ひとプロジェクト 第70回【前編】 人事部・法務部 主任 開発事業部 稲垣 光義さん

人事部・法務部 主任 開発事業部

稲垣 光義 さん

Inagaki Mitsuyoshi

パソコンや電子工作が大好きな理系少年
技術職から省庁での勤務を経て、事務職として開眼

今回は、人事部・法務部で主任を務め、開発事業部も併任する、稲垣光義さんです。現在はバリバリの事務職として各部の仕事に関わる稲垣さんですが、もともとは、電子工作やプログラミングに興味を持ち、高等専門学校に進学するほどの理系少年でした。インタビュー前編では、そんな稲垣さんがどのような経緯でグループにたどり着いたか、お話を伺いました。意外な経歴も飛び出す前編、ぜひご覧ください!

  • お父さんはミュージシャン
    パソコンに夢中だった少年時代

    今日はよろしくお願いします。このインタビューの話を受けて、どう思われましたか。

    率直に緊張します。取材なんて初めてですし、まさか自分に来てしまったかという(笑)。

    当たってしまったという感じですね(笑)。では早速、ご出身から伺います。

    東京都の世田谷区です。

    小さい頃は、どんなお子さんでしたか。

    覚えてるのは、お絵描きとかレゴブロックとか、そういうもので遊んでましたね。

    インドア派ですね。

    外遊びよりは中遊びでした。ファミコンが出始めた頃で、友だちと遊ぶにもファミコンを一緒にやるとか、1人で遊ぶにしても、ブロックを一生懸命組み立てて。

    外遊びはあまり積極的にせずに。

    野球をみんなでやるとか、そういうメンバーとはつるんでなかったです。そもそも運動が苦手だったのもあったんでしょうね。

    どんなことに熱中していましたか。

    もともと物作りが好きなんですけど、中学生の頃、父親がパソコンを買ってくれて、自分でプログラミングをするようになったんですね。当時はゲームがそんなになかったので、自分でゲームを用意しないといけなくて。くわしい人が自作のゲームのプログラムを雑誌に投稿しているので、僕はそれを一生懸命間違えないよう入力して、それで遊ぶっていう。

    ご自身でもゲームは作ったんですか。

    ごく簡単なものだけですね。雑誌に載ってるようなものは高度すぎるので。

    買ってくれたお父さん自身もパソコンにくわしかったんですか。

    父は当時音楽業界にいて作曲の仕事をしていて、パソコンを使って曲を作っていました。

    プロの作曲家だったんですね! それでパソコンも使っていたと。

    もともと私が生まれる前はバンドマンとしていろいろなところを回っていたんですけど、腕の調子を悪くしてギターを弾くのが難しくなったので、作曲の方に移行して、映画やドラマの音楽を作っていました。

    どんな作品の楽曲を手がけていたんですか。

    見たり聞いたりしたことはあるんですが、忘れてしまいました…思い出したら言いますね(笑)。

    ちなみに、有名なミュージシャンが家に来たことなどは…?

    家にレコーディングをしにミュージシャンが来たことはあったみたいなんですけど、私に音楽の知識がなかったので、「なんかおじさんが来たな」っていうくらいの認識で(笑)。

    (笑)。家に録音できる環境があるのはさすがミュージシャンですね。

    機材がものすごいいっぱいありました。でも私は音楽には全然興味を持たず、プログラミングだとか電子工作だとか、そっちの方に興味を持ちましたね。

授業も放課後も輝いていた
高専時代の青春

どんな進路をたどっていかれたのですか。

中学を卒業してから、都内の高専(高等専門学校※)に進んだんですよ。

※実践的・創造的技術者を養成することを目的とした高等教育機関。5年一貫教育で、実践を重視した教育が特徴。

やはり工学やプログラミングに興味があったための選択ですか。

はい、当時はロボットとかに興味を持っていたので機械工学科に進んで、物理や製図を学んだり、実習では旋盤を動かしたりマシニングセンタを動かしたり、溶接もしましたし、いろいろな機械にも触れることができて楽しかったです。5年間があっという間でしたね〜。

かなり充実した学生生活を送ったんですね。授業以外にも楽しみがありましたか。

1年生の時から、学園祭の実行委員会に入りました。新入生に部活動や委員会を紹介する催しがあって、その紹介がとても楽しそうだったんです。

学園祭が特徴的だったのですか。

理系の学校の学園祭なので、機械の展示があったり、それぞれの研究室でどんなことをやっているのかっていうのを見て回れるツアーがあったり。それで親や学外の人が、どんな研究をやってるかとか、機械でこういう測定ができるとか、学校での取り組みを知ることができたんです。その実行委員会がやっぱり濃厚でしたね。

ではご自身もそういった企画に携わって。

そうですね、そこでの人間関係も含めて勉強になりました。部活棟みたいな建物の中に実行委員会もあって、ほかの委員会とも仲良く行き来しながら、遅くまで学校に残ったりしてましたね。

学園祭の運営そのものも楽しかったけど、それに付随する人付き合いも楽しさがあったと。

もう、ほぼそっちだったと思います(笑)。

(笑)。運営に関わるとなると、事務仕事や調整業務も多少出てくると思うのですが。

事務的な仕事も発生していましたけど、その当時から全然苦ではなかったですね。総務の仕事のスタートはその頃からかもしれません。

なかなか充実していた高専時代だったと言えそうですね。

友だちもけっこう多かったですし、そういう意味では、その後の大学時代と比べると、高専時代の私は輝いていたと思います(笑)。

  • 工学科を経て企業の研究員に

    では高専を経て、大学に進学されたわけですか。

    工業系の大学の機械制御工学科に、2年生から編入しました。

    高専からだと編入ができるんですね。それは何か学びたいということがあって。

    いやそんなに考えていなくて、きっとモラトリアムの延長だったんですね(笑)。

    (笑)。まだ就職するには早いかなと。大学生活はいかがでしたか。

    編入学で、なおかつ夜間の授業がメインのコースだったので、1年生から入学している同級生とはあまり交流がなかったです。勉強面では、研究論文を作るのに苦労した思い出がありますね。

    ちなみにどんな研究だったのですか。

    「光ファイバーを使った歪みゲージ」の研究です。

    パッと聞いた感じでは、ちょっと難しそうな。

    光ファイバーをチョキンと切って、チューブの中に間隔を開けて通すんですね。それを物に貼り付けた時にたわむことで、そのチューブ内で光ファイバーが微小に動くと。そのことによって微妙な時間差が現れるのを電気信号で読み取って、何マイクロくらい差が出るのか、というような内容でした。

    なるほど…説明いただいたものの、やっぱり難しいですね…(笑)。研究自体は興味深く取り組んでいたんですか。

    そうですね。でも自分で選んだというよりは、与えられたテーマではあるので、それに対して、大変な想いをしながらやってはいました(笑)。

    大学卒業後の進路はいかがでしたか。

    一般企業に就職しました。コンビニなんかのレジにハンディスキャンが付いてますよね、そこに入ってる読み取り装置を作っている会社でした。

    なかなかニッチな分野ですけど、需要は高そうですね。

    大手のレジメーカーも、その部品は自分たちで作らずに、私が入った会社の商品を、いわゆるOEM(※)として使っていました。

    ※Original Equipment Manufacturingの略。メーカーが、他社ブランドの商品を製造することを指す。

    どんなことをされたのですか。

    その会社の研究部門、と言ってもとても小さい会社ですから大きい規模ではなかったのですが、まだ製品化される前の研究段階として、当時は比較的新しかったICタグの研究をしていました。

    実際に実用化されるとしたらどういう用途が想定されていたんですか。

    タグは電子装置ですから、どうしてもバーコードのように紙で安価には作れないものなので、ある程度値段の高い商品に付けるとか、あとは使い捨てではないもの、例えば図書館の蔵書に付けて、リーダーをかざすだけで本がちゃんとあるかを管理できるとか、そういった用途で考えられていました。

    そこではどのくらい働かれたのでしょうか。

    3年間ですね。仕事自体は楽しく取り組んでいたんですが、在職中に体調を崩してしまいまして。休職して、そのまま職場を離れることになりました。

  • 興味を持って楽しく働いた
    省庁での文書管理の仕事

    最初の就職先を休職後に離れ、その後はどんなことをされたのですか。

    それからしばらくは、母校の高専の先生に声をかけてもらって、学校がやっている就業支援事業の助手としてアルバイトをしていました。自分にとっては、次の仕事に就くまでの準備期間っていう感じでしたね。

    そこでの充電期間を経て、新しい道に進んでいったわけですね。

    その後を細かく言うと、都内の大学でaiboを使ったロボット講座の助手を1年間の限定で務めて、今度はそこから、派遣会社を通じて文部科学省で1カ月間、派遣職員として働き始めました。繁忙期の1カ月の契約だけということだったのですが「ここで働きませんか」ということで、事務補佐員として呼んでいただいて、そのまま文科省で3年間働きました。

    働きが認められて期限が延びたと。今度は行政の仕事に携わることになったのですね。どんなことをされたのでしょうか。

    派遣されたのが、省内で文書管理を行う部署でした。毎日大量に郵便物が届くので、そこに危険がないかX線検査したり、郵便物を省内の各課に振り分けたり、宅配便対応をしたりですね。そのうち、公文書管理の仕事にも携わるようになりました。

    公文書管理と聞くと、かなり硬そうな印象を受ける仕事ですね。

    2009年に「公文書等の管理に関する法律」というものが制定されて、今までは各省庁で決まっていた文書管理のルールについて、法律で決められたんですね。それを省内で守ってもらうために準備をしたり、歴史的な公文書を、国立公文書館に移管する手続きをしたり。

    歴史的な文書が見られるというのは貴重な機会ですね。技術職からは仕事の内容がガラッと変わりましたが、そのギャップは問題なかったのですか。

    最初派遣された時はバイト感覚でやっていたんですけど、自分が仕事の中身もわかってきて、だんだん楽しくなってきたので、辞めずに続けられたって感じですね。前職とのギャップよりも、省庁で働く楽しさが勝っていました。

    特にどういったところが楽しかったですか。

    文科省は省庁としては比較的歴史が長いので、和紙に筆で書かれているような昭和初期の行政文書が残っているんですよ。閲覧の希望があったらそれを引っ張り出すことになるんですが、そういうなかなか見られないものが見られたり、まれに大臣や政治家の方たちのお手伝いもあったりして、そこに対して物珍しさとか興味がありましたね(笑)。それと、理系ではあったんですけど、性格的には事務とか総務的なことも好きだったというのもあったと思います。

    では、研究職から職種や環境もガラッと変わりはしたけれど。

    なにも葛藤なく、自然に受け入れていったっていう感じですね。

    まだお仕事として医療業界とは距離がありますが、そこからこのグループにはどういう経緯でたどり着いたのでしょうか。

    まず文科省に3年、さらに同じ建物にある文化庁の所属として3年間働いたんですが、ルールとして、それ以上は更新ができないので、次の1年間は内閣府で任期付き職員として働きました。そこからが、また全然違う業界を一回挟んで、このグループに入ることになったんです。

    省庁を離れてどんなお仕事をされたんですか。

    建設業界に移って、左官業の会社に入りました。今までは省庁で期間が決まっている形で働いていたので、今度は無期限の常勤雇用を探そうと思って仕事を探すなかで、建設業の会社を見つけて「番頭」という職種で就職したんです。

  • 畑違いの業界で苦悩
    友人の勧めで平成医療福祉グループへ

    省庁から建設業界とは、だいぶ畑の違う分野に移られたのですね! ちなみに「番頭」とはどんなお仕事なのですか。

    大手のゼネコンから左官の業務を請け負う会社だったんですが、番頭は、現場ごとに施工会社に依頼して、その会社の職人さんに指示を出しながら、安全管理や品質管理をするのが役割でした。

    未経験から始めるには大変そうではありますね。

    当然、まったく経験ゼロの素人が入ったわけですから何もわからないですよね(笑)。職人さんはベテランばかりで、僕が指示すると言ったってちゃんとできないですし。上下関係も厳しい業界でしたから、やってみて「これは長くもたないな」と思いました。

    実際にやってみて、続けていくのは難しかったと。

    私には適性がなかったと思いましたね。当時、高専時代からの友人にその話をしたら「君が建設業界に合うわけがないじゃない」って言われて(笑)。

    (笑)。さすが、古くからのお友だちですね。

    その彼が当時このグループに関わっていて、「医療業界の方が合うんじゃない?」と言ってくれたんですね。そこで、事務長・施設長候補として、グループの面接を受けることにしたんです。

    医療業界に転職するということは、どう捉えていたんですか。

    医療の業界に入るという視点よりは、事務職として間接的に貢献したいと捉えていましたね。

    事務職がまずあって、その業界が医療であったと。当初は事務長や施設長に就く予定として入職されたのですか。

    そうではあったんですが、今総務での経験を振り返れば、その覚悟をちゃんと持って入っていたかと問われると、そうではなかったかもしれないです…(笑)。

次回:高専時代から省庁勤務、今までの経験を存分に生かしながらー。医療・福祉の現場で働く人を、人事・法務面でサポートしていく!

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profile

人事部・法務部 主任 開発事業部 稲垣 光義(いながき みつよし)

【出身】東京都世田谷区
【趣味】VTuber鑑賞
【好きな食べ物】ポテトフライ(細いタイプのカリカリ派)