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ひとプロジェクト【第9回・前編】平成扇病院 看護部 副部長/岩原 奈緒子さん

ひとプロジェクト 岩原さん
ひとプロジェクト 岩原さん

人のためになって働ける仕事を求めて
私にとって看護師は天職

ひとプロジェクトの第9回は、初となる看護部門からの登場です。
2016年の平成扇病院の立ち上げに看護副部長として携わった岩原さん。厳しい看護の現場を経ながらも、常に朗らかな雰囲気をまとっているのが印象的でした。笑いの絶えないインタビューでしたが、小さいころから看護職へ抱いたその想いは熱いものでした。

幼いころから図太い性格?!

―出身はどちらですか。

生まれは埼玉県の大宮です。埼玉生まれの埼玉育ちですね。

―じゃあ生粋の埼玉っ子っていう感じですか。

ただ高校からずっと学校は東京なので、むしろ東京に出てからの方が長いですね。埼玉の友達はほぼいません(笑)。アッハッハッハ!

―東京の友達がほとんどと(笑)。小さいときはどんなお子さんでしたか。

今と変わらないと思います。なんていうか、図太い(笑)?

―図太い(笑)。

私は3人きょうだいの真ん中なんですけど、一番上のお姉ちゃんは抱っこしてないと大泣きして大変なのに、私は廊下に置いといてもグーグー寝てて「放っておいても大丈夫」っていう(笑)。弟は末っ子で甘えん坊でしたし、割と私は放置でしたね(笑)。

―それは強いですね(笑)。学生時代は何かやられていましたか。

小中学校はバレーをやっていて、高校ではなぜかダンス部に入りました。

―バレーを続けずにダンスを始められたんですね。

もともと体を動かすのが好きで、興味はあったんです。で、高校で女子校に入ったらダンス部があって、しかも鏡ばりのダンス室もちゃんとあって、やってみたいなと思って入部しました。ものすごいハマりましたね。

 
 

ドキュメント番組で憧れた看護師の仕事

―その高校に進まれたときにはすでに看護師を目指していたんですか。

高校に入る前から看護師を目指していましたね。本当は衛生看護科に入りたくて学校見学に行ったりもしてましたが、母親から「まだ進路を確定させるには早いんじゃない」と言われて、結局普通科の高校に進みました。

―看護師はいつから目指していたんですか。

小学生の頃からですね。お恥ずかしながら、きっかけはテレビ番組なんですよ。

―ドラマですか?

わかる方が少ないかもしれないんですけど「密着24時 白衣の天使(※)」っていう番組があって、小学校低学年の頃から見るのを楽しみにしていました。そこで看護師に憧れたんです。

※「報道スペシャル 密着24時 白衣の天使 感動の看護婦最前線」。フジテレビ系列で定期的に放送されていた、看護師の仕事に密着するシリーズ。

―現場に密着するドキュメント番組ですよね。小学生が見るには厳しい場面もありそうですが、それでも憧れたのはなぜでしょう。

3人きょうだいの真ん中でずっと放置されてきた影響か、その番組を見て、「人から必要とされたい」「私も人のためになりたい」って思ったんですよね。だから、こんなこと言うとバカだと思われるかもしれないんですけど、看護師が天職だと思ってやってきたんですよ。

―それはとても素晴らしいですね!

別の仕事をやりたいって転職される人ももちろんいるわけですけど、私は全然思ったことがなくて、素敵な仕事だなと思って、続けています。

 


 
 

看護師3日目、
怖くて怖くて泣きました…

―看護師が素敵な仕事だというのは、どういうところで思われますか。

こんなに多種多様な人たちと関わって、仕事の内容が多岐に渡るのも、看護師だからこそだと思っています。それこそ雑務から下の世話から人の命を助ける場面まで、広くのことに携われて、それで患者さんやご家族に感謝されるっていうのがすごいなって。

―ご自身が看護師になってすぐのころはどうでしたか。

いやあ〜もう怖かったですよ! 怖くて怖くて泣きましたよ〜(笑)。

―(笑)。そのころはどんな病院で働いていたんですか。

まだこのグループとは違う病院にいて、人工透析をやってる腎臓内科がメインの病棟配属でした。そこにICUみたいな部屋があって、人工呼吸器をつけて人工透析を回している患者さんがたくさんいらっしゃったんですが、急変したり、亡くなられる方も多くて。新人の私からすると、もうすごい怖くて、立場が上がると担当になるんで「成長しなくていいから、あの部屋の担当になりませんように」って、思ってましたね。

―それでもそのうち担当するようになって。

そうですね、何年か経つうちに、必然的にやるようになりました。人の命に直結するような場面にしょっちゅう会ったので、急変時対応はすごい鍛えられましたね。

―最初は怖いものですか。

ものすごく怖かったです。今も忘れられないのが、入って3日目のことなんですけど、「とにかく先輩のことを手伝わないと」と思って、清拭せいしき(※)をしている主任に「手伝います!」って言ったんですね。でも患者さんをよく見て「あれ? 昨日は管が入ってたのに抜けちゃってる、おかしいな」と思ったら、その方は亡くなられていて、先輩は死後の処置をしていたということに気がついて。そしたらもう怖くなって泣いちゃったんです。

※入浴のできない患者さんの身体を拭いて清潔を保つこと。

―初めて仕事で死を目の当たりにしたんですね。キャリアを積むうちに精神的に強くなっていくんでしょうか。

よく「慣れちゃいけないけど、慣れなきゃいけない」って言われるんです。本当にその通りだと思います。

―やっぱり慣れ過ぎてもいけないんですね。

先輩からは「泣いていたらご家族が困るでしょ」って言われましたね。でも、確かに私たちが泣いたらご家族は困るかもしれないんですが「一緒に想いを共有してくれる看護師がいるんだな」って思っていただく場面があってもいいかもしれないと、上司になった今となっては思いますね。

 
 

管理者としても
やりがいを見出す

―現在はどういったお仕事をされているんですか。

もともとこの病院の回復期リハビリテーション病棟の師長と兼務だったんですが、この6月で兼務を外れました。

―つい最近、専任になったんですね。立場が変わると視点も変わりそうです。

視野が広がるっていうのはすごくありますね。今まで自分の担当病棟があって、その大変さがわかっていたので、守るべき数字もあるけど、スタッフがかわいいから無理させたくないと、遠慮してた部分があったんです。でも管理者に立場が変わって、やっと最近、病院全体のことがわかって指摘できるようになりました。

―お仕事のやりがい的にはどうですか。

ちょっとだけまだ現場が恋しいです(笑)。患者さんやご家族と接する機会がほぼなくなってしまいましたね。

―それはちょっと寂しいですね。

でも病院全体を良くするということではちゃんとやりがいがあります。それと、この役職だからこそもっと積極的に取り組みたいと思っているのが、対外的なアプローチですね。急性期病院から患者さんをご紹介いただくことが多いので、うちの病院のことをもっと知ってもらうために、アピールをしていかなければと思っています。

―人と接している方がお好きそうですね。

部屋にこもってずっと事務仕事をしていると寂しくなるので、1日のうち何時間かは、総務の部屋に行って仕事をしたり、違う病棟に行ったりします。みんなの様子も見られますし、今まで接することができなかったスタッフの声も聞けるのでいいんですよね。でも行くと嫌な顔されますよ。「えっ、ここで仕事するんですか?」って(笑)。

 


 
 

平成扇病院のビヨンセ?!

―そういえば話が戻りますが、ダンスと言えば、岩原さんが以前グループの忘年会でビヨンセ(※)を踊ったという噂が…(笑)。

ああっ、恥ずかしい(笑)。

※ビヨンセ(Beyoncé)はアメリカのR&Bシンガー。芸人の渡辺直美さんが真似したことでもおなじみ。

―(笑)。なぜに出ることになったのですか。

2016年が、ちょうどこの平成扇病院が立ち上がった年で、新しい病院を盛り立てていこうという話になり、「出ろ出ろ」って言われまして。でも「え〜出るんですか?」って言いつつ、踊り好きだから、内心「いいじゃん」って思ってました(笑)。

―相当盛り上がったと聞きました。

平成扇病院のみんなが盛り立ててくれましたね。もともと在籍していた、同じグループの世田谷記念病院のスタッフもみんなで盛り上げてくれて。

―ぜひ見たかったです(笑)! 今後やる予定はないんですか。

もうやりませんね、あとは後輩に任せようと思ってます(笑)!

 
 

次回:管理者として、スタッフにとって魅力的な職場であるために!

 

 
 

profile


平成扇病院 
看護部 副部長 岩原 奈緒子(いわはら なおこ)

【出身】埼玉県さいたま市
【職種】看護師
【趣味】おいしいお酒と料理を楽しみながら人と話す
【好きな食べ物】焼き鳥(レバーの塩に、ごま油とネギが大量にかかったもの)
【尊敬する人物】看護部の加藤部長(いつも相談に乗ってくれる)

 

病院情報



https://ougihp.jp/

医療法人社団 大和会 
平成扇病院

東京都足立区扇3-26-5

内科・リハビリテーション科・精神科

2016年4月に開院。精神科と内科を併せ持つ「こころとからだに寄り添う」病院。認知症ケア・ストレスケアを軸とした精神科病棟と、医療療養・回復期リハビリテーションという2つの内科病棟の4つの機能を持ち、地域のみなさんが安心して在宅で生活できる後方支援病院を目指します。