ひとプロジェクト 第67回【前編】大内病院 作業療法士・ACTチーム リーダー/松本 武士さん

大内病院

作業療法士・ACTチーム リーダー

松本 武士 さん

Matsumoto Takeshi

きっかけは友人の心の悩み
精神医療に携わる道を選び、MRから作業療法士へ!

今回は、大内病院でACTチーム(※)のリーダーを務める、松本武士さんにお話を伺いました。現在は作業療法士として精神医療に関わる松本さん。もともとは心理学を専攻し、製薬会社に勤めていたという経験の持ち主です。今回は、紆余曲折を経ながら松本さんがいかに大内病院に辿り着いたか、その経歴を中心に伺いました。精神医療における作業療法士のお仕事についてや、音楽に打ち込んだ青春時代のお話も飛び出た前編、ぜひご覧ください!

※ACT:「Assertive Community Treatment(=包括的地域生活支援)」の略。 重い精神障害のある方でも、地域のなかで自分らしい生活を送ってもらうため、包括的な訪問サポートを提供するケアマネジメントモデル。

  • 責任感ある4人兄弟の長男
    高校時代はスカパンクにハマる


    大内病院で働きだしてどのくらいが経ちましたか。

    7年目ですね。

    作業療法士(OT)歴自体は。

    それも7年目です。その前は別の仕事をしていました。

    OTに転身して最初の就職先がこちらだったのですね。

    そうですね、通っていた名古屋の大学からこちらに出てきました。

    学校は名古屋だったのですね。地元もそちらですか。

    愛知県の刈谷市というところですね。愛知県の割と真ん中で、名古屋市に近いところです。

    どんな幼少期を過ごしましたか。

    小学校は金管バンド部に入って、運動会でマーチングをやっていました。

    スポーツをやっていそうな雰囲気もありますが。

    運動はさっぱりですね。よく「何のスポーツをやってたんですか」って聞かれて、毎回返答に困ってます(笑)。

    (笑)。どんなご家族ですか。

    兄弟が多くて、僕が4人兄弟の長男です。

    多いですね! どんな構成ですか。

    僕、妹、弟、妹の順ですね。一番下とは8つ離れています。

    兄弟が多くいらっしゃると、特にわかりやすく長男的な役割を求められるようなこともありそうです。

    はっきりとは言われないですけど、やっぱり「お兄ちゃんだから」みたいなところはありましたね。

    自分がしっかりとしていようと。気持ちとして無理はなかったですか。

    今思えば、割と自分の感情のままに何かするっていうことは少なかったので、自己抑圧が強いタイプにはなったのかなっていう気はします。

    そんななかで、中高生の頃はどんなことに熱心でしたか。

    中学は卓球部に入ったんですけど、あまり楽しめなくて、中学校時代はいい思い出がないんですけど(笑)。高校では吹奏楽部に入って部長をやって、楽しかったですね。

    ちなみに楽器は何をやられていたんですか。

    小学校の金管バンド部時代からずっとトロンボーンです。あとはその頃、高校でスカパンクバンドが流行ってたんですよ(笑)。

    特に流行っていた時期かもしれないですね(笑)。ではそういった速い方の音楽にも夢中になって。

    友だちと、当時流行っていたバンドをコピーしていました。吹奏楽部だとあまりカジュアルな音楽をやる感じではないので、そことは別で楽しんでいましたね。

    その後は大学に進学されたわけですか。どんな学部を選びましたか。

    もともとは言語学も興味があったんですけど、言語よりも心の方が気になるかなって思うようになって、心理学部に進むことにしたんです。

    その時はまだ作業療法の道には進まなかったと。心理学に決めたのは、何かきっかけがあったのですか。

    当時、自分の友だちに、心の問題を抱えている人が割といたんですね。それこそ、リストカットしている友だちもいたりして。そういう状況から、心について気になるようになったことがきっかけでした。

    そこで県内の大学に進学されたと。

    はい、心理学部心理学科でしたね。

  • バンド活動が活発化
    大学では認知行動療法を学ぶ


    実際に心理学を学んでみていかがでしたか。

    カウンセリングのイメージが強かったんですけど、けっこういろんな領域をやっている大学で。僕が入ったゼミも基礎系というか、実験を多くやっていて、ネズミを使って行動学習を学んでいました。一定のルールが決まっている箱にネズミを入れて、そこからどう学習するかを見るとか。

    カウンセリングというイメージとはまた違う勉強ですね。

    いわゆる精神分析派っていうよりかは、認知行動療法という、そういった基礎系の心理学を勉強したという感じですね。

    ご自身の興味がそちらにあったんですか。

    心って目に見えないですし、昔の人が言った「心はこういう風にできている」という理論も確かめようがないなと思ったんです。認知行動療法は、行動とか目で見てわかるものを切り口に分析するという点で、心理学のなかでは科学的なアプローチをしているところが、自分にとっては納得できる部分が多くて、そちらに進みました。でも、今精神科の病院で働いてみると、精神分析やカウンセリングを行う心理学も大事だなと思って、今はそちらも勉強しています。

    認知行動療法とは、実際に目に見える行動から分析というか推論を立てるというようなことですか。

    そうですね。心がどうなるかを目的にするっていうよりかは、行動の方がどう変化していくかを扱うのがメインでしたね。

    大学時代は勉強をかなり熱心にやられて。

    いえ、ゼミは真面目にやっていましたけど、ほかの授業は不真面目でした。むしろバンドをがんばっていて、オリジナルの曲を作って活動していました。

    高校生時代にハマッていたようなスカパンクですか。

    スカというよりかは、ジャンルはなんとも言いづらいんですけど、インストゥルメンタルで割とテンポが早くて、どの曲も1分くらいで終わっちゃうっていう、変なバンドをやってました(笑)。YOUR SONG IS GOODってわかりますか。

    オルガンが特徴的なインストゥルメンタルのバンドですね。それに近い感じををショートチューンでやっていたと。

    そうですね(笑)。名古屋市内の小さいライブハウスでよくライブをやっていて、東京にも2回くらい呼んでもらって、遠征をしていました。

    けっこう活動的だったのですね。

    インディーズレーベルのオムニバスCDにも1曲だけ入れてもらってました。

    おおっ、今も検索したら出てきますか。

    どうなんですかね? Apple Musicで検索したら出てこなかったです(笑)。

    もう今は活動されていないのですか。

    やっていたのは23歳くらいまででしたね。メンバーがみんな社会人になって、活動が止まりました。

  • MRとして就職するも
    強く湧いてきた臨床に携わりたい気持ち

    卒業後はどのような進路を辿られましたか。

    製薬会社に就職して、MR(※)として働き始めました。

    ※Medical Representative(メディカル・リプレゼンタティブ)の略。「医薬情報担当者」として、自社の医薬品の適正使用や普及を目的に、医療従事者に情報を提供する仕事。

    心理系の仕事には就かなかったのですね。

    いろいろ考えたんですけど、大学院に行かないと臨床心理士の資格を取れないということもあって。周りからも「心理職のほかに、もうちょっと広く見てもいいんじゃない?」とアドバイスをもらったのでいろいろ受けることにして、製薬業界やら化粧品、トイレタリー系の企業も受けて、いくつか内定をもらったなかから、MRを選んだという感じです。

    どんな会社でしたか。

    中枢神経系の薬を多く扱う、精神疾患に強い製薬会社でした。当時は世界で3番目になるくらいの大手企業で。福島の配属になって、働き出しました。

    地元からは遠方の配属になられて。お仕事はいかがでしたか。

    そもそも、医療に近い仕事を、と思って、MRとして働いてみたんですが、働いているうちに、やっぱり自分が直接患者さんをみてあげられる仕事に就きたくなったんです。

    働き始めたものの、どちらかというと臨床の現場に興味が湧き始めたと。

    MRとして、いい薬がたくさん売れれば、患者さんのメリットにはなるだろうなと思うんですが、あくまで医師を介して影響が及ぼされることになるので、自分がやりたいのはそういうことではないのかもしれない、と思いました。「大学に入り直したい」という気持ちが湧いてきたので、しばらく働いてから休職して、地元に戻って編入用の予備校に通い始めたんです。

    ある程度働いてから、進学のために休職をされたわけですか。

    でも休職しながらも、大学に本当に入り直すかちょっと迷っているところはあって。そうしているうちに、ちょうど東日本大震災が起きて、僕が営業を担当していたエリアが、原発事故の影響で立ち入れなくなってしまったんです。戻ることもできない状況になってしまったうえに、結局大学にも合格することができたので「もう、そういうことなんだろうな」と思って、大学に行くことに決めました。

    なるほど、ちょうどその時期だったのですか…。それは大変でしたね。

    当時住んでいたいわき市内の部屋も、グチャグチャになっていました。

    大学を選ぶ時に、作業療法の道を選ばれたのですか。

    大学院で心理学を学ぶということも考えたんですけど、心理学プラスアルファでさらに勉強したいという気持ちもあって。そこでたまたま、大学で自分がいたゼミでOTの道に進んだ先輩と後輩に話を聞いてみたら、けっこう楽しそうだったんですね。精神科に入って仕事もできるということでしたし、自分でもいろいろ調べてみたら、良さそうだなと思って決めました。

    OTは身体領域と精神の領域に分野が分かれますけど、最初から精神の方に進むつもりで。

    そうですね。それで、地元の名古屋の大学に入り直しました。大卒者は2年生から編入できるという大学だったので、2年生として入って、4年生まで通って卒業しました。

    2回目の大学で、作業療法を学んでみていかがでしたか。

    精神領域をやりたいと思って入ったんですけど、授業の割合で言うと精神領域って本当にちょっとなんですよ。ほとんどが麻痺のリハビリとか、骨とか神経の話が多くて(笑)。でもそのなかでも、その大学自体が、方法論だけではなくて「作業療法とは何か」「作業とは何か」と、根本をすごく考えさせる教育をしていて、そこを学べたのはとても良かったです。

    根本を問うテーマですね。

    歴史的にも作業療法の源流はいくつかあるとされていて、そのうちの1つが、精神科だと言われているんです。それは、今現在行われている作業療法とはニュアンスが違うんですが、当時精神科の中に違う形で作業療法が存在していて。なので、言葉としては一緒なんですけど、作業療法に対する認識が、人によって違うことがあるんですね。その「違う」という事実をそもそも認識できる教育を受けられたことが、良かったなと思いました。

作業療法士として大内病院へ
患者さんに寄り添い話を聞ける存在に

大学を卒業して、大内病院へはどのようにたどり着いたのですか。

地元で就職しようかとも思ったんですが、人生で一度くらいは東京に出てきてみようかなっていうのがあって、いくつか東京の病院を受けたなかで、ここが採用の返事が一番早かったんですよ(笑)。

そこがポイントだったんですね(笑)。

でも事前に見学はして、たしか卓球を患者さんとさせてもらったんですけど、患者さんたちは楽しそうに作業療法をしていて、いい雰囲気だなと思いましたね。

とても根本的なことを伺いたいのですが、精神科領域の作業療法士とは、主にどういったことをされていますか。もちろん、勤める場所によって、やることも違うとは思うんですが。

入院されている患者さんたちは、集団でプログラムを行うのがメインになるんですが、イメージとしては、さまざまなプログラムを通して、退院後に長く地域で暮らしていける準備をする、という感じです。

例えば身体領域の作業療法だと、食べるとか服を着るとか、具体的な動作、生活に直結した動きを訓練するイメージがあるんですけど、精神領域は、具体的にどういうケースがありますか。

本当にケースバイケースなんですが、例えば入院が長い方だと、退院後にコンビニに行こうと思っても、今って以前よりもレジでやることも複雑化しているじゃないですか。

最近は特に、支払い方法を選ぶとか、やることは増えているかもしれないですね。

そういうことを経験したことがない患者さんに向けた練習をするとか、あとは例えば「狭いところに行くと殺されてしまう」という妄想を持っている人がいるんですけど、それを改善するために買い物とかバスに乗る練習をしてみるとか。それも行動療法的なやり方なんですけど。

なるほど、在宅生活を送るうえで支障となることに対して、訓練を行っていくと。

外に出られない患者さんだと、みんなで創作活動をしたり、体を動かしたり、集団でいろいろなことをやりながら、そのなかで個別に関わりを持っていきます。身体領域のように、はっきりと「これを目標にしていく」っていう要素は少ないかもしれないです。

必ずしも明確な目標のクリアを目指すというわけではなく。

そのなかで大事だなと思うのは、患者さんへ向き合う姿勢ですね。割と今の日本だと、精神疾患のある方はまだ強制入院になることも多くて、周りからのスティグマ(※)が強いというか、偏見の目で見られるだけでなく、家族や周囲の人から見放されたり、暴言を吐かれたりと、世の中から拒絶されてしまう、という方もたくさんいます。

※スティグマ:烙印のこと。この場合は患者に対する差別や偏見を指す。

日本の精神医療が抱える深刻な問題ですね。

なので、具体的な作業療法をする前に、患者さんにとって「自分のことを批判的に見ない、隣で対等に寄り添って話を聞いてくれる存在」になる、というところからスタート、というケースもけっこう多いんです。それは臨床のなかでいつも意識していますね。

集団で行う作業療法はどんなメリットがあるのですか。

みんなで体操や音楽系のプログラムをやっていると、そこに何となく興味を持って参加できるとか、それとな〜く参加できるのがいいところだと思います。人と1対1だと心理的負荷が高い患者さんでも、ダイレクトではなく、集団で抱えるということができるので、負荷が少なく人といられる場所を作れたり、そのなかでちょっとずつ話ができたりとか。

人とその場にいる、ということで得られるものがあるのですね。

あとは、すごい作業療法的な話になっちゃうんですけど「作業を媒介にして関われる」っていうことがすごく大きくて、精神科ではすごい大事なことなんです。机の上でちぎり絵をしたりとか、パズルとかやったりしながら、パズルを通してコミュニケーションを取るというか。面と向かったダイレクトじゃなくて、作業を間に挟んだ三角のやりとりができるところで、ほかの職種とは視点が違う関わり方ができるんだと思います。

  • チャレンジできる環境で
    新たなプログラムを取り入れる

    実際に大内病院に入職してからは、どのような担当になったのですか。

    精神療養病棟を担当しました。うちは認知症の病棟もあるので、認知症の病棟に入院していて落ち着いた患者さんと、精神疾患がある高齢の方とが混在している病棟に入って仕事をしました。おじいちゃんおばあちゃんたちと塗り絵とか創作活動をしたりとか、一緒に体を動かしたり、カラオケしたり、っていうのが最初の1年でしたね。

    当初は主に高齢の入院患者さんをみられていたんですね。

    そのあとは4、5年間、精神科の亜急性期という、慢性期と急性期の間の患者さんをみる病棟というのがあって、そこを担当しました。

    最初に担当していた精神療養病棟とはどう違いがありましたか。

    患者さんの年齢層が若くなったのと、病棟でのプログラムは自分で考えさせてもらうという感じだったので、いろいろと新しいも取り組みをやらせてもらいましたね。

    実際にどういったことをやられていましたか。

    集団で行うメタ認知プログラム、いわゆる認知行動療法で妄想を改善する、ということを始めたり、最近流行っているマインドフルネス(※)も始めたり、あとは大学で学んだことも生かせました。

    ※マインドフルネス:今ある自分の状態に意識を向けることで、感情や過去、先入観を排して、心のコンディションを整える技法。その手法として瞑想が使われることもある。

    その当時はどんなことをやりがいに感じていましたか。

    多くの方がそうだと思うんですけど、良い成功体験を一緒にできた時や、そこで患者さんが嬉しそうにしている、ということを感じられた時ですね。不安が強くて「退院は無理」と自分で思っている患者さんと、一緒に小さい成功体験を積み重ねていって、ちょっとずつ外に出てリハビリができるようになるとか、そういう時は嬉しかったです。

次回:患者さんが抑圧されることのないよう、どんな属性の人も受け入れられる社会を作りたい。

後編は2021/07/30公開予定

profile

大内病院 作業療法士 ACTチーム リーダー 松本 武士(まつもと たけし)

【出身】愛知県刈谷市
【資格】作業療法士
【趣味】音楽鑑賞、演奏、旅行
【好きな食べ物】ガレット、クロワッサン(VIRONがオススメ)

病院情報

東京都足立区西新井5-41-1

大内病院

精神科・内科・歯科認知症や感情障害、神経症性障害などの方が治療を行う場として、多職種が密に連携をとりあって患者さんをケアしています。また院内に『診療適正化委員会』を設置し、常に適切な医療が提供できるよう、職種の垣根を超えて自由に意見交換を行っています。地域の総合医療福祉センターとして、予防・治療・リハビリテーションの一貫した最新医療サービスを提供すべく職員一丸となって日々努力を続けています。