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いつでも、誰でも、帰れる場所に 精神障害の方を支える新施設OUCHI開設への想い/精神障害者支援施設 「OUCHI」スタッフ

介護福祉事業部2019.04.05
介護福祉事業部

いつでも、誰でも、帰れる場所に
精神障害の方を支える新施設OUCHI開設への想い

精神障害者支援施設「OUCHI(おうち)」の作業療法士の石坂さん、公認心理師の齋藤さん、精神保健福祉士の溝呂木さんは、連携する大内病院でそれぞれキャリアを積んでこられました。3人が精神領域の仕事に就いたきっかけや、OUCHIに関わることへの想いなどをお聞きしています。
開設直前の慌ただしいタイミングでのインタビューでしたが、とても楽しそうに話される3人の様子がとても印象的でした。ぜひご覧ください!

地域に出て行く起点であり
いつでも戻れる場所

まず初めに、OUCHIという施設のことを知りたいのですが、どういった目的の施設なのか、教えてください。

石坂:僕が言っちゃっていいですか。

齋藤:いいですよ!

全員:(笑)。

こういう説明はいつも石坂さんがされることが多いんですか?

溝呂木:いつも任せてます(笑)。

石坂:もともとの原点は、北海道浦河町にある「べてるの家(※)」にあります。精神障害を抱えた方が、精神病院から退院した後に行き場がなくなってしまうという問題があって、そのサポートをするための施設がOUCHIです。

※1984年に設立された、北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点。生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共同体という3つの性格を持ち、100名以上のメンバーが地域で生活する。

具体的にどういったことをされるんでしょうか。

石坂:地域で生活するためには、働く場所が必要ということで、就労支援の機能や、一人暮らしをする前に生活訓練をするグループホーム、交流ができて集える場所もあって、すぐ近くに病院もあって、サポートするスタッフもいる。地域に出ていくための起点になるとともに、いつでも帰ることもできる場所を作っていこうというのが大きな目的です。

みなさん、そもそもはどういった職種で、OUCHIにはどう携わってらっしゃるのでしょうか。

石坂:もともと、精神科病院である大内病院で、作業療法士としてリハビリテーションに携わっていました。OUCHIの運営についてはサービス管理責任者という、就労施設やグループホームでの支援計画を立てる役割です。

齋藤:僕はずっと大内病院のデイケアで臨床心理技術者として働いていました。この2月からその資格が国家資格化しまして、公認心理師という名前になりました。OUCHIでは管理者として、業務全般の管理を担当します。

いわゆる施設長的な立場になるわけですか。

齋藤:そうですね。

溝呂木:私は精神保健福祉士として大内病院で働いていて、グループホームの管理者でした。OUCHIでは世話人として関わっていきます。

トイレの修理をしたことも
入職後は幅広い仕事が待っていた

それぞれお仕事に就いた経緯を教えてください。

齋藤:とてもミーハーな理由で、大学の進路を決めようとしてる頃に、ちょうど「プロファイリング(※)」が流行っていて、単純に「面白そうだな、心理学いいじゃん」っていう理由で(笑)。それで心理学部を受けました。

※犯罪事件の捜査で、現場の状況や遺留物や過去の事件の傾向などから、犯人像を割り出す方法。

割とノリで受けられたのですね(笑)。実際その中からこの職種を選ばれた理由を教えてください。

齋藤:それしか職種を知らなかったっていうのがあったと思います。当時、精神保健福祉士も知らなかったんで、人の心と関わる職といえば「心理職なんだろうな」って勝手に思って、進みましたね。

基本的な質問なのですが、臨床心理技術者とはどのような仕事でしょうか。

齋藤:病院であれば、患者さんに心理検査やカウンセリングを行います。僕はデイケアでずっと働いてきたのですが、そこでは通われるメンバーさんの日々のプログラムを運営していました。デイケアでは精神保健福祉士と心理職が一緒に働いていたので、同じように行政など外部とのやりとりもしつつ、メンバーさんから相談があれば、それを聞かせてもらう、という感じでしたね。

大内病院にはどうやって入られたんですか。

齋藤:ちょうど大学院を卒業して就職先を探していた時、大内病院のデイケアに勤めていた大学の先輩が退職するので、後任として誘われたのがきっかけで。

最初の職場として入職して、ずっと長く働いてこられたんですね。

齋藤:そうなりましたね。その時々でいろいろな経験させてもらいました。アルコール依存症や、知的障害、統合失調症、うつ病の方。一時期は簡易宿泊街に行って、そこに住む利用者さんに声をかけにも行きました。

幅広く経験をされているんですね。溝呂木さんはどのように精神保健福祉士までたどり着きましたか。

溝呂木:高校卒業後の進路を決める時に「大学に行っても特にやりたいことがないな」と思ったんですが、福祉には興味があったんで調べたら、「精神保健福祉士」っていうかっこいい名前の職業があって(笑)。

まず名前に惹かれたと(笑)。

溝呂木:最初、社会福祉士と精神保健福祉士で迷ったんですよね。ただ、精神保健福祉士は精神領域に限定されていて、スペシャリスト的に仕事をできるんじゃないかと、魅力を感じました。

大内病院に入られたのは。

溝呂木:新卒で、こちらに就職しました。

実際、仕事に就いてみてどうでしたか。

溝呂木:私もデイケアの担当になったんですけど、始まってみたら思ったより何でも屋の印象でしたね。

実際にどんなことがあったんですか。

溝呂木:メンバーさんのお家に行った時に「トイレが詰まった」って言われたので、スッポンを使って詰まりを取ったり、「電話が壊れた!」って言われたので直したり(笑)。

本当に何でもするんですね!

溝呂木:でも楽しかったですね。自分の家のトイレが詰まっても直せる自信がつきましたし。

全員:(笑)。

法律家志望から一気に転換!
作業療法士を目指した

石坂さんが作業療法士になったのはどういった経緯でしたか。

石坂:実は、もともと大学では法学部に通っていて、法律家を目指そうとしていたんです。

また全然違う分野ですね!

石坂:でも実際「厳しいな」と思ったんです。そもそも卒業後の道が多いわけではないですし、司法試験だって、受かるために卒業後も勉強し続ける人がたくさんいます。当時は、弁護士を増やそうとか、ロースクールの設置とかもまだまだの時でしたから「これはまずいな」と(笑)。

司法関係の仕事に就くのが難しいと判断したのですね。

石坂:僕の奥さんが看護師なんですが、「手先が器用だから向いてるんじゃない?」と作業療法士を勧めてくれたんです。それがきっかけで、大学を卒業してから専門学校に通うことにしました。

勧められた時、すぐにピンと来ましたか。

石坂:最初は正直「どんなものかなあ」って思いながらでした。でも、ちょうどその頃やっていたドラマ『オレンジデイズ(※)』で、妻夫木くんが作業療法士を目指すっていうのもあって、自分の中ではタイムリーでしたね。それがきっかけだって言ったら怒られるかもしれないですけど(笑)。

※2004年4月11日よりTBS系列の『日曜劇場』枠で放送されていたテレビドラマ。主演は妻夫木聡と柴咲コウ。

実際学校に入ったら、より興味が湧いたという感じですか。

石坂:作業療法士は精神領域と身体領域に分かれて実習に行くんですけど、当時は精神科については全然知らなくて、実際に実習で行ってみるとすごい面白かったんですね。

ご自身で経験して、精神の方に惹かれていったんですね。

石坂:ただ、担当した患者さんのことを巡って、実習の指導者の方と喧嘩してしまいまして…。

けっこう熱い気持ちでぶつかっていたんですね。

石坂:閉鎖病棟にいた患者さんを担当させてもらっていたんですが、僕としては、その方は外に出て生活できる能力があるので退院できると思って、退院を目標として掲げたんです。でも「この方は身よりもなくて、ずっと入院しなければいけない。入院の中でできる目標を立ててください」と言われて、反論してしまったんですね。

石坂さんとしては、道を模索できないかと考えて。

石坂:でも実際は、それ以前に身元引き受け人とか成年後見人とか、いろいろと手を尽くそうとしたけど難しかったと。「あなたは作業療法士の実習で来たんだから、まずは作業療法士としてできることをやりなさい」と言われました。

まず作業療法士としての仕事を身につけなさいという。

石坂:実習の場でこれをやってしまったことに反省しましたね。ただ最終的には「そういう熱い想いを持ってやっていけ」って言ってもらえて、それもあって「精神領域に進んでいこう」っていう気持ちになりました。

そこから大内病院に入られたんですね。

石坂:専門学校の先生が大内病院の北上先生と知り合いで「いい先生だよ」と勧めてくれて、入ることにしました。ただ入ってはみたんですが、実際に配属されたのは北上先生の下ではなく、デイケアでした(笑)。

三者三様、それぞれの印象は

みなさんデイケアに勤められていたことがあったんですね。

石坂:齋藤さんとは最初の2年くらいは一緒に働いてました。

当時の石坂さんの印象はいかがでしたか、先ほどの話からすると、熱い想いを持った若者という感じだったのでしょうか。

齋藤:熱い想いはそんなに感じなかったですね(笑)。がんばって笑いを取るタイプだとは思いました。

全員:(笑)。

溝呂木さんも、お2人と仕事をされてきたんですか。

溝呂木:私が入ったとき、齋藤さんが職場長でした。すごい優しくて、話も聞いてくれる上司でしたね。

齋藤:ありがとうございます(笑)。

逆に、溝呂木さんについてはどういう印象でしたか。

齋藤:変わってるなとは思ったんですが、「熱心な人が入ったな」と思ってました。

石坂さんと溝呂木さんは、これまで仕事上の絡みはあったんですか。

溝呂木:実際そんなに絡みがなかったんですよね。重なっていた期間も短かったですし。ただ、ほかの作業療法士から「フォローしてくれるいい上司だ」って聞いていました。

石坂:もっと言ってください(笑)。

全員:(笑)。

「べてるの家」から受けた
大きな影響

このOUCHIの立ち上げにはどう関わるようになったのでしょうか?

齋藤:2、3年前に、このグループで医療事業部長を務めている田村さんから、北海道の「べてるの家」を見に行こうと声をかけてもらって見学に行ったんですね。行った時はまだOUCHIの話はなくて、「ここで見たことをどうデイケアに生かそうかな」って考えていたくらいでした。

当時はまだOUCHIの話は知らずに。

齋藤:そうですね。戻ってしばらくして、「今度べてるのような施設を作りたいんだけど、やりたくない?」って聞かれて、OUCHIとの関わりが始まったっていう感じですね。

べてるの家はどういうところが参考になったんですか。

齋藤:まず、町ぐるみで患者さんをみているということに驚きました。特に一番驚いたのは、調子悪そうにされてる方、幻聴とか妄想がある方たちが、普通に地域の中で生活をされていたことです。もちろん、地方の小さな街だからこそできることではあると思うんですけど、「このレベルであれば、大内病院では入院かな」っていう方ばかりだったので、それができるということにびっくりしました。

じゃあ、OUCHIを作ろうと声をかけられたときは、前向きな気持ちで。

齋藤:そうですね。それで、僕と田村さんで話を進めていくうちに「こういう人を立てなきゃいけない」っていう基準がだんだんわかってきたところで、一番手に名前が上がったのが石坂さんだったんですよ。

石坂さんとしてはどういう気持ちでしたか。

石坂:面白そうだなと思いました。新しいことが好きなので、やってみたいなと。そうやって名前を挙げてもらえるのも光栄でしたし。

溝呂木さんはどういった経緯で。

溝呂木:私はもともと、グループホームで障害者の方の日常を支援する世話人になりたいって言っていたんですね。

齋藤:グループホームとか、地域で働きたいっていうのは聞いていたので、声をかけたんです。

溝呂木:ただ、私は管理者になるとは思ってなかったです。世話人になると思っていたので、気づいたら「管理者か!」って(笑)。

石坂:僕は就労支援の作業の担当で、溝呂木さんがグループホームの管理、齋藤さんが全体の管理者っていう分担です。

管理者になると、今までやっていたような現場的な仕事については離れるんでしょうか。

溝呂木:私はやりたいと思ってるんですけど、バイトリーダーみたいな形で。

全員:(笑)。

管理もしつつ現場も見つつという。

溝呂木:そうですね、携わっていきたいです。

その点は石坂さんも同じくですか。

石坂:自分は作業療法士としての気持ちは忘れないようにしながら、就労の方でやりたいなと思っています。作業療法士が入ることで、利用者さんの生活が良くなっていく、っていうことにつなげられればいいですし、そのことで僕らの職域も広がっていきますので。

齋藤さんは完全に管理者になるわけですが、現場から離れることについてはいかがですか。寂しさなどもあるものですか。

齋藤:そうですね、デイケアで職場長になった時点でもありました。でも、もちろんそれは必要なことですし、全く関われないわけではないですから。これからも、この立場でやれることをやっていこうと思っています。

地域で暮らす起点になる「HOME」
交流の場になる「SPACE」

OUCHIは4つの機能を備えていると伺いました。それぞれの特長やポイントを教えてください。

石坂:まず「HOME」は、自宅で自立した生活が送れるように練習を行うグループホームです。日々の生活に必要なことを学びながら、新しい住まいを見つけるまでの仮の住まいとして利用できます。アパートやマンション、グループホームを紹介して、新たな暮らしへの一歩を踏み出せるようにお手伝いを行うものですね。

利用した場合、普段の生活はどんな感じになるんですか。

石坂:基本的には、ある程度自活能力があって病気の症状が比較的落ち着いている、でも何か不安で、一人で住むにはトレーニングが必要という方が利用します。本来なら退院したらご自宅から作業所に通ったり、デイケアに通ったりされるのですが、それをHOMEから通うと。それと、あとでお話しするんですが、OUCHIのCAFEやKITCHENでの就労も可能です。ほかのデイケアとも併用しながら、いろいろな評価という材料がたくさんできていきますので、それを積み重ねて、地域に戻ることを目指していきます。

SPACEはどのように使う予定ですか。

石坂:ここを使って、定期的に当事者研究会や、ピアサポートミーティングをやることを想定しています。

齋藤:当事者研究会について補足すると、各自の症状を発表して語り合い、問題に向き合う会合のことです。同じような体験をしてる方がいれば、「私の時はこうだった」と情報交換ができますし、違う症状であっても相互理解が進められます。

話しながら対処を探る取り組みなのですね。ちなみにピアサポートミーティングとはどのようなものですか。

石坂:元患者さんがいらして「困った時、自分はこういう風に対応したよ」という体験談を話してもらう会のことです。

溝呂木:OB会と言いますか(笑)。

とてもわかりやすいです(笑)。社会に出られた方が話をしてくれるわけですね。

齋藤:「一人暮らしは大変だけど、こういう楽しいこともあるよ」というような感じで、何でも話してもらえたらいいなと。

イベントなどが無い日はどう使われるんですか。

齋藤:特に何もなくても、フラッと来て、誰かと話したりのんびりしたり、ただ時間を過ごしてもらえたらなと思っています。集まれる場所になればいいですね。

日替わりのランチも提供
人と働く楽しさを感じる「CAFE」

では次はCAFEについて教えてください。

石坂:CAFEは就労施設(※)で、20歳以上の精神障害のある方で、比較的症状が安定している方が働くことができます。

齋藤:調理については、調理師さんなど専門スタッフが入ってサポートしながらですね。

石坂:仕事を通しての成長や、人と関わる楽しさを感じてもらえるような職場になったらと思っています。

※就労継続支援B型事業所。障害により企業などへの就職が困難な方に対し、負担の少ない短時間で働ける場所を提供する事業所のこと。

喜びを感じられるような場所ですね。具体的にはどんなお店になるんですか。

石坂:就労を支援するための働く場所ですが、OUCHIメンバーはもちろん、地域住民のみなさんや、ほかのグループホームにお住まいの方、誰でもいらして利用できるお店です。

どなたも利用できるんですね。ちなみにメニューはどのようなものをお考えですか。

齋藤:目玉として、ワンコインランチの提供を予定しています。

石坂:ランチは日替わりのメニューを2種類くらいと、それと定番メニューとして何かご飯ものや麺類を提供するかと思います。

しっかりと食事があるのは嬉しいですね!

石坂:それとドリンクや、午後はケーキも出せたらと考えています。

ランチのほかにも、気軽に利用できそうですね。

石坂:営業時間が11時〜18時00分を予定していますので、午後のティータイムや、夕飯にも使ってもらえたらいいですね。地域のみなさんが集まれる場所にしていきたいです。

チョコレートや焼き菓子、パン
スタッフと一緒に作る「KITCHEN」

KITCHENではどんな取り組みを行う予定ですか。

石坂:こちらも就労施設で、パンや焼き菓子、チョコレートの製造を行います。やりたいことや挑戦したいことを大切にしながら、安心して働ける環境を作れたらと思っています。

いろいろ挑戦できそうですね。どんなパンを作られるんですか。

齋藤:食パンとコッペパンを作る予定です。

これもCAFEと同様、調理師さんが一緒に入りつつでしょうか。

溝呂木:そうですね、スタッフと利用者さんで一緒に作っていきます。パン職人の方が実際に指導にあたるんです。

石坂:パンについては今のところ一般販売の予定はないんですが、当グループの関連施設で提供されます。

焼き菓子はどんなものですか。

石坂:予定しているのは、米粉のクッキーとおからのクッキー、それと米粉のクッキーにチョコを挟んだものです。健康を意識した、グルテンフリーの商品になっています。

小麦粉を使っていないものがメインなんですね。チョコレートはどういった経緯で生まれたアイデアですか。

石坂:どんなものを作るか話し合っているときに、出たアイデアでしたね。そもそも僕は甘いものが苦手だったんですが、これをきっかけにチョコレートの素晴らしさを知りまして…。

全員:(笑)。

石坂:作ろうとしているのは、ビーントゥバー(Bean To Bar)スタイル(※)なので、添加物や香料を加えずに、カカオ本来のおいしさや香りをストレートに楽しめるんです。

※カカオ豆の選別からチョコレートになるまでのすべての加工工程を一貫して手がけて作られたチョコレートのこと。

ここ何年かで、専門店などもできているチョコレートの製造方法ですよね。

石坂:ガーナ、グアテマラ、ハイチなど、6カ国の豆を使ったチョコレートを販売予定なのですが、それぞれの味の違いがわかってとても面白いです。それとチョコレートを豆から自分たちで作るっていう工程が、精神障害のある方にとってもいい作業だと思うんです。

どういった点が良いと思われたのですか。

石坂:豆という自然な材料が、どんどん形を変えてできあがっていく過程が目で見てわかりやすい。それに香りもすごくあって、リラックスすると言われるじゃないですか。味覚も含めて、いろんな感覚的に刺激を得やすいというのが、いいのではないかなと思っているんです。こういった作業において、可能性がある取り組みかもしれないと考えています。

チョコレートの製造というのは、就労支援の作業としては珍しい印象を受けます。

齋藤:こういう施設での作業としては新しいかもしれないですね。

今後が楽しみです! ちなみにどこで購入できるのでしょうか。

齋藤:焼き菓子とチョコレートは、CAFEの店頭と大内病院の売店で販売予定です。

石坂:あと、チョコレートって、食べるとみんな笑顔になるんですよ、それもすごいと思っていて…。

全員:(苦笑)。

石坂:(気にせず話し続ける)チョコレートってみんなが好きじゃないですか、素晴らしいですよね!

素晴らしさは十分伝わりましたので、次の話に移りましょう(笑)!

別れは少し寂しい、でも背中を強く押す
送り出す側の気持ち

溝呂木さんはどういう形でOUCHIの運営と関わることになるのですか。

溝呂木:今まで話していた4つの機能の仕事に、具体的に直接関わるっていうのはほとんどないんです。それよりは、利用者さんの申し込みから利用が始まるまでを、社会福祉士さんと一緒にサポートしていきます。

入ってからのことではなく、主に入るまでのところ。

溝呂木:それと出られる時にも関わります。卒業というか、次のステップに進む時ですね。

次のステップに行くというのは、どういったタイミングなんですか。

溝呂木:まずはご本人の気持ちですね。そのうえで、評価が基準に達していることが必要になります。

基本的にご本人から「施設を出たい」「一人暮らしをしたい」という気持ちが出てきたら。

齋藤:そういう次への気持ちが出てきたら、その気持ちを尊重して、相談して進めていきます。

実際、施設から出られる時っていうのは、見送る側としてどういう感情になるんですか。

溝呂木:OUCHIについてはまだ始まってないのでわからないんですが、デイケアの時は応援する気持ちもありつつ、離れてしまうので寂しい気持ちもありましたね。

齋藤:そう、半分半分ですね。デイケアを卒業して「就労支援施設で働きます」とか「アルバイトします」っていう利用者さんをたくさん見てきましたけど、「やった次に進めたぞ!」っていう喜びと、「ああ行っちゃうな」っていう寂しさが混ざって複雑な気持ちになりますね。でも「がんばれよ!」って背中を押してきましたので、OUCHIでもそうやって送り出せたらいいですね。

長く続く地域との関わり
OUCHIの目指していく場所

OUCHIのメンバーとして利用される方は大内病院からの方が多いのでしょうか。

齋藤:連携がありますので、最初は大内病院からの患者さんが多いと思います。ただ、もちろん病院外からも受け入れていく予定です。病院も目の前にあるので、何かあった時はすぐに対応してもらえる強みがあります。

安心につながりますね。地域での立ち位置としてはいかがでしょうか。

齋藤:今までもグループホーム開設時や、OUCHIの工事が始まる時にご近所にあいさつに伺うと「大内さんがバックにあるから安心だね」って言ってもらえることもありました。大内病院自体がここで建ってもう50年くらいは経つので、地域の方からも一定の理解は得られているのかなと思います。

これだけ長く続いている精神科の病院ということが大きいんですね。

溝呂木:大内病院のすぐ横にあるグループホームでも、ご近所の方がよくあいさつしてくれます。

齋藤:そういう場所だからこそ、地域でみていくということにもつなげていけるのかなと思っています。

今後OUCHIをどんな施設にできたらいいなと思いますか。

齋藤:みんな一緒くたになって、ワイワイやっていける施設になればいいなと思っています。近所のおばちゃんが来ていたり、患者さんが来ていたり、そこでみんなが一緒に喋っていたらいいですね。メンバーさんが、楽しいことも辛いことも含めて生き生きとして、最終的には笑っていられるような場所を作っていきたいですね。それはスタッフも含めて。この地域がそういう楽しいところになるといいなと思います。

地域自体にプラスの影響があるとさらにいいですよね。

石坂:僕は、利用者さんの「これをやりたい」っていう気持ちを大事にして、やりがいを見つけられるような場所であってほしいなと思っています。

その人ごとの気持ちに添える場所ですね。最後に溝呂木さんはどうでしょう。

溝呂木:雑談ができるところにしたいですね。一対一で相談するだけじゃなくて、何人かで机を囲んで「こういうことで困ってるんだ」っていうことが話せるようなアットホームな空気というか、生活感が出せるようになればいいなと思います。

ラーメン、鉄オタ、洗濯機
バラエティに富んだプライベート

みなさん休日はどのように過ごされていますか。

溝呂木:携帯ゲームをずっとしてます。

全員:(笑)。

溝呂木:それと水泳のスクールに週1回通っています。

すごい! 水泳はもともとやっていたんですか。

溝呂木:中学・高校と水泳部で、背泳ぎをしてました。

今また習うということは、本当に水泳が好きなんですね。

溝呂木:すごい楽しみですね。それがないと一週間が物足りなくて(笑)。

齋藤さんはいかがですか。

齋藤:僕も中学・高校の部活が関係しているんですが。

溝呂木:ラジコン部?

齋藤:違います(笑)。中学・高校と鉄道研究部でした。

中学校に鉄道研究部があるのは珍しい気もしますね。

齋藤:中高一貫校だったからかもしれないです。今も鉄道は好きなんですが、むしろ息子がハマっていて。

撮り鉄とか乗り鉄とかいろいろ種類があると思いますが、何鉄になるんですか。

齋藤:もう全部ですね。

全員:(笑)。

特に好きな路線はありますか。今これが熱いっていうのは。

齋藤:息子が特に京成本線にハマっています。こないだ初めてスカイライナーに乗って上野から成田空港まで行きました。

飛行機に乗るでもなく。

齋藤:空港まで行って、ご飯食べて帰りました(笑)。

全員:(笑)。

石坂さんはいかがですか。

石坂:僕はもう家族サービスです。

どういうところに行かれるんですか。

石坂:動物園や遊園地や牧場、ほかにもたくさん行きますよ!

最後に、みなさんお仕事以外で目標はありますか。

石坂:ラーメン屋巡りが好きなんですけど、いずれはラーメンを作りたいですね。

齋藤:ずっと言ってますねそれ。

溝呂木:ラーメン屋になりたいって。

ただ作るんじゃなくて営むんですね(笑)。

石坂:重たくて激しい味のラーメンのおいしさもわかるし、さっぱりした方もわかるので、それをどう味として出していくか。お客さんの声を聞きながらそこは。

これは別にOUCHIで提供するっていうことではないですよね?

石坂:そうです、今の仕事とは関係のない老後の夢です(笑)。

齋藤さんは何かありますか。

齋藤:ラーメン屋の後は言いづらいですね(笑)。毎年夏休みは、子どもに行きたいところを選んでもらって、旅行に行っているんで、今年もそれができたらいいなと。既に乗りたいローカル線をいくつかもう選んでます。

溝呂木:いい親子関係ですね〜。

とても浄化されました。溝呂木さんはいかがですか。

溝呂木:そうですね、乾燥機付きの洗濯機を買いたいです。

全員:(笑)。

この質問、ほぼ毎回伺っているんですが、物欲系の答えが返ってきたのは初めてかもしれないです(笑)。

溝呂木:(笑)。乾燥機が欲しいんです。

プロフィール

OUCHI 管理者

OUCHI 管理者

齋藤 学

さいとう まなぶ

【出身】神奈川県横浜市
【職種】公認心理師
【好きな食べ物】フライドポテト
(特にミニストップのエックスフライドポテト)

OUCHI サービス管理責任者

OUCHI サービス管理責任者

石坂 康彦

いしざか やすひこ

【出身】埼玉県桶川市
【職種】作業療法士
【好きな食べ物】ラーメン、焼き鳥(自分でも焼く)

OUCHI 世話人

OUCHI 世話人

溝呂木 斐

みぞろぎ あや

【出身】神奈川県川崎市
【職種】精神保健福祉士
【好きな食べ物】ピザ
(生地がもっちりしたタイプの方)

病院情報