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きっかけは友人の心の悩み 精神医療に携わる道を選び、MRから作業療法士へ!/大内病院 作業療法士・ACTチーム リーダー/松本 武士さん

リハビリテーション部2021.07.23
リハビリテーション部

きっかけは友人の心の悩み
精神医療に携わる道を選び、MRから作業療法士へ!

大内病院でACTチーム(※)のリーダーを務める、松本武士さんにお話を伺いました。現在は作業療法士として精神医療に関わる松本さん。もともとは心理学を専攻し、製薬会社に勤めていたという経験の持ち主です。今回は、紆余曲折を経ながら松本さんがいかに大内病院に辿り着いたか、その経歴を中心に伺いました。精神医療における作業療法士のお仕事についてや、音楽に打ち込んだ青春時代のお話も飛び出しました。ぜひご覧ください!

責任感ある4人兄弟の長男
高校時代はスカパンクにハマる

大内病院で働きだしてどのくらいが経ちましたか。

7年目ですね。

作業療法士(OT)歴自体は。

それも7年目です。その前は別の仕事をしていました。

OTに転身して最初の就職先がこちらだったのですね。

そうですね、通っていた名古屋の大学からこちらに出てきました。

学校は名古屋だったのですね。地元もそちらですか。

愛知県の刈谷市というところですね。愛知県の割と真ん中で、名古屋市に近いところです。

どんな幼少期を過ごしましたか

小学校は金管バンド部に入って、運動会でマーチングをやっていました。

スポーツをやっていそうな雰囲気もありますが。

運動はさっぱりですね。よく「何のスポーツをやってたんですか」って聞かれて、毎回返答に困ってます(笑)。

(笑)。どんなご家族ですか。

兄弟が多くて、僕が4人兄弟の長男です。

多いですね! どんな構成ですか。

僕、妹、弟、妹の順ですね。一番下とは8つ離れています。

兄弟が多くいらっしゃると、特にわかりやすく長男的な役割を求められるようなこともありそうです。

はっきりとは言われないですけど、やっぱり「お兄ちゃんだから」みたいなところはありましたね。

自分がしっかりとしていようと。気持ちとして無理はなかったですか。

今思えば、割と自分の感情のままに何かするっていうことは少なかったので、自己抑圧が強いタイプにはなったのかなっていう気はします。

そんななかで、中高生の頃はどんなことに熱心でしたか。

中学は卓球部に入ったんですけど、あまり楽しめなくて、中学校時代はいい思い出がないんですけど(笑)。高校では吹奏楽部に入って部長をやって、楽しかったですね。

ちなみに楽器は何をやられていたんですか。

小学校の金管バンド部時代からずっとトロンボーンです。あとはその頃、高校でスカパンクバンドが流行ってたんですよ(笑)。

特に流行っていた時期かもしれないですね(笑)。ではそういった速い方の音楽にも夢中になって。

友だちと、当時流行っていたバンドをコピーしていました。吹奏楽部だとあまりカジュアルな音楽をやる感じではないので、そことは別で楽しんでいましたね。

その後は大学に進学されたわけですか。どんな学部を選びましたか。

もともとは言語学も興味があったんですけど、言語よりも心の方が気になるかなって思うようになって、心理学部に進むことにしたんです。

その時はまだ作業療法の道には進まなかったと。心理学に決めたのは、何かきっかけがあったのですか。

当時、自分の友だちに、心の問題を抱えている人が割といたんですね。それこそ、リストカットしている友だちもいたりして。そういう状況から、心について気になるようになったことがきっかけでした。

そこで県内の大学に進学されたと。

はい、心理学部心理学科でしたね。

バンド活動が活発化
大学では認知行動療法を学ぶ

実際に心理学を学んでみていかがでしたか。

カウンセリングのイメージが強かったんですけど、けっこういろんな領域をやっている大学で。僕が入ったゼミも基礎系というか、実験を多くやっていて、ネズミを使って行動学習を学んでいました。一定のルールが決まっている箱にネズミを入れて、そこからどう学習するかを見るとか。

カウンセリングというイメージとはまた違う勉強ですね。

いわゆる精神分析派っていうよりかは、認知行動療法という、そういった基礎系の心理学を勉強したという感じですね。

ご自身の興味がそちらにあったんですか。

心って目に見えないですし、昔の人が言った「心はこういう風にできている」という理論も確かめようがないなと思ったんです。認知行動療法は、行動とか目で見てわかるものを切り口に分析するという点で、心理学のなかでは科学的なアプローチをしているところが、自分にとっては納得できる部分が多くて、そちらに進みました。でも、今精神科の病院で働いてみると、精神分析やカウンセリングを行う心理学も大事だなと思って、今はそちらも勉強しています。

認知行動療法とは、実際に目に見える行動から分析というか推論を立てるというようなことですか。

そうですね。心がどうなるかを目的にするっていうよりかは、行動の方がどう変化していくかを扱うのがメインでしたね。

大学時代は勉強をかなり熱心にやられて。

いえ、ゼミは真面目にやっていましたけど、ほかの授業は不真面目でした。むしろバンドをがんばっていて、オリジナルの曲を作って活動していました。

高校生時代にハマッていたようなスカパンクですか。

スカというよりかは、ジャンルはなんとも言いづらいんですけど、インストゥルメンタルで割とテンポが早くて、どの曲も1分くらいで終わっちゃうっていう、変なバンドをやってました(笑)。YOUR SONG IS GOODってわかりますか。

オルガンが特徴的なインストゥルメンタルのバンドですね。それに近い感じををショートチューンでやっていたと。

そうですね(笑)。名古屋市内の小さいライブハウスでよくライブをやっていて、東京にも2回くらい呼んでもらって、遠征をしていました。

けっこう活動的だったのですね。

インディーズレーベルのオムニバスCDにも1曲だけ入れてもらってました。

おおっ、今も検索したら出てきますか。

どうなんですかね? Apple Musicで検索したら出てこなかったです(笑)。

もう今は活動されていないのですか。

やっていたのは23歳くらいまででしたね。メンバーがみんな社会人になって、活動が止まりました。

MRとして就職するも
強く湧いてきた臨床に携わりたい気持ち

卒業後はどのような進路を辿られましたか。

製薬会社に就職して、MR(※)として働き始めました。

※Medical Representative(メディカル・リプレゼンタティブ)の略。「医薬情報担当者」として、自社の医薬品の適正使用や普及を目的に、医療従事者に情報を提供する仕事。

心理系の仕事には就かなかったのですね。

いろいろ考えたんですけど、大学院に行かないと臨床心理士の資格を取れないということもあって。周りからも「心理職のほかに、もうちょっと広く見てもいいんじゃない?」とアドバイスをもらったのでいろいろ受けることにして、製薬業界やら化粧品、トイレタリー系の企業も受けて、いくつか内定をもらったなかから、MRを選んだという感じです。

どんな会社でしたか。

中枢神経系の薬を多く扱う、精神疾患に強い製薬会社でした。当時は世界で3番目になるくらいの大手企業で。福島の配属になって、働き出しました。

地元からは遠方の配属になられて。お仕事はいかがでしたか。

そもそも、医療に近い仕事を、と思って、MRとして働いてみたんですが、働いているうちに、やっぱり自分が直接患者さんをみてあげられる仕事に就きたくなったんです。

働き始めたものの、どちらかというと臨床の現場に興味が湧き始めたと。

MRとして、いい薬がたくさん売れれば、患者さんのメリットにはなるだろうなと思うんですが、あくまで医師を介して影響が及ぼされることになるので、自分がやりたいのはそういうことではないのかもしれない、と思いました。「大学に入り直したい」という気持ちが湧いてきたので、しばらく働いてから休職して、地元に戻って編入用の予備校に通い始めたんです。

ある程度働いてから、進学のために休職をされたわけですか。

でも休職しながらも、大学に本当に入り直すかちょっと迷っているところはあって。そうしているうちに、ちょうど東日本大震災が起きて、僕が営業を担当していたエリアが、原発事故の影響で立ち入れなくなってしまったんです。戻ることもできない状況になってしまったうえに、結局大学にも合格することができたので「もう、そういうことなんだろうな」と思って、大学に行くことに決めました。

なるほど、ちょうどその時期だったのですか…。それは大変でしたね。

当時住んでいたいわき市内の部屋も、グチャグチャになっていました。

大学を選ぶ時に、作業療法の道を選ばれたのですか。

大学院で心理学を学ぶということも考えたんですけど、心理学プラスアルファでさらに勉強したいという気持ちもあって。そこでたまたま、大学で自分がいたゼミでOTの道に進んだ先輩と後輩に話を聞いてみたら、けっこう楽しそうだったんですね。精神科に入って仕事もできるということでしたし、自分でもいろいろ調べてみたら、良さそうだなと思って決めました。

OTは身体領域と精神の領域に分野が分かれますけど、最初から精神の方に進むつもりで。

そうですね。それで、地元の名古屋の大学に入り直しました。大卒者は2年生から編入できるという大学だったので、2年生として入って、4年生まで通って卒業しました。

2回目の大学で、作業療法を学んでみていかがでしたか。

精神領域をやりたいと思って入ったんですけど、授業の割合で言うと精神領域って本当にちょっとなんですよ。ほとんどが麻痺のリハビリとか、骨とか神経の話が多くて(笑)。でもそのなかでも、その大学自体が、方法論だけではなくて「作業療法とは何か」「作業とは何か」と、根本をすごく考えさせる教育をしていて、そこを学べたのはとても良かったです。

根本を問うテーマですね。

歴史的にも作業療法の源流はいくつかあるとされていて、そのうちの1つが、精神科だと言われているんです。それは、今現在行われている作業療法とはニュアンスが違うんですが、当時精神科の中に違う形で作業療法が存在していて。なので、言葉としては一緒なんですけど、作業療法に対する認識が、人によって違うことがあるんですね。その「違う」という事実をそもそも認識できる教育を受けられたことが、良かったなと思いました。

作業療法士として大内病院へ
患者さんに寄り添い話を聞ける存在に

大学を卒業して、大内病院へはどのようにたどり着いたのですか。

地元で就職しようかとも思ったんですが、人生で一度くらいは東京に出てきてみようかなっていうのがあって、いくつか東京の病院を受けたなかで、ここが採用の返事が一番早かったんですよ(笑)。

そこがポイントだったんですね(笑)。

でも事前に見学はして、たしか卓球を患者さんとさせてもらったんですけど、患者さんたちは楽しそうに作業療法をしていて、いい雰囲気だなと思いましたね。

とても根本的なことを伺いたいのですが、精神科領域の作業療法士とは、主にどういったことをされていますか。もちろん、勤める場所によって、やることも違うとは思うんですが。

入院されている患者さんたちは、集団でプログラムを行うのがメインになるんですが、イメージとしては、さまざまなプログラムを通して、退院後に長く地域で暮らしていける準備をする、という感じです。

例えば身体領域の作業療法だと、食べるとか服を着るとか、具体的な動作、生活に直結した動きを訓練するイメージがあるんですけど、精神領域は、具体的にどういうケースがありますか。

本当にケースバイケースなんですが、例えば入院が長い方だと、退院後にコンビニに行こうと思っても、今って以前よりもレジでやることも複雑化しているじゃないですか。

最近は特に、支払い方法を選ぶとか、やることは増えているかもしれないですね。

そういうことを経験したことがない患者さんに向けた練習をするとか、あとは例えば「狭いところに行くと殺されてしまう」という妄想を持っている人がいるんですけど、それを改善するために買い物とかバスに乗る練習をしてみるとか。それも行動療法的なやり方なんですけど。

なるほど、在宅生活を送るうえで支障となることに対して、訓練を行っていくと。

外に出られない患者さんだと、みんなで創作活動をしたり、体を動かしたり、集団でいろいろなことをやりながら、そのなかで個別に関わりを持っていきます。身体領域のように、はっきりと「これを目標にしていく」っていう要素は少ないかもしれないです。

必ずしも明確な目標のクリアを目指すというわけではなく。

そのなかで大事だなと思うのは、患者さんへ向き合う姿勢ですね。割と今の日本だと、精神疾患のある方はまだ強制入院になることも多くて、周りからのスティグマ(※)が強いというか、偏見の目で見られるだけでなく、家族や周囲の人から見放されたり、暴言を吐かれたりと、世の中から拒絶されてしまう、という方もたくさんいます。

※スティグマ:烙印のこと。この場合は患者に対する差別や偏見を指す。

日本の精神医療が抱える深刻な問題ですね。

なので、具体的な作業療法をする前に、患者さんにとって「自分のことを批判的に見ない、隣で対等に寄り添って話を聞いてくれる存在」になる、というところからスタート、というケースもけっこう多いんです。それは臨床のなかでいつも意識していますね。

集団で行う作業療法はどんなメリットがあるのですか。

みんなで体操や音楽系のプログラムをやっていると、そこに何となく興味を持って参加できるとか、それとな〜く参加できるのがいいところだと思います。人と1対1だと心理的負荷が高い患者さんでも、ダイレクトではなく、集団で抱えるということができるので、負荷が少なく人といられる場所を作れたり、そのなかでちょっとずつ話ができたりとか。

人とその場にいる、ということで得られるものがあるのですね。

あとは、すごい作業療法的な話になっちゃうんですけど「作業を媒介にして関われる」っていうことがすごく大きくて、精神科ではすごい大事なことなんです。机の上でちぎり絵をしたりとか、パズルとかやったりしながら、パズルを通してコミュニケーションを取るというか。面と向かったダイレクトじゃなくて、作業を間に挟んだ三角のやりとりができるところで、ほかの職種とは視点が違う関わり方ができるんだと思います。

チャレンジできる環境で
新たなプログラムを取り入れる

実際に大内病院に入職してからは、どのような担当になったのですか。

精神療養病棟を担当しました。うちは認知症の病棟もあるので、認知症の病棟に入院していて落ち着いた患者さんと、精神疾患がある高齢の方とが混在している病棟に入って仕事をしました。おじいちゃんおばあちゃんたちと塗り絵とか創作活動をしたりとか、一緒に体を動かしたり、カラオケしたり、っていうのが最初の1年でしたね。

当初は主に高齢の入院患者さんをみられていたんですね。

そのあとは4、5年間、精神科の亜急性期という、慢性期と急性期の間の患者さんをみる病棟というのがあって、そこを担当しました。

最初に担当していた精神療養病棟とはどう違いがありましたか。

患者さんの年齢層が若くなったのと、病棟でのプログラムは自分で考えさせてもらうという感じだったので、いろいろと新しいも取り組みをやらせてもらいましたね。

実際にどういったことをやられていましたか。

集団で行うメタ認知プログラム、いわゆる認知行動療法で妄想を改善する、ということを始めたり、最近流行っているマインドフルネス(※)も始めたり、あとは大学で学んだことも生かせました。

※マインドフルネス:今ある自分の状態に意識を向けることで、感情や過去、先入観を排して、心のコンディションを整える技法。その手法として瞑想が使われることもある。

その当時はどんなことをやりがいに感じていましたか。

多くの方がそうだと思うんですけど、良い成功体験を一緒にできた時や、そこで患者さんが嬉しそうにしている、ということを感じられた時ですね。不安が強くて「退院は無理」と自分で思っている患者さんと、一緒に小さい成功体験を積み重ねていって、ちょっとずつ外に出てリハビリができるようになるとか、そういう時は嬉しかったです。

次回:患者さんが抑圧されることのないよう、どんな属性の人も受け入れられる社会を作りたい。

ACTチームの立ち上げに携わる

現在担当しているACTチームには、どのようにして関わるようになったのですか。

院内で認知行動療法のプログラムを行っている時に、ACTチームの医師である宮川先生(※)が話を聞きつけて見に来られて「ACTに興味ありますか?」って話しかけてくれたんですね。実はACTって2種類あって、ひとつは今取り組んでいる、包括的な訪問サービスのことで、もうひとつは認知行動療法の分野にあるアクセプタンス&コミットメント・セラピーというもので、どちらも「ACT」と略すんですよ(笑)。

※大内病院/宮川 熱志先生 インタビュー記事

同じ略称なんですね(笑)。

なので「どっちも興味あります」って答えたら、訪問の方の話をもらって。立ち上げる予定があるので、一緒にやってくれるスタッフを探しているということでした。

そこでスカウトを受けて、参加することにされたと。どういったところに興味を持たれましたか。

ずっと入院の患者さんを担当していたんですが、そうすると仕事がほとんど院内になるんですね。ただ時代的にも、精神疾患のある患者さんも地域に出ましょうという時代なので「実際に地域ってどうなってるんだろう」っていうことが気になっていたんです。そこで、新しいことにも取り組めて、地域ものことも見られるなら嬉しいなと思って、やらせてもらうことにしました。

ACTがどういった活動かというのは理解されていて。

はい、でも日本では数多くはやられていないということも知っていたので、まさか自分が、そこに携わる日が来るとは全然思っていませんでした。

洗濯物を干す、一緒に公園に出かける
職種を超えて、患者さんの生活をサポートするACT

あらためて、大内病院でのACTチームの取り組みについて教えてください。

ACTは、在宅生活を送っている患者さんに対して、365日24時間、訪問や電話でサポートを行っています。大内病院には訪問看護もあるんですが、そちらは日中の対応なので、より状態が悪化しやすい方や、重症度が高い方、生活のリハビリを重点的にやる必要がある方をACTで担当しています。

訪問看護と棲み分けているのですね。

ほかにも、長期入院をされていて、1人で生活することが難しい患者さんと、ちょっとずつ関係性を作りながら、地域に帰れるようにアプローチしたり。あとは、入院中は薬を飲んで、症状が改善して退院になるけれど、退院後に薬を飲まなくなると、また症状が戻って入院される、という方もけっこういらっしゃるんですね。そういった患者さんがなるべく再入院せずに済むように、訪問しながらサポートをする、とか。いくつかパターンがあります。

ACTは現在、どんなチーム構成ですか。

OTが2人、看護師さんも2人、あとは臨床心理士と精神科医の6名からなるチームです。

昨年から、いざ動き始めてみていかがでしたか

当初は、大内病院を退院される患者さんをフォローするという形で始まったんですが、最初は戸惑いもありました。地域に出ると、病院内で仕事をしていた時は関わることがなかった、地域の保健師さんと直接やりとりしたり、家族がいるところに直接出向いて話をしたり。慣れないので大変なことも多かったですけど、それよりは、毎日新しいことがあって新鮮で、ひとつずつ勉強ができて楽しいという気持ちも強かったです。

具体的にどういったことをされているのでしょうか。

本当に、人によってケースバイケースなんです。例えば、退院したけれど外に出るのが怖くなって、引きこもり状態になってしまっている患者さんがいて、家族とはコミュニケーションはあるんだけど、家族としかコミュニケーションをとらないので、よく喧嘩になってしまうと。そこで実際に訪問して、家族と患者さんの間に入って、気持ちの整理をする場を設けたり、ACTメンバーが外に連れ出す形で、一緒に出かける練習をしたり、とかですね。

買い物に行ってみる、とかそういったことですか。

そうですね、それでコンビニに行くこともありますし、自転車で近くの公園に行って、その公園を一周して戻ってくる、ということもあります。

そういったステップを積み重ねていくと。

生活能力が落ちてしまっている方だと、洗濯物を干すのを一緒に手伝うということもあります。「こういう風にやると上手にできるね」っていうように。

今まで伺ったような取り組みは、職種に関わらず行うんですか。

やることは、どの職種もみんな一緒、と言うとちょっと変なんですけど(笑)。「超職種のアプローチ」って言うんですが、専門的な知識をそれぞれ持ってますので、それを持ち寄って、みんなでいろんなことをするっていう感じですね。

それぞれの専門性を踏まえたアプローチということになるんでしょうか。

そうですね。「こういうことがあった」っていうカンファレンスを毎朝1時間必ずしているんですけど、チーム内で丁寧に情報の共有をするなかでは、職種的な色が出ることも多いです。「自分の職種から見るとこう見える」という話は出ますね。僕はOTですけど、イメージとしては、心理士さんや医師が話してくれたアイデアも、バッグに詰め込んで訪問に行く、という感じです。

関わる期限は決まってますか。

いえ、無期限というのも特長のひとつです。長く関わっていくうちに、改善して利用が終わることもありますし、ある程度落ち着いた方は、大内病院の訪問看護に移行するということもあります。まだあまりたくさんはできてないんですけど、今後はそういった在宅サービスとも、うまく連携していけたらということを話しています。大内病院には近隣にOUCHI(※)もありますから。OUCHIのCAFEで仕事をしながら、ACTを併用されているという方もいらっしゃいます。

※OUCHI:大内病院近隣に立つ、精神障害を持つ人たちが地域に戻るためのサポートをする施設。カフェとしても営業中です。くわしくはOUCHIのサイトをご覧ください。

心理学と作業療法
2つの土台を生かし、自分らしく働く

スタートから1年経ってみての感想としてはいかがですか。

院内で働いていると、作業療法士(OT)として「自分の職域はここまで」ということが明確なんですが、地域に出ると、全部やらないといけないので、今はOTをやっていて楽しいというよりは、対人援助職に取り組んでいて楽しい、という感じです(笑)。

お話を聞く限り、OTだからこそのお仕事とも限らないわけですしね。

なのでいろいろな視点を持ちながら、心理学と作業療法という2つの土台がありつつ、対人援助のことをザックリと幅広くやるというのが、多分自分の性格的にも合っているんでしょうし、楽しいなと思いますね。そういう意味では、自分が自分として働けているという感じもします。

よりご自身の色を持って働けているわけですか。

それと、ご自宅に訪問すると、病院にいる時とは違う、その方が本当に生活している姿や表情が見れますから、人生を生きている感じとか、ちょっとずつ良くなっている様子が体感できるのも嬉しいですね。

生活の場で触れ合うことは、病院で触れ合うのとは違った醍醐味があるわけですね。1年やってみて感じた、ACTの意義はありますか。

もしACTが介入していなかったら、すぐ再入院になってただろうな、という患者さんもいたんですね。ACTは、入院医療に代わるものとしての存在意義ということも言われていて、受け入れる仕組みが地域になかったがために、社会的な要因で入院していた患者さんが、ACTを利用することで、地域に出ていくことができたというのは、意味のあることだなと。

退院後の受け皿として存在することで、入院患者さんにとって大きなプラスになっていると。徐々に地域での認知も増えていくといいですね。

当初は大内病院を退院される方がメインでしたが、最近は地域の保健センターから依頼をもらうことも増えてきたんですね。だんだんと、存在が認知されてきて「こういうケースはACTに」という認識を持ってもらえているのかもしれないです。

ちなみに今後、チームに今いる職種以外のスタッフが加わるという可能性はありますか。

ゆくゆくは、精神保健福祉士(※)に入ってもらいたいなと思っています。よりパワフルなチームになることは間違いないだろうなと。

※精神保健福祉士:いわゆる精神科ソーシャルワーカー(PSW)のこと。精神疾患のある方が社会生活にスムーズに移行できるよう、相談や生活支援などを行う仕事。

大内病院は今後建て替えを控えていますが、ACTにはどのような影響がありますか。

建て替えに伴って病床が少なくなるので地域に出る方が増えますから、ACTでサポートしながら在宅生活を送ってもらうというケースも多くなると思います。

ACTに限らず、在宅サービスがより重要になっていきそうですね。

ACTや訪問看護、デイケアも、1つひとつのサービスが大きくなるというよりは、多層的に患者さんをキャッチできる体制を整えることが、この地域でのセーフティネットになると思うので、そういう取り組みをしていきたいです。

その人がどんな属性や状態であっても
受け入れられる社会を作りたい

松本さんが、今後目指すことを教えてください。

今は精神科のOTとしてACTチームにいて、という立ち位置ですけど、自分のなかにある切り口としては、社会的公正とか、人権ということを大切にしているんですね。その視点から見て、今の社会はどうなんだ、ということにすごく感心があるので、患者さんが弱い立場になってしまわないように、状況を良くしていきたいです。

どうしてそう思われたのですか。

前編でもスティグマ(※)の話をしましたけど、良くない言い方をすると、患者さんのなかには、入院することで臭い物に蓋をされてきた方もいたわけです。

※スティグマ:烙印のこと。この場合は患者に対する差別や偏見を指す。

それこそ長期入院とか、強制入院という歴史があって、人権への意識が高まったと。

そういう背景を考えると、当事者である患者さんへ直接アプローチするっていうことも大事ですけど、いや社会の側はどうなんだっていう問題もすごく大きくて。自分がその社会の側に立って、患者さんに対して「世の中はこうだから、あなたはそれに合わせて生きないといけない」ということは絶対にしちゃいけないと思っています。そういう意味で、患者さんの側に立つということは大事にしたいなと思っています。

精神疾患のある患者さんに対して、社会がまだまだ不寛容な印象が強いです。

患者さんは、病気と共存するという人生のルーレットが、たまたま自分のところに止まってしまっただけで、ただでさえ病気で苦しんでいるのに、さらに社会からも抑圧されてしまう、みたいな二重の辛さを抱えていて。だからこそ、人権や社会的公正という視点は絶対に忘れないというか、大事にしたいなと思っています。

そういった人権への意識を持ちながら、患者さんと関わっているんですね。

その点で言うと、僕は大内病院の仕事とは別で、精神障害や発達障害があって、なおかつLGBTQであるという、ダブルでマイノリティとなっている人たちのサポートスタッフもやっているんです。

では、より抑圧の対象となりやすい方をサポートされて。

LGBTQやジェンダーについても、自分にとって身近な問題として存在していたので、それを通して社会構造のアンバランスさを感じることが多かったことが大きかったです。LGBTQはもちろん病気ではないんですけど、社会的弱者という意味では精神疾患のある方と構造が近くて。マイノリティになってしまうことで、社会的に周縁化されると言いますか、爪弾きにされてしまう世の中になっていると。ちょっとずつ良くはなっていると思うんですけど、その人がどんな属性や状態であったとしても、受け入れられる社会を作る。そのためには、まず職場から改革をするとか、今はそういうことに割と意識が向いていますね。

身近なところから、そういった視点でより良くしていくことは大事ですね。

まだ話し合い始めたばかりなんですが、グループの人事部とも、LGBTQの人も働きやすい職場にしようというミーティングをさせてもらっています。加えて、グループのリハビリテーション部でも、そういった取り組みが必要だよね、という話が挙がっていて、そちらでもミーティングに参加して、今後話し合っていく予定です。

職場や、周囲の出来事についても、常に問題意識を持って対峙しているのですね。

僕がそういった問題構造が認識できたのは、主にフェミニズムに触れてからですね。日本だとフェミニズムってちょっと敬遠されがちなこともあるんですけど、人権の思想とマッチするところがあるので、そこに触れていくうちに、認識が高まっていったと言えるかもしれないです。

より強く問題意識を持つ後押しとなったと。

場でいつも使っているマグカップに、ルース・ベイダー・ギンズバーグっていうアメリカの法律家の顔が描かれれいるんですけど、それは性差別の撤廃を求めた、世界的にとても有名な人なんですね。人権についての意識を忘れないようにと思って使っています(笑)。

料理を通して好きになった国フランス
昨年は原因不明の病気に襲われるも無事カムバック

では、プライベートについて伺います。どんな趣味をお持ちですか。

音楽と、あと今までは年1くらいで海外旅行に行っていて、旅行は割と好きですね。

今まで行ったなかではどこが良かったですか。

フランスですね。全部で5回行ってます。

5回も! なにかハマるきっかけがあったのですか。

学生時代に、ガレットのお店でアルバイトしていたことがあって、そこの店長さんがフランスで修行してきた人だったんですね。フランスって煌びやかなイメージがありましたけど、ガレットは、蕎麦粉でできたクレープのような、すごく素朴な食べ物で「フランスにはこんな安心できる食べ物もあるんだ」と思ってから、国の見方が変わりました。

フランスでオススメの場所はありますか。

パリも好きなんですけど、ストラスブールとかコルマール、レンヌとか、のどかな田舎街がたくさんあって、景色も良くて食べ物もおいしくて、とても好きです。

では今後、以前のように自由に海外旅行へ行ける状況になったら、フランスに行きますか。

今行きたいのはジョージアですね。

もともとグルジアと呼ばれていた国ですね。

食べ物がすごくおいしいと聞いたことがあって、行ってみたいなと。ロシアとアジアとヨーロッパといろいろな文化が混ざっているみたいです。

お休みの日はどんなことをされていますか。

ビッグバンドに所属しているんですけど、このコロナ禍で活動がお休みになってしまいました。

この状況なので仕方ないとは言え、残念ですね。

市民バンドみたいな感じで、月に1、2回練習していたんですけど、もう1年以上できていないんです。そろそろ再開しようかっていう話にはなっています。ただ、昨年体調を崩したので、自分の身体的に、まだ楽器ができるか怪しくて(笑)。

そうだったのですね…!

忘れもしない、昨年の12月4日の夜中に、腰がめちゃくちゃ痛んで動けなくなってしまって。何が起こってるのかわからないけど、とりあえず病院で診てもらうしかないと思って、救急車で運ばれて、そのまま1ヵ月入院することになったんです。

差し支えなければ、どんな病気だったんですか。

当初は、ギックリ腰だと言われていたんですよ。でもそれにしては痛みが強くて、ベッドからはずっと動けなくて、痛みで夜も眠れず。

かなり厳しい状況でしたね…。

それが2週間くらい続いた頃に、体を動かさないとどんどん悪くなっちゃうからっていうことで、それこそ自分がリハビリを受ける側になって(笑)。結果的には、ギックリ腰ではなく、化膿性脊椎炎っていう、背骨で菌が繁殖して骨が溶ける、という病気だったんです。

恐ろしい病気ですね。

元いた病院でまた1ヵ月半入院しました。結局、なぜこの病気になってしまったのかはわからなかったんですが、病名がわかってからは、もうしょうがないと思えましたね。ちゃんと原因がわからなかった最初の入院の時はとにかく辛かったです。本当は去年の12月は公認心理師の国家試験を受けようとも思っていて、勉強もたくさんしていたので、それもショックではありましたね(笑)。

原因がよくわからないままの入院は、かなり辛いものがありますね。

ACTも立ち上げた年なのに、リーダーが2ヵ月半もいない状況になってしまって、スタッフには本当に申し訳ないなと思いましたし、僕の仕事をみんなで分担して回してもらったので、感謝しかないです。

無事に復帰できて何よりです! とは言え、肺活量使うトロンボーンはまだ吹けないのですか。

そうですね。重い物をあまり持たないようにとも言われているので、楽器を持ち運ぶのもまだどうかなと思いながら(笑)。

プロフィール

大内病院 作業療法士 ACTチーム リーダー

大内病院 作業療法士 ACTチーム リーダー

松本 武士

まつもと たけし

【出身】愛知県刈谷市
【資格】作業療法士
【趣味】音楽鑑賞、演奏、旅行
【好きな食べ物】ガレット、クロワッサン(VIRONがオススメ)

病院情報