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ひとプロジェクト【第41回・後編】大内病院/宮川 熱志先生

    • 精神医療をさらに地域で展開
      大内病院で新しくスタートする「ACT」 とは!

    • 大内病院の精神科医、宮川熱志先生の後編です。もともと宮城県で精神科医として、訪問を行うアウトリーチや、スーパー救急に取り組んできた宮川先生。ある大きな出来事をきっかけに、関東に移り、病棟の立ち上げに携わることになりました。今回は、その出来事についてや、先生が行ってきたアウトリーチ、さらに大内病院で始まる「ACT」の取り組みについて、日本や世界の精神医療の潮流も含めてお話をお聞きしています。ぜひご覧ください!

  • きっかけは第二次世界大戦
    訪問を行うアウトリーチ

    医師としてのキャリアはどのようにスタートされましたか。

    まず東北大学の精神科の医局に入りました。後期研修として精神科の研修を東北大学病院でやって、その後は研鑽のために宮城県立精神医療センターに移りました。

    当時はどういったことをされていたのですか。

    東北大学では、予防精神医学という比較的新しい取り組みを行っていました。幻覚や妄想が出て具合が悪くなってから治療するのは本当に大変なので、妄想が固定化される前の悪くなりたての頃に集約的に治療を行うと。宮城県立精神医療センターでは、多職種でチームを組んで「アウトリーチ」に取り組んでいましたね。

    「アウトリーチ」とは、どういう取り組みでしょうか。

    「具合が悪くなったら病院に来てください」ではなく、こちらから自宅へ訪問に行って、できる限り家でケアを行うということですね。精神科医、看護師、精神保健福祉士、作業療法士、薬剤師や心理士などでチームを組んで行います。

    入院治療ではなく、あくまで患者さんは自宅や地域で活動したまま、ケアを行っていくのですね。

    そうですね。日本の精神医療では長らく入院治療が中心的に行われていて、それは日本の特性に合っているという側面もありますが、世界の流れからするとガラパゴス化しているとも言われています。

    海外ではどういった流れでアウトリーチが始まったのでしょうか。

    もともとは欧米でも長期の入院治療が中心的でしたし、自宅で診ていくことは難しいとされていました。でもヨーロッパは第二次世界大戦で戦場になり、病院も空爆のターゲットになったので、やむを得ず患者さんを病院から出して自宅に返したんです。

    病院から出さざるを得ない状況になったと。

    病院としてはそれでもう治療が途絶えてしまった、と思っていたんですが、戦争が終わったら患者さんがみんな病院に戻ってきたと。そこで、果たして精神科病院に入れ続けることって意味があることなのか、街で暮らせるようになるためには、自宅で診る方向に舵を切るのがいいのではないか、ということになったんです。

    ヨーロッパでは第二次世界大戦を境に方向性が変わったのですね。

    アメリカについては、単純にお金の問題が大きいですね。公的な医療保険制度がないので、精神科病院で長期的に治療をしていても、とにかくお金がかかってしまいますから。ただ、当初は病院から出したことで、路上生活者や犯罪が続出するなどいろいろ問題もあったので、じゃあチームで訪問をして、病気の治療だけでなく、住居の確保や生活の立て直しをしていこう、という流れができていきました。

    では宮城にいた頃にはアウトリーチを中心的に行われて。

    それと同時に急に具合が悪くなった方を、24時間体制で受け入れる「スーパー救急」を行っていました。

    精神科の救急対応というものはどういったケースが多いのでしょうか。

    一番多かったのは自傷他害のリスクですね。放っておくと自殺をしてしまう、もしくは幻覚妄想があって、誰かに刃物を向けてしまうとか、そういったことが夜中に多く起きることも多いので。一般科の救急と同様、精神科もなかなか修羅場というか、大変なことはたくさんありましたね。

    人生で一番悩んだ…
    悲しい出来事がきっかけで東京へ

    この大内病院に入られることになったのはどういった経緯でしょうか。

    宮城県で働いている頃に、個人的に事件というか、大きな出来事がありまして、東京に出てくることになったんですね。そこで、千葉県の病院で精神科の急性期病棟の立ち上げをやらないかという話をいただいて、そこに携わることになりました。

    まずは千葉県で病棟の立ち上げに関わられたと。もし差し支えないようでしたら、大きな出来事とは、どういったことだったのでしょうか。

    東京に住んでいた弟が突然亡くなってしまったんです。

    それはずいぶん突然に…。

    調べたのですが死因はわかりませんでした。もともと、その10年前に彼の奥さんも急病で亡くなっていて。幼い娘たちの面倒を見ながらも、かなり忙しく仕事をしていたので、過労気味ではあったかもしれません。きっと、命を燃やしてしまったんでしょうね。

    では娘さんたちが残されて。

    亡くなった当時、小学5年生と中学3年生だったのですが、父親も母親もいなくなってしまい、2人が路頭に迷ってしまう…どうしたらいいのだろうと。もしかしたら、これが人生のなかで一番悩んだことかもしれないです。そこで結局、私は自分の家族を宮城に残して、東京に出ていこうと。

    2人の面倒を見るために…それは、本当に大きな決断ですね。

    目の前の2人をどう生かすか、本当にその時はほかに頼る人がいなかったので、そうするしかありませんでした。自分の家族やキャリアはもちろん大事ですが、優先順位で何が一番かと言ったら、やっぱり幼い命なので。精神科医としては、2人が心を病んでしまうんではないかと心配もしました。そこで、この5年ほど、男手ひとつで2人の姪を無我夢中で育ててきたんです。

    今はある程度お2人も成長されて。

    そうですね、段々と気心もわかってきましたし、自立も早いですよね。まだ一緒には住んでいますが、2人だけでは本当に生きていけない、という時期は過ぎたと思います。それこそ初めは、料理や洗濯、掃除と、僕が生活のことを全部やっていましたけど、今は「もう自分たちで生きていけ」と言っています(笑)。

    多少は余裕も出たというか。

    自分のこともできるようになってきて、仕事としても千葉県の急性期病棟も立ち上がったので、また新たに何か取り組もうと考えたときに、今度は認知症についての取り組みをしたいなと思ったんです。それでまた病院を探し出しました。

    そこで、大内病院にたどり着いたと。

    大内病院は「認知症疾患医療センター」の指定も受けて認知症の取り組みをやっているし、ちょうど多職種アウトリーチを始めていこうとしているところだったんです。そこで、声をかけていただいて。僕としてはアウトリーチへの取り組みも途中で途切れてしまったという想いがあったので、認知症についても学べて、そちらもできるのであれば、願ったり叶ったりだなと思いました。

    院内だけではなく地域でも診る
    24時間365日対応のACTを立ち上げ

    大内病院ではアウトリーチの取り組みを、どのような形で始めていかれるのですか。

    大内病院で立ち上げようとしているのは、「ACT(※)」と呼ばれるものです。ACTは、24時間365日対応であることが特徴で、従来であれば入院を必要とする重度の精神障害の患者さんを、住み慣れた地域で暮らしてもらいながら、専門職種で組まれたチーム体制でケアしていくプログラムです。

    ※「Assertive Community Treatment(=包括的地域生活支援)」の略。 重い精神障害のある方でも、地域のなかで自分らしい生活を送ってもらうため、包括的な訪問サポートを提供するケアマネジメントモデル。

    どういった患者さんが対象となりますか。

    主に統合失調症や双極性感情障害、いわゆる躁鬱病の方たちですね。1960年台後半頃からアメリカで始まったものですが、国内ではまだ取り組んでいる医療機関はそんなに多くはありません。

    先ほど精神医療が欧米で入院から訪問に変わっていった経緯を伺いましたが、日本ではこういった地域で診るという流れは最近進んできたのでしょうか。

    日本は、ある意味日本の国民性に合ったやり方を取ってきたとも言えると思います。精神の世界は、科学的に立証されているものが少ないので、どんなやり方も1つの方法となりうるわけで、いろいろと模索していくなかで、もともとあるやり方と、新しく起こってきた動きがせめぎ合っている、今は激動の最中だと思います。

    入院治療が国民性に合っていたというのはどういった意味で言えるものですか。

    日本は島国で、横並びの文化というか、均一性を保つことで社会を守ってきたところがあると思います。

    つまりは病気になった方を精神科病院に入院させて診ていくということで。

    それがある種、社会防衛的な意味があったのだと思いますし、ずっと歴史はそう続いてきていました。ただ、人道的な観点での指摘を受けるケースもありますし、海外では地域で診ていくという流れができて、一定の成果をあげ始めてきたので、日本でもACTの研究や立ち上げが起こってきているわけです。

    例えば大内病院に関しては、長い期間築いてきたものもありますよね。

    この地域でそれこそ60年以上も根を張ってやってきた実績があるわけですから、そこに新しい取り組みがプラスされていく、という感じだと思っています。個人的には、入院治療のほかにも、地域で暮らしながら診るという選択肢があることも大事だと思うので、その環境を作っていきたいと考えています。いろいろな方のご理解や協力を得て、本当にみなさんに助けていただきながら、この取り組みが産声をあげようとしているというのが、今の状況です。

    精神科の病床数は減少させていくのが国の方針でもありますし、その影響は当然ありますか。

    やはり入院だけで診ていくわけにはいかなくなっていきますが、多くの病院で訪問の体制がまだ整備されていないので、ほかに選択肢がないというのが現状だと思います。やはりこれからは在宅医療がキーになってくるところで、こうした取り組みも進めていこうというのが、グループとしてのビジョンなのだろうと。そこで声をかけていただけたその想いに応えていきたいですね。

    実際に訪問に至るまではどういった流れになりますか。

    まず立ち上げ当初は、病棟の中で入院している患者さんが退院する際に依頼を受けて、退院後の生活をサポートしていこうとしています。将来的に軌道に乗っていけば、行政機関やほかの医療機関などから紹介をいただいて、訪問をしていければと。また、今後はこの病院でもスーパー救急を立ち上げる動きがあるので、そのお役にも立てるのではないかと思っています。

    救急で入院した患者さんの在宅復帰後のサポートもできると。

    以前スーパー救急をやっていた時にも感じていましたが、患者さんはやはり退院後への不安が大きいんです。そこで「訪問もありますよ」と伝えることで、ご本人やご家族にも安心して退院していただきやすくなるかなと。この取り組みが浸透すると、地域からの信頼っていうのも大きくなるのではと考えています。

    デイケアやOUCHI、行政とも連携
    地域で診るための体制を作っていきたい

    現在はACT立ち上げ前ですが、どんなことをされていますか。

    立ち上げの準備がメインですね。そのほかにも、院内のデイケアに入って、そこのメンバーさんといろいろプログラム活動をしたり、少ないですが何人かの患者さんを病棟で診たりしていますね。デイケアに入るっていうのも初めての体験で、非常に勉強になるというか、病棟で治療してるのとまた全然違う景色が展開されるんですよね。

    どういう違いがありますか。

    病棟にいる患者さんは、素の状態ではなくて、病的に具合が悪い時の一時の姿なわけです。それが、退院してご自宅に戻って、デイケアに通うようになると、その方が地域で暮らす表情が見えてきます。

    日常の顔を見せてもらえると。

    そこで初めて知ったことがいっぱいありましたね。デイケアに来ている方は、その意義や必要性を感じて来てくださっています。ここでの交流や人のつながりとか、スタッフとの関わりとか、そういうものに自分の行き場を感じられていると言いますか。そういうことが体験できたというのは財産だと思っていますし、患者さんにも病院のスタッフさんにも感謝しかないですね。

    今後、先生はどんなことに力を入れていこうと考えていますか。

    もともと取り組まれてきた入院による治療に関しては、優秀な先生がたくさんいらっしゃって、さらにスーパー救急を取り入れていくようになる。さらに、認知症の取り組みについても、力のある先生がしっかりやられている、というのが病院の現状だと思います。そこに在宅医療が加わっていくわけですね。以前からあった訪問看護、2019年に開設したOUCHI(※)のような就労サポートができる施設やデイケアと一体となって連携しながら在宅医療を作り上げていく、これは新しいチャレンジですので、力を入れていきたいなと思っています。

    ※OUCHI:大内病院近隣に立つ、精神障害を持つ人たちが地域に戻るためのサポートをする施設。カフェとしても営業中です。くわしくはOUCHIのサイトをご覧ください。

    地域で診るための体制を強化していかれると。

    今挙げた病院の取り組みのほかにも、行政やさまざまな機関とも連携して、より包括的に在宅医療のシステムを作っていきたいですね。これから始まっていく取り組みですので、どこまでできるかはわかりませんが、病院の強みにしていけたらいいなと思っています。

    先生個人としての展望はいかがですか。

    まずは本当にACTの立ち上げをしっかりとやっていきたいです。軌道に乗せて在宅医療を提供していけたら。さらに先のことはまたそれからですね。

    迷いながら生きてきた
    その想いが医師としての自分の原点

    ではプライベートについて伺います。お休みはどう過ごしていますか。

    僕はとにかく音楽を聴くのが好きなのと、車に乗るのも好きなので、車に乗りながらよく音楽を聴いています。ジャズやクラシックが多いですね。

    以前からそういった音楽がお好きだったのですか。

    もともとは大学生の頃からダンスが好きで、サラリーマンの時はジュリアナ東京に行ったりもしていましたよ(笑)。

    意外です(笑)!

    音楽に合わせて体を動かすというのが好きなんでしょうね。その当時はダンスナンバーを聴いて、そこからなんとなくR&Bやヒップホップに行き、だんだんとジャズを聴くようになりましたね。

    ルーツに戻っていったような感じですね。特にお好きなのは。

    ピアニストのビル・エバンスですね。景色を見ながらジャズを聴くと、いろいろ忘れられますね。

    何かほかに趣味や取り組んでいることはありますか。

    僕は瞑想をやるんです。もうずっと15年くらいは続けています。

    心が落ち着きそうですね。どういったきっかけで始められたのでしょう。

    始めたのは、弟の奥さんが亡くなった頃です。僕は予備校で働きながら医学部に通って、医師の国家試験の準備をしていたんですが、彼女は本当に突然、くも膜下出血で亡くなってしまいました。そのことで「国家試験に受からなきゃ」という気持ちが強くなりすぎて、逆にプレッシャーを感じて落ちちゃったんです。それでなんかもう「人生終わった」っていう気持ちになってしまって。そうしたらちょうど瞑想の体験を紹介されたので、参加してみたんです。

    ちょうど落ち込んだ時に体験する機会があったと。どんなものだったのですか。

    朝の4時半から夜の21時まで、一切喋らず10日間を過ごすというものです。食事の時間以外は座りっぱなしですね。それまでは「もう挑戦する元気がない。どうしよう」と落ち込んでいたんですけど、やってみたらそうした雑念がポーンと取れたんです。その後1年間は淡々と勉強して、結果国家試験に受かることができました。この体験がなかったら、多分いろんなことを考えて背負っちゃって、潰れてしまっていたような気がします。

    良い影響を得られたのですね。

    なんというか、生きていることって不思議なんです。困難に当たってどうしようもなくなることもあるんだけど、それをやっぱり毎日しのいでいると、後で必ず「こんな意味があったんだ」ということがわかってくるっていうか。だから患者さんも「辛い」「死にたい」と訴えて来られることもありますが、きっとこの先、その意味っていうものがわかってもらえるような時が来ると思って、お話ししています。もちろん必ずしも全部がうまくいくわけじゃないんだけど、そういうことは訪れるので。

    今は辛くても、いずれ振り返って客観的に話せるようになる時が来ると。

    そういうアプローチができる原点って、やっぱり自分自身、社会人としての挫折や、不幸な出来事があって、うまくいかなかったことを経験してきたのは大きかったなあって思いますね。

    ご自身が悩みながらいろいろ社会生活を送られてきた経験は、精神科医として大きいというか、だからこそ患者さんのお悩みがわかる部分もありますか。

    そうですね、それがいいのか悪いのかわからないですが。もう自分はこういうやり方しかできないので、粛々とやれることをやって、つながっていくしかないのかなって思っています。自分が正しいとも、自分がすごいとも全く思わないで、ただただ、迷って生きてきた。それが今につながってる、そう感じているんです。

  • 前編を読む

    profile

    大内病院 宮川 熱志(みやがわ あつし)

    【出身】千葉県柏市
    【専門】精神科
    【趣味】音楽鑑賞
    【好きな食べ物】カレー(柏市のボンベイ)

    病院情報

    大内病院

    東京都足立区西新井5-41-1

    精神科・内科・歯科

    認知症や感情障害、神経症性障害などの方が治療を行う場として、多職種が密に連携をとりあって患者さんをケアしています。また院内に『診療適正化委員会』を設置し、常に適切な医療が提供できるよう、職種の垣根を超えて自由に意見交換を行っています。地域の総合医療福祉センターとして、予防・治療・リハビリテーションの一貫した最新医療サービスを提供すべく職員一丸となって日々努力を続けています。