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ひとプロジェクト 第52回【前編】平成医療福祉グループ 人事部 係長/岩朝 美絵さん・泉 小百合さん

    • 徳島と東京でグループの労働環境をサポートする人事スタッフ
      さまざまな経歴を経たからこその働き方

    • 今回は、グループの人事部で係長を務める岩朝美絵さんと泉小百合さんのお2人です。岩朝さんは徳島県にある博愛記念病院、泉さんは東京にある事務所と、それぞれ離れながら、同じチームとして働いています。前編ではそんなお2人がどのようにグループ人事の仕事に就くに至ったのかを中心に伺いました。人形浄瑠璃部や百貨店勤務など、気になるワードも飛び出します。ぜひご覧ください!

  • 学生時代に打ち込んだ
    クラリネットと人形浄瑠璃

    今回は、徳島と東京をオンラインでつないで人事部のお2人に登場いただきます。同じ部署で離れて協働するのもグループの特色かと思うのですが、普段はどのくらいの頻度でやり取りされていますか。

    2週に一回は定例会議があるのと、その事前にも部署内会議をしているので、そのペースでは必ずこんな感じでつないでいます。それ以外にも、必要に応じて連絡は取り合ってますね。

    岩朝

    電話もしょっちゅうですよね。

    ちなみに2人がリアルで対面したのはいつが最後ですか。

    今年の1月に東京に来てもらった時ですかね。

    岩朝

    それが最後ですね。新しくケアホーム葛飾ができるタイミングだったので、その仕事もあってでした。

    今年はコロナ禍ということでまた事情が違うかもしれないのですが、例年顔を合わせて一緒に仕事をする機会も多々あるのですか。

    例年はグループの新人研修を春に関東と関西に分かれて行っているんですが、東京事務所で企画をして、関東・関西にチーム分けして関西は岩朝さんと一緒に対応するので、その時は必ず会っていましたね。そのほか、こちらから仕事で徳島に行った時も会いますね。

    お2人はグループに入られてどれくらいですか。

    岩朝

    私は新卒で入ってから、もう18年くらいになりますね。

    私はまだ7年目ですので、岩朝さんが大先輩ですね。

    岩朝さんは徳島県の出身ですか。

    岩朝

    そうです、ずーっと徳島ですね。

    博愛記念病院をはじめ、グループの病院は知っていたんですか。

    岩朝

    知ってたわけでもなかったですね。ちょっと離れていたので。

    以前このインタビューにも出られていた、介護福祉事業部部長の前川さんと同じ小学校なんですよね(※)。

    ひとプロジェクト 平成医療福祉グループ 介護福祉事業部 部長 前川 沙緒里さん

    岩朝

    そうです同じなんです(笑)。

    ご近所だったんですね(笑)。どんなところでしたか。

    岩朝

    田んぼばっかりのところでしたね。吉野川が近いです。

    では泉さんのご出身は。

    神奈川県ですね。生まれてしばらくは横浜にいたんですけど、相模原市に引っ越しました。いわゆる新興住宅街ですね。

    それぞれ、地元でいいなと思うところはありますか。

    岩朝

    えーとその質問が来るとは思ってなかったですね(笑)。特徴って言うと…阿波踊りですかね?

    岩朝さんは踊られるんですか。

    岩朝

    博愛記念病院に阿波踊りの連があるので、就職してしばらくは踊ってましたよ。最近は体力の低下で、踊りに行ってないんですけど(笑)。

    それが理由なんですね(笑)。ちなみに相模原はどうですか。

    う〜ん、ベッドタウンなのでそんなに特徴という特徴も無く。小田急江ノ島線が近くを通っていたので、神奈川の内陸部にしては、海には出やすいですね(笑)。

    一本で江ノ島まで行けると(笑)。お2人は学生時代にどんなことをされていましたか。

    岩朝

    珍しいとよく言われるんですけど、中学校に人形浄瑠璃の部活があって入っていました。徳島県や淡路島って人形浄瑠璃が有名なんです。私は三味線を担当してました。

    確かに珍しいですね! 浄瑠璃や三味線に興味がもともとあったんですか。

    岩朝

    いや、なんとなく入っただけでしたね。

    やっていくうちに興味が湧いてきましたか。

    岩朝

    いえ、まあなんとなくやってた感じで、のめり込んではなかったですね(笑)。部活で、土日に高齢者の施設とかに慰問に行くこともあって、多分博愛記念病院にも来てたんだろうなって、それは後々気が付きましたね。

    そこで縁があったんですね。泉さんはどんなことをされていましたか。

    中学校と高校は吹奏楽部にいて、クラリネットをやっていました。

    それはもともと興味があったんですか。

    小さい時にエレクトーンを習わせてもらっていて、割と音楽は好きだったのかなあって。あまり記憶はないんですが(笑)。相模原市って器楽合奏に力を入れているらしく、小学校にも金管楽器があって、そういうことを通じて、みんなで音楽やるのが楽しいなって思ったんだと思います。

    音楽に触れる機会があったんですね。大会への出場経験などは。

    コンクールがあって、中学は地区予選くらいでしたけど、高校は3年生の時に関東大会くらいまではいったのかな。今振り返って。年に300数十日以上は部活をやってたかもしれないなと思うと顧問の先生も大変でしたよねきっと(笑)。

    深く考えずに決めた学部
    再びの伝統芸能

    高校生の頃、将来のことはどんな風に考えていましたか。

    岩朝

    何も考えてなかったです(笑)。とりあえず大学に行くくらいしか考えませんでしたね。それも、絞って学部を選んだっていうより、漠然といろいろな学科がある学部に入りました。

    何の専攻だったんですか。

    岩朝

    総合科学部人間社会学科っていう、本当に広く浅くの学科で。本当は教師とか公務員に進む学部なんですけど、当時は版画とかアクリル画、音楽や彫刻、書道とかを学べる雑多なコースがあって、そっちを選んだんですよ。

    そういう制作系の講義を好んで取ってたんですね。いわゆる大学の講義よりもそっちの方が楽しかったですか。

    岩朝

    そうですね、結局論文も書いてなくて、制作しかしてなかったですけど、割と楽しかったような気がしますね。

    泉さんは何か考えて進路を選んでましたか。

    いや私も特に何も(笑)。

    岩朝

    事務系の仕事に就いた人に聞くとそうなりそうですよね(笑)。

    どんな学部を選んだんですか。

    法学部ですね。何となく潰しが利くかなと思って選びました。そんなこともなかったですけど(笑)。

    学部で学ぶと法律の知識はつくものですか。

    ちゃんと生かせる人はきちんと勉強をしていたと思うんですけど、私はあんまり真面目にやってなかったかもしれないですね。うまく話してくれる先生の授業は聞いていたんですけれども、自ら学びを深めてはいかなかったですね。

    授業以外に、サークルなど力を入れたことはありましたか。

    岩朝

    能楽部があって、和楽器とかには慣れていたので入りました。

    大学でも伝統芸能に関わられていたんですね。

    岩朝

    なんでだろう、やりやすいからかな(笑)。

    現在もそういう伝統芸能をやったり見たりされていますか。

    岩朝

    今はしてないんですよ。結局見るのも全然好きじゃないですし。

    はっきりしてますね(笑)。泉さんは大学時代は吹奏楽はやらなかったんですか。

    やらなかったんですよ。特に何もせず、バイトして友だちと遊んでという(笑)。

    岩朝さんは新卒でグループに入られたとのことですが、どのような経緯で選ばれたのですか。

    岩朝

    大学の求人に募集があったんですね。博愛記念病院のなかにある、グループ本部の事務の募集で、開発企画部員みたいな感じで書いてあったのかな。

    医療に関わる仕事には興味があったのですか。

    岩朝

    どちらかと言うと、このグループが福祉に強いんだろうなという印象を受けたんですね。以前からうちの近所には特養の施設があって、子ども会で慰問に行ったこともあったので、何となく親近感があるというか、全く知らないものではないなと思っていました。

    百貨店や賃貸の仕事を経て感じた
    仲間をサポートする仕事の楽しさ

    泉さんの就活はどんな感じでしたか。

    言い訳をすると、わりと氷河期のタイミングで。周りが公務員試験とか、法律系の資格を取りに行っていて。私もなんとなく公務員試験は受けてみたりはしたものの、そんな意識では合格もしませんでしたね。それでも何かしないとと思って、当時アルバイトしていた百貨店の別の店舗に契約社員として入って、とりあえず働こうと。

    そこが社会人のスタートだったんですね。どんなお仕事をしたんですか。

    販売サービス部門という部署で、店内の案内をしたり放送業務をしたり、裏にいて代表電話にかかってきた電話を受けて回したりとか、そんな部署で仕事をさせてもらいましたね。

    実際やられてみていかがでしたか。

    楽しかったですよ。やっぱり百貨店なので、目の前にある商品自体が楽しかったですし、社販の割引もあったので、給料をたくさん還元しましたね(笑)。もともとアルバイトしていた時から、接客するとか人と応対する仕事ができるのは楽しいなって思っていました。社会人の基礎というか、話し方や対応の仕方を厳しく教えてもらったので、それはとてもありがたかったですね。

    その後はどんなことをされましたか。

    百貨店で2年ほど働いてから、賃貸の仲介をしている会社に移って店舗で勤務していました。

    接客などの経験を生かしてという感じでしょうか。

    どちらかというと、入って事務業務の勉強の機会を持たせてもらえたらありがたいなと思っていましたね。営業さんの手が足りない時はお客さんの対応もするんですけど、基本的には営業さんのサポートに入って、契約書を作ったり手続きしたりとかっていう仕事が多かったですね。仕事自体は楽しかったと思います。

    そこからまた移ろうと思われたのは。

    5、6年働いて一通りやらせてもらってやり切ったという感じでした。そのなかで見えたこととしては、一緒に働く人がいて、その人たちのために何かするっていう仕事の仕方ってすごく楽しいなって思ったんですね。いわゆるBtoCで、さまざまなお客さんに接する働き方から、仲間の人となりや仕事の仕方を理解してサポートできるような仕事がしたいなと思うようになりました。

    結果、それが人事的な役割だったということなんですね。

    そこから3年くらい、リノベーションをやってる小さい会社で働きました。人事っぽいことをやったのは、そこが初めてでしたね。社員数もそんなに多くなかったですし、みんな目の届く範囲で。経理的なことも、見積もり作成も、割と1人でなんでもやる感じでした。

    人事に限らず事務全般をやられていたんですね。お仕事は楽しかったですか。

    楽しさはありました。ただ、その会社にいる間、夫の仕事がかなり忙しくなったり、身内に大きな病気が見つかったり、自分の働き方を見つめ直すきっかけが何度かあったんです。

    いろいろな要因が重なったんですね。その後の仕事を考える際にも影響はありましたか。

    1人で何でもやるというような状況で働いていて、この働き方でまた身内に何かあった時に「すぐに行動できない状態なんだな」ということは思いました。やろうと思えばどうにかなったもしれない、とも今は思うんですけど、「無理をしてまでやりたい仕事なのか」っていう話になった時に、そうではないなって思って。そこで仕事を変えようと思い、出会ったのがこのグループでした。

    そういった経験からは働きやすさは重視されたんですか。

    業務をカバーし合えるポジションがないという環境は大変さもあったので、働き方の大切さは身に染みて感じたところはありましたね。

    医療や福祉の業界というのは念頭にあったのですか。

    身内が医療のお世話になった、ということで、何となく頭にはあったかもしれないですね。そんな大それた考えではなかったですけど、少なくとも、その仕事が大切だと本当に思えるところで働きたい、ということは少し思っていました。

    泉さんが入られた当時、グループの人事部はどんな状況でしたか。

    東京に人事部も含めた事務所ができて、これから「グループの人事部」として仕事をしていこうというタイミングでしたね。

    補助金や出版、監査など
    多岐に渡るグループ内での経験の数々

    岩朝さんは新卒で入職して、初めはどんな仕事をされましたか。

    岩朝

    今でいう開発事業の仕事を部分的にやってましたね。具体的には、グループで新規開設する施設の補助金申請なんかが主なところでした。

    いきなり難しそうな仕事ですね。

    岩朝

    一緒にやってくれる先輩がいたので、ちゃんと教えてもらいながらでしたよ。ただ、大変は大変でしたね。業務量が多くて忙しくはあったので。

    ちなみに当時はどんな施設の開設に関わっていたのでしょう。

    岩朝

    博愛記念病院の敷地内にあるヴィラ勝占の開設と増築ですね。

    徳島以外のグループ施設などにも関わったんですか。

    岩朝

    当時は、横浜で特養を開設し始めていたので、そこにも少し関わっていました。

    開発事業のほかにどんなお仕事をされていましたか。

    岩朝

    例えば、20周年誌の編集なんかもやってましたね。

    なるほど、意外な仕事ですね。

    岩朝

    グループがここまでどんな取り組みをしてきたかということをまとめながら、その写真集めなどをして。あと当時は出版業務にも関わったことがありましたね。

    出版もですか! 具体的にどのように関わったのですか。

    岩朝

    原稿をもらってきて、出版社と印刷業者と打ち合わせして、校正を出したりとか。その後も、たまに出版の話があると、私のところに本の後ろに入れるISBNコードとか、JANコードを作って、っていう依頼が来てましたね(笑)。

    岩朝さんはグループ内でさまざまな仕事を経てきているんですね。

    岩朝

    人事に来る前は、中央監査室というところにいましたよ。

    どんなことをする部署ですか。

    岩朝

    各病院からあがってきたデータを見て、グループの医療が適正かどうか判断するための資料を作るという部署でしたね。私がいた当時と今とでは、仕事が変わっていると思うので、あまりうまく説明ができないのですが。

    組織図的には「診療データの管理」というような役割になっていますね。

    グループの人事部として
    現場の課題解決に

    岩朝さんが人事部に入ったというのはどんなきっかけだったのですか。

    岩朝

    当時は、もともと臨床検査技師をやっていたスタッフさんが人事のことをしていたんですけど、その方が現場に戻るということになったので、空席ができたところに私が呼ばれたという(笑)。

    シンプルな理由ですね(笑)。

    岩朝

    私が移ったのは、泉さんが入職したよりちょっと後でしたね。

    先ほど泉さんの話にもありましたけど、人事部としてグループ全体の人事業務の管理に携わるようになったのがその頃だったのですか。

    岩朝

    機能としては徳島の博愛記念病院の中にはそれまでもありましたけど、あらためてグループ全体を見ていこうというのはその頃ですね。

    意図としてはどういったところなのでしょうか。

    グループ化が進むなかで、各病院・施設で行っている人事に関する業務を、できるところはグループでやり方を統一化していこう、という流れがあって。当然ながら病院や施設の現場で発生した人事業務って、現場で完結しないといけないこともあるんですけど、みなさん共通で困っていることもあると思うんです。それを解決するには、情報が集まってくる場所という立場を活かして、人事部としてルールを整備したり、やり方を提案していく、というのがお仕事なのかなと思っています。

    そういう必要性を感じて、全体を包括する部署として作ったという。

    岩朝

    東京の事務所と、私がいる博愛記念病院の事務所で、全体をカバーするという感じですね。

    ちなみにそれまで大きな仕事はどのように進められていたのでしょう。

    例えば全体の新人研修なら、部分的には各病院や他部署にお手伝いをお願いしていたようです。人事部ができて以降は、そこを一括で受け持つようになったっていう感じですかね。

    岩朝さんとすると、人事部に移ってまた初めから仕事を覚えることになるわけですか。

    岩朝

    現状を把握するまではちょっと時間がかかりましたね。やりながら「実はこういうことだったんだ」って学習をして自分なりにまとめていって。

    私からすれば、岩朝さんは最初っから今の岩朝さんと同様にバリバリ仕事されていましたよ。

    お〜っ、対応力が高いですね。

    岩朝

    初めからとは言え、人事の基礎知識として、グループ全体にどんな施設があるかっていうこととか、誰が事務長さん施設長さんでとか、グループの変遷っていうところは、今まで経てきた仕事を通じて何となくわかっていたところではありましたので。

  • 次回:違う環境で働くからこそできるチームワーク、バランスの取れたチームでより良い労働環境実現を目指します!

    後編は2020/11/20公開予定

    profile
    • 平成医療福祉グループ 人事部 係長 岩朝 美絵(いわさ みえ)

      【出身】徳島県徳島市
      【趣味】漫画鑑賞、ドラマ鑑賞、カフェ巡り、お笑い鑑賞(ダイアンが好き)
      【好きな食べ物】フレンチトースト

    • 平成医療福祉グループ 人事部 係長 泉 小百合(いずみ さゆり)

      【出身】神奈川県相模原市
      【趣味】フィギュアスケート観戦
      【好きな食べ物】小籠包(スープがおいしい)