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ひとプロジェクト【第44回・前編】システム事業部 副部長/才賀 明さん

    • グループのシステム事業に管理者として携わる
      原点は「ものづくりを通して人に喜んでもらいたい」という想い

    • 今回は、医療・福祉の現場をITでサポートする、システム事業部の才賀明さんです。「実は特にコンピュータが好きなわけではないんです」と話す才賀さんですが、システムの仕事に長く携わり、さまざまな業界も経験されてきました。前編では、そんな才賀さんの経歴を中心に、仕事の喜びに目覚めたきっかけや、IT化過渡期のシステム事情など、興味深いお話が伺えました。ぜひご覧ください!

  • 幼い頃から物作りに興味
    今の興味はシンガーソングライター

    こういったインタビューは今まで出たご経験は。

    以前求人系の会社に勤めていたときは、何度か出ましたね。今もネットで見られると思います。

    そうなんですね! 慣れてらっしゃるというか。

    なので自分の顔と名前が出ることにはそんなに抵抗がないですね。

    ご出身はどちらですか。

    東京の世田谷区で、上祖師谷と呼ばれる辺りです。

    小さい頃はどんなお子さんでしたか。

    当時はファミコンが流行っていて、小学校の卒業文集で「ファミコンソフトを作りたい」って書いた記憶がありますね。

    当時からそういったエンジニアに興味があったのですか。

    というよりは、今もですけど、作るっていうこと自体が好きなんです。例えば工作とか、授業で言うと技術とか美術が好きで、基本的に勉強はあまりしてなかったです。

    例えば理系教科が好きということもなく。

    理系なんて意味わからなかったです! ずっとシステムに携わってますけど、特別システムやコンピュータが好きなわけではなくて、自分が作ったものを通して喜んでもらえる、感動してもらえるっていうところがいいんですよね。そういうことで言えば、最近はシンガーソングライターになりたいと思っていて。

    えっ、シンガーソングライター!

    以前弾き語りをちょっとやっていたことがあって、またやりたいなと思っているんです。

    何かを作って喜んでもらう、ということにずっと興味があるんですね。では学生の頃スポーツに打ち込まれた経験などは。

    スポーツはほとんどやりませんでしたね。集団行動が苦手で、部活は基本的に嫌いでした。だから1人で遊ぶことが多くて。ちょうどドラゴンクエストが流行っていたので、昼夜逆転するくらいやり込んでました。

    中高時代はずっとそんな感じで過ごされて。

    高校生になるとバイクが欲しくなって、そのためにアルバイトをして買って、第三京浜を走っていました。

    ちなみにそれは暴走族的なことでは…。

    よくそうやって言われるんですけど、どっちかっていうと、走り屋とまではいかないけど、バイクで走ること自体を楽しんでいました。今考えたら危ないなっていう走り方でしたけど(笑)。

    高校を卒業してからの進路はどう考えていましたか。

    まず、もともと大学に行ってまで勉強しようという気もなかったので、実務的なことを学んだ方が就職に有利かなって考えて、商業高校に入学をしていたんです。商業高校では簿記とかに触れますし、経理職で就活をしようと思って。結果的に、ドラッグストアの本部に採用になりました。

    当時は早く就職したいという気持ちが強かったですか。

    実は僕結婚が割と早くて、高校時代のバイト先のスーパーで、当時社員だった2歳上の奥さんと出会ってるんです。

    じゃあ結婚もあって、なおさら早く就職しようという気持ちがあり。

    ただ、卒業してすぐ結婚はちょっと大変かなと思ったのと、お金を貯めて結婚式も挙げたいねっていうことになって、結局は僕が21歳の歳で結婚しました。でも当時は早く結婚したかったですし、早く自立したいっていう気持ちは強かったですね。

    実は希望していなかったシステムの仕事
    FAXに悩まされたキャリアのスタート

    ドラッグストアの本部に採用されて、経理の仕事に就かれたのですか。

    ところが経理にいかせてもらえず、なぜかシステムに配属されたんです。

    希望と違う部署に! そこがシステムとしてのキャリアのスタートになったと。

    それまではパソコンに興味もなくて、触ったこともなかったですから。希望は経理だったし、当然そうなるものだろうと思っていたのに、いざ研修が終わって配属が発表されたらシステムになっていたんですけど「まあいいや」と思って。

    当然ゼロからのスタートなわけですよね。

    先輩が横について教えてくれましたし、大手がやってる有料の研修にも行かせてくれて、専門学校に行かずとも学べてラッキーだったなと思いました(笑)。

    当時のドラッグストアではどういうところにシステムが導入されていたのでしょう。

    基本的なところですね。発注や仕入れ、レジの売上管理とか。当時は各店に注文用の端末があって、それを通じて「トイレットペーパー ○ケース」という感じで発注するんですけど、在庫の関係もあって希望通りに納品できないときは、その結果をFAXで各店に送るんです。その頃は50店舗くらいあったと思うんですが、FAXを4、5台並べて発注結果を次々に流してました(笑)。

    発注まではデジタルだけど、結果のお知らせは紙だったんですね(笑)。

    まだシステムで知らせる術がなかったんです。FAXだと、向こうが紙切れしてたら送れないし、途中で紙が詰まったりもしますし「嫌だなあ」って思いながらやってましたね。

    勤めていた間でどういうキャリアを積まれていかれましたか。

    最初はプログラムが作れないので、2、3年目からそういった教育とか研修を受けて作れるようになってくるんです。そこで、作ったものを喜んでもらえた経験があって、すごい嬉しかったですね。そこで初めて「プログラマーって楽しいな」って思いました。

    仕事の楽しさを感じられたのですね。例えばどういったものを作ったのでしょう。

    例えば、商品部でやる商品分析や売れ筋の分析で使われたシステムですね。当時はExcelも世の中に無かったので、商品の売り上げデータを可視化するシステムを内製で提供してたんです。今なら、Excelや市販の売上管理ソフトを使えば簡単なんですけど、まだ会社にパソコンの台数も少なかったですし。

    そこではどのくらい働かれたのですか。

    6年経って離れたんですが、もっとプログラムの力をつけたいなと思うようになったんです。社内システムの仕事だけじゃなく、いろいろな会社にシステムを作って提供する、いわゆるベンダー(※)側になったら、さらにスキルアップできるんじゃないかと思って、転職することにしました。

    ※ベンダー:IT業界においては、ソフトウェアやハードウェア、システムなどを提供する側を意味する。

    仕事の基礎を身に付けた
    金融業界のお仕事

    ではドラッグストアを離れ、今度はシステムを提供する側に移られて。

    100人規模くらいの会社で、情報システムのソフトウェアを開発する、いわゆるソフトハウスと呼ばれるタイプの会社に入りました。大手とも仕事をしていて、僕は大手の証券会社のシステムを担当しました。

    小売から金融業界と、また雰囲気も変わりそうですね。

    硬いというか、やっぱり特にお金を扱う業界ですので、プログラムを作ってもバグは許されないし、テストもきっちりするし、スーツもバッチリ着ないといけなかったです(笑)。業界の中でシステムに一番お金を使ってるのは金融業界なんですよ。

    IT投資が大きい業界なんですか。

    銀行、証券、保険っていうのは、システムがないといろいろ仕事ができないわけです。僕はそこに10年いて、システム開発の基礎やプログラミング、設計、お客さんと話して要件定義(※)をすることだったり、っていうことを学んでいきました。今につながるベースは、そこで培ったと思います。

    ※要件定義:ユーザーが求める目的に基づき、その実現のために実装する機能や性能を明確にする作業。

    技術的にも進んでいる業界と言えたのですね。10年勤めてどう感じられましたか。

    ある程度はやり切ったというか、学べる技術は身に着けることができたと感じました。でもそこで思ったのは、ベンダーとして仕事をしていると、やっぱり「外の人」なんですね。お客さんのために仕事をするもやりがいはあるんですけど、外注の業者としてやれることはある程度枠が決まっている。だから、今度は自社のためにもっと深く仕事をしたいと考えるようになりました。

    その違いは大きいですか。

    例えば今みたいに社内にいると、仕事のスタートがざっくりしています。「こうしたい」っていう想いだけがまずあって、まずシステム化するかしないかの段階からの相談も多いわけです。

    解決したい問題があって、システムとしてどう関わるかというところから。

    解決策はいろいろあって、必ずしもシステムに限らないかもしれない。そういうところからもっと深くやりたいなと思って転職先を探していたら、求人系の会社から声がかかって、移ることにしたんです。

    多くの叱咤激励を受けながらも
    マネジメントの楽しさを知った

    小売、金融を経て、今度は人材系の業界に。

    社内システムの開発のマネージャーでした。8年半くらい勤めたんですが、最後の3年は部長という立場になりました。そこがかなりオーナー権限が大きい会社で、理念経営も強かったので最初は驚いたんですけど、オーナーのこともだんだん魅力ある人だなと感じるようになりましたね。

    強烈だからこそ惹かれる部分もあったと。

    そこに転職したことで、技術を学べた、ITの力が上がったって言うよりは、そのオーナーに精神的に鍛えられたところが大きかったかもしれないです(笑)。

    では、けっこう詰められた経験も…(笑)。

    最初はめちゃくちゃ言われましたよ(笑)! でもそれも、ユーザーファーストや理念を徹底するためっていうことが根底にありましたし、そういうことを叩き込まれて、心は強くなったと思います。その会社では「どこでも活躍できる人財を育てる」っていうことが理念として言われていたけど「嘘じゃないな」と感じるところはありました。

    マネジメントが仕事の中心となったことについてはいかがでしたか。

    今でもそうですけど、どちらかと言うとそっちが好きなんですよ。中期計画を作ったり、各部門と話してどういうものを作るか決めたり、部内のマネジメントに携わったり。部長として働いた最後の3年は、組織全体を見るとか、教育どう考えるとかを学ぶわけですよ。そういうことは面白くて。もう今ではプログラムを一から作れって言われても難しいですね。

    しばらく離れると難しいものですか。

    それもありますし、そこから離れたくてマネージャーをやってるのもあるので(笑)。ずっとプログラムを作っていたい人もいるし、以前この記事に出たシステム事業部長の千田さん(※)は今でもプログラムを作れるうえに、マネジメントもできるからすごいんですけど。

    ※ひとプロジェクト 平成医療福祉グループ システム事業部長/千田 丈慈さん

    プレイングマネージャー的な動き方ができると。才賀さんは、そういう立場に実際に立ってみて楽しさに気がつかれたのですね。

    もちろん、部長になるといいことばかりでなく責任も伴うので、ほかの幹部から強めの叱咤激励もあるし、それはそれで心折れそうになりながら。まあ結局折れませんでしたけど(笑)。そういう意味では鍛えられましたね。

    そういった強めの叱咤を受けて、相手に言い返すことはなかったのですか。

    最初はそういうこともありましたけど、それは意味ないなって思ったし、そう言ってくる人は必ずしも仕事ができるとも限らないというか、冷静に話せる人が最終的に残っていくんですよ。もちろんシステムが止まったりとか、障害が長引いちゃったりした時に言われるのはしょうがないんですけど。

    復旧に努めるほかないですよね。

    システムは障害がつきものなんですが、考え方は2つあって、まず起きないようにするっていうことと、起きそうになった時に予知できるようにするっていうことがあります。

    そういったノウハウも、自身がマネジメントに携わるようになってから身に付けられたことですか。

    それまで携わってたのはどちらかと言うとソフト面だったんですが、今度は「インフラ」って言われるようなハード面、ネットワークとかサーバーも見ないといけなくなるわけです。最低限、どういう仕組みになっているのか学んでおかないと、経営者には話せないじゃないですか。でも専門でやってる人からしたら「全然知らないよね才賀さん」っていうレベルだとは思うんですけど(笑)。

    あらためて学ぶことも多かったと。

    システムの仕事と言っても幅広いですから。その辺も満遍なく見ないと一生マネジメントには携われないので。高校卒業後は「勉強したくないな」っていう気持ちもあって大学に行きませんでしたけど、結局社会に出てからは、勉強しなきゃいけないことが多かったですね。

  • 次回:病院・施設のIT化を進めるべく、グループに転職! アナログとデジタルの良さを両立しながら進める取り組みとは。

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    profile

    システム事業部 副部長 才賀 明(さいが あきら)

    【出身】東京都世田谷区
    【趣味】ウォーキング、サバイバルゲーム
    【好きなお酒とつまみ】ウイスキー、日本酒(と蟹味噌、塩昆布)