワードが独り歩きしている感もありますが、特別な学問なのではなく、もっと基本的な、患者さんご本人やご家族との接し方であり、コミュニケーションだと考えています。医療者として、患者さんとの話し合いを重ねることで、最期の瞬間を迎えるときにも、患者さんご本人の尊厳を守ることにつながると思います」。

ACPは「どう生きるかを考えるためのプロセス」

前回の記事では、在宅医療の現場におけるACPについてくわしくお話しいただきました。一方で、入院を機にはじまるACPのプロセスは、どのようなきっかけから対話を重ねていくのでしょうか。

藤原さん「現状では入院する際、まだ病態が不安定であるが故に、どういう治療を行うと、どういう可能性があるか、2〜3パターンご説明したうえでご意向を聞きはじめています。入院からの1週間ほどは治療経過を見て、様子次第でまた話し合うことが多いと思います」。

藤原さんは、「病院に来る前から『もしものとき』を考えておくのが理想的」と言います。しかし、いつかの事態に備えることは大切ですが、特別な不調もない時は「なかなか考えられない」、あるいは慣習的に「元気なうちから病気になることを考えるのは不吉」な気がする方も多いかもしれません。そのため、否が応にも病気に向き合わなくてはいけなくなったときに、考えはじめることになりがちです。

藤原さん「ACPは、亡くなり方を決める作業ではなく、どう生きるかを考えるためのものだと思っています。究極的には僕たち全員、誰もがいつかは亡くなるわけで、僕自身はそのときに、『我が人生に悔いなし』と言えるような人生を送りたいと思っています。 どのように生きていきたいかを考える先に、最期にどのように亡くなりたいか、という問いがあるのではないでしょうか。僕の拙い想像力では、そう考えています」。

自分の人生も有限だと意識する。わかってはいても考えずにいたことに向き合うと、しまい込んでいた本心が浮かび上がってきます。まだ達成していない目標や、後回しにしてきた夢、「成人した孫の姿を見るまでは死にたくない」という願いなど。病気の有無や年齢に関係なく、患者さんが口にする言葉を受け止める藤原さんは、そうした患者さんの思いを「全力でサポートしたい」と考えています。

誰もがすぐに取り掛かるのは難しいかもしれませんが、ACPは瀬戸際で最期を決めるためではなく、ゆるやかに最期までの道のりを描く、まさに「生きるため」に重ねるプロセスなのです。では、重篤な状態にある方の意思確認は、どのように進めているのでしょうか。

藤原さん「僕の場合は、絶対に他人事のように接しないようにしています。医者の立場であり、客観的なデータや検査結果を確認できるからこそ、ただ淡々と状態だけを伝えて選択を促すような会話は、絶対にしない方がいいと思っているんです。
 
ご本人もご家族も、ただでさえ混乱しているときですから、病状を理解するだけでも大変なのに、先のことを考えてもらうのは難しいはずです。医者は個人的な感情を出してはいけないと言われますが、データや知識の共有者であり、病状を把握している者として、一緒に考える。やさしく柔らかく伝えながら、意思決定の伴走者のような姿勢を示すことで、ご本人やご家族も落ち着いて考えられると思います」。

「じぶん」を知る。グループだからできる連携を目指す

本記事の最初に「延命治療とはグラデーションである」というお話がありました。そのグラデーションを広げて考えるなら、「延命治療はどの段階からはじまるのか?」という問いが生まれます。

藤原さん「医療者が不可逆的な状態と判断し、そのタイミングでご本人やご家族の感覚も一致した瞬間から、延命治療となるのではないでしょうか。たとえば、誤嚥性肺炎で病院にこられた高齢者の方に抗生剤の治療をしたら、それは延命行為になるのでしょうか。当然ながら、年代に関係なく医療行為としては同じことをしていますし、僕たち医者は基本的に、治る見込みがあるような状況においては高齢の患者さんであってもやれることは最善を尽くします。ご家族もそれ自体を延命治療と思うことは少ないと思います。
 
では、誤嚥性肺炎を繰り返し、適切な治療やリハビリを行っても口から必要量を取ることができない場合に、点滴や胃ろうを行うことはどうでしょうか。そのような患者さんに、どのような治療をしたら、どういう経過を辿ることが多いのか。我々はグループとして、こうした高齢者診療から終末期に関する経験値がかなり豊富な立場です。グループの知見をより広く、全国的に発信すべき立場にいるんじゃないかと自覚しています」。

平成医療福祉グループでは、2017年に同グループが培ってきた慢性期医療のノウハウを『慢性期医療のすべて』(メジカルビュー社)という一冊の書籍にまとめました。藤原さんは「この本の続きを、今の僕たちがまとめることができれば」と言います。

医師たちの学びのほとんどが急性期医療中心である一方、社会的ニーズが高まる慢性期医療について書かれた書籍『慢性期医療のすべて』(監修:武久洋三/ メジカルビュー社・2017年)を手に、「僕たちにとって、すごく大切な教科書です」と語る
藤原さん「今の医療教育では、終末期医療に関して学ぶ機会はほとんどありません。どのようなデータを元にしてご家族に説明したら良いのか、指針となるものがないんです。医療者たちはその都度悩みながら対応しているというのが現実です。若いドクターたちはもちろん大変ですし、経験値のあるベテランの先生でも、昔と今ではエビデンスの捉え方が変わっています」。

たとえば、経管栄養法のひとつである胃ろうは、口から栄養を摂取できなくなったとき、腹部に小さな穴を開けてチューブを挿入し、胃と繋ぐことで直接栄養を入れるものです。本人の意思確認が必要であり、人生の最終段階に検討されることも多いことから、延命治療の一つと捉えられる傾向があります。

藤原さん「かつて発表された研究をきっかけに、医療者の間だけでなく患者さんのご家族にも、「胃ろうを造設しても寿命は延びない」「胃ろうはかわいそうだ」という認識が広がった面がありました。その受け止め方には、私も理解できる部分があります。一方で、私たちの臨床現場では、胃ろうを選択したことで栄養や水分の管理が安定し、適切なケアにより穏やかに過ごせる時間が増えたりする方が多いのも事実です。
 
大切なことは、高齢者への胃ろうを一律に「良い」「悪い」と結論づけるのではなく、その方の病態、認知機能、嚥下機能、全身状態、生活背景、そして何を大切にして生きてこられた方なのかをていねいに評価すること。そして、胃ろうによって起こりうる合併症や、その後どのような経過をたどることが多いのかについては、データを用いて誠実にお伝えする必要があります。データを都合よく切り取ったり、逆に一つの研究結果だけで目の前の患者さんの選択肢を狭めたりすることは避けなければなりません」。

藤原さんは、ACPの大変重要な点として、「胃ろうをするかしないか、心臓マッサージをするかしないか、という治療選択そのものだけではない」と続けました。趣味や好きな食べ物、宗教や倫理観、死生観、どういう生き方を理想としているのかーーつまり、その人らしさの共有です。

藤原さん「ACPを進める際には、ただ医学的な情報のみを並べてご家族に治療選択を迫るという姿勢ではいけないと考えています。患者さんやご家族が正確な情報を受け取りやすいように工夫したり、納得した治療を選択できるように僕たちがしっかりと支えることが重要だと思うんです。
 
その方がどのように生きたいのか。何を大切にしてきたのか。どのような時間を支えたいのか。そうした思いをご本人・ご家族・医療者が共有すること。大事なことは、単に長く生きてもらうことではなく、その人らしく生きる時間をどう支えるかではないでしょうか」。

「人生における重要な価値観」は一人ひとり違っています。そして、病状や気持ちの変化によってもどんどん更新されていくものでもあります。医療従事者として、一人ひとりの患者さんの「じぶんを生きる」をどのように受け止めていくことができるのでしょうか。

藤原さん「僕らのグループは、病院、在宅診療、入所施設などを多数展開しています。一人ひとりの価値観を把握するには、病気に向き合う環境よりも、生活の環境下にいるときの方が機会は多いはず。せめてグループ内の施設に入居したり在宅診療で診ている方たちとは、病気になる前からそういった価値観を共有できたらいいと思うんです。病院にくる前からの大切な情報の共有が叶えば、入院するときもケアが途切れずに済みます。病院、施設、在宅医療が連携するケアリンクを実現できたら、当グループの理念である「じぶんを生きる を みんなのものに」を本当に実現できるのではないでしょうか。病気になる前からの「じぶん」をみんなで知ることができる。この実現は、僕にとっても大きな目標ですね」。

大事な家族や友人が救急搬送されたり、突然の怪我や病気で入院したとき、私たちは動揺せずにいられません。誰よりも、入院している本人は「これから自分の人生はどうなるのか」「もう元の生活には戻れないかもしれない」などと弱気になったりもします。それぞれに、いろんな考えが頭のなかを駆け巡り、とうてい冷静な判断ができる状況ではなくなるかもしれません。

そんなとき、医師をはじめとする医療スタッフが、状況を受容する時間をつくろうとしてくれたり、判断するためのエビデンスを差し出してくれたら、予期せぬ事態に浮き足だっていた心を落ち着けながら「本人にとって何が最善なのだろう?」と考えはじめられます。あるいは、ふだんから診てくれていた在宅医療のスタッフや施設のスタッフたちが、相談に乗ってくれたら?本人をよく知る人たちで話し合いながら「これからのこと」を決められたら、これほど心強いことはないでしょう。

藤原さんは、平成横浜病院のある地域の病院、施設、在宅医療サービスをつないでいくケアリンクの実現に向けて、すでに連携に動き出しているそうです。こうした一つひとつの取り組みが「じぶんを生きる を みんなのものに」する社会をつくるのかもしれません。

プロフィール

ライター

ライター

柳澤 円

やなぎさわ・まどか

自分史活用アドバイザー。生活者と社会課題の接点に関心を持ち、専門家や実践者などを取材。心の機微に気付ける書き手でありたいと思い、愛猫の名前は「きび」。株式会社Two Doors代表。

フォトグラファー

フォトグラファー

生津勝隆

なまづ・まさたか

東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。