ひとプロジェクト 第30回【前編】緑成会整育園/看護師 戸島 由加さん
緑成会整育園
看護師
戸島 由加 さん
Tojima Yuka
障害児療育に関わる看護の仕事!
内気な少女が看護師になるまでに迫りました
今回は、緑成会整育園の看護師、戸島由加さんにインタビューしました。障害児の療育に携わる緑成会整育園。障害児看護の仕事内容や魅力について知るべく、お話をお聞きしました! まず前編では、戸島さんがここに辿り着くまでの経緯について、あれこれお話を伺っています。もともと看護師を目指していなかった戸島さんが、実際に志望するようになった理由や、看護師としての自分の働き方を見つめ直したお話など。看護師を志す方、障害児看護に興味をお持ちの方にぜひ読んでいただきたいインタビューです。ぜひご覧ください!
雪国の内気な少女
ではインタビューよろしくお願いいたします。
私、ただの一看護師なんで取材なんてされると思っていなかったんですよ。役職があるスタッフさんだけが出る記事かと思っていたので(笑)。
いえいえ、そんなことないんですよ! では特に今は肩書きみたいなものは。
やってるとすると、園芸委員長くらいで(笑)。
(笑)。とても気になるので、その話もおいおい聞かせてください。緑成会整育園のように障害児童と関わる病院のことって、同じ看護師さんでもわからない人も多いと思うので、ぜひお話を聞きたいなと思っています。
わかりました、よろしくお願いします!
では、基本的なところから聞きます。ご出身を教えてください。
新潟県小千谷市です。新潟県のほぼ真ん中にあります。
どんなところですか。
錦鯉の里として有名で、あとは牛同士を闘わせる牛の角突きとか、食べ物だとへぎそばが知られていますね。
けっこういろいろありますね! 雪もよく降りましたか。
寒いところで、雪も積もるし、ただ豪雪地帯ではなかったですね。
どんなお子さんでしたか。
内気な子でしたね。東京に出て、だんだんと社交的になりましたけどそれまでは(笑)。
何かうちに秘めたものがあったとか。
全然そんなこともなくて…(笑)。東京に出て世界が広がったというのが大きかったですね。
ちなみに部活動はやっていましたか。
中高生のころはバレーボールをやって、大学でも少しやってました。でもそんなに活躍したとかではなかったですよ。
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看護ではなく
絵を描くことを学んだ学生時代
高校を卒業してから看護学校に進まれたんですか。
いえ、実は最初は看護師ではなく、絵を描くために東京に進学したんです。
そうだったんですね! では当初は医療ではない道に進まれて。
当時は絵を描くのがすごく好きで、それで新宿にある大学に進みました。
そこでは何を専攻されていたんですか。
油絵でした。最初の1、2年はデザインとか彫刻も習うんですけど、最終的には油絵を学びました。
学生生活はいかがでしたか。
もう自由な感じでしたよ。何も考えていなかったというか(笑)。
大学を卒業されてからはどんな道に進まれましたか。
いざ就活っていうタイミングで「絵を仕事としていくっていうのは難しいかもしれない」って思うようになって。そこで、自分に何ができるかって考えた時に、人と関わる仕事、それも密な関係性でできる仕事をやってみたいなと考えたんです。しかも、手に職をつけた方が、長く働きやすいだろうなと。
そこで看護師の資格を取ろうと思われて。
いえ、まずはヘルパーの資格を取って介護職に就いて、当時で言うところの「老人病院」に1年半くらい勤めました。
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社交性を身につけて
看護師への道を踏み出す
当時働かれた老人病院は、どんなことをする病院でしたか。
介護施設に近いものがあるんですけど、そこで点滴するとか医療的な行為も伴うような感じでした。
どんな患者さんが多かったですか。
そこは会社で役職を持ったような方が多く入院されていて、大きな企業の会長の方とか。特別宣伝もしないけど、そういった方同士の口コミで患者さんがいらっしゃるというような病院でした。
そういった感じだと、また独自の雰囲気がありそうですね。
接遇は厳しかったですね。患者さんのことも「〇〇様」ときっちり呼びますし、通勤でもデニムを履いちゃダメっていう決まりがありました。
通勤の格好も規定があったんですね! そこから看護師を志望するようになったんですか。
甘い考えだったかもしれないのですが、同世代の看護師さんもけっこう働いていたので、仕事を見ているうちに「やってみたい!」って思うようになったんですね。今はまた変わりましたけど、当時その職場は介護職のキャリアアップがあまりなかったというのもありましたし。
そもそも看護師という仕事については何か想いはあったんですか。
実は母が看護師をやっていたんですね。なので子どもながらになんとなく仕事を見てはいました。
そこから憧れはしなかったんですか。
ちょっとやってみたいっていう気持ちもあるにはあったんですが、むしろ当時は「自分には向かないな」って思っていました。
そう思ったのはどうしてですか。
やはり私が社交的ではなかったので、人と接することが多い仕事なので大変そうだなと(笑)。
なるほどそういった理由で(笑)。ただ、介護職を続けるうちに、看護師へのハードルも無くなってきたと。
東京に来て徐々に社交性も身についていたので(笑)。その病院で、同世代が看護師の仕事をしていたのを間近で見たのも大きかったですね。相談したら「やれるよ!」って背中も押してもらえましたし。
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涙を流した実習のこと…
ではそこから看護学校に入られて。
今はその学校はなくなってしまったんですが、中央線沿いにあった、病院附属の学校に入学しました。
学校はどうでしたか。
大変は大変でしたけど、何とか乗り切れましたね。実習では泣きましたけど(笑)。
(笑)。誰に聞いても実習は辛いとおっしゃいますね。
まあでも、今となってはいい思い出です。
自分が働く立場になってみて、実習で来られる学生さんにはどういう視線を送っているんですか。
もちろん「がんばって!」という気持ちで接してサポートしていますよ。ただ、ちょっとズレてるかもしれないと思ったら、注意はするようにしています。
このタイミングだからこそ言っておいた方がいい、ということもありそうですね。
でも、自分もそうだったなあと思いながらですね。今考えたら、そりゃ泣かされるよって(笑)。
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看護の現場に出て
あらためて見つめ直した自分の働き方
そのあとは、付属の病院で働かれたんですか。
2年半くらい、脳神経内科に勤めました。
脳神経内科はどんな患者さんが多かったですか。
脳や脊髄、末梢神経に関する異常を診療する科なのですが、私がいた時は寝たきりの方が多くて、コミュニケーションを取れる方とそうでない方と半々でしたね。
大変なところはどんなことでしたか。
動けない患者さんが多いと、こちらでやることも必然的に多くはなるので、そういう意味では大変でしたね。
看護師になって初めての職場としてはどうでしたか。
実習でも行ったことがない科だったんですよ。なのでけっこう驚きましたし、学校の同期も誰もいなかったので、心細くて(笑)。
実際働かれてみてどうでしたか。
やりがいはとてもあったんですが、私は病棟向きじゃないかもしれないって思いました。
それはどういったところで。
病棟は一日とにかく忙しかったので、時間に追われながら仕事をするのが得意ではなかったです。最初に経験した老人病院のように、患者さんとのコミュニケーションを取る時間が長い方が、自分には合っているなっていうのを思いました。
同じ看護師さんでも適材適所というか。
それはあると思います。だからこそこの緑成会整育園でも長く働けていますし。
そう考えると、内気で看護師になれないって思っていた頃とはすごい違いがありますね!
確かにそうですね(笑)。働いてるうちに気がついたらそうなっていました。
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同級生のオススメをきっかけに
緑成会整育園へ!緑成会整育園については、どういう経緯で移って来られたんですか。
妊娠、出産があって、それでもそのまま働き続けようかなと思っていたんですけど、保育園に落ちてしまい、そのまま働くのは難しいと考えて、まずその病院を辞めたんです。
大きな理由としてはお子さんのことがあって。
その病院が託児所も作っていたんですが、混雑する電車に子どもと一緒に乗るのが難しくて。それと、さっきも言ったように、違う働き方をしようかなというのもありましたし。子どもが生まれて、やるべきことも増えましたし、それは余計に思いました。
そこでまた職場を探されて。
ちょうどそこで、看護学校の同級生から、ここを紹介されたんです。その子も学校卒業後に同じ病院で働いていたんですけど、私より先にそこを辞めて、緑成会整育園ですでに働いていました。
すでに働いていたスタッフからの紹介だったんですね。ちなみに今もいらっしゃいますか。
今も一緒に働いていますよ。その子は実はもともと保育士として緑成会整育園で働いていたことがあって。そのうえで、もっと障害のある人に関わりたいっていうことで、看護師の資格を取るために学校に入ったそうなんです。
そういう経緯で資格を取る方もいるんですね!
同じ病院で働いていた時も、再び障害児に関わることを見越して、人工呼吸器について学ぶために呼吸器内科で仕事をして、とても熱心でしたね。
いざお話をもらってみて、どうでしたか。
前からその子から話を聞いてはいて興味はあったので「やってみようかな」ってすぐ思いました。
割とすぐ前向きに考えたんですね。
そうですね。そこで実際に見学にも来てみたんですけど、それだけではやっぱりわからないですし。やってみないとわからないっていう性格なので、とりあえずやってみようと思いました。
ポジティブに考えられる要素は多かったと。
利用者さんとじっくり関わるっていうのは自分に合ってそうだなと思いましたし、仕事はやりながら慣れていけそうだなと。それと、子どもを預けながら働けるし、時間についても融通を聞いてもらえるということだったので、入職することに決めました。
病院とはいえ、病棟とはペースが違うんですね。
どちらかというと生活の場なので、雰囲気も違いますね。「ここでは生活の中で利用者さんのちょっとしたサイン、いつもと違うところを見ていくのが大事なんだよ」って言われました。
そもそも看護師さんのなかでは障害児看護を志す方は多いものでしょうか。
決して多いとは言えないですし、そもそも看護師のなかでも割と未知の世界かもしれません。私は実習で島田療育センター(※)という、歴史が長い施設に行かせてもらう機会がありましたけど、学校やタイミングによっては実習で行かないこともありますから。あまりよく知らないままという人も多いと思います。
※1961年5月、多摩市に開設された重症心身障害児施設。数も多いですし、当然急性期の病院に入る方がポピュラーというか。
そうですね。でも、もちろん最初から障害児看護を志す人もいますし、私のように、後から知って入って、働きやすいと思うこともありますし、まずは興味を持ってもらえたらいいですね。
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後編を読む

戸島 由加(とじま ゆか)
【出身】新潟県小千谷市
【職種】看護師
【好きな食べ物】ジャンクフード(ポテト類)、たこ焼き(ソースより醤油派)
【趣味】博物館巡り
病院情報

東京都小平市小川町1丁目741-34
緑成会整育園
小児科(小児神経科)、歯科、リハビリテーション科肢体不自由児施設として開園し、重症心身障害児(者)施設を経て、今年で65年以上の歴史を持つ、医療型障害児入所施設です。2016年10月に新築移転。より多くの方がご利用いただけるよう入所病床は倍増、通所サービス内容もリニューアルいたしました。これまでに得た経験や知識を活かし、肢体不自由障害のみならず発達障害など障害を持つより多くの方をサポートします。また、見てわかる身体の障害だけでなく、周りの環境にも注目し、多様化する家族形態から生まれる孤立した育児環境や、なぜその障害を持ったのかという障害背景など、見て捉えにくい悩みにも対応・支援できるよう体制を整えていきます。