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身体抑制はしないと決める

身体抑制2024.04.25

身体抑制は、移動・行動の自由を奪う行為であり、患者さんのQOLを損ない、人権をも侵害するという深刻な問題をはらんでいる。厚生労働省は、2000年から「身体拘束ゼロ作戦」を推進し、さまざまな啓蒙活動を行ってきた。しかし現在もなお、「患者の安全確保」や「スタッフ不足」を理由に患者さんを拘束する病院・施設は後を絶たない。そこで同省は、2024年度の診療報酬改定で「身体拘束を最小化する体制整備」をすべての病棟・病室*の施設基準に盛り込んだ。身体拘束廃止に向けて一歩踏み込んだかたちである。

(*精神保健福祉法の規定が別途ある、精神科病院・精神病室のある病院は除く)


平成医療福祉グループでは、2015年から身体抑制ゼロの実現に向けた取り組みを本格化。「身体抑制を選択肢に入れず、最大限考えて工夫する」ことを徹底している。本記事では、同グループの世田谷記念病院の取り組みを取材。身体抑制をしない環境づくりと看護の取り組みを紹介する。

(撮影:生津勝隆、構成・執筆:杉本恭子/writin’ room)

患者さんの状態を正確に把握する

身体抑制が安易に行われる理由を突き詰めると、患者さんに対する無関心に行き着く。たとえば、認知症のある患者さんへの無意識の偏見や差別なども、一人ひとりを「自分たちと同じ人間」として見ない態度から生じてくる。まずは、患者さんをひとりの人間として理解することが身体抑制をしない看護の第一歩になる。

入院時には、その患者さんに関わる職種が集まり、患者さんの心身の状態を確認、ご本人とご家族からのヒアリングなどを通して得た事前情報を共有。多職種による総合評価に基づき、リハビリや治療の方針の決定、病室の環境調整を行う。身体能力や認知機能、体動の多さなどに合わせてセンサーの使用も検討する。
入院1週間後のカンファレンスで、患者さんの状態をふたたび評価して正式な目標・計画を立て、病棟のスタッフはそれぞれの専門的な立場から患者さんのケアにあたる。
各病室には患者さんの状態をわかりやすいピクトグラムで表示。どのような介助が必要か、見守りは必要かどうか、嚥下のリスクレベルなど、病棟スタッフが常に把握できるよう工夫が行われている。この病室ではベッドコールが使用されているため、設定した番号が書かれていた。

患者さんを見守る環境を整える

身体抑制の理由は大きく分けて「チューブ類の抜去」「徘徊」「転倒・転落」である。いずれも病院では“問題行動”と見なされているが、患者さんの立場になって考えるとその行動を起こす理由を理解し、対策を立てることができるようになる。

世田谷記念病院は、2020年に病棟設備をリニューアルした際、ナースステーション隣に大きな談話室を設置。患者さんは食事や日中活動を、病棟スタッフの見守りが行き届く談話室で行うことにした。病室でひとり過ごしているとついチューブ類に触ってしまう患者さんも、談話室で病棟スタッフと話したり、日中活動に取り組んだりしているとチューブに触らずにいられるケースが多いという。

左奥がナースステーション、右側が談話室。常に病棟スタッフが行き交うため、患者さんへの目配りが行き届く。コミュニケーションが良好だと、病棟スタッフは患者さんの行動の理由を観察・分析しやすく、患者さんはスタッフに声をかけやすくなる。不安や孤独感から不穏な行動を起こすことも減っていく。
談話室側から見たナースステーション。医師、看護師、介護士、リハビリスタッフ、管理栄養士や薬剤師など、患者さんに関わるすべての職種が顔を出し、患者さんの情報をリアルタイムで共有しあっている。ひとりではなく、多職種によって患者さんを理解するチームワークが最適なケアを導く。
安静状態が長く低刺激の状態にあると、チューブ類が気になってしまい抜去リスクが高くなる。リハビリ以外の時間にも談話室でのレクリエーションなど日中活動をふやす工夫も行われている。また、離床を促すことは、夜間の良眠や生活リズムの安定、廃用症候群の予防、食欲増進による栄養状態の改善にもつながる。
塗り絵やかんたんな手芸など、患者さんが集中して取り組めるアクティビティも複数用意されている。こうしたアクティビティによって居場所を感じてもらうことは、徘徊の防止になると考えられている。談話室のテーブルには、患者さんがていねいに塗ったきれいな絵が残されていた。
特に認知症のある患者さんは、慣れない環境に不安を感じやすい。自宅で使っていたもの、家族の写真などをもってきてもらい、病室をその人らしい環境にして患者さんの居心地をよくすることも、不穏な行動を予防する方法のひとつである。

身体抑制をしないためのツールを揃える

病棟内での転倒は、歩行や移動能力が低下している自覚がなかったり、病棟スタッフへの遠慮から起きるケースが多い。また、ベッドからの転落は、移動能力が著しく低下している場合、あるいは自力で離床できない患者さんに起きる。平成医療福祉グループでは、センサーなどのツールを多数導入して転倒・転落のリスクを回避している。世田谷記念病院で使われているツールを一部紹介しよう。

ベッドからのずり落ちや転落などのリスク対策として、万が一の転落時にも衝撃が少ない超低床ベッドを導入している。ベッドの高さは調整可能。写真のように、ベッドコントローラで最も低く設定すると床からベッド床板までは15cmになる。
同病院では、患者さんのどんな動きを察知したいかに合わせて複数種類のセンサーを活用している。こちらは、自立歩行は難しいが体動が多い患者さんのシーツの下に敷く「ベッドコール」。上体を起こすとセンサーが反応してナースコールが鳴り、スタッフがようすを見に行く。センサーと通常のナースコールを別表示し、センサーを優先して対応するという。また、談話室には、椅子から立ち上がったときにその場で音が鳴る「座コール」も導入。視界に入っていないときにも患者さんの動きをキャッチできる体制を整えることで、なるべく自由に過ごしてもらっている。
自立歩行は可能だが転倒リスクのある患者さんの病室には、ワイヤレスのマットセンサーを置く。立ち上がった瞬間を察知したいときはベッド横、トイレ介助が必要な患者さんにはトイレの前など、患者さんの転倒リスクや介助の必要性に合わせて置き方を変えている。患者さんの車椅子の後輪をマットセンサーに置いて動きたいを意思をキャッチする使い方もあるそうだ。これもまた、活動範囲を広げてもらいつつ安全管理をする工夫だ。
ベッド柵などに取り付ける「転倒むし」。患者さんの衣類などを紐でつなぎ、体動によって「転倒むし」の胴体から頭が外れるとナースコールが鳴るしくみだ。平成医療福祉グループでは「転倒むし」の使用も極力避け、センサー台数が足りないときの一時的な使用に留めている。「身体抑制しない手段」として導入する病院もあるが、同グループでは「患者さんを紐でつなぐ」ことを抑制と捉えているからだ。
万が一の転倒時の骨折リスクを低減する”転んだときだけやわらかい床”「ころやわマット」。自立歩行が可能で、転倒リスクがある患者さんの病室に敷き詰めておく。
さらにクッション性が高い防水ソフト畳「やわらぎ」。クッション性、耐久性が高く、万が一の失禁の際にも丸洗い可能。衛生面にも優れている。自宅で畳の環境にいた患者さんや、自立歩行はできないが病室から這い出してくる患者さんなどの病室に敷く。

チューブ類の抜去にどう対応するか

患者さんに栄養を補給する、経鼻胃管、中心静脈カテーテル、胃ろうチューブ、人工呼吸器に接続する気管切開チューブなど。痛みやかゆみを伴う不快感、あるいは目の前で揺れるのが気になるなどの理由で、患者さんがチューブ類を抜いてしまうことがある。平成医療福祉グループでは、代替治療法への切り替えも含めて、身体抑制をしない対策を講じてきた。経鼻胃管や高カロリー輸液などの抜去については翌日の再挿入で対応。どうしても点滴を抜いてしまう患者さんの場合は、代替治療法への切り替えも検討する。

首の静脈に中心静脈カテーテルを留置している患者さんの場合は、末梢留置型中心静脈カテーテル(PICC、上腕部から針を入れる)や、遠位大腿静脈留置(鼠蹊部のやや下に針を入れる)に切り替える。あるいは、24時間投与から日中のみの12時間投与に切り替え、夜間はロックして抜去を防ぐことも。抜去が有害事象につながる気管切開チューブや中心静脈カテーテルについても、指先だけをカバーする手袋のみ使用する。

ベッドに横になったときに、チューブ類が視界に入らないように配置する。また、リモコンなどを手元に置き、いつでもテレビを観られるようにしておくと、チューブ類から気がそれやすくなる。
左半身不随だが、右手で点滴類を握ってしまう患者さん。「抜去したいのではなく、握りたいのかもしれない」と泉佐野優人会病院から「アニマルミトン」を取り寄せることになった。
同グループの看護師が、患者さんが手指を動かしたくなる理由を読み解き、抑制ミトンの使用を回避するために手づくりした「アニマルミトン」。
日除けアームカバーに野菜ポーチが縫い付けられたもの。指が動かせるので、手の蒸れや指の自由を奪われる感覚は少ない。ほどよい柔らかさのクッション素材が入っており、ポーチを握りしめると気持ちいい。身体抑制ゼロは「達成すれば終わり」になるものではない。「どうすれば抑制をやめられるのか?」という問いの答えは、患者さん一人ひとりと向き合い、理解しようとする看護のあり方のなかでやっと見つかるのかもしれない。
今回、病棟を案内してくれた世田谷記念病院の加藤亜紗子看護師長。案内している途中もさりげなく患者さんのようすを見守り、ナースコールに対応する姿勢がとても印象的だった。

プロフィール

フリーライター

フリーライター

杉本恭子

すぎもと・きょうこ

京都在住のフリーライター。さまざまな媒体でインタビュー記事を執筆する。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)。

フォトグラファー

フォトグラファー

生津勝隆

なまづ・まさたか

東京都出身。2015年より徳島県神山町在住。ミズーリ州立大学コロンビア校にてジャーナリズムを修める。以後住んだ先々で、その場所の文化と伝統に興味を持ちながら制作を行っている。