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「ひと言」に導かれて進んだ道のり 医師、そして整形外科医を選んだ理由に迫ります/西宮回生病院 院長/福西 成男先生

診療部2021.02.05
診療部

「ひと言」に導かれて進んだ道のり
医師、そして整形外科医を選んだ理由に迫ります

兵庫県にある西宮回生病院の院長、福西成男先生。高校3年の受験シーズンまで医学部に行くことを考えていなかったという先生。なぜ医師になろうと思ったのか、なぜ整形外科医になったのか、先生の人生の「分岐点」についてお伺いしました。

歯科医になるつもりだった高校時代

まずは出身地からお聞きしたいのですが。

奈良県です。高校まではずっと奈良県で過ごしていました。

医師を志したのはいつ頃ですか。

う〜ん…大学受験のあとぐらいです。というのも、母方の祖父が歯科医で僕の憧れでした。だから「僕も祖父と同じ歯科医になりたい!」と思って、歯学部ばかり受験していました。

歯学部ばかり受験されて…医学部ですか。

そうなんですよ(笑)。祖父に「歯科大に受かった!」って伝えたら「医者になれ!」って突き返されてしまって。

驚きの展開ですね。

びっくりしましたねぇ。当時の僕からすると、歯科医の二代目としてバリバリ仕事をしている印象でしたが、子どもが知らない苦悩みたいなものがあったのかもしれませんね。だから、孫には歯科医を継がず医師になってほしいと思ったようです。

そこから医学部を目指されたのでしょうか。

実は、友だちに誘われてひとつだけ医大を受験して、たまたま受かっていたんです。歯科医への憧れもあったので進路を悩んだのですが、祖父がなってほしいと言う医師はどんな職業なんだろうと思えてきて、その医学部に入学しました。

整形外科医になった意外な理由とは

実際に入学されていかがでしたか。

意外だったのは、僕のように親とか身内から医学部を勧められて入学した人がけっこう多かったんです。おかげで、すんなりと順応しました。あとは、好きなサッカーを楽しもうとサッカー部に入りました。

当時の医学生生活はどんな雰囲気でしたか。

まだまだ研修医制度そのものが確立される前だったので、大学卒業までに専門診療科を決める必要性がありました。だから学生のうちに自分がどの診療科で働くのか、何が向いているのか考えながら進級しなくちゃいけなかったんですね。

卒業までに診療科を絞っていく感じなんですね。

「実家を継ぐ」とか「親と同じ科を目指す」っていう学生は、ほんの一部。全く決めきれない学生が多かったと思います。僕も全く決まってなくて、ずっとどうしようかなぁと悩んでいました。

最終的にはどうやって決められたのでしょうか。

サッカー部の先輩が「福西、整形に来たら一緒にサッカーできるで」って声をかけてもらったので、整形外科に行こうかなぁと。

そのひと言で決断されたんですか。

そうなりますね(笑)。当時の僕が唯一考えていたのは「命を落とす確率が低い診療科に行きたい」という点だったので、整形外科ならいいかなぁと。でも、整形外科のことなんて、まだ何もわかっていませんでした。だから、サッカー部の先輩に誘われたからっていう理由が大きいですね。

そうやって整形外科医としての道が決まったんですね。研修医時代は、噂に聞くような過酷な時代でしたか。

奴隷のような時代でしたね(笑)。制度も整っていなくて、先輩が手術をする姿を「見とけよ〜」って言われて、それを見ながら手技を覚える毎日でした。

技を見て盗むような時代だったんですね。

今は研修医制度も充実していますし、手術室で実際に手を動かしてもらって僕らが隣で指導する方法が一般的になっています。でも、僕らの時には、そういう考え自体がなかったので色々と大変でしたね。

これは過酷だったなぁという出来事をひとつお聞きしたいです。

その「見とけよ」って言っていた先輩が「開業するわ」って言い残して退局したり、「実家を継ぐ」と言い残して退局されたり…そういうことはよくありました。なので、ある日突然、先輩の代わりをすることになるような時代でした。

過酷な2年間だったんですね。その後は、どちらの病院で勤務されたのでしょうか。

普通は、病院に配属されて色々と経験を積んでいくわけですけど、僕は少し珍しい経歴で…勤務せずに大学院に進んで、その次に留学したんです。

研究の毎日から診療の毎日へ

大学院に進学されたあとに留学もされていたんですね。

ことあるごとに「留学したい!」って言い続けていたんです。留学したらカッコいいかなって思って(笑)。そしたら、ちょうど話が来たタイミングが卒業後だったので、常勤医師として勤務を始めた時には、もう9年目になっていましたね。

先生がリウマチと股関節を専門領域にされているのは、そこでの研究がきっかけになったのでしょうか。

その大学院でお世話になった先生の専門がリウマチだったということがありますね。股関節が専門領域になったのは、リウマチを専門にするなら、より深くあらゆる関節の部位も知っている必要があるので、当時大学で教授を務めていた吉矢先生(現 西宮回生病院顧問)からの御指名で股関節を専門にしようと。

吉矢先生からのひと言ですか。

そうそう。吉矢先生の専門は膝関節でした。あと、僕の同期に背骨を専門にしている人がいたので、重複しないように「福西は股関節っ!」っていう感じでした。ざっくりした説明ですけどね。

専門領域はそうやって決めることもあるんですか。

僕は「この領域でやっていきたい!」という強いこだわりがなかったんです。リウマチの治療は、全身のどこに出るのかわからないので、あらゆる専門医がいるべきですし、どの領域でもやりがいはありますよ。

離島で整形外科になる極秘計画

吉矢先生の名前が出ましたが、長くご一緒に勤務されているのでしょうか。

吉矢先生が教授に着任されてからなので…だいたい15年ぐらいですね。
今だから言えますけど実は…吉矢先生が教授にならなかったら、離島で暮らそうと思って計画していました(笑)。

えっ?!

いやぁ、全く知らない先生が教授になるぐらいだったら、退職しようと思っていました。

そんな計画をされていたんですね。

いわゆる教授選みたいなものがあった時に、万が一のことも想像するじゃないですか(笑)。先生じゃないなら、辞めようって思っていたから夏休みに嫁と沖縄の離島に旅行へ行って、その旅行ついでに病院見学も済ませちゃって。ここで整形外科医でもやろうかなぁと(笑)。

目指したい病院像を見据えて着任を決意

西宮回生病院の院長になるまでの経緯についてもお聞きしていきたいのですが。

2016年当時、大学病院に勤務しながら、リニューアル直後だった西宮回生病院に、週に何度か外来診療に来ていました。その時期に「当時大学で教授を務めていた吉矢先生(現 西宮回生病院顧問)が教授退官後にここで勤務されるらしい」という話を耳にして、何となく僕も働くつもりでした。まだ決まっていないうちから何となく働くつもりでした(笑)。

(笑)。外来診療で関わっていた当時の病院の印象はいかがでしたか。

リニューアル前は20年ぐらい整形外科がなかった時期もあると聞いていました。そういうこともあって、整形外科全体で見ると、今みたいに手術や治療を前提とした患者さんよりも、肩や膝が痛いから整形外科に来た、という患者さんのほうが多い印象もありました。

長年勤務してきた職場を離れる不安はありましたか。

なかったですね。吉矢先生が着任するタイミングで僕も着任する話をいただいて、率直に「ありがたい」って思いました。大学病院からも近いですし、何よりも家から近くなるし(笑)。 いいことばっかりだと思いました。

着任まで少し時間があったなかで、何か構想されていたことがあったのでしょうか。

もともと大学にいた時から、考えていたことはありました。大学にいると、それができないことはわかっていたので、いいタイミングだなぁと思っていました。

「特定分野の強み」をもっと磨きたい、という想い

その構想はどんなものだったのですか。

そんなに大きな病院じゃなくていいので、機動力があって、設備面もある程度揃っていて、ある部分においては大学よりも秀でている存在が、大学病院の近隣に必要だと思っていました。

そういった病院を作りたいと。

総合的な関連病院だと規模も大きくなりますし、今からその規模を目指しても大学病院ほどにはなれないじゃないですか。全体的にふわっとしている病院にはしたくないんです。

特化した診療科があるべき、ということでしょうか。

それが必要だと思います。もし、一部の診療科が大学病院よりもスピード感を持って対応できるほど専門性があれば、患者さんや地域のニーズに答えられます。来院数が多い大学病院ほど待たずに対応できれば、患者さんへの負担が治療面以外でも少なくなります。大学病院とも近くて、リハビリのスタッフが100人もいるこの病院なら、それになれると思いました。

着任1年目から起こった想定外の出来事

2019年に着任して、2020年には新型コロナウイルス感染症の流行と、世界が一変してしまったと思いますが、いかがでしたか。

そうですね。年の瀬に職員とそんな話をしていたら、あっという間に日本中で感染対策に追われることになりましたね。着任してすぐに結果は残せないだろうと思っていましたが、そもそもこの予想はしていませんでした。ただ…感染対策の本音を言えば、ずっと悔しい気持ちでいっぱいです。

「悔しい気持ち」ですか。

誤解を受けるかもしれませんが、今回のような感染症の症状は、当院のように整形外科に特化している病院だと患者さんを診ることはできません。僕自身が整形外科医なので、内科領域に手を出せないことは十分、わかっています。これは、本当に悔しいですね。

助けられない悔しさですか。

ありますね。医者だったら、ウイルスをやっつけてやりたいし戦ってやろう、って思うじゃないですか。医者として、患者さんを助けられないのは悔しいですね、本当に。

そんな状況でも得られたことはありましたか。

コロナ禍でも紹介件数や手術件数が伸びています。以前だったら大学病院で手術を受ける患者さんが、当院を選んでくれているのかな、という実感があります。着実に手術件数を増やすこともでき、股関節・膝関節の紹介状が増えていると職員自身も実感しているようです。そこは、嬉しい発見でした。

「できない」と思わせない環境づくりを

昨年は共同執筆された英語論文(※)が、海外の学会誌に掲載されていますよね。

そうですね。そういった成果も残していきたいと思っています。特に英語論文は、研究に主軸があるような大学病院の「一部の人たちの仕事」というイメージがあって「そのほかにいる人たちは書かない」みたいな体質があるので、そこも変えていきたいですね。この病院で働けば、ここの症例をもとに執筆もできるし評価もされる、という実績を作っていきたいです。

※学会誌「Arthroplasty today」に掲載。くわしくはこちらのページをご覧ください。

教育面の充実はご自身の経験からですか。

その部分は大きいと思います。昔から「後輩指導」が趣味みたいになっていることもあるぐらい…けっこう好きですね。僕にできる分野であれば、喜んで教えていきたいと思っています。

今後の展望についてもお聞きしたいです。

今年は、手術数年間1,000件を目指したいですね。救急を受けて緊急の手術をするような病院であれば、手が届きそうな件数なんですが、当院はそういった外傷手術ではないので、患者さんから選ばれる病院を目指すという意味にもつながると思います。

病院内の部分ではいかがでしょうか。

みんながモチベーションを高く保てる職場になったらいいな、と思っています。それぞれがやりたいと思っていることが職場で実現できる環境を提供できるようにしていきたいです。さっきの論文発表のように、医師だけに限らず、ほかの職種でもやりたいと思っている職員がいれば、変わらずサポートしていきたいです。

サッカーの代わりに見つけた 屋外での楽しみ

では、最後に仕事のリフレッシュ法をお伺いしたいのですが。

ここ1年は自粛中ですが、サッカーがストレス発散とリフレッシュになっています。年齢が上がるにつれて、ボディションがどんどん下になっていますが、楽しんでいます。

(笑)。サッカー以外には何か続けているものはありますか。

仕事が趣味みたいになっているところもあるので、あんまりコレというものがないんですよね。う〜ん…しいていえば、奥さんとワインを飲むことです。週に一度ぐらいは、夫婦でのんびりとワインを。

素敵な時間ですね。

こういうご時世になってから、お店には入らないようにしているので、もうずっと屋外で飲んでいるんです。テーブルとか椅子とか必要なものを外に出して。

(笑)。この季節は…かなり寒そうですね。

そうなんですよ。ずっと凍えながら飲んでます(笑)。でも、楽しみを捨てたくないから、がんばります(笑)。

プロフィール

西宮回生病院 院長

西宮回生病院 院長

福西 成男

ふくにし しげお

【出身】奈良県
【専門】整形外科(リウマチ・股関節)
【趣味】サッカー(今は自粛中)、週に一度、夫婦でワインを飲む

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