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ひとプロジェクト【第40回・前編】平成医療福祉グループ 広報部 Web担当/岩崎 幹子さん

    • グループのWebにまつわる仕事を担当
      グラフィックデザイナーがWebの仕事に転身するまで!

    • 今回は、グループの広報部でWebの仕事を担当される岩崎幹子さんです。グループの病院・施設サイトや、こちらのサイトの作成も担当する岩崎さんは、もともと絵を描くのが好きだったことから、絵にまつわる仕事に就きたいと、グラフィックデザイナーを志します。前編では、そんな岩崎さんが社会人としてさまざまな会社で翻弄されてきた経歴を中心に、いかにWebの仕事にたどり着いたかをお届けします。ぜひご覧ください!

  • 成り行きで任された卓球部部長
    受験にまつわる悲しい勘違い

    いつも記事をこのサイトにアップロードする役割だと思うのですが、今日は自身が登場ということで、よろしくお願いします。

    不思議な感じがしますね(笑)。自分にスポットが当たるっていう経験も全然ないので…がんばって答えたいと思います。

    ありがとうございます! では出身から伺います。

    埼玉県さいたま市です。

    埼玉でも中心的なところでしたか。

    割と栄えてはいました。でも駅の周辺は賑やかでも、しばらく歩くとのどかなところもあって。育ったところはまさにそんな感じのなかにある住宅街でしたね。

    小さい時はどんなお子さんでしたか。

    けっこう活発で、今と違って誰とでも喋れてましたね(笑)。近所に住んでいた海外の子どもとも「初めまして」のあいさつを飛ばして、何も気にせずいきなり一緒に遊んで。子ども同士って言葉がなくても遊べるところがあるじゃないですか。

    ちょっとかっこいいですね! 今とは違うと。

    そうですね…今はそんな積極的にコミュニケーションを取れないと思います(笑)。

    (笑)。何か部活などはやられていましたか。

    中学時代は卓球部の部長でした。一個上のお姉ちゃんも卓球部に入ってて、それが動機で入った記憶があります。

    部長になったのは。

    そもそも自分たちの代が4人しかいなくて、しかも先輩に姉がいるっていうことで、自然と私に役割が降りてきて。でも、もともと性格が部長向きじゃないので、大変ではありましたね。同級生は勝気な人が多かったので、難しいこともあって(笑)。でも、入部してくれた後輩のためにはがんばっていましたよ。試合の時に率先して連れて行ったりとか。

    高校でも卓球は続けたのですか。

    高校の面接試験では部長だったっていうことをアピールはしたんですけど、結局入部はしなくて。

    なるほど、推薦入試か何かの面接時はそういう話をしたけど。

    あれ違う、私は普通に入学試験を受けて入ったので推薦での合格ではなくて…。

    どういうことですか?!

    あの、今思い出しましたけど、推薦の面接で一回私落ちてました…同じ中学からもう1人その高校を志望している子がいて、その子が推薦で合格したんでした(笑)。

    えっ、悲しい記憶違いですね(笑)。

    そう、だから普通に一般入試を受けて入ってました(笑)。

    絵で食べて行くのは私には難しい
    そして出会ったグラフィックデザイナー

    とにかく卓球部には入らなかったと。

    アルバイトがしたかったんです。コンビニとかデパ地下の惣菜のお店とかで働いてました。

    割と楽しい高校生活でしたか。

    青春を重視したというか、高校生らしい高校生活だったと思います。当時の友だちともいまだに仲良いです。

    今の仕事につながるような興味みたいなことは当時はありましたか。

    絵を描くのはずっと好きでした。幼稚園児の頃から絵を描いていましたから。

    では高校卒業後の進路も、そちらの方面で、ということも考えたのですか。

    ん〜、絵だけを仕事にしていく、という考えはなかったんですよね。でも、絵に関連する何かをやりたいという気持ちはありました。そこで高校の先生に相談したら、デザイン系の専門学校を勧められたんです。その時、グラフィックデザイナー(※)っていう仕事を初めてちゃんと知って。やってみたいと思ったので、専門学校に入りました。

    ※主に新聞や広告物、パッケージなど、平面上のデザインを専門的に行う職種を一般的に指す。

    専門学校は入学されていかがでしたか。

    楽しかったですね。1年目は基礎を学ぶんですけど、デッサンもやりましたし、今はもうあまり使わないような烏口の使い方を教わったり。2年目にアーティストとデザイナーの選考にクラスが分かれるので、私はデザイナーの方に進んで、グラフィックデザインの作業で必要になる、PhotoshopやIllustrator、InDesignとか、そういったソフトの使い方を学びましたね。

    その時の知識は、今も残っていて。

    もうあまり残っていないものもあるんですが(笑)、以前勤めた会社では使う機会がありましたし、習ったことは役立ったと思います。授業自体はとても興味がありましたね。印刷物も好きで、紙のことも興味があったので、課題の制作物を作る時には、神保町の紙の問屋を巡ることもありました。

    勉強のなかで、特にこれに興味があったというのは。

    Illustratorですね。専門学校に入って初めてIllustratorと出会った時、「こんなに自由にいろいろできるんだ!」っていうことに驚きました。あとは、行間とかを考えたりするのが、急に楽しいって思えるようになって。

    デザインの細部を詰める作業が楽しくなってきて。

    最初の頃は特に、行間とかマージン(余白)をすごく意識してやっていましたね。特に当時は出版物をやるようなエディトリアルデザインの方に進みたかったから、雑誌の文字組なんかをやるのがすごく楽しかったです。

    泣きながら退社、さらには横領…
    激動の社会人生活スタート!

    まずはどんな会社に就職されたのですか。

    最初は漫画とか小説の装丁を手がけているデザイン会社に入ったんですけど、そこは1年で辞めてしまい…。

    短い在籍だったのですね。

    もともと社長が1人でやっている会社に入ったんですが、2人しかいないので仕事のスピードがすごい早くて。任せてもらえることはすごくたくさんあったんですけど、自分に経験がなかったから応えられないこともあって、それがとても辛かったですね。

    まだ当時は重荷になってしまったと。

    でも、その分すごく鍛えられたとは思います。ホビー雑誌に、フィギュアの画像を掲載するっていう仕事があって、100体くらいのフィギュア画像を延々とPhotoshopで切り抜いて。それで切り抜きの仕事はすごい早くなりました(笑)。

    (笑)。経験としては大きかったのですね。

    そうでしたね。でも、取引先の忘年会に出た時、泣きながら「辞めます」って言いました(笑)。当時はまだメンタルが弱くて泣き虫だったので。社長も私がいっぱいいっぱいなのを感じ取っててくれて「来年もやっていけそう?」って聞かれた時に、泣きました。でも、当時自分が作ったものがまだ世には残っていて、やって良かったなと思ってます。

    次もまたグラフィックデザイナーとして転職されて。

    次はカタログとかチラシを作るデザイン会社に転職しました。毎週発行される50ページくらいのカタログを、いつも1人何ページずつか分担して一気に仕上げていましたね。

    毎週やるとなると忙しそうですね。

    忙しかったですね〜。何週間か後に発行されるものをいつも作ってて、家に帰らないで働くこともありました。今よりも若かったからできたんだろうなと思います。

    そこはどれくらい働かれたのですか。

    確か4、5年くらいですね。言っていいのかわかりませんが、途中、横領事件があって、会社がゴタついて…。

    えっ! そんなことが…会社は大丈夫だったのですか。

    会社も存続の危機になったんですけど、当時現場の上司だった人が「部下を守らなきゃ」っていう想いで新しく会社を立ち上げてくれて。そのまま仕事も引き継ぐ形で、変わらず仕事をできる環境を作ってくれたんです。

    素晴らしいですね!

    なので、その上司のことは今でもすごく尊敬してます。「この人のためにも仕事をがんばろう」っていう気持ちになりましたから。

    そう思って仕事ができるのはとても素敵ですね。その職場を辞められたのはどうしてですか。

    居心地は良かったし楽しかったんですけど、同じ仕事をずっとしていてちょっと限界を感じたんです。毎週やっていくうちに、引き出しもだんだん苦しくなってましたね。あと今考えたら、その職場ではすごい生意気なことを言ってた気がします。半分くらいは間違ったことを言ってたと思うので、思い出すと恥ずかしいです…(笑)。

    出張先で虫に…
    接客もしていた前職時代

    その後はどうされましたか。

    主に新聞や雑誌の広告を作る会社に入りました。そこではけっこういろいろな経験をさせてもらって。有名人に出てもらうような広告も作っていたので、私も同行した時に会うこともありました。

    何か興奮するような出会いはありましたか。

    たまたまなのか、自分の興味にハマる人が少なくて、全くミーハーぶることもなく冷静に仕事ができました(笑)。

    なるほど(笑)。落ち着いて仕事に打ち込めたと。

    カメラマンの人と取材に同行して、そういう人をアテンドして。でも段取りが悪いこともあったので、あまり良く思われてなかったかもしれないですね。

    でもそれはそれで良い経験にはなりそうです。

    ただ、その会社では広告制作のほかに別の事業もあって、だんだんとそちらの仕事がメインになってきたんです。それで、私がやる広告の仕事もだんだんと減っていきました。

    どんなことをやられたのでしょう。

    イベントを手掛ける事業をやっていたので、そのお手伝いというか、私は物販をやったり、招待者や出演者のアテンドをしたりとか。

    けっこうやることがガラッと変わったと。

    でも接客はアルバイトで慣れてましたし、嫌いじゃなかったのでそれはそれで楽しかったんですよね。年に何回か出張もあって、毎回1人で広い部屋に泊まらせてもらって。

    なかなか良い出張ですね。

    でもなぜかいつも古くて汚い宿が多くて…。一度、山奥のコテージに泊まったことがあって、カーテンを開けたらハチの死骸が5、6匹ボロボロって落ちてきたことがありました。ほかの部屋の人は生きてるハチだったらしいので、まだ良かったんですけど(笑)。旅館に泊まった時も、部屋は広かったけど、きれいじゃなかったし、そこも虫が出たり…。

    泊まるのが怖い宿が多いですね…。

    で、そういうことを続けてるうちに、ふと「自分がもともとやりたい仕事じゃなくなっちゃったな」っていうことにあらためて気がついて。そこで「またデザインに関わる仕事に戻ろう」と思って、転職先を探し始めた時、このグループに出会ったんです。

    Webの世界へと新しい挑戦

    デザイナーとしてあらためて転職するとしても、Webの仕事にシフトしようとしたのはどうしてですか。

    長らく印刷物に関わるグラフィックデザイナーをやってきたんですが、それに少し疲れてしまったんです。紙自体は今でも好きで、趣味としてはデザインも続けていきたいけど、仕事としては新しいことをしたいなと思って。Webに挑戦してみようと思って、仕事を探し始めたんです。

    その当時、Webの仕事に知識や経験は。

    その会社でWordPressを少し触る機会があって、全く知識がゼロというわけではなかったんです。その時、ちょうどこのグループの広報部が「WordPressの更新」っていう仕事内容で求人募集を出していたので「いける!」と思って応募しました。

    ちなみにWordPressとはどういったものなのでしょうか。

    一般的なウェブサイトは、HTMLやCSSといったコードというものが集まってできています。なので、サイトに変更を加えたりするには、そのコードをいじれる知識がないと難しいんですが、WordPressという無料のソフトウェアを導入すると、その作業がなく、更新や設定の変更ができるので、かなり簡単になるんです。

    なるほど、確かにWebの仕事というと、難しそうなコードを打っているというイメージがありました。

    ブログを更新するような感覚でできるようになるんです。当時は、それを多少いじったことがある、っていうくらいの状態でした。

    そこで「私も更新ならできる!」っていうことで求人に応募されて。

    ただ、その時面接で実技テストがあって、思ってたより難しくて焦りましたね…。募集内容から考えてたよりも上のレベルのものが出てきて驚きました(笑)。

    募集要項からするとだいぶ難しいものが出てきたと。結果はどうだったんですか。

    すごくがんばって必死にやったら、結果が意外と良かったらしく、それで入職後に任される仕事も増えたみたいです(笑)。

    テスト結果のおかげで仕事が増えたのですね(笑)。

  • 次回:初心者ながらWebの担当として入職!
    現在取り組むプロジェクトや今後のこと、さらなるスタッフ募集についてお聞きしています!

    後編は2020/03/06公開予定

    profile

    平成医療福祉グループ 広報部 Web担当 岩崎 幹子(いわさき みきこ)

    【出身】埼玉県さいたま市
    【趣味】韓国語、旅行、シルバニアの赤ちゃん
    【好きな食べ物】カレー(神保町のボンディ)