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全人的な医療・ケアを深め、若い世代が活躍できるグループをつくる。【新副代表就任座談会】

トピックス2025.01.10
トピックス

2024年10月、平成医療福祉グループの副代表に、経営企画医師の坂上祐樹さん、天辰優太さんが就任しました。代表交代から2年、新理念「じぶんを生きる を みんなのものに」が制定されて約1年が経つ今、新しい副代表を迎えて同グループはどんな未来を描いているのでしょうか。代表・武久敬洋さんとふたりの新副代表による座談会を開き、同グループが目指す医療・福祉のあり方、これからの取り組みについてお話しいただきました。

<プロフィール>
武久敬洋(たけひさ・たかひろ)
平成医療福祉グループ代表。徳島県神山町在住。3人の子どもの父。2010年、平成医療福祉グループへ入職。以降、病院や施設の立ち上げなどに関わりながら、グループの医療・福祉の質向上に取り組む。2022年、グループ代表に就任。共同編集した著書に『慢性期医療のすべて』(2017 メジカルビュー社)がある。

坂上祐樹(さかがみ・ゆうき)
平成医療福祉グループ副代表、経営企画医師、海外事業部部長。1981年長崎県島原市出身。2006年長崎大学卒業。長崎県五島中央病院で初期研修後、厚生労働省に入省。医師偏在を課題として臨床研修制度の見直しなどに取り組み、診療報酬改定や災害医療の整備などを手掛け、2017年に同グループに入職。

天辰 優太(あまたつ・ゆうた)
平成医療福祉グループ副代表、経営企画医師、訪問事業部部長。1987年大分県大分市出身。2012年岐阜大学卒業。岐阜市民病院で初期研修後、厚生労働省に入省。介護報酬制度、診療報酬制度の改定や国立ハンセン病診療所の医師確保、医師の働き方改革に携わる。2020年に同グループに入職。

新しい理念「じぶんを生きる を みんなのものに」

平成医療福祉グループ 武久敬洋代表

ーー平成医療福祉グループは、2022年に代表交代、2023年にはグループ理念の制定、そして今回の新副代表就任と大きな変化が続いています。まずはあらためて、グループの理念を「絶対に見捨てない。」から「じぶんを生きる を みんなのものに」に変更した理由を伺いたいです。

武久 「絶対に見捨てない。」は、これまでのグループと現会長の姿勢を表す理念でした。当グループが創業した1984年は、日本の高齢化率が10%を超えて慢性期医療のニーズが高まりつつありました。しかし、当時の慢性期病院は治療やケアのレベルが低く、「寝たきり病院」と揶揄されることすらありました。

そんななか、慢性期医療協会を会長としてリードし、慢性期医療の質の向上に取り組んだのが現会長です。急性期病院で低栄養状態になり、寝たきり状態で転院してくる患者さんが自宅生活に戻れるよう、リハビリや介護に手を尽くしてきました。前理念「絶対に見捨てない。」は、当グループで医療に携わる職員にはわかりやすく共有しやすい言葉だったのです。

しかし、我々は福祉にも取り組むグループ。福祉の現場は「絶対に見捨てない。」という言葉は少し遠いイメージがあります。そこで僕が代表になって1年が経つ頃に、グループの職員全員にとって自分ごとになる理念を検討するプロジェクトを立ち上げました。

ーー「じぶんを生きる を みんなのものに」という理念にこめた思いは?

武久 僕らがグループの病院や施設で出会う患者さんや利用者さんは主に高齢者の方たち。必ず老化によるさまざまな機能低下や障がいを抱えておられますが、それらは完治するものではないケースがほとんどです。僕らは、「キュア(cure, 治療)」できなかったとしても、「ケア(care, 看護、介護、関心をもって関わること)」をする。医療・福祉を通して、治り切らない病気や障がいを改善して、患者さんや利用者さんが生きやすくなり、幸せになることに関わっているグループです。

それを言葉にすると、どんな障がいや病気があろうとも、患者さんや利用者さんが「自分を生きている」と思うことができたら幸せだよねということになります。はじめは、「じぶんを生きるを支え続ける」としていたのですが、最終的に「みんなのものに」という言葉を選びました。医療・福祉サービス提供者側の視点だけでなく、自分たちも含めた理念にしたかったからです。

坂上 医療・福祉に関わる我々自身が「じぶんを生きる」を考えられていなかったら、患者さんや利用者さんの「じぶんを生きる」を考えられません。そういう意味でも「みんなのものに」という言葉はとても重要だと思います。

平成医療福祉グループ 坂上祐樹 副代表

厚生労働省の医系技官から経営企画医師へ

ーー今回、坂上さん、天辰さんを副代表に選ばれた理由は。

武久 グループ全体をコーディネートするには、医療・福祉に関する制度を含めた幅広い視野から考えなければいけません。ふたりとは、前職は厚生労働省(以下、厚労省)の医系技官だったこともあり、医療・福祉についてマクロな視点から話し合えます。グループの経営を考えるポジションは、俯瞰する力があってこそ務まると思います。

ーーおふたりは、どうして厚労省の医系技官からこのグループに?

坂上 僕は長崎の五島列島に育ち、離島医療を志して医学部に進んで、卒業後は五島列島の病院で働きました。しかし、離島では人もインフラもお金もなく、医師ひとりにできることは限られています。医師偏在の問題を解決するには、日本の医療制度を変えなければと考えて厚労省に入りました。10年間、医系技官として医療に関する部署をひととおり経験して制度をつくってきて、最終的には現場に戻って医療サービスを提供したいと思うようになりました。ただ、臨床の医師としてはブランクがあります。むしろ、厚労省での経験を生かして、病院経営やマネジメントの面で貢献できるのではないかと考えていたとき、会長に誘っていただいて経営企画医師としてこのグループに入職しました。

天辰 医学部で学んでいたとき、スポーツジムで知り合った経営者の方たちのお話を聞いていると、スケール感や視野の広さ、問題解決の力がすごいなと思って経営に興味をもちました。そこで、広い視野で医療に関わりたいという思いから厚労省に入省。6年半、キャリアを積んで自分なりに役所のルールや世の中の仕組みを理解できたところで、実践に近いところで働きたいと考えはじめました。このグループのスケールの大きさや懐の深さについては、坂上さんをはじめとする厚労省の先輩方から聞いていました。入職したときはまだ30代前半でしたが、その若さで経営に関わる大きな責任を任せてもらえることに魅力を感じて入職しました。

平成医療福祉グループ 天辰優太 副代表

副代表が担う成長分野「海外事業と訪問事業」

ーー副代表として、おふたりはそれぞれにどんな役割を受け持っておられますか。

坂上 エリア的には、僕が西日本、天辰さんが東日本を受け持ちます。事業としては、グループの成長分野として考えている、海外事業部と訪問事業部をそれぞれ担当しています。これから日本は人口が減少し、国のお金もなくなっていくので、新たに施設をどんどんつくる時代ではなくなります。そのなかで、成長を見込める分野を育てていくのが僕らの役目です。特に、海外事業は知見もないなかで、新しいことに挑戦させてもらえることにやりがいを感じています。

ーー海外事業とは、具体的にどんなことをされるのですか?

坂上 まずは、インドネシアにリハビリのクリニックを立ち上げます。昔は日本もそうでしたが、まずは病気を治すために急性期医療が発達して、命を取り留めた後の回復期の医療やリハビリは遅れてしまうんです。当グループが育んできた患者さんに合わせたオーダーメイドのリハビリを広めて、機能回復や在宅復帰に向けたリハビリの概念がまだ根付いていない国々に貢献したいと考えています。

ーー天辰さんは、訪問事業部の部長として「おうち診療所」の立ち上げにも関わられました。

天辰 当グループでは、すでに訪問診療や訪問看護などに取り組み、「いつまでも自宅で過ごしたい」と望む患者さんたちに在宅医療を行ってきました。しかし、高齢化がますます進むなかで、在宅医療へのニーズはますます重要性を増しています。訪問診療を主体とする在宅診療所「おうち診療所」は、グループが運営する病院・訪問看護・訪問リハビリ・居宅介護支援事業所などをつなぐハブとなり、医療・介護をシームレスに連携させて、いつまでも「自分らしく生きる」ことをサポートしたいと考えています。

正解のない「ケア」に取り組むために

ーーおふたりの副代表を迎えて役割を分担しなおすなかで、代表はこれからどんなことに注力しようと考えていますか。

武久 いわゆる医療について限れば、すでに世の中に良し悪しの評価基準や型が設定されていますが、我々の病院で提供するのは9割方医療というよりはケアです。ケアとなると正解がありませんから、個人とチームとしての質を上げていくしかないしその上限もないんですね。僕は、ケアの質を上げていく教育のしくみづくりやその内容を考えることにできるだけ力を使いたいと思っています。そこについても、ふたりに意見をもらいながら進めています。

天辰 レストランにたとえるなら、型通りのサービスを提供するところから最高のサービスやもてなしを提供するというフェーズにあります。今はまさに、QOL(Quality of Life, 生活の質)の分野で、最高のものを提供する文化やしくみづくりをやるべきだと思います。数字やコストだけを追ってしまう経営者が多いなかで、現会長も代表もQOLの向上を目指せる経営者。副代表という立場になって、改めてグループとしてQOLを向上するケアを支えたいと思っています。

武久 僕が副代表だった時代は、型通りのサービスを提供できるように、しくみをつくって底上げすることに尽力してきました。ここからは、僕らがワンマンでやっていても先に進めないので、それぞれの病院が独立して最高のサービスを目指さないといけないと考えています。個人、チーム、病院がそれぞれに自分で考えて、楽しみながら先に進んでいくという、違うステージがきているんだと思います。そのためにも、経営企画医師を増やそうとしています。

ーー坂上さん、天辰さんも経営企画医師の肩書きをお持ちですが、具体的にはどのような役割をされるのでしょうか。

武久 臨床スキルと現場視点を維持するためにグループの病院に籍を置きますが、臨床業務以外の時間に僕らとディスカッションしながら、経営企画や新規事業企画、業務・サービスの質改善などに取り組んでもらっています。

天辰 課題に気づいて、いろんな人の意見を聞きながら客観的に俯瞰して解決方法を導き出して実行する。そのプロセスを繰り返しながら、病院や組織は成長していきます。経営企画医師は、幅広い視点やコミュニケーション力が必要ですが、とても面白い職種だと思います。責任を任せてもらいながら実践できる立場でもあり、なかなか他のグループにはない仕事です。

医療と福祉の両分野に関わるグループの強み

ーー福祉の分野の今後については。

武久 今の理念ができてから、医療と福祉の目指すことは一緒で、ケアの質をどう上げていくかを考えています。ただ、医療は非常に複雑で、命がかかっているという難しさがあるのですが、福祉のほうが複雑性は低いという違いはあります。

ーー医療には治療があり技術があり、間違いがあってはいけないし、ある種の正解を求められる世界だと思います。一方で、ケアには正解がなく常に個別最適解を探すしかありません。病院のなかで「キュア」と「ケア」がせめぎ合う部分もあるのではないでしょうか。

武久 急性期医療では、命を救うことが最優先でQOLは二の次になる場合もあります。しかし、それがあってはならないのが、我々が取り組む慢性期・回復期医療です。むしろ「QOLを向上するために何が必要か」という視点で治療の選択をしないといけません。たぶん、ケアのなかに医療があるというイメージがまだ新しくて、伝わりにくい難しさを感じています。

坂上 僕は障がいのある方のための施設「サポートハウス ココロネ住吉」の立ち上げを経験して、すごい勉強になりました。たとえば、非常に珍しい先天性の病気によって重度の障がいのある方には、医療と福祉の両面で関わることになります。また、一人ひとりの利用者さんに合わせて、さまざまな福祉制度を活用し、スタッフによるサポートを行うなど、提供するケアの個別性が非常に高いんです。病院の医療従事者のみなさんにも経験してもらいたいくらいです。

武久 特別養護老人ホームの施設長は、ほとんどがケアの概念を理解しています。医療従事者は命のせめぎあいの怖さがケアの理解を阻んでいる感じがします。医療従事者が福祉の現場でケアを学べるのも当グループの強みでもあります。教育の一環として、福祉施設や離島医療、在宅診療所で働く機会を用意することも計画していきたいと思いますね。

若い経営陣が思い描く「5年後のグループ」

ーー代表、副代表を含めた経営陣、グループ幹部は30〜40代。この1年間の取材を通じて、若い世代が中心となって同じ方向を見ておられるのを感じています。今、みなさんは5年後のグループをどんなふうに思い描いていますか。

武久 5年後は、若手の医師がさらに増えているでしょう。総合診療医も増えているでしょうね。病院における職種間の隔たりもなくなってきて、今考えている教育制度もなじんできて、みんなの目つきもキラキラしてきて、グループ入職を希望する人も多くなりつつあって。今はまだうまくいってない部分も「悪くないな」と思えるレベルになっているかなと思います。

ーー総合診療医に期待することはどのようなことでしょうか。

武久 総合診療は、臓器別に専門分化して高度に発展したがゆえに、全体性を失った医療を補う観点から、「新専門医制度」の基本領域として2018年に追加されました。総合診療医は、複数の臓器について横断的に診断できるように研修を積み、全人的な医療・ケアを行う専門医。そもそもが、高齢化が進み複数の病気をもつ患者さんの増加に対応することが期待されています。つまり、我々が大事にしているケアとしての医療という感覚がすでにあるはずです。総合診療医をたくさん仲間に入れると、グループ全体も変わっていきやすいと思うんです。

当グループには、総合診療医がやりがいをもって自由に働いてもらえる環境はすでに整っています。場合によっては、若い総合診療医を重要なポジションに抜擢することもありえます。職種間ヒエラルキーをなくしていくには、結局はチーム医療をリードする医師のあり方が重要です。我々のグループには全人的な医療・ケアを理解している医師が必要ですし、その期待に最も近いのは総合診療医だと考えています。

ーー坂上さん、天辰さんが思い描く、5年後のグループは?

坂上 現会長が立ち上げた慢性期医療病院からはじまったグループなので、医師も含めて高齢のスタッフが多かったのですが、総合的な診療を目指して若い医師にも入ってきてほしい。どの職種にも、経営を担う層にも若い人がもっと入ってきて活気のあるグループになっていけばいいなと思います。

天辰 当グループは医療・福祉それぞれに多くのパーツから成り立っています。新しい理念に基づき、QOLの向上を軸としてそれぞれのパーツを進化させ、相互に良い影響を及ぼしあう関係性を強め合えれば、どこにも真似できないグループならではの強みや良さを出せると思っています。5年後にはまた違う強さが出るといいなと思いますね。

医療・福祉からこの世界をより良く変えていく

ーーグループ創立から40年が経ち、日本の高齢化率は約3割と3人にひとりが高齢者です。慢性期・回復期病院は、高齢の方たちやそのご家族にとってますます身近になり、社会が必要とする機能として認識されていくのではないでしょうか。この領域のトップランナーとして、次のフェーズをどう考えておられますか。

天辰 高齢になると疾病構造が複雑になり、また病気だけではない生活面の課題を抱える方が増えてきます。患者さん、利用者さんのニーズが多様化するなかで、まさに慢性期医療の領域から視点を広げて支えなければいけないフェーズにきているのは確かです。この認識のもとに、我々はQOLに目を向けて訪問医療や在宅診療などのサービスを提供しており、さらには海外事業にも着手しています。このような考え方に基づいて、トップランナーで走っているところはまだ多くはないですし、かつて現会長が慢性期医療を引っ張っていったのとはまた違うフェーズを、代表を中心に担いリードしていく時代がきています。

坂上 そうですね。現会長が底上げされた慢性期医療の領域をもう一段レベルアップしたいと思います。治療はもちろんですが、障がいや病気のある患者さんや利用者さんが、「あのグループの病院や施設に行くと、自分らしい生活をできるようにサポートしてくれるらしいよ」と頼りにしてくれるグループになっているといいなと思います。住み慣れた家で暮らし続けられるサービスを提供することで、地域のなかで必要とされる存在にもなっていきたいです。

武久 我々のビジョンは「誰もがどんなときも自分らしく生きられる社会の実現」です。今、当グループには約1万6000名の職員がいて、その家族や近い関係者を含めると10万人くらいになるだろうと思います。その10万人が自分らしく生きられると、社会全体が少し変わるかもしれません。その意味でも、職員の教育制度をつくるのは重要だと考えています。「じぶんを生きる を みんなのものに」は我々グループの理念ですが、全世界がそうであってほしい。病気や障がいという困難を抱える人たちが、自分らしく生きられるようにケアする医療・福祉は、この世界をいい方向に変えていく大事な役割を果たせると思っています。

ーーありがとうございました。

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当グループでは、グループミッション「自分を生きる を みんなのものに」を実現するため、現場で抱える課題を臨床医の現場目線だけではなく、経営的な視点を持ちながら解決につなげる、経営企画医師を積極的に募集しています!

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杉本恭子

すぎもと・きょうこ

京都在住のフリーライター。さまざまな媒体でインタビュー記事を執筆する。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)。

フォトグラファー

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生津勝隆

なまづ・まさたか

東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。