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特集記事|看護 vol.2

看護師はチーム医療の「要」であり「翻訳者」。
「一人の人を支えるために」という視点から始まる回復期のチーム医療とは

看護2026.10.20

急性期を脱して比較的状態が安定した患者さんに、リハビリテーションやケア、退院に向けた環境調査を行い、社会復帰や在宅生活ができるように支援する回復期医療。医師や看護師、リハビリスタッフ、介護士、薬剤師、管理栄養士、ソーシャルワーカーなどが、それぞれの専門性に基づいて協力し合う「チーム医療」の力が求められます。


回復期医療におけるチーム医療の「要」となって、職種間の連携を担っているのが看護師です。今回は、回復期におけるチーム医療の重要性と看護師が果たす役割について、平成横浜病院 経営企画医師の藤原 秀臣さんと、看護部長の榎並 由香さんに伺いました。

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<プロフィール>
藤原 秀臣(ふじわら・ひでおみ)
循環器内科専門医、内科専門医。平成横浜病院 経営企画医師。名古屋市立大学卒業後、虎の門病院本院・分院にて9年間勤務したのち、2025年4月平成医療福祉グループに入職。

榎並 由香(えなみ・ゆか)
平成横浜病院 看護部長。複数の回復期病院、急性期病院や訪問看護などの現場を経験した後、世田谷記念病院立ち上げ時に入職。同病院看護部長を経て、2021年より平成横浜病院看護部長。

回復期では、なぜチーム医療が重要なのか

今や、医療のスタンダードになったチーム医療。なかでも、患者さんの生活に密着したアプローチを行う回復期医療において、その必要性はより高いと藤原さんは強調します。

藤原さん:そもそも回復期は、急性期に比べると医学が占めるパーセンテージが少ないんですね。患者さんを中心にして、どんな生活環境を構築していくか、どのような機能維持や機能回復をしていくかというソーシャル的な取り組みがベースとしては大きくなる。医学以外でサポートしなければいけない範囲が広いから、医師だけではなく看護師やさまざまな専門職が力を合わせるチーム医療のウェイトが圧倒的に重くなるんです。

平成横浜病院 経営企画医師の藤原 秀臣さん

チーム医療における看護師は「医師にとってはバディのような存在」だと言う藤原さん。全幅の信頼を寄せているのはなぜなのでしょうか。

藤原さん:回復期のチーム医療において、看護師は情報共有の要となる重要なキーパーソンです。患者さんやご家族、医師やコメディカルの間に立ち、幅広い知識を生かして情報を集め、共有する役割を担っています。

榎並さん:本当にそうですよね。病棟のリーダーを務める看護師は、その日の看護業務をきちんと回さなければなりません。さらに各職種からは、いろいろな報告を受けるんです。管理栄養士からは「〇〇さんの食形態を変えました」、ソーシャルワーカーからは「〇〇さんの施設の行き先が決まりました」、理学療法士からは「〇〇さんは、歩行器から杖歩行に変えます」など、とにかくすべての職種からさまざまな情報が集まってきます。

平成横浜病院 看護部長の榎並 由香さん

そのため、回復期の看護師には、たくさんの情報を整理、咀嚼し、その情報を「翻訳」して必要なところへ振り分ける俯瞰的な判断力が求められます。

榎並さん:回復期看護は、法的に許される範囲でなら自分たちで判断できる側面が大きいです。だからこそ、専門職として胸を張って仕事に取り組める。その背景には、何かあれば常に相談に乗ってくれる医師との信頼関係があります。「責任はもつ」と言ってくれる安心感があるから「この患者さんにはこんなことをしたらいいかも」「こんなことをやってみたら反応が変わるかも」と思ったことを、実践できるんです。

藤原さん:治療方針などの責任は当然、医師にあります。でも看護は看護で、点滴をしたり、薬を飲んでもらったり、責任重大な仕事をたくさんしています。むしろリスクに直面する場面は、医師よりも多いのではないかと思うぐらいです。だからなのか、看護部はすごく統制が取れていて、一つのインシデントに対して、きっちり記録に残す仕組みづくりが徹底されています。そういう看護部だからこそ、僕らも信頼して頼ることができるのです。

「一人の人を支えるために」から始まる多職種カンファレンス

回復期のチーム医療の土台をつくるのが多職種カンファレンスです。平成横浜病院の回復期リハビリテーション病棟では、医師、看護師、セラピスト2名、管理栄養士、ソーシャルワーカーが集まる多職種カンファレンスを毎日(患者さん一人ごとには月1回程度)開いています。

制服を職種によって分けていないためわかりづらいですが、スタッフステーションにはさまざまな職種のスタッフが出入りし、頻繁にコミュニケーションをとっています

藤原さん:急性期のカンファレンスは、病気の治療が最優先なので、患者さんのデータをモニターに映して、医師が中心になって問題を解いていきます。

回復期のカンファレンスは、「一人の人を支えるために」という視点に基づいて、それぞれの領域のプロフェッショナルが話し合っていくんです。治療のための問題を解く役割は医師が担いますが、その割合自体は小さい。むしろ「患者さんをどう支えるか」をみんなで考えることが重要になります。

多職種が集まるカンファレンスは、各領域からの多角的な意見を出し合えることに大きなメリットがあります。一方で、それぞれが自らの専門性にプライドをもっているからこそ、意見が食い違うこともあるのではないのでしょうか。

藤原さん:それぞれが専門性を発揮しようとするほど、衝突を避けられない場面もあります。でも、「患者さんがどうすれば元気になるかを考えたい」という思いは全員一緒なんですね。だから僕の経験上、そこさえ共有していればどれだけ議論が白熱しても、「患者さんにとっての理想を叶える」というゴールにたどり着くことがほとんどです。チーム全員がそのくらい本気じゃないと、患者さんの「じぶんを生きる」は支えられないと毎日実感しています。簡単に終わるカンファレンスなんてひとつもないんです。

大切なのは各自の専門性を持ち寄って、目指すゴールに向けてより良いルートを検討し、見つけ出していくことなのです。

回復期の看護は「患者さんに関わること全部」をする

看護師を目指す人は、まず急性期の看護師を目指す人が多いそうです。ところが榎並さんは、最初からリハビリテーションに携わる看護師を目指してきたと言います。勉強のために急性期の病院にも勤めてみましたが「やはりリハビリテーション看護がしたい」と回復期に戻ってきました。どのような点に魅力を感じているのでしょうか。

榎並さん:私はもともと、病気が良くなる経過に携わる看護がしたかったんです。回復期看護はまさに患者さんの状態がどんどん良くなって、元気になっていく過程にずっと携われる看護です。長い入院期間の間に患者さんともご家族とも信頼関係を築けた結果、ものすごく頼ってもらえるようになるとうれしくて、とてもやりがいをもって楽しく仕事ができていました。それから、チーム医療が本当に面白い。先ほど藤原先生が、看護師はチームの要だと言われていましたが、まさにチーム全体を仕切れるんですね。個人的には、その楽しさもありました。

「これほど楽しい看護はないとずっと思っています」と榎並さん。回復期看護には、自分の判断と行動次第で患者さんの回復と社会復帰が後押しできるという、大きなやりがいと手応えがあるのです。

榎並さん:「以前はできなかったことが、こんなにできるようになったんですよ」「歩く練習がはじまりましたよ。ぜひリハビリ室を見ていってください」とご家族を誘導するのも看護師の仕事です。そうするとご家族も「寝たきりだったのにここまで良くなったんだ!」と希望をもって面会に来られるし、退院後の生活をどうするかも考えやすくなる。患者さんも、家族のためにリハビリをがんばろうと励みになります。そうなるように導くのも、回復期における看護師の役割だと思っています。

急性期の入院が1〜2週間程度であるのに対し、回復期は2〜3カ月、長い場合では半年近くにおよぶこともあります。長い入院生活を送る患者さんにとって、心の支えとなるのがご家族や近しい人たちとの面会です。「せん妄や認知症の悪化を防ぐことにも寄与する」と藤原さん。患者さんと周囲の人たちの関係を支えることも、回復期の看護師が担う大切なケアのひとつです。榎並さんは、「回復期看護の仕事は、患者さんに関わること全部」だと言います。

榎並さん:以前、あるリハビリ専門の医師に「回復期リハビリテーション病棟にいるスタッフは、看護師を含めて全員リハビリスタッフなんですよ」と言われて「確かに!」と思いました。現場にいた頃は、日常の看護業務以外に、リハビリテーション看護として、空き時間に患者さんの歩行訓練をしていました。たとえば片麻痺の患者さんの階段訓練をするには、リハビリの知識と技術が必要です。看護師だって立派なリハビリスタッフなんですよね。

藤原さん:さっきから、榎並さんは一般的にイメージされる医療的な看護のことは一言も言ってないと思いませんか(笑)? もし別の病院で「いい看護とは何か」と聞いてみたら「患者さんの異常をいち早く察知する」とか「合併症を予防する」と答えるかもしれません。でも平成医療福祉グループは、何よりも人としての関わりを重視しています。だからこそ、僕らの病院の看護はやっぱり「全部」なんですよ。

「全部」というと非常に曖昧ですが、話を聞けば聞くほど、看護師の仕事はそうとしか言い得ないところがあると感じます。患者さんが目指すゴールがあり、業務内容はそれを実現するための手段の数々。そしてその手段は、人によっても、病気の症状によっても、目指すゴールによっても違うからです。

専門性の垣根を超えるのは看護師だけではありません。「歯科衛生士さんも歯磨きが終わった後、介助しながら歩行のリハビリのようなことをしていたりします」と榎並さん
異なる職種のスタッフ同士でなにやら相談している場面も

患者さんと深く向き合うことがチームを強くする

平成横浜病院のスタッフステーションは、「看護師以外も利用するのだから」とナースステーションから名称を変更。同じくナースコールも「誰がとったっていい」と、スタッフコールと呼んでいるそう。ちょっとした言葉の違いだけでも、意識は変わります
インカムは勤務する全スタッフが装着しています。指示や確認のために大声でスタッフを呼び止めたり、いちいちスタッフステーションに戻ってこなくてもよくなり、情報共有がスムーズになったそう

チーム医療の真価が発揮される瞬間も、チームが大きく成長するプロセスも、やはり患者さんと向き合う経験のなかにあります。藤原さんは、重度の肺炎で片方の肺がほとんどつぶれてしまった状態で転院してきたある患者さんのエピソードを語ってくれました。高度急性期病院では治療は難しいと診断されていましたが、平成横浜病院で看護師によるていねいな吸引や、体位変換・ドレナージにより、つぶれていた肺が約3分の2まで回復したそうです。すると、患者さんから意外な要望がありました。

藤原さん:肺が大きく広がった時には、本当に驚きました。そして、少し元気になった患者さんから「聞こえづらいから、耳垢をとってほしい」と言われたんです。ただ、その患者さんは耳穴の形がちょっと特殊で、耳鼻科でしか耳垢を除去できませんでした。回復したとはいえ肺の状態は悪く、ちょっと動かすだけでも窒息の危険があるので、外部の医療機関の受診は難しい。僕らも「耳の掃除でしょ」と優先度を低く考えていたんです。けれども、いよいよ終末期が見えてきたときに、多職種カンファレンスのなかで、その患者さんの希望をひとつも叶えられていないのではないかという話になりました。

そこで、看護師や事務スタッフ、ソーシャルワーカーが連携して、近隣の耳鼻科の往診クリニックに相談の手紙を送ったのだそう。耳鼻科の先生は病院スタッフの思いに共感し、採算度外視で、平成横浜病院まで出向いてくれました。

藤原さん:ただ、途中で酸素濃度が急に悪くなったため、諦めなければいけなくて。耳垢はあまり取れなかったので、おそらく聴力はほとんど変わっていないと思います。でも、患者さんは「すごく聞こえるようになった!」って言ってくれて、奥さんも泣きながら喜んでくれたんです。それから1週間後、その方は亡くなられました。
そのとき、無意識のうちに自分たちで限界をつくったり、優先度を決めていたりしたことに、みんなが気がついたんです。こんなふうに毎回深く人と関われたらいいよねという話になって、看護師は自主的に症例検討会(デスカンファレンス)を実施しました。そこから、チームがぐっとまとまった。仕組みづくりも大切だけど、一つの経験がブースターになって、ガラッとチームを変えてくれることもあるんです。

組織としての仕組みづくりと人を動かす経験や体験。その二つが両輪となって走っていくことで、スタッフの意識が変わり、行動も変わります。そうすれば、もっといい医療や看護が提供できるはずだと、藤原さんも榎並さんも確信しています。

榎並さん:患者さんが、入院という人生の岐路に立たされた時、どの病院を選ぶかは運命の分かれ道といってもいい。平成横浜病院を選んだばかりに帰れなかったなんてことになったら、私は恥ずかしい。だから、同じ考えをもっている人たちともっと出会いたいし、もっと育てたいって思います。選んでくれた患者さんにとって、私たちが提供する医療やリハビリやケアを最高のものにしようと考えるスタッフをどんどん増やしていきたいです。

回復期医療への熱い思いをもつお二人。平成横浜病院がこのさきどんなふうにパワーアップしていくのか、とても楽しみになりました

インタビューを終えて、私のなかに「病から回復する」とはどういうことなのだろうか?という問いが浮かびました。

「病」からの回復=病気が治るというイメージをもっていましたが、「回復」とは単なる治癒を指すのではなく、自分らしい生活や生き方を再構築していくプロセスではないかーーおふたりのお話を聞いた今、そんなふうに思いはじめています。

そして「回復」のためには、榎並さんが「患者さんに関わることは全部やる」と語られたとおり、チーム医療によって患者さんの入院生活をあらゆる領域からサポートすることが、とても大切なのだと思います。

次回は、看護部主導で行われた、多摩川病院の身体拘束ゼロの取り組みについてご紹介します。

プロフィール

ライター

ライター

平川友紀

ひらかわ・ゆき

フリーランスのライター。神奈川県の里山のまち、旧藤野町で暮らす。まちづくり、暮らし、生き方などを主なテーマに執筆中。

フォトグラファー

フォトグラファー

生津勝隆

なまづ・まさたか

東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。