ひとプロジェクト 第56回【前編】西宮回生病院 院長/福西 成男先生

西宮回生病院

院長

福西 成男 先生

Fukunishi Shigeo

「ひと言」に導かれて進んだ道のり
医師、そして整形外科医を選んだ理由に迫ります

ひとプロジェクト、第56回目は兵庫県にある西宮回生病院の院長、福西成男先生です。高校3年の受験シーズンまで医学部に行くことを考えていなかったという先生。なぜ医師になろうと思ったのか、なぜ整形外科医になったのか、前編では先生の人生の「分岐点」についてお伺いしました。

歯科医になるつもりだった高校時代

まずは出身地からお聞きしたいのですが。

奈良県です。高校まではずっと奈良県で過ごしていました。

医師を志したのはいつ頃ですか。

う〜ん…大学受験のあとぐらいです。というのも、母方の祖父が歯科医で僕の憧れでした。だから「僕も祖父と同じ歯科医になりたい!」と思って、歯学部ばかり受験していました。

歯学部ばかり受験されて…医学部ですか。

そうなんですよ(笑)。祖父に「歯科大に受かった!」って伝えたら「医者になれ!」って突き返されてしまって。

驚きの展開ですね。

びっくりしましたねぇ。当時の僕からすると、歯科医の二代目としてバリバリ仕事をしている印象でしたが、子どもが知らない苦悩みたいなものがあったのかもしれませんね。だから、孫には歯科医を継がず医師になってほしいと思ったようです。

そこから医学部を目指されたのでしょうか。

実は、友だちに誘われてひとつだけ医大を受験して、たまたま受かっていたんです。歯科医への憧れもあったので進路を悩んだのですが、祖父がなってほしいと言う医師はどんな職業なんだろうと思えてきて、その医学部に入学しました。

  • 整形外科医になった意外な理由とは

    実際に入学されていかがでしたか。

    意外だったのは、僕のように親とか身内から医学部を勧められて入学した人がけっこう多かったんです。おかげで、すんなりと順応しました。あとは、好きなサッカーを楽しもうとサッカー部に入りました。

    当時の医学生生活はどんな雰囲気でしたか。

    まだまだ研修医制度そのものが確立される前だったので、大学卒業までに専門診療科を決める必要性がありました。だから学生のうちに自分がどの診療科で働くのか、何が向いているのか考えながら進級しなくちゃいけなかったんですね。

    卒業までに診療科を絞っていく感じなんですね。

    「実家を継ぐ」とか「親と同じ科を目指す」っていう学生は、ほんの一部。全く決めきれない学生が多かったと思います。僕も全く決まってなくて、ずっとどうしようかなぁと悩んでいました。

    最終的にはどうやって決められたのでしょうか。

    サッカー部の先輩が「福西、整形に来たら一緒にサッカーできるで」って声をかけてもらったので、整形外科に行こうかなぁと。

    そのひと言で決断されたんですか。

    そうなりますね(笑)。当時の僕が唯一考えていたのは「命を落とす確率が低い診療科に行きたい」という点だったので、整形外科ならいいかなぁと。でも、整形外科のことなんて、まだ何もわかっていませんでした。だから、サッカー部の先輩に誘われたからっていう理由が大きいですね。

    そうやって整形外科医としての道が決まったんですね。研修医時代は、噂に聞くような過酷な時代でしたか。

    奴隷のような時代でしたね(笑)。制度も整っていなくて、先輩が手術をする姿を「見とけよ〜」って言われて、それを見ながら手技を覚える毎日でした。

    技を見て盗むような時代だったんですね。

    今は研修医制度も充実していますし、手術室で実際に手を動かしてもらって僕らが隣で指導する方法が一般的になっています。でも、僕らの時には、そういう考え自体がなかったので色々と大変でしたね。

    これは過酷だったなぁという出来事をひとつお聞きしたいです。

    その「見とけよ」って言っていた先輩が「開業するわ」って言い残して退局したり、「実家を継ぐ」と言い残して退局されたり…そういうことはよくありました。なので、ある日突然、先輩の代わりをすることになるような時代でした。

    過酷な2年間だったんですね。その後は、どちらの病院で勤務されたのでしょうか。

    普通は、病院に配属されて色々と経験を積んでいくわけですけど、僕は少し珍しい経歴で…勤務せずに大学院に進んで、その次に留学したんです。

研究の毎日から診療の毎日へ

大学院に進学されたあとに留学もされていたんですね。

ことあるごとに「留学したい!」って言い続けていたんです。留学したらカッコいいかなって思って(笑)。そしたら、ちょうど話が来たタイミングが卒業後だったので、常勤医師として勤務を始めた時には、もう9年目になっていましたね。

先生がリウマチと股関節を専門領域にされているのは、そこでの研究がきっかけになったのでしょうか。

その大学院でお世話になった先生の専門がリウマチだったということがありますね。股関節が専門領域になったのは、リウマチを専門にするなら、より深くあらゆる関節の部位も知っている必要があるので、当時大学で教授を務めていた吉矢先生(現 西宮回生病院顧問)からの御指名で股関節を専門にしようと。

吉矢先生からのひと言ですか。

そうそう。吉矢先生の専門は膝関節でした。あと、僕の同期に背骨を専門にしている人がいたので、重複しないように「福西は股関節っ!」っていう感じでした。ざっくりした説明ですけどね。

専門領域はそうやって決めることもあるんですか。

僕は「この領域でやっていきたい!」という強いこだわりがなかったんです。リウマチの治療は、全身のどこに出るのかわからないので、あらゆる専門医がいるべきですし、どの領域でもやりがいはありますよ。

  • 離島で整形外科になる極秘計画

    吉矢先生の名前が出ましたが、長くご一緒に勤務されているのでしょうか。

    吉矢先生が教授に着任されてからなので…だいたい15年ぐらいですね。
    今だから言えますけど実は…吉矢先生が教授にならなかったら、離島で暮らそうと思って計画していました(笑)。

    えっ?!

    いやぁ、全く知らない先生が教授になるぐらいだったら、退職しようと思っていました。

    そんな計画をされていたんですね。

    いわゆる教授選みたいなものがあった時に、万が一のことも想像するじゃないですか(笑)。先生じゃないなら、辞めようって思っていたから夏休みに嫁と沖縄の離島に旅行へ行って、その旅行ついでに病院見学も済ませちゃって。ここで整形外科医でもやろうかなぁと(笑)。

次回:極秘計画から一転、構想していた未来の西宮回生像とは。着任3年目で振り返ること。

後編を読む

profile

西宮回生病院
院長 福西 成男(ふくにし しげお)

【出身】奈良県
【専門】整形外科(リウマチ・股関節)
【趣味】サッカー(今は自粛中)、週に一度、夫婦でワインを飲む

病院情報

兵庫県西宮市大浜町1番4号

医療法人社団 西宮回生病院

整形外科・小児科・リハビリテーション科・内科・外科・脳神経外科・皮膚科映画「火垂るの墓」や村上春樹さんの小説にも登場する歴史ある病院です。総合病院的な要素も保ちながら、中高年の関節機能障害の再建からトップアスリートの競技復帰まであらゆるレベルの整形外科治療に対応できる病院として地域医療への貢献を目指しています。