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ひとプロジェクト【第6回・前編】平成医療福祉グループ 診療本部長/井川 誠一郎先生

ひとプロジェクト 井川さん
ひとプロジェクト 井川さん

心臓血管外科医が惚れ込んだ、慢性期医療の魅力とは

ひとプロジェクト、第6回目は平成医療福祉グループの診療部を統括する井川誠一郎先生です。心臓血管外科医として急性期病院で活躍していた井川先生が、なぜ慢性期医療の道にキャリアチェンジしたのか先生の想いに迫ります。

医師になると決めた、
アイスクリームの存在

―ご出身はどちらですか。

大阪です。生まれは、母親の故郷が小豆島やったから小豆島やけど、大阪です。中学も大学も大阪やしね。

―医師を志したのはいつ頃ですか。

うちだけは違ったんだけど、母方の親戚は全員医者家系だったんですね。小さい頃は、母親の実家に帰省する機会も多かったので周囲の環境から当然医師になるもんだと思っていました。でもね、一番のきっかけは、アイスクリームやな。

―アイスクリームにどんなエピソードがあったんですか。

子どもの頃、一緒にいた従兄弟たちは開業医の息子たちばかりで、その時代は駄菓子屋のアイスをツケで食べてたんですよ。田舎だったからね。当時はツケってことを知らないから、従兄弟たちが地元の駄菓子屋さんで勝手にお菓子とかアイスクリームを取って食べていたことが衝撃的で「医者の家だとタダでアイスが食べれるんや、すげーな!」って思って医者になることに決めました(笑)。

―そこで将来を決断されたんですか。

そうそう。食い意地が張ってたんだね。タダでアイスクリームが食べられることが本当に魅力的でしたね。医者は「ありがとう」って言われる商売なのも良かったです。それ以上に魅力的な職業に出会えなかったのもあったかな。

 


 
 

憧れた叔父から教わった、
へき地医療の基本

―外科医を選択された経緯を教えていただけますか。

へき地医療をしていた親戚の叔父に憧れた影響がありました。「その日に釣れた魚が治療代」っていう時代だったし、患者さんがいないときは釣りに出かけて診療所から看護師さんが「先生、患者さん来たよ〜」って走って呼びに来るような場所で医師をしている人でした。その叔父の一言も大きかったかな。

―どんな言葉だったんでしょうか。

へき地医療で重要なのは、ひと晩持たせることだと教わりました。「何としても持たせなきゃいけないから、心臓と肺だけは勉強しておくように」って言われてね。心臓と肺が勉強できる診療科を考えた結果、第一外科を選びました。

―研修医時代は過酷だとよく耳にしますが本当なんですか。

僕たちの時代は、まずは大学で1年間の研修があって、2年目からは外部の病院で一般外科を2年研修する形でした。1年目の研修医は、想像通りかな(笑)。年に7日ぐらいしか休んでなかったし、給与も雀の涙ほどやったもんなぁ。本来は外の病院に出て2年間の外部研修が終わる頃に自分の進路(心臓血管外科、呼吸器外科、一般外科)を決めるけど、僕だけ人事の都合で1年長く在籍することになって、3年目になると胃の手術も自分がメインで執刀できるようになっていたから、手術が面白いと感じていましたね。

―手術への興味が心臓血管外科の道につながったのでしょうか。

いや、自分で選択していないんだよね。外部研修2年目に提出するはずの希望届を僕は人事の都合で出せなかったから、既に病院同士の話し合いで行き先が決まっていたんですね。

―不思議な縁でたどり着いたんですね。

言い方が悪いかもしれんけど、成人の手術を担当したい時期だったから、次の病院が子供専門の大阪府立母子保健総合医療センターと聞いたときはちょっと不本意でした。でも、その病院で僕の上司になったのが、大学の先輩でもあり、今このグループの泉佐野優人会病院で院長をしている加藤寛先生でした。だから、そう考えると随分昔から縁があったのかもしれませんね。

 
 

突然のキャリアチェンジで選んだ先は、
慢性期医療

―以前は週にどれくらいの頻度で手術をされていたのでしょうか。

心臓の大きな手術は月に4~5件ほど入っていてほかは小さな血管手術を合間にしていた感じかな。あとは、心臓血管外科にまつわることであれば、救命や消化器外科から呼び出されることも多くあって、駆け回っていましたね。

―やりがいを感じていた中でのキャリアチェンジ。どのような変化だったのでしょうか。

妻が倒れてしまってね、長期入院が必要なのに僕の勤務先も含め急性期病院では長期で入院できないんですよね。だから、妻のサポートができる職場に変わったんですよ。当時、僕は心臓血管外科と循環器科を束ねた心臓病センターのセンター長をしてたんだけど、そのポストの前任者が加藤先生だったから、先生を頼って色々と相談していたら「一緒に働かないか」と声をかけてもらい、すぐに決断しました。

―外科医のキャリアを離れることに迷いはありましたか。

全く、全然後悔はないよ。このグループへ入職を決めたときに心臓の手術はもうしないと決めてたし、毎日手術をしてたからこそできると思っている部分もあるからね。それに、慢性期医療をやったことで面白みを見つけたから急性期だけにこだわる必要がなくなっていました。

 


 
 

慢性期医療が面白い! 
急性期病院へ「治った」と伝えられる醍醐味

―慢性期医療の面白みとは何でしょうか。

急性期では対応できなかった患者さんのケアが慢性期であれば提供できるっていうのが一番やね。急性期では絶望的と言われて慢性期に転移して来た患者さんが在宅復帰するケースをいっぱい診てきました。

―具体的にどんな方を指しますか。

例えば、患者さんの中には「急性期では治る見込みはない」と言われて転院してきた寝たきりの患者さんがこの病院を退院するときには、歩いて帰っていくことも度々あるんですよね。そのときに紹介を受けた急性期病院へ返送する書類を書く楽しさは、最高ですよ。これが慢性期医療の醍醐味です。「治る見込みないって言ってた患者さん、治りましたよ。」ってね。あ、言い過ぎやな。あかんかな(笑)。

―できないことをできるように変換した瞬間ですね。

すごいことです。僕が携わっていた心臓血管外科も、やり甲斐はもちろんありました。ですが、助けられる可能性が高いと判断したから手術をする部分も含まれています。慢性期医療は助けられる可能性がマイナスからスタートすることが多いんですよ。それをひっくり返せる達成感は、めちゃくちゃ大きいですね。

―慢性期の印象が変わりますね。

昔の慢性期医療は、きっとこうじゃなかったよね。最大でも現状維持を求められる程度で、どちらかと言えば終末期医療に近い印象が強かったです。スタッフ自身も医療を提供するなかで「回復するための目標」を持っていませんでした。治療法を立てるうえで、なぜこれが必要なのかを話し合わなければ、患者さんは回復できないですよね。「なぜ」を考えて動く医療に価値がありますよ。

 


 
 

次回:口癖は「なんでや?」。なぜを考えられる医療者を育てたいという想いに迫ります。

 

 
 

profile


平成医療福祉グループ 診療本部長 
井川 誠一郎(いかわ せいいちろう)

【出身】大阪府
【専門】心臓血管外科
【所属学会】日本外科学会、日本消化器外科学会、日本老年医学会
【資格】日本外科学会認定医、日本消化器外科学会認定医、麻酔科標榜医資格
【趣味】ゴルフ
【好きな食べ物】粉もん、オムライス(ケチャップ派)

 

病院情報



https://hamaderahp.jp

医療法人 恵泉会 
浜寺中央病院

大阪府堺市西区浜寺公園町1丁15番地

内科・消化器内科・循環器内科・リハビリテーション科・放射線科

1951年4月の開設から療養型病院として、早期退院・在宅復帰をめざしています。2019年4月からは、堺温心会病院と合併し「堺平成病院」と名称を変えて、さらに充実した機能と体制で堺市の地域医療の中核を担うことができるよう目指しています。