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ひとプロジェクト【第3回・前編】世田谷記念病院/福崎 彩子さん

ひとプロジェクト 福崎さん
ひとプロジェクト 福崎さん

患者さんの笑顔のためー。
熱い想いを楽しく伝える、下町育ちの介護福祉士!

ひとプロジェクト、第3回目は初の介護部門からのご紹介。世田谷記念病院の福崎彩子さんです。
介護への熱い想いを語る姿はもちろん、何と言ってもそのパワフルでキャッチーなキャラクターがとても魅力的な福崎さん。
身振り手振りを交えて、笑いの絶えないインタビューとなりました。意外な経歴にも注目です! 

パフォーマンスも交えて
「楽しく伝えること」が大切

―ご出身はどちらですか。

東京です。今も都内にいますけど、生まれはもともと江東区の下町です。特におばあちゃんの家が門前仲町っていう、本当に下町のメッカみたいなところにあって、その近くで幼少期を過ごしました。

―ということは、まさにチャキチャキの江戸っ子という感じでしょうか。

都会っ子っていうよりは、どちらかっていうと江戸っ子って呼ばれちゃいますね。特にお年寄りの患者さんには、なぜかすぐわかっちゃうみたいで(笑)。

―それもわかる気がします(笑)。現在は介護福祉士として、グループの介護管理部の関東エリア課長をご担当ですね。

最近就任しました。まだまだ不慣れではありますが。それと、世田谷記念病院の地域包括ケア病棟の主任も兼務しています。

―管理的なお仕事がメインですか。

基本的には現場のお仕事を主体としながら、関東エリアの病院で介護責任者としての管理業務も行っています。1日中現場に立ちながら、その中で会議を行うこともありますね。

―そのほかに、どのようなことを担当していますか。

グループの施設がオープンするにあたってのスタッフ向け研修に、講師として行っています。主に認知症ケアについてお話しています。とても基本的なことで、捉え方の問題でもあるんですが、現場に出るとつい業務重視となって、認知症ケアの基礎をおろそかになってしまいがちなんです。その研修をするとき、私はもう芸人扱いされていて(笑)。

―講師というより芸人(笑)。

もうほんとにあれはアクションが必要なんで。研修なんて、少しでも楽しくお伝えしないと苦でしかないじゃないですか(笑)。だからちょっとパフォーマンスをする。

―皆さんどんな感じで聞いているんですか。

いや、もうザワついている(笑)。

―あ、おかしな様子が伝わってるんですね(笑)。

「もともと劇団に所属されてたんですか?」と、真面目に聞かれることもしょっちゅうです(笑)。

―とても気になります! 講師をするようになったのは何かきっかけがあるんですか。

グループの高齢事業部の信頼する上司である前川さんが「福崎さんのキャラならうまく伝えてくれるんじゃないか」って導いてくれたんです。私もさらに理解が深まったし、それが伝わってみんなが実践できるようになったら、グループ全体の介護の質も上がるんだろうなと。やっぱり研修って、やればやるほど、自分にも得るものが大きいですし、自分がやるからには、こういう風に話をすることが大事なんだなと感じましたね。

 


 
 

基本的だけど見落としがちな、
認知症の患者さんとの接し方

―認知症ケアについては具体的にどういうお話をされるんですか。

認知症の患者さんに対する関わり方について「私たちが視点や考え方を変えることで、お互いが変わりますよ」ということをお話しします。例えばおむつを替えるとき「おむつ交換しますよ」って言いながら、患者さんの顔も目も見ずに布団を取ることって、案外やってしまいがちなことなんですが、そのときに、よく「寒い!」と言われることがあります。認知症の人の視野って顔の幅くらいしかないうえに、耳に意識がいっていないこともある。となると、事前に声をかけていても、いきなり布団を取られたような感覚を覚えて、抵抗してしまうんです。

―伝えているつもりで伝わっていないということですか。

そう、今までは抵抗されることについて「なんでだろう」って思っていたけど、実は「私たちがきちんとお知らせしてなかったんだ」っていうことがわかるわけですよね。だから事前に「どこからどこまで見えますか」と確認したり、ちゃんと顔を合わせてから「〇〇をしますよ」っていう話をキチッとしてから入ったりすることが重要です。

―こう聞くと基本的に思えることですが、なかなか実践できないものなのですね。

だからやっぱり広めるっていうのは、すごい大事だなって思うし、気づきになったらいいのかなって思います。自分もプロじゃないからそんなに伝える力もないし、ただ一生懸命やって、こんなこと言いたいんだなっていうことがわかってもらえたら。全て修行中ですよ、私も(笑)。

―ご自身も学びながら伝えているんですね。その時に大切にしていることってありますか。

やっぱり、面白みがないといけないと思います。それは単にウケるとかいうことではなくて「この人だったらどういう風にしたら興味を持ってもらえるかな」ということを考えるんです。マンツーマンで教えるときもそうで、なるべくその人の良さを損なわずに、でも褒めすぎて失敗はしないように、きちっと信頼関係を作って指導ができるようにしたいです。とても難しいんですけどね。

 


 
 
 

「卒園式で泣く準備までしていた」
幼稚園の先生になる夢

―介護職を目指したきっかけを教えてください。

うちの祖父母がどちらも脳梗塞で、高次脳機能障害になったんですね。祖父のときは小さすぎて覚えてないんですけど、祖母のときは覚えていて、片言でしか喋れなくなっちゃったのを見て、正直、当時の私には意味がわからなかったんです。で、あとからそれを振り返ってみて「どう関わったら良かったんだろう」と思ったんですね。

―その後、専門学校などに進まれたんですか。

その前に、実は幼稚園の先生にずっとなりたかったんですよ。自分が幼稚園児だったときから先生に憧れて「幼稚園の先生になるんだ」って夢見てずっと生きてきたんです。「思い出のアルバム」っていう曲わかります?

―わかります、卒業式の定番ソングですね。

家にあった電子ピアノでその曲を弾きながら歌って泣くっていうことを常に訓練をしてたんですよ。「い〜つの〜こと〜だか〜 思い出してご〜らん♩」って(笑)。


―未来の卒園式をイメージして(笑)。

それくらい強い想いがあったので、幼稚園教諭とか保育士の資格も取れる専攻科がある高校に入って、さらにそのままそこの専門学校に進んだんです。そしたらちょうどそのタイミングで、介護科が新設されたんですよ。

―介護という選択肢も出てきたんですね。

このまま幼稚園の先生になることもできるけど、介護について勉強するっていう道もできて。その時におばあちゃんのことを思い出して、いいチャンスだし「やっぱりもう一年勉強したい」って介護の勉強をしたんです。そのうち、だんだん興味が介護に移っていきましたね。20年くらい前だったので、これから必要性が増していく分野だったというのもありましたし。

 
 
 

「これが介護の仕事なのか…」
現場に立って知った現実

―その後、実際に介護の現場に立たれていくわけですね。

学校の研修でいろんな施設に行くようになったんですが、メインは介護施設なんですよ。ただ、なぜか私は「病院で勤務したい」って思ったんですよね。

―そのころだと、病院に介護士さんがいるっていうのは…?

まだ全然一般的でなかったです。病院からの求人募集も少なかったですね。その少ない中から見つけた病院に受かって働き始めたんですが、まあーそこのヘルパーのおばちゃんの強いこと強いこと(笑)! もうこういうの(手でピラミッドの形を作る)がしっかりできていて、お仕事って言ったらひたすらおしぼりを折るとか…。

―仕事も人間関係もヒエラルキーがハッキリしていたんですね。

そうなんです。介護の時も、一斉にベッドを起こして、一斉に食事介助をする。その患者さん一人ひとりの情報は何もなくて、ただ言われたこと、その時必要なことをする。「これが介護の仕事なのか」と思いました。

―現実を見たという感じでしょうか。

だから正直「病院ってすごい良いよ」って言いたいけど、どこの病院も必ず良いとは言えないな、と感じました。

 
 
 

介護福祉士になったつもりが、
まさかの転身…?!

―そこではそのまま働き続けたんですか。

それが実は、院内で保育士になったんです。

―えーっ! 驚きの展開です。

働くうちに看護師さんたちと仲良くなったんですけど、なぜかその時期、子どもが生まれてすぐだったり、預け先に困ってたりっていう方が多かったんです。そこで私が保育士免許も持っているのを皆さん知っていたので「院内保育してくれない?」って頼まれたんです。

―まさかのオファーですね!

私もやってみたいと思ったし、皆さんも、どうせなら知っている人に見てもらえる方が安心だからっていうことで、すぐ近くのマンションの一室を借りてくれてスタートして。

―じゃあ介護士としては入ったけど、しばらく院内保育をやってたんですか?

1年半か2年くらいやっていましたね。子どもが増えたんでもう1人保育士さんが入ったんですけど、あるとき子どもがみんな巣立っちゃったんですね。で、その保育士さんの方は残ってもらって、私は介護の仕事に戻ることになりました。ただそのとき「私はこの現場で介護をし続けたいのかな」って思ったんですよね。

―その疑問を持ちながら働くのは難しいですよね。

そこで次の病院を探そうかな、と思ったときに、都内にリハビリテーション専門の病院が新しく開院する、っていうチラシが家に届いていたんです。

―次はそちらに移って働かれたんですか。

そこに応募して、無事に採用してもらえました。そこではリハビリテーションから、医師、看護師がみんな連携して1人の患者さんのために動くんです。最初の病院では、患者さんに全然関われていなかったという思いがありましたので、私の介護福祉士としての経験は、ここで培われました。

 


 
 

次回:自分の仕事の意義をあらためて見つめ直した、東日本大震災での被災地支援

 

 
 

profile


世田谷記念病院 介護福祉士 
福崎 彩子(ふくざき あやこ)

【出身】東京都江東区
【資格】介護福祉士
【担当】介護管理部 関東エリア課長
【趣味】映画鑑賞(マーヴェルなどヒーローものが多い)
【好きな食べ物】韓国のフライドチキン
【尊敬する人物】家族みんな

 

病院情報



https://setagayahp.jp

医療法人 平成博愛会 
世田谷記念病院

東京都世田谷区野毛2丁目30-10

内科・整形外科・リハビリテーション科

急性期病院での治療を終えられた患者さんを迅速に受け入れ、入院早期からの積極的な治療とリハビリにより、できるだけ早く自宅や施設に退院していただくことを目標としたPost Acute Care(急性期後の治療)を専門的に行う病院です。