医療療養病棟で感じた、リハビリテーションの醍醐味 自動車販売の営業スタッフが、リハビリ部門の管理者として立つまでのお話/大内病院 リハビリテーション部 課長/飯島 直孝さん

医療療養病棟で感じた、リハビリテーションの醍醐味
自動車販売の営業スタッフが、リハビリ部門の管理者として立つまでのお話
大内病院のリハビリテーション部で課長を務める、飯島直孝さん。もともとは車の販売職に携わりながらも、一念発起して理学療法士となり、グループの緑成会病院に入職した飯島さんは臨床スタッフから管理職となって活躍されるなかで、新たな道として、グループに籍をおきながら厚生労働省で働くという、稀有な経験の持ち主です。そんな飯島さんがいかにして理学療法士となり、どんな想いで働かれてきたか、その経歴を中心に伺いました。ぜひご覧ください!
最初の就職先は車の販売店!
飛び込みで家や企業を回る日々
このインタビューの話が来た時はどう思いましたか。
いきなりでしたので驚きました(笑)。
そうなりますよね(笑)。もともとはグループの緑成会病院で、理学療法士(PT)として働かれていたと伺いました。
私が入職した時に、緑成会病院のリハビリテーション科の管理者だったのが、このインタビューに出られていた、グループのリハビリテーション部副部長の裵さんで、その時の1つ上の先輩が、現在緑成会病院事務長をやられている岡さんでした。
奇しくも最近インタビューに出られていたお2方と、当時一緒に仕事をされていたんですね。ちなみにご出身はどちらですか。
東京都の府中市ですね。
落ち着いたいい場所というイメージがあります。
住みやすいエリアですね。
理学療法士の方は、スポーツをされていた方が多いというイメージがあるのですが、何かやられていましたか。
中学生の頃からバドミントンをやっていました。中学の部活は遊びみたいな感じでしたけど。
ちょっと緩い部活だったんですね。
でも高校ではけっこう強い、古豪みたいところに入りました。ただ、同級生で経験者が私ともう1人しかいなかったんですが、そのもう1人というのが、全国大会に行くような選手でした。
おお、かなり強い選手だったのですね。大会成績はいかがでしたか。
部活はけっこうしっかりやっていて、ダブルスでその選手と組んで、最後の大会は東京都で3位でしたね。
いい成績ですね!
いえいえいえ…その時の東京都の1、2位を同じ高校が独占していて、そこが全国でも1、2位を取るような、絶対王者みたいな学校でしたから。その時の選手が、確かオリンピックにも出ていました。
すごい、かなりの強豪と争っていたんですね。高校卒業後にバドミントンは続けられましたか。
大学の学部の部活くらいはやっていましたけど、週2、3回練習するくらいでした。
そこまで本気では続けて行かなかったと。大学では理学療法について学ばれたのですか。
いえ、まだ全然です。経済学部に進みました。
当初はリハビリテーションとは縁遠いところに入ったんですね。では就職もリハビリとは関係なく。
そうですね、自動車販売の仕事を3年ほどしていました。
車はもともと興味があったのですか。
それが全然なくて(笑)。その時は、将来性を考えて大手の会社に入りたいなと思って就活をしてたので、それで自動車メーカーに入りました。
実際、会社に入ってみてどうでしたか。
厳しかったですね。当時は休みも少なくて忙しかったですし。今はだいぶ変わったと思いますけど、その頃は毎朝1時間くらい、全員並ばされて説教というか、檄を飛ばされて。仕事では、都内の住宅街を回って初めて伺うお家のインターホンを鳴らして。
飛び込みで個人宅にも行かれるのですか。
家にも行きましたし、企業にも行きました。私には大変でしたね〜。
毎月決まったノルマが課せられて。
ノルマとは言われなかったです。販売目標という名前になっていました(笑)。
(笑)。成績の良い方は、どうやって売り上げをあげているんですか。
車を乗り換えるタイミングっていっぱいあるので、たくさんの顧客を持っていれば、前もってニーズを伺っておいて、そのタイミングで提案すると、「じゃあ買おうか」と、成約につながるんです。あとは顧客に大型の法人がいるとか、そういうこともポイントですね。
なるほど、ある程度長く続けていないと難しそうです。どのくらい働かれたのですか。
3年弱ぐらい働いて、離れました。働いているうちに、まあそこそこの成績にはなりました。でも、目標が達成できる月もあれば、できない月もあって、ムラがありましたね。

全員坊主!
厳しくも温かいまなざしで指導された九州での研修
ある程度の実績は出せるようになりつつ会社は辞められて。どんな心境だったのですか。
将来的な車の売れ行きのことも考えましたし、営業で飛び込みで回っていると、やっぱり歓迎されない時もあるんですね。そういう仕事をずーっとしていたので、今度は、がんばった分だけ感謝される仕事をしたいなと思ったんです。
そこで今度は、理学療法士を志したということですか。
最初は介護の仕事にも興味があって調べてみたり、スポーツも好きなので、トレーナーについて調べてみたり。その結果、中間じゃないですけど、理学療法士という仕事を知って、興味を持ったんです。
なるほど、PTならスポーツの分野にも携われますし、医療・介護の現場にも携わることができる仕事ですね。
そこで準備をしてから、働きながら夜学の専門学校で勉強し始めました。
仕事も新しく始められたのですか。
一般の病院で、リハビリ助手として常勤で雇用してもらえたので、目の前でリハビリを見ることができました。
それはいい環境ですね。では、日中はリハビリ助手として実地で働かれて、夜は勉強して、という生活を続けられて。
忙しかったですけど、すごくいい職場環境というか、いい方々に恵まれていました。
実習はいかがでしたか。
実習は九州の病院でのことが印象深いんですけど、実習生がみんな坊主なんですよ(笑)。
えっ!? それは、決まり事なんですか。
いえ、そうしろとは言われないんですけど「みんなしてるからね」っていう空気があって。
(笑)。すごい空気があったんですね。伝統みたいなことだったんでしょうか。
そうですね。担当が、高校野球のコーチもやっている先生で。でも熱い方で、とてもいい先生なんですよ。今でも交流を持っているくらいなんですけど。
では飯島さんも坊主にしたんですか。
もともと、かなり短く切って気合いを入れていったのに、そこからさらに短くしました(笑)。
それは、自分で気がついて刈られて。
いえ、寮に着くと寮長をやっている実習生から「(髪の毛を刈っても)大丈夫ですか?」とだけ聞かれたので「あ、坊主の件だな」と気づいて、「(髪の毛を刈っても)大丈夫です」と答えたら、「じゃあ今夜部屋に行きます」と。
すごい風習ですねえ(笑)。実習自体はいかがでしたか。
課題も多かったので大変でしたけど、実習のなかでもいちばん思い出深かったです。患者さんとも近い距離で接させてくれましたから、それだけ考えることも多くて。先生から教わることも多くて、中身の濃い研修でした。
恩師のような、厳しいけどいい先生だったんですね。
その後も、先生が東京に来た時は後輩と一緒に飲みにいくこともありました。セラピストとはこういうものだ、っていう想いをもらった先生です。
まだ決められていない環境に
魅力を感じ、緑成会病院へ
その後、緑成会病院には新卒で入られたのですか。
そうですね。就活の時は、全部で10個くらいは病院を見比べて決めようと思っていて。条件面とか通勤のしやすさとか、職場の環境、やりがいがありそうかとか、そういう項目でチャートみたいなものを作って、細かく分析をしていたんですけど、緑成会病院は、そのバランスがすごく良かったんです。
どういうところが特にいいポイントだったのですか。
見学に行った時は、うちのグループに運営が変わってリニューアルしたばかりの時で、まだ病棟が1つしか開いてなかったんですね。
病棟を順々に開けていくなかの過渡期だったと。ともするとマイナスに見えそうなタイミングですが。
でも、その時見学の対応をしてくれた、当時課長の裵さんが「ここはこれから作っていく病院なので、ある程度自分たちの好きなように、作れる」っていうことを話してくれたんですね。
現・緑成会病院事務長の岡さんも、インタビューで同様のことを話されていました。その点で魅力に感じる方が多いのですね。
そうですね、そこがなかったら受けてなかったかもしれないです。

強くやりがいを感じた
医療療養病棟でのリハビリ
緑成会病院に入られた当初はどんなことを担当されましたか。
入職時は医療療養病棟を担当していましたね。
開院間もない時期は忙しかったとよく聞きますが、飯島さんはいかがでしたか。
忙しかったですね〜。1年目で担当を10人くらい持っていました。
医療療養病棟でのリハビリの方はどういったケースが多いのですか。
本当にさまざまですね。難病の方もいらっしゃいます。
例えば難病の方に、PTとしてはどのように関わるのでしょう。
ALSや脊髄小脳変性症などは徐々に身体が動かなくなっていくので、その時にできることを、代替機器使ったり、動作学習をしながら見つけていったりしていました。例えば、自分でご飯を食べ続けられるようにとか、苦しくなったのを少しでも和らげられるようにとかですね。
なるほど、一年目から大変そうな現場ですね。
大変ではありましたけど、やりがいはありました。今でも、療養の分野はリハビリとして面白いと思っています。
それはどういう意味合いでそう思われるのでしょう。
療養は、急性期や回復期と違って、状態としては基本横ばいで、ほかの病院ではもうここまでしか治療ができません、となった方を、そこから何か見出していくことができるのが、醍醐味というか。これが本当にリハビリテーションなんじゃないかなと思って。
かなり限定的なところから、動作を見出していくと。その動作自体はどうやって決めるのですか。
本人がやりたいと思うことや、必要なこと。あとはご家族がどう思っているかということも伺いますね。
それなりに大変なリハビリではあるわけですよね。
1日に介入できる時間が20分とか40分と、短いんですよね。そのなかで結果を出さないといけないので、大変と言うか、考えないといけないことがたくさんありますね。療養は本当に、出会うセラピストによって、患者さんの人生が決まってしまう側面が大きいと思います。
医療療養病棟ではどのくらい働かれていたのですか。
2年くらいですね。その後は回復期リハビリテーション病棟に移りました。
回復期の醍醐味はどんなところにありますか。
療養に比べると時間も使えますから、やりたいことはいろいろとできますね。あとは、回復中の段階の患者さんなので、回復に向かうそのベクトルをいかに大きくできるかということだと思います。
病院立ち上げに携わり
管理者の道に
今のような管理者になっていくのはどんな経緯でしたか。
3年目になった時に、初めて主任にならないかっていう話をいただきましたね。その半年後には、印西総合病院が立ち上がるので、行ってくれないかということを言われました。
なるほど、立ち上げメンバーということだったのですか。
そうですね、主任として行くことになったんですけど、当時1年目のスタッフと2人だけだったので、けっこう大変でした(笑)。
あ、ほかにも誰かいたのではなくて、最初は本当に2人だけだったんですね。
翌月くらいから、いろんな病院からもスタッフが来てくれて、気がついたら半年でリハビリテーション科の科長になっていましたね。そこで初めてちゃんと管理の仕事をするようになりました。
それまでの仕事では、管理者的な動きは。
ゼロでしたね。臨床するのが当たり前だと思っていましたから、最初の頃は「臨床に入らないで、引いたところから見て、みんながちゃんと介入できているのかチェックしないと」と注意されました。
ではしばらくはそこで科長として働かれて。
1年弱くらいですね。ある程度落ち着いたら、また緑成会病院に戻ることになったんです。
今度は管理者の立場となって、また元いた病院に戻るのは、どういう印象でしたか。
最初はやりにくさはありました。もともと上司だった方が、部下になってしまうので、躊躇はありましたね。
そこは段々うまくできるようになったのですか。
私がどうというよりは、みなさんが大人だったんだと思います。それぞれの役割をしっかりやっていただけたので、助かりましたね。
緑成会病院では科長としてどのくらい勤められたのですか。
3年ですね。その頃にはもう土台がしっかりあったので、大きな問題もなく務めさせてもらえたと思います。
難病患者さんとの関わりも
貴重な経験に
ここまで、臨床の経験も多くあるかと思いますが、印象に残っている患者さんはいらっしゃいますか。
います。特に、一年目に関わった医療療養病棟のALSの患者さんは記憶に残っています。
裵さんからもALSの患者さんのお話を伺いましたが、やはり強く印象に残るのですね。どういった感じで関わられていたのですか。
そうですね。裵さんも近いお話をされていたかと思うのですが、なるべくご自身の力で呼吸なども維持していきたいというご希望を持っている患者さんで。そのため、できることを維持していけるようなアプローチをずっと続けていました。私の病棟異動もあって、ずっとは関われなかったのですが、いろいろな感情に触れる機会になりましたね。
どのようなことが印象深いですか。
例えば、強い意志を持ってリハビリに取り組んでいても、どうしても苦しくなってしまうことはあるので。それをどうしたらいいのかなっていうことは、ずっと考えながらでしたね。あとは距離感も、近すぎると冷静に接せられないですし、離れていると信頼関係が生まれないですし。
どういう気持ちで接することが大切なのでしょうか。
本当に難しいですね…今でもわからないです。でも、一歩まではいかないまでも、半歩くらい離れて接するようにしていたと思います。
それが、セラピストとして寄り添うための距離感なのかもしれないですね。

次回:研修生として、厚生労働省での職務を経験! 今後は組織づくりと、精神領域のリハビリテーションをより充実したものに!
厚生労働省で
研修生として働く機会を得る
飯島さんは厚生労働省で仕事をされた経験があると伺ったのですが、その経緯を教えてください。
緑成会病院でリハビリの管理者になって、業務に慣れてきた状況で、今後はどういうことをしていこうかと考えていた時期があったんですね。
ちょっと身の振りを考えるようなタイミングがあったのですね。
そこで、グループのリハビリテーション部の池村部長(※)から厚労省の話をもらったんです。
どういう内容のお話だったんですか。
「研修生として働いてみないか」というお話でした。立場としては、期間を限定して厚労省で実際に働きながら学ばせてもらうというものですね。同じく厚労省で働いた経験のある医療政策マネジャーを務める坂上先生のつながりでいただいた話だと思うのですが。
では形としては、籍は病院に置きながら、出向のような形で働くと。その話を受けようと思った決め手はありましたか。
理学療法士(PT)として働いていても、なかなか入れない世界ですから、そこに関われるっていうことに興味がありましたね。
確かになかなか縁がない世界ですね。そういった経験を積んだ人がまたグループに戻ってくることはプラスになりそうです。
お仕事を通じてさまざまな関わりもできますから。私が入った部署にも、自治体の職員や、PTの協会など、いろいろなところから研修生が来ていましたよ。
実際どのようなお仕事をされたのですか。
医療政策に関連する部署に配属されました。今だと医師の働き方についてとか取り組んでいるんですが、私が直接関わったのは医師の需給の検討についてですね。
医師の需要と供給について検討をされていたと。
日本の医師の需要と供給の数を出したうえで、現在は医師の数が増えているので、そのバランスを取るための方針を、世の中に認めてもらえるように打ち出していくとか。あとは医師が偏在しているという問題もあるので、その対策をどうしていくのか、ということに中心的に携わっていきました。
なるほど、地域差を解消するための取り組みということですね。具体的にどう動かれていたのですか。
実際はチームで動くので、そのトップから「こういうデータを出してください」とか、「こういう資料を作ってください」とか、そのほかにも陳情を受けた場合の対応にも関わっていました。あとは「議員レク」というんですが、国会議員の先生方に「こういう状況だからこの取り組みが必要なんです」とか、そういった説明をしました。ほかにも分科会のセッティングにも関わって、出席いただく先生方とのやりとりもしていました。
厚労省に限らずとも、省庁で働くとなるとなかなか忙しそうな印象がありますが、実際にはいかがでしたか。
忙しかったですね〜。やることが多かったですし、突発的にもらう話もありましたから。また、リハビリの分野での療法士の需給についての検討もやっていたので、その検討会のフォローに入ったこともありました。
飯島さんの経歴としてはそちらの方が専門分野で、医師の需給については関わりが薄そうですよね。
何もわからない状況だったので、医師の状況などについても、いちから勉強して取り組んでいましたね。
忙しいなかでのしんどさも…
しかし得られた新たな視点
お仕事のやりがいはいかがでしたか。
やりがいはあったんですけど、当初はしんどさが勝っていました(笑)。もともと病院のなかでリハビリ管理者として上に立っていたところから、今度は一番下に入ったので「自分がなにもできないんだな」っていうことを実感しましたから。
全然やってないことを始めたわけですからね。何か今までの経験が生きたことはありましたか。
それは、ほぼなかったですね…(笑)。リハビリについての質問は私に聞いてもらえますけど、世の中の医療全体で考えたら、必ずしもリハビリの話は大きい分野ではなかったので。でも、だんだんと自分が理解して仕事を身につけていくなかで、このことについては私に聞いてもらったら解決できる、という立場ができてきたんですね。
経験していくうちに身になっていったと言いますか。
やっとこう、いる意味があるんだとか、認められたじゃないですけど。頼まれたデータをすぐ出せる、とか、適切に資料を作れるようになるとか。そういう仕事ができるようになった感じですかね。
実際どのくらい働かれたのですか。
もともとは1年という話だったんですけど、延長してほしいということで、結果的に4カ月ほど延びて、期間を終えました。
この経験を通して、どんなことが糧となりましたか
厚労省で働いていると、これからどういう方針で国が進めていこうとしているかということが、いろんな方面から入ってくるんですね。グループとしても、国の政策に沿って動くところがあると思うので、自分としても理解しやすくなったというか、戻った時に方針を現場に落としやすくなったのは強みかなと思いますね。
なるほど、病院でリハビリ部門の管理者として仕事を進めるうえでプラスになる要素ですね。

大内病院のリハビリテーション部門管理者に
自身は未知の分野だった精神科の領域に踏み出す
厚労省でのお仕事を終えた後は、どうしていこうということは考えていたのですか。
厚労省での任期が終わる1カ月くらい前に、リハビリテーション部の池村部長と、次の配属についてお話しする機会があって、こういう貴重な経験をさせてもらったので、次がどんな立場であろうとお受けしようと思っていたんですね。そこで、現在勤める大内病院のお話をいただきました。
大内病院は精神科がメインの病院ですから、今まで飯島さんが取り組んできたリハビリテーションとは違いがありそうですね。
精神領域の経験はありませんでしたし、しかも今まで作業療法士(OT)しか配属されていない病院でしたから。
そこにもともとPTである飯島さんがリハビリの管理者として入られたわけですね。
前任の課長さんが離れてからしばらくリハビリについては管理者がいない状態で、役職者が分担しながら回していたので、意図としてはまず私に管理者として入っていってほしいということだったと思います。それと、疾患別リハビリテーションといって、2020年の5月から大内病院でも個別のリハビリテーションがスタートしたんです。その影響で、PTが何名か入っていた、ということもあっての任命だったと思います。
個別のリハビリテーションというのはどういうものですか。
精神科でのリハビリの関わりとしては「精神科作業療法」といって、集団で行うものが今まで主流だったんですね。それが、2020年4月の診療報酬改定で、精神療養病棟においても、疾患別リハビリテーションを行っていいということになりました。
今まではできなかったマンツーマンの身体リハビリをできるようになったと。
そちらがちょうど動き出したところだったので、そこを推進するとともに、精神科作業療法と、疾患別リハビリテーションをうまく調整をしていくということに、主として関わっていくところでしたね。大内病院でも高齢の入院患者さんが増えていることや、国の政策としても、入院から在宅復帰を進めていくなかで、集団リハビリだけでは補いきれない部分が以前よりも増えたことが背景にありました。
なるほど、そういった方の在宅復帰をサポートしていくには、例えばしっかり歩けるようになるためとか、個別のリハビリがさらに必要になってくるのですね。
実際、必要とする方は多くなってきています。一方では、作業療法についても今は個別でも取り組んでいます。そこに関しては、自宅などに戻った後にどういう風に社会で生活していくのかを、個別的に見ながらアプローチをするという取り組みを行っています。
集団とはまた別のアプローチとして、深く関わっていくと。飯島さん自身はPTとして、精神領域には関わりがなかなかなかったのではと思うのですが。
やはり今まで取り組んできたリハビリとは全然違いましたし、対応ひとつとっても、まだまだ難しさを感じますね。この方だったらどこまでさせてくれるかっていうところの判断が難しいですし、関係性もやはり違ってきますから、その距離感を考えていく必要があるなと最近思っています。
PTとして精神領域に関わってきた方というのはグループでも少ないのですか。
ほとんどいないですね、世の中でもまだかなり少ないと思います。
PTがこの病院に入る以前から、ずっと患者さんと関わってきたであろうOTにアドバイスをもらう機会などもありそうですね。
その点は、すごく助けてもらっていますね。お互いがお互いをフォローし合えると、すごくいいアプローチができると思います。
互いに無い部分を補い合っていけると。
今までがんばってアプローチしてきたスタッフが引き続き一生懸命働いてくれていて、そこに、新たにPTが入ってきたわけですから。今まで課題だったような部分、歩行とか転倒の予防とか、そういったところにアプローチできます。そこがクリアできたら、さらにもう一歩先に、協調しながら進んでいかないといけないなと思っているんです。つまり、精神に加えて身体もプラスアルファでみながら、その先に在宅生活がある。そのために、どうやって在宅復帰を進めていって、さらにどうやって生活してもらうのか。
在宅生活を送っていくうえでは、どちらも必要なことと言えますね。
もちろん、精神作業療法だけで十分という患者さんも多くいらっしゃるので、そういう方にはPTは介入せず、OTのアプローチで在宅復帰を目指していきます。私自身まだまだ、教えてもらいながら取り組んでいるところですね。

病床は縮小しても
リハビリテーションの質を高めていく
大内病院については今後建て替えも予定されていますが、それに伴ってリハビリテーション部についてはどのようなことを考えられていますか。
病床数が縮小するので、担当する患者さん自体は減ることになるわけですけど、量が減ることになれば、やはり質を高めないといけないと思っています。そのため、個別リハビリを強化していくためにも、採用も積極的に進めています。
なるほど、ベッド数は減るけれど、今まで以上に深く関わるために、人員はむしろ増やしていると。
リハビリについては、集団と個別の融合をしっかりして、1人の患者さんに、いろんな方面からアプローチしていこうと思っています。多方面からのアプローチを通じて、入院期間をなるべく短くして、早い段階で在宅復帰を目指していきます。そのために、退院後の生活をサポートするための在宅サービスの受け皿もさらに強くしていきたいですね。短期間で積極的なリハビリ介入と、在宅部門の強化が必要だと考えています。
そのほかに今後の展望はどう考えていますか。
人員を増強するなかで、若手のスタッフも増えてきているので、院内教育体制をしっかり作るっていうところと、もうひとつは組織作りをしています。
今までOTだけで組織が作られていたところにPTが入ったわけですし、組織図も変わりますね。
その点もありますし、例えば入院は入院の人、訪問は訪問の人、という感じで、それぞれの所属によって、同じ院内でも担当によって少し距離があったんですね。もちろん、その所属はそのままとして、ひとつの病院のリハビリ職員として、部門全体でも管理させてもらう、という方針を今考えているところです。
所属はどこであっても、大内病院のリハビリスタッフとして、共通した筋を一本通していくような。
そうですね。リハビリ部内で、在宅部署を管理してくれる人、入院部署を管理してくれる人、というような感じで、一緒に話しながら組み立てていくような組織作りをできたらと思っています
人を育てていくために
理想的な組織作りを
ちなみに、飯島さんのように病院でのリハビリ部門の管理者となると、またグループで別の場所に移るということも当然考えられそうですが。
どうでしょうかね? ただ、どのような状況になってもいいよう準備をしておこうっていうのは半分思っていて、組織作りはそのためでもあるんですよね。2番手3番手をしっかり作って教育していかないといけないというか。僕がここにいる意味って、そこだと思うんです。
なるほど、組織作りや人作りが使命だと。
大内病院自体は、やっぱりOTが中心ではありますし、そのなかでもリハビリ部門の管理者として立てる人間をどんどん育成していかないといけない、というのが課題なのかなと個人的には思っています。
管理ができる人間を育てていくというのが当面の目標でしょうか。
どこの病院でもそれができると、非常にいいと思います。それと、僕がずっと理想に思っているのは、役職者が現場に戻りやすい仕組みがいいかなと。
どういう意味合いでそう思われるのですか。
やっぱり上が詰まっていくと下が伸びないですから。なので、ある程度上までいったら、現場にまた戻ると、今度は新しく上がった人をフォローできるようになる。そうすると育成が下からもできるわけです。それが回っていけば、組織の形としてはおかしいかもしれないですけど、強みが出るんじゃないかなと思います。
管理能力がある人が管理者として立つのは当然として、能力があるが故に、そこから離れる機会も少ないですからね。
そうすると、上に行きたいスタッフからすると逃げ道がないですから。結果的にほかに行くことになってしまって、能力のある人ほど、離れていってしまうことにもつながります。
流出を防ぐためにも、人材を回していくというのはひとついいアイデアかもしれませんね。

近頃は行けないキャンプと釣り
そんな時は家で…
では最後にプライベートのお話を伺います! お休みの日はどう過ごしていますか。
最近は外に行けないですけど、もともとキャンプとか釣りとか、アウトドアが趣味なんです。
もし釣りに行ける時は、どの辺に行くんですか。
静岡とか神奈川の海ですね。最近は行けないのが残念ですが…。
遠方に出かけられない最近はどうされているんですか。
う〜ん、家でお酒を飲んでますね。ダメですね(笑)。いつも、自分で料理を作ってお酒を飲んでます。
自分でやられるんですね〜。どんなツマミにはどんなものを作ってるんですか。
最近、医事課の管理者の方に、ローストビーフのオーブンでの作り方を教えてもらったんですよ。
院内にレシピを教えてくれるスタッフさんがいるんですね。
元管理栄養士の方なんですよ。当直で一緒になった時に、合間で「いいレシピないですか」って聞いてます(笑)。
いいですねえ。お仕事以外でなにか個人的にやりたいことはありますか。
ん〜、なんだろう…。あ、でも今は分野を問わず本を読もうと思っています。もともと本好きではないので、ちょっと努力しようかなって(笑)。
趣味にしようとされてるんですね(笑)。
おすすめをみんなから教えてもらって、知見を深められたらいいなと。あとは厚労省に行って感じたのが、事務スキルを高めたい、っていうことですね。文章を作る能力も、著しく弱いなと感じたので。
まさにそういった仕事がメインだったわけですもんね。
当時に比べれば強くなって、いろいろ理解できるようになったんですけど、今後はもうちょっとそこをがんばりたいです。

プロフィール

大内病院 リハビリテーション部 課長
飯島 直孝
いいじま なおたか
【出身】東京都府中市
【資格】理学療法士
【趣味】釣り、キャンプ
【好きな食べ物】ビール(お酒はなんでも好き)、唐揚げ
病院情報

東京都足立区西新井5-41-1
https://www.oouchihp.net/
大内病院
精神科・内科・歯科
認知症や感情障害、神経症性障害などの方が治療を行う場として、多職種が密に連携をとりあって患者さんをケアしています。また院内に『診療適正化委員会』を設置し、常に適切な医療が提供できるよう、職種の垣根を超えて自由に意見交換を行っています。地域の総合医療福祉センターとして、予防・治療・リハビリテーションの一貫した最新医療サービスを提供すべく職員一丸となって日々努力を続けています。