「なんとなく」で踏み込んだ薬剤師の世界 病院薬剤師として活躍するまでに迫ります!/平成扇病院/薬剤部 課長/入間川 寿々可さん
「なんとなく」で踏み込んだ薬剤師の世界
病院薬剤師として活躍するまでに迫ります!
平成扇病院の薬剤部で課長を務める入間川さん。バイクにまたがる多感な学生時代を過ごし、薬学部の学生となりましたが、当時はとにかく薬に興味がなく、やる気も低かったそうです。そんな入間川さんが変わるきっかけとなったのは、近所にリニューアルオープンした、印西総合病院への入職でした。入間川さんの就いてきたお仕事、また、病院薬剤師のお仕事とは。薬剤師を目指す方、お仕事に興味のある方にもぜひ読んでいただきたいインタビューです。ぜひご覧ください!
グレていた…?
バイクにまたがる青春時代
入間川さんは、グループの印西総合病院から平成扇病院に移られたんですよね。
以前は印西総合病院の薬剤部で責任者でしたが、平成扇病院の薬剤部を強化するということで、2018年末ごろに移ってきました。
まだ割と移って来られたばかりなのですね。さて、ご出身はどちらですか。
宮崎県です。でも父親の仕事の関係で、横浜と宮崎を行ったり来たりしていて、小学校6年生くらいの時に、千葉県の印西市に落ち着きました。
ちなみにお父さまはどんなお仕事をされていたんですか。
航海士でした。石油タンカーに乗って半年くらい海外で過ごして、1、2カ月くらい家にいるっていう。
長く家を空けられて、寂しかったんじゃないですか。
いや、厳しくて口うるさかったので、家にいる2カ月が逆に長くて(笑)。印西市に移ったとき別の仕事に就いたので、そこまでの話なんですけどね。
小さい時はどんなお子さんでしたか。
今とそんなに変わらないですよ。適当で大雑把な性格です。
すごい言いようですね(笑)。ご兄弟はいましたか。
上に兄と姉がいたんですが、父が厳しかったからか、兄はちょっとグレてしまって。私は「その妹」っていう見られ方をしました(笑)。
入間川さんご自身は特にグレることもなく。
グレてたんじゃないかってたまに言われるんですけど、実際そんなことはないんですよ。
そうなんですね。学校に真面目に通われて。
ん〜、でも高校の頃が一番グレてましたかね。
グレてるじゃないですか(笑)。
まあグレていたというよりは、夜な夜な遊びに出かけていましたね。「ZEPHYR(ゼファー)」っていうバイクが流行ったころで、友だちがそのバイクで迎えに来てくれて、その後ろに乗せてもらって遊びに行く、という高校時代でした。
遊びたい盛りですからね(笑)。ちなみに部活はやっていましたか。
高校からはひたすらアルバイトの日々でしたね。朝、登校前に宅配便の仕分けをして、放課後は郵便局やスーパーでまた働いて。そうやって稼いだお金で遊びに行ってました。
なんとなく目指した薬剤師
かなりユルく過ごした大学時代
薬剤師には高校生の頃になろうと思ったんですか。
もともとそんなつもりもなかったんです。母親がたまたま大学の薬学部のチラシを持って来て勧められて。なんとなく「じゃあ受けてみようかな」って思って受けたんです。手に職を持とうっていうのは思っていました。
それだけ遊んでいたのに、ちゃんと大学に受かるのはすごいですね。
推薦入学を目指していたので、定期テストをしっかりがんばりました。それと数学だけは得意だったので。
「薬剤師になりたい!」というわけでもなく。
夢を持って薬剤師を目指す方も多いと思うので、とても申し訳ないのですが…私はそういうスタートではなくて(笑)。
実際、大学入ってみていかがでしたか。興味が湧いてきたんでしょうか。
いや、それが全然なくて…(笑)。
(笑)。入ったら興味も出そうなものですが。ちなみに授業には出られてましたか。
朝は起きて家を出るんですよ。でも、学校の最寄り駅からキャンパスまで歩いている間に、いろいろ寄り道してしまって。ついつい立ち読みしちゃったり、今ではやらないですけど、当時はパチンコに行ってしまったり…(笑)。授業に出るまでが長かったですね。結局2、3限目から出てました。
目前まで行ってるのに、寄り道してしまうんですね。単位は大丈夫だったんですか。
毎年、留年候補だと言われていたんですが、大丈夫でした! 周りに教え方の上手い友だちがたくさんいて、助けられましたね。
サークルとかアルバイトはされてたんですか。
アルバイトは、一時期銀座で水商売的なことを…。
そうだったんですか! 銀座っていうと敷居が高そうですね。
そこまででもなかったですよ。でも話し方もこのままだったので、ママにいつも怒られていて、銀座の「品格」みたいなものは身につきませんでしたね(笑)。ただ、普段会えないような方と会って、いろいろお話が聞けるので、勉強にはなりましたね。
品出し、話を聞くこと
薬剤師の働き方はさまざま
大学を経てどんなところに就職したんですか。
大手ドラッグストアチェーンに入りました。今もかもしれませんが、当時は特にドラッグストアの薬剤師の募集が多かったです。
ドラッグストアですと、店舗に立ってたんですか。
はい、もちろん。当時は、薬が好きっていうよりは、ドラッグストアの業務全般、レジとか品出し、接客も好きでした。薬剤師としても仕事をしますけど、品出しもバンバンやって、ダンボールをバッカンバッカン潰して、楽しかったですね〜。
楽しそうにお話しされますね(笑)。
天職だったんじゃないかと思いますね。
そこではどれくらい働いたんですか。
何事も3年、と思ってたので、3年働きました。それからは、もうちょっと専門的に薬剤師として働いてみようと思って、調剤薬局へ転職しました。そこは精神科病院の目の前にある、いわゆる門前薬局でした。
どんな感じのお仕事でしたか。
処方せんをもらって、そのお薬を渡してっていうことなんですけど、患者さんの話を聞くっていうことが多かったですね。
薬局でそうやって話し込むこともあるんですね。
精神科ならではかもしれないです。いろんな方がいましたね。でも話をしたことで、患者さんから「あなたから薬をもらえてよかった」って言ってもらえたこともあって、そこには満足感がありました。
お話を聞くことが、仕事のなかでも大事な部分だったと。
それこそ銀座のアルバイト時代に培われたものだったのかもしれないです。
なんとなくのイメージですが、精神科だと飲み方に気をつけなきゃいけない薬もありそうですね。
お恥ずかしいことですが、当時は私の知識が今より薄かったので、今考えたらあり得ないこともありましたね。それこそ、一気に何錠もお渡ししたとか。その病院では患者さんから「良い先生」と呼ばれるのは、患者さんから「この薬が欲しい」と言われた時に、とにかくいっぱい処方してくれる先生だったんです。おかしいと思うこともありましたけど、その頃の私は何も言えませんでしたね。
当グループまでたどり着くのはもう少し後のことですか。
その後、私が結婚しまして、出産をするタイミングでその薬局を辞めて、それからはパートとしてドラッグストアで働いていたんですが、近所にあった印西総合病院が薬剤師を募集し始めたのを知って、応募しました。
なるほど、そこでつながるんですね。
ちょうど、印西総合病院の運営が前の法人から平成医療福祉グループに変わってリニューアルされるタイミングだったので、新しいスタッフを募集していたんです。
初めは大変だった…
院内薬剤師のお仕事
病院の中で働くのは初めてだったわけですよね。
そうですね。ただ、当時は病院自体好きではなかったです。なんとなく、いつも混んでいて、待たされるっていうイメージが強くて…(笑)。
あ、いち患者さんとしての視点ですね(笑)。当時、印西総合病院の薬剤部はどんな感じでしたか。
リニューアル時は、薬剤師2人からのスタートでした。私は病院内で働くのは初めてで、知識も経験もなかったので、聞かれたことに対して、ものすごく調べてお答えして。大変だし辛くはありましたけど、最初の頃は幸い入院患者さんがそこまで多くなかったので、どうにか回していましたね。
基本的な質問で恐れ入りますが、病院内の薬剤師さんのお仕事っていうのはどういったことなんでしょうか。
入院している患者さんの薬を調剤するため、絶対薬剤師がいなきゃいけないので、そのお仕事がメインになります。外来の患者さんのお薬は、病院外にある調剤薬局なので、病院の薬剤師さんとはまた別ですね。
続けていくうちに、薬剤師もどんどん増えていかれたわけですか。
3、4年目くらいから増えてきましたね。最初はなかなか人が増えなかったので、落ち着かない状態でスタートして。本当に大変でしたねえ…(笑)。
大変な時期を乗り越えたんですね。
辞めようと思って、グループ薬剤部の部長に相談したこともあったんですけど、「大丈夫だよ、入間川さんは人柄がいいから」って明るく言われて(笑)。今となってはいい思い出です。今は薬剤師が10人くらいになって、安心して任せられるようになったので、こうして平成扇病院に移ってくることができました。
やるべきことはたくさんある!
病棟での薬剤師のお仕事
印西総合病院に関しては、今と当時でどんな風に変わりましたか。
基盤がしっかりしましたね。各病棟に薬剤師を配置して業務をやっていますし、人数も多いのでポリファーマシー(多剤内服)※への取り組みも行っています。
※薬物の相互作用を減らすため、6種類以上の服薬を「多剤内服」として減らす取り組み。詳しくは下記ページをご覧ください。
平成医療福祉グループ 薬剤部の取り組み
薬剤師の病棟業務というのは、どういうことをされるのですか。
スタッフステーションに薬剤師が常駐していないところもあるので、机と電子カルテを置いてもらって、とにかく病棟にいて患者さんと関わります。例えば、リハビリを受けている患者さんに、薬の副作用でうとうとしてしまっている人がいたら、薬の変更を提案して、リハビリに集中できるようにするとか。痰が多い方であれば、まずは他職種に相談させていただいて、それでもダメなら薬を足してみるとか。
薬剤師として患者さんを積極的にサポートするんですね。
それと、患者さんごとの薬の配薬を看護師さんがやっているところもあるんですが、それを薬剤師がやることで、その作業の手が空きますよね。その分、しっかり看護に取り組める。病棟業務としてはそういうことをやるべきだし、やれることはいっぱいあるって気がついたんですね。
それを始めたきっかけはあったんですか。
ある時、グループの代表が「カルテだけ見ていても、患者さんの悪いところはわからない。直接患者さんのところに行った方が良いし、他職種のスタッフも必要としている」って言われたことが始まりでした。それを聞いて納得して、事務長にお願いして各病棟にパソコンと電子カルテを置いてもらいました。
そこから始めたんですね。
でも、自分がいざ病棟業務をやってみようと思ってラウンドしてみたんですが、服薬指導を求めている方がいなかったんですよ。みなさんからは「痰を取って欲しい」とか「位置変えてほしい」と言われて。
始めたてで浸透していないと難しそうですね。
薬剤師は医療行為ができないので「役に立たないな」って、思ってしまいました。でも「私がここにいて役に立てることって何だろう」と考えた時、患者さんが入院中に求めることに対して、薬で手助けできることをやろうと思ったんです。
どういうことですか。
患者さんは、病気を治したいのはもちろん、一生懸命リハビリに取り組みたいとか、手厚い看護を受けたいとか、おいしいご飯を食べたいとか、求められることがあると思うんです。その助けになることを、薬剤師としてアプローチできるんじゃないかと考えました。そこで、さっき言ったように、患者さんに積極的に関わっていくようになっていったんです。
「病院って楽しい!」
そう思えたきっかけとは
順を追って伺っていると、薬剤にあまり興味の無かった時代と比べてかなり熱心になられた印象を受けますが、何かきっかけがあったのですか。
そのことについて、すごく話したかったんですよ!
そうだったんですね(笑)。
印西総合病院で働き始めて、グループの緑成会病院から真鍋先生という医師が移って来たんですが、この先生が、入院患者さんにたくさん処方されていた薬をどんどん減らしていくんです。最初は「この人、大丈夫かな?」って心配になったんですが、カルテを見ると、検査値がどんどんきれいになっていって。そこから「何で薬を減らしたんだろう」「何で増やしたんだろう」って考えるようになり、おかげで初めて「薬って面白い!」って思うようになったんですね。
目に見えることで興味が湧いたんですね。
それから、このインタビューにも出られた原崎先生(※)が院長になられたことも大きかったです。医師の方って、一般的に嫌なイメージもあったんですけど(笑)。原崎先生は患者さんにすごく丁寧なんですよ。私が患者さんだったら、こんな先生に診てもらいたい、って思えるような方で。
物腰がとても柔らかいですよね。
原崎先生は、よく薬剤部に電話をかけて「これはどうしたらいい?」って聞いてくださって。当時は知識がなかったので、とにかくエビデンス(医学的根拠)とかガイドラインをすごく調べるようになりました。原崎先生はアメリカにもいらしたので、日本だけでなくてアメリカのガイドラインも求められていて。でも私は英語ができないので、ネットで必死に翻訳しました(笑)。
すごく勉強になりそうですね。
だから、その2人の先生のおかげで、すごい薬剤師としてのスキルも短期間で上がったし、興味も湧きました。もちろん大前提として、スタッフや患者さんといろんな出会いがあってのことですが。「病院って楽しいな」って思えたこと、それがすごく大きかったですね。今日はそのお話をしたかったです(笑)。
お聞きできて良かったです(笑)。
病棟業務・ポリファーマシーの取り組みを
もっと推進していくために
今現在は、体制を強化するためにとのことで、東京都足立区の平成扇病院に移られましたが、薬剤部の環境はいかがですか。
こちらはまだ薬剤師の数も少ないので、病棟業務まではまだしっかりと手が回ってはいません。まずは、患者さんの薬をしっかりと処方通りに作る、という基礎を固めているところです。
開院から3年ですし、今はちゃんとした基盤を作っている段階でしょうか。
今後はスタッフを増やして、もっと患者さんとか病棟に関わっていきたいと思っています。でも、これからのところはありますが、病院全体では、この規模ならではのアットホームさがあって、雰囲気はいいなと思いました。「ひとプロジェクト」に以前出られた岩原さん(※)も明るく盛り立ててくれて、本当にいろいろと助けられています。
※平成扇病院 看護部 副部長/岩原 奈緒子さん インタビュー記事
ちなみに、グループ全体では薬剤師の病棟業務はどのくらいやられているのでしょうか。
徳島の博愛記念病院や、印西総合病院が主導して取り組んではいますが、やはりスタッフ数の問題もあって、全ての病院ではできていません。これからの課題ですし、もっと発信していきたいなと思っています。ポリファーマシー(※)についても同様で、今はまだグループ内で取り組みに差があるので、そこもがんばっていきたいです。
※薬物の相互作用を減らすため、6種類以上の服薬を「多剤内服」として減らす取り組み。詳しくは下記ページをご覧ください。
平成医療福祉グループ 薬剤部の取り組み
その点も、これからの取り組みなんですね。
そこについても、スタッフの増員が急務ですね。ただ薬を減らせばいいということではなく、ちゃんと病状を見る必要があるので、調剤業務と並行して行うためには、もっとスタッフを増やしたいですね。
もっと知ってほしい!
慢性期医療の魅力
スタッフを増やすための取り組みは何かされていますか。
今はリクルートに力を入れています。いろいろな大学などに出向いて、働きかけているところです。中途の方ももちろんですが、新卒のスタッフも充実してくるといいですね。
学生の方は、病院でのお仕事に興味を持っていただけるんでしょうか。
今は調剤薬局の人気がありますが、病院もずっと根強く人気がありますね。
このグループは、慢性期医療をメインとしていますけど…。
(間髪入れず)そこなんですよ!
どういうことでしょうか(笑)。
まず、慢性期医療についてご存知ない方も当然いらっしゃいますので、急性期医療との違いを学生の方には説明しています。やはりそれぞれの良さがありますので。
薬剤師にとって、慢性期医療の魅力とはどんなことなんでしょうか。
それも今日お話したかったことなんですが、慢性期病院は入院期間が2カ月、3カ月と長いので、検査値を追っていきやすいわけです。ポリファーマシーについてもそうですが、取り組みに対しての結果が見えやすいのは醍醐味だと思っています。
急性期病院はスパンが短いので、また違ってくるわけですよね。
それと、慢性期病院の患者さんは、1つの病気だけでなくて、例えば糖尿病とか脳梗塞とか、いろいろな病気がバックグラウンドにあって入院されることが多いわけです。そこで、横断的に知識を持っているということで薬剤師が頼られる場面もけっこうあるんです。
その分、幅広い知識も求められそうですね。
ひとくちに糖尿病と言っても、糖尿病だけ知っていればいいわけではなく、ほかの疾患も勉強しておかないと、ポリファーマシー対策もできないですし、なぜこの薬を飲んでいるのか、というのも理解できませんから。
勉強のしがいがありそうです。
慢性期病院って、急性期病院と比べて「ゆったり働く」というイメージを持っている人もいるかもしれないんですけど、でも慢性期だからこそ、いろんな疾患や薬のことをわかっていないといけないんです。こう言うと、自分がすごくわかっているように聞こえそうですが(笑)。でもやりがいは大きいですよ。
実際、学生の方の反応はいかがですか。
リクルートを担当し始めて、去年は「慢性期医療に行きたい」と話す方はほとんどいなかったんですが、今年は学生さんから「慢性期でやってみたい」っていう話も聞けて、来年入っていただける方とも出会えましたので、やってよかったなと思いました。それと、今年度から学生の方のためにインターンシップ制度を始めました。今は山口平成病院、印西総合病院、平成横浜病院の3つなんですが、今後も力を入れていきたいですね。
必要なのは知識だけじゃない
患者さんへの想いを持った方をお待ちしています
こう聞くと、急激にお仕事の楽しさに目覚められたのだなと感じます。
こんなに面白いんだったら「もっと早くちゃんと勉強していれば良かった」って思いました(笑)。でも何も知らなかったからこそ、聞かれた時に素直に調べる、っていうことができたのかもしれないですね。下手に知っていたら、ああじゃないこうじゃないと言ってしまっていたかもしれません。
新鮮な気持ちだったんですね。
とにかく本当にいろんな経験をさせてもらいました。これからも、自分でできることであればなんでもやろうと思いますね。このインタビューもそうですし、薬剤部の活動を知ってもらえるチャンスですから。
以前、NHKの番組にも取り上げられていました。
印西総合病院の薬剤部を取材していただきました。準備もありましたし、1日がかりの撮影で大変でしたけど、反響も大きかったので、お話をいただけて良かったですね。ポリファーマシー外来への問い合わせもたくさんいただきました。
グループ薬剤部として、どんな方を求めていますか。
私みたいな人もいるので、なんとも…(笑)。でもやっぱり、知識は大事だけど、それだけじゃないのかなって思います。そこは後からいくらでもつけることができますから。まずは、自己利益でなく患者さんのことを一番に思って行動できる人であってほしいですね。そういう方を尊敬しますし、自分もそうなりたいです。
子どもと猫と、ウイスキーとパソコンと…
お休みの日はどう過ごされることが多いですか。
小学生の息子が2人いて、どちらもサッカーをやっているので、その試合や練習を見に行くこともありますし、あとは家の猫と遊んで癒されています。
猫を飼われているんですね!
この記事、猫の写真が出ること多いですよね(笑)。
よく載せさせてもらっています(笑)。せっかくなので見せてください。
これですね(プリントした写真を見せてくれる)。以前出られた田村さん(※)のところと同じ、ブリティッシュショートヘアです。
※第一医療事業部長 田村大輔さん インタビュー記事
わー、2匹いるんですね! ちなみにお名前は。
チップと、にゃん太です。女の子だけど、にゃん太です(笑)。あとこれが、うちにあるウイスキーの写真です(また写真を見せてくれる)。
なんでその写真も持ち歩かれているんですか(笑)。
これを飲むために仕事をがんばろうって(笑)。やっぱりいいウイスキーって、飲みやすいしおいしいんですよ! 悪酔いもしませんし。
お酒はだいぶ飲まれるのですか。
以前に比べたら全然ですよ、回数も減りました。その代わり、今は職場から家まで距離があるので、飲むときは宿を取って、とことん飲んでから泊まって帰ります(笑)。
気合いが違いますね(笑)。お子さんから何か言われたりしますか。
なるべく酔ったところは見せないようにしています。でも、私も子どもみたいなものなので、息子に注意されますよ。
えっ!
仕事帰りでお腹がすごく空いて、コンビニでお弁当を買って帰った時があったんですね。そしたら息子が「いいなあ、僕もお腹が減ってきた」って言うので「ダメ! あなたはもう食べたでしょ、これはママのだからあげないよ!」って言って食べ始めたら、「あのさあママ、普通お母さんなら、子どもに『ちょっとあげる』って言うよ」って言われてしまい(笑)。
ずいぶん冷静ですね〜(笑)。でも仲が良さそうで微笑ましいです。最後に、仕事以外で目標はありますか。
これは仕事の話なのかもしれないんですが、「アクセス(Access)」を極めたいです。
アクセスとは何でしょうか。
マイクロソフト社のデータベース管理ソフトです。よく使われるエクセルだと、データを2万件くらい入れると処理が遅くなっちゃうんですよ。でも病院の統一薬って、何十万という数になっちゃうので、これで管理すると、ほしいデータとか数字がすぐ出せて便利なんですよ! 「世の中にこんな便利なものがあるんだ」ってすごく感動しました。もっと極めたいって思ってます。
大きい数字を扱うお仕事ならではですね。使いこなせたらとても便利そうです。
本を買って勉強して、休みの日も研究していますよ。だからもし趣味を聞かれたら、今はアクセスって答えます(笑)。
プロフィール
平成扇病院/薬剤部 課長
入間川 寿々可
いりまがわ すずか
【出身】宮崎県宮崎市
【職種】薬剤師
【好きな食べ物】チョコレート(市販のメーカーのシンプルなもの)
【尊敬する人】King Gnu(バンド。人と違うことをやっているのがすごい)
病院情報
医療法人社団 大和会
平成扇病院
内科・リハビリテーション科・精神科
2016年4月に開院。内科病床と精神科病床を有していましたが、地域の医療ニーズに応えるため、2020年4月に内科病床を中心とした、医療療養病棟60床、回復期リハビリテーション病棟60床の病院機能にリニューアル。積極的なリハビリテーションはもちろん、脳血管疾患後の高次能機能障害の神経学的な鑑別など、引き続き『こころとからだ』の両面に対して幅広いアプローチを実践、地域のみなさんが安心して在宅で生活できる後方支援病院を目指します。