「経営企画医師」は、平成医療福祉グループ独自の医師のポジション。臨床の枠組みを超えて、グループおよび各病院の経営、臨床研究や教育、新規事業の立ち上げなど、さまざまな切り口から医療と経営の質向上に関わるため、新しい医師の働き方としても注目を集めています。
藤原秀臣さんは、横浜・戸塚区にある平成横浜病院をフィールドに活躍する経営企画医師。同院の地域包括医療病棟の病棟医として勤務しながら、事務長の日高正明さんとともに病院の経営企画や地域連携のしくみづくりに携わっています。今回は、病院における経営企画医師の役割について、藤原さんと日高さんのおふたりにお話を伺いました。
<プロフィール>
藤原秀臣(ふじわら・ひでおみ)
循環器内科専門医、内科専門医。平成横浜病院 経営企画医師。名古屋市立大学卒業後、虎の門病院本院・分院にて9年間勤務したのち、2025年4月平成医療福祉グループに入職。
日高正明(ひだか・まさあき)
平成医療福祉グループ 病院事業部 関東エリア担当、平成横浜病院 事務長。他法人グループの急性期病院で総務経理や事務長職を経験したのち、2016年に平成医療福祉グループに事務長候補として入職し、2018年より現職。
病棟医と経営企画を兼ねる「経営企画医師」
藤原さんの前職は、急性期病院の循環器内科。研修医時代から約10年勤務するなかで、病院のしくみづくりに関わる提案をすることもあったそうです。当時は、どのような課題を感じていたのでしょうか。
藤原さん:「急性期病院では、治療によって患者さんの病気が治った後に、併存する疾患や年齢的な衰えで体力とともにADL(日常生活動作)が低下する場面をよく目にしましたし、つらい状態のままで転院の調整をしたりご自宅に帰さざるを得ないことも多々ありました。ただ、こうした課題には、急性期病院だけでは立ち向かえない部分もあって。当グループならすでにこうした課題に取り組んできた実績もあり、また地域とつながるしくみも構築しつつあります。その力を借りて、急性期病院で起きていた課題を見過ごさない体制をつくりたいと思い、経営企画医師として入職しました」。
平成横浜病院に入職したのは、2025年4月。現在は、地域包括医療病棟で病棟医を務めながら、同院の運営や経営方針にも深く関わっています。

藤原さん:「地域包括医療病棟は、地域において主に高齢者の救急を担うことが期待されている病棟です。病棟医として、救急車対応やウォークインで来られる一般的な内科症状の診察、そのまま緊急入院された方の治療もしています。僕は循環器専門医ですので心臓のことはもちろん、内科専門医でもあるので尿路感染症や誤嚥性肺炎などにもジェネラルに対応しています。一方で、僕は看護体制や医療体制、ソーシャルワークに関するクリニカルクエスチョンを整理することも得意としています。課題を感じたところは、日高さんと相談しながら患者さんを中心するしくみづくりに邁進しています」。
取材当日も、藤原さんと日高さんは顔を合わせるやいなや、わずかな時間も惜しむように話しはじめました。遠まきに見ていても、すごいスピード感で情報を共有しあうようすが伝わってきます。いつも、ふたりはどんなふうに一緒に仕事をしているのでしょうか?
日々の“雑談”で情報をアップデート
同グループにおける事務長は、管理部門のトップとして病院全体をマネジメントする仕事。より良い病院づくりに向けて、病院長や各部門長と連携しながら経営・運営全般に関与する役割を担います。非常に幅広い職務範囲をカバーしているため、常にスケジュールはびっしり埋まっています。
一方、病棟医として勤務する藤原さんも多忙であり、取材中もたびたび病棟からの電話を受けていました。そんなふたりにとって、顔を合わせる貴重な時間のなかでの“雑談”が、情報を共有し合いながら相談する場になっています。日高さんはその“雑談”を「自分たちの方向性が合っているかどうかを確かめる、音合わせみたいな感じ」だと言います。

日高さん:「事務長のところにはいろんな情報や問題が集まってくるので、日々判断しないといけないことがあります。そのときに、自分の判断をそれぞれの問題に関わる先生方に共有して、事務方の視点からではなく、医療現場で働く人からの視点を聴くのが大事だと思っています。実例で言うと、現場から設備の購入依頼が来たときに事務長としては費用対効果を検討します。そこに、医師の視点が加わると『患者さんのことを考えると、これだけの効果があるから必要だ』という話を擦り合わせられるんですね」。
病院は外来患者さんが診察を受ける場であり、入院する患者さんが治療を受けながら生活をする場でもあります。同時に、病院に勤務する人たちにとっては職場であり、地域においては医療・福祉が連携するハブの役割を担っています。さまざまな立場の人たちがそれぞれの関わりをもつがゆえに、生じるトラブルもまた多種多様です。
藤原さん:「最終的に、僕らが解決すべき問題を預かったときに、日高さんは僕に医療の視点から患者さんを一番に考えた答えを出すことを期待してくれています。日高さんはその答えを念頭に置いて、院内外の人間関係や経営面の判断も踏まえたうえでの答えを出して、病院のベクトルとして一番正しい答えを確認し合います。日高さんは、患者さんが中心という前提を明確にもっている事務長で、僕とは基本的な意見が一致していて。迷ったときに背中を押してくれる存在なんです」。
医療と経営を分けない体制をつくる
10年ほど前から、病院の経営効率化や医師の働き方改革の文脈のなかで、病院の経営担当と医療責任者を分離する「医経分離」という考え方が普及しています。しかし、日高さんは長年の事務長として病院経営に関わってきた実感から「病院において、医療と経営を分けられるわけがない」と断言します。

日高さん:「診療報酬改定への対応、平均在院日数や稼働率の把握など数字を見るのは事務長の仕事です。ただ、数字は結果に過ぎなくて、大切なのは数字の中身だと思うんです。臨床にいる人たちがどんな動きをして、どんな苦労をしてこの数字はつくられたのかを僕は理解したい。そうすれば、数字を改善したいときに何をすればいいか、誰と話せばいいかすぐにわかると思っています。それに医療の世界は、収益性の数字だけで測れない部分が必ずあります。僕はいつも藤原先生と『病院の価値としてどちらが高いか?』という話をさせていただいています」。
日高さんは、前職の病院で事務長に就任したとき、「より良い病院にしたい」と改革を志したものの、道半ばにして挫折を経験しています。そんなときに、同グループの会長に出会い「理想とするケアシステムをつくりたい」と入職したという経緯があります。
日高さん:「自分が理想とするケアシステムをつくりたいというベースがあったので、すでにそれを構築しつつあるこのグループで学ぶことが一番良いだろうと思ったんです。入職して学びながら、このグループがここまで大きくなったのは、やっぱり患者さんが主役だからだと確信しました。むしろ、病院が経営に寄りすぎるのは非常に危ないんですね」。
入職してもうすぐ10年、同グループのなかでは「あたりまえ」になっているものごとに、藤原さんの真新しい視線によって「良さ」や「強み」を再発見することも多いそうです。

藤原さん:「このグループで働くことにすごく高揚感があるので、『いいな、いいな』と思ったことは、全部日高さんに伝えるようにしています。一番は、根底にある患者さんに対する考え方や接し方を共有できる人が多いことかな。何かにつまづいても、共有している部分で話し合えば解決できる場面が非常に多いです。あと、職員食堂がめちゃくちゃおいしいんです!今まで勤務したことがある病院のなかでも一番のおいしさ。食事で病院で選ぶ地域の患者さんもいますから、これも当院の強みですよね」。
わたしたちも、取材時に職員食堂で食事をいただくのですが、本当にとてもおいしいです(365日、1日として同じ献立はない、こだわりの食事については過去の記事をぜひご一読ください)。
日高さん:「藤原先生は、いいところをたくさん見つけてくれるんです。こうして食事をほめていただいたことを栄養部に伝えると、やっぱり職場のなかにまたいい流れが循環するなと思うんですよね」。
病院の強みが言語化されていく
平成横浜病院は、回復期リハビリテーション病棟(97床)、地域包括医療病棟(50床)、一般病棟(36床)の3つの機能を有する病院(病床数は2026年4月現在)。外来診療も行っており、総合健診センターも併設しています。藤原さんは、1年間病棟医として勤務して、地域包括医療病棟の社会的ニーズの高さを実感。日高さんと相談を重ねて、2026年4月に36床から50床へ増床をかなえました。これも経営企画医師ならではの視点による改革のひとつです。

日高さん:「やっぱり、藤原先生が『地域包括医療病棟はものすごく地域の役に立っていますよ』と言ってくださるので、みんなとしても自信になっていきます。ただ、まだできたばかりの病棟だから、地域の高度急性期病院に知られていなかったんです。すると、先生自ら地域の急性期病院に出向いて話してくれて。やはり医師が直接話しに行くことが、『こんな先生がいてくださるなら』という先方の信頼感につながるなと思います」。
藤原さん:「急性期病院に勤務した経験から、治療中にリハビリをしたり、嚥下訓練をして食事を食べられるようにしたりしたいけれど、そのリソースがないつらさがわかっていて。高度な治療よりもQOLに重点を置くケアが必要な患者さんは、入院1日目、2日目でもこちらに転院いただいて、うちのリソースを最大限割くことが良いアウトカムになると確信しています。そのために、僕らの病棟が地域にあるわけですし、その役割を担うには相互に連携できる関係性が大事なんです」。
藤原さんは、平成横浜病院と周囲の急性期病院が担う役割について、模式図を描いて説明してくれました。同院の土台は慢性期、回復期リハビリテーション、その上に急性期や亜急性期の医療がありますが、急性期病院の土台は急性期であり、回復期やリハビリテーションはその延長上にあるという構造です。

地域における急性期病院と平成横浜病院の役割分担を模式化したイメージ図
藤原さん:「僕たちの強みは、退院後の生活を見据えた急性期治療ができること。世の中には病状が安定しないと受け入れられないという回復期の病院が非常に多いのですが、僕らの地域包括医療病棟は、一般的な回復期病院ではキャッチしきれない状況でも、マルチプレイヤーとして対応できます。しかも、バックには回復期や慢性期を支えてくれるみんながいるのも強みなんです。僕自身が、誤嚥性肺炎の患者さんでも元気に食べられるようになる姿を、日々見る機会はなかなかなかったので驚いたくらいでした」。
日高さんは、藤原さんが経営企画医師として入職して以来、「平成横浜病院の色」が明確になったと感じています。医師ならではの言語化の力が働いたことで、「自分たちの病院はどうすれば地域の役に立つか」を自分たちの言葉で語れるようになりました。
日高さん:「藤原先生が来てくれたおかげで、僕らが以前から考えてきた『地域にとって必要な病院』の姿について、具体的に言える段階に来たと思っています。やはり、患者さんを一番に考えることがよい経営につながるんだと証明できているんじゃないかな。今春からはまた強力なメンバーになる医師も増えます。同じ思いをもつ仲間が増えれば増えるほど、もっといろんなアイデアが出てきて、よい循環が活性化するしくみをつくっていきたいです。まずは、『こんな病院に働きたかった!』という人が現れるような雰囲気を、僕らがつくることが大事だと思うんですよね」。

横浜市に理想のケアシステムをつくる
同院のある横浜市内には、同グループの介護老人福祉施設が6施設あります。藤原さんは、自ら各施設に足を運んで連携体制の見直しにも取り組んできました。今では、どの施設に行ってもまるで友だちが来たように、藤原先生を歓迎してくれる雰囲気があるそうです。
藤原さん:「大きなグループゆえに、病院と施設は管理する部署が違っていることがボトルネックになりやすいのですが、僕は出向いて各施設の医師やスタッフと顔でつながったので、今では気軽にチャットで直接相談をもらえる関係になりました。部署や施設を横断的につなぐことも僕の仕事のひとつ。連携が強まれば、患者さんにも安心して来院してもらえるようになりますからね」。
2027年には、ケアホーム横浜を介護老人保健施設から介護医療院に転換する計画が進んでいるとのこと。1〜2年のうちには、中核の多機能病院である同院をハブとして、横浜市内の6施設を有機的につなぎ、「患者さん中心のシームレスな地域ケアシステムの構築」を目指しています。

藤原さん:「日々のトラブルに対処していたり、さまざまな決断に迫られたりすると、やはり答えがわからなくなることはあります。そんなとき、いつも立ち返る原点は『どの選択をすれば患者さんのメリットは一番大きいのか?』という問いです。そこに基づいて選択すれば、結局のところはみんなが納得できる。それは、このグループで働きながら身についたスキルかもしれません。このグループは、患者さんのためにやりきろうとすれば背中を押してくれるんですよ」。
日高さん:「現場にいるスタッフは、目の前のことで一所懸命だから、常に大きなことを考えているわけにはいかないと思います。僕らは、ちょっと引いた位置から見て『全体像のなかの最適はこうじゃないか』と言う役割なんです」。
前任の経営企画医師だったグループ副代表の天辰優太さんも、「病院経営の基本はすべて日高さんに教わった」と言っていましたし、藤原さんは「日高さんが隣にいると僕の力が倍増する」と言います。医療と経営は、「事務方か、医療者か?」という立場で分け持つのではなく、「患者さんのために」という視点を共有する両者によって統合されていくものなのかもしれません。
彼らが理想とする「患者さん中心のシームレスな地域ケアシステム」が構築された頃に、またお話を伺ってみたいと思います。次回は、「医師とケアの関係」について考える記事をお届けします。どうぞお楽しみに!
プロフィール

フリーライター
杉本恭子
すぎもと・きょうこ
京都在住のフリーライター。さまざまな媒体でインタビュー記事を執筆する。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)、『まちは暮らしでつくられる 神山に移り住んだ彼女たち』(晶文社)など。

フォトグラファー
生津勝隆
なまづ・まさたか
東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。



