ひとプロジェクト

ひとプロジェクト【第37回・前編】ココロネ淡路 施設長/平田 哲也さん

    • 大学卒業後に医療の道へ
      「怖い先輩」「冷たい上司」になっていた過去

    • 今回登場するのは、兵庫県淡路市にある障害がある方に向けた就労支援施設「ココロネ淡路」の施設長をしている平田哲也さんです。就職氷河期と平成の大合併の影響で大学卒業後の就職先がなかったことがきっかけで選んだ作業療法士という職業。前編では、専門学校で出会った仲間とのエピソードや、ココロネ淡路の施設長になるまでの真相についてお聞きしました。ぜひご覧ください!

  • 地元で働くための選択が人生の転機に

    最初に出身地をお伺いしたいのですが。

    北海道の網走市出身です。高校まで網走にいて、大学進学のときに札幌に移りましたが、大学卒業までずっと北海道に住んでいました。

    ずいぶん淡路島からは遠い場所のご出身なんですね。

    でも、あと数年で今住んでいる徳島生活のほうが長くなります。以前は、北海道に戻って暮らしたいと思っていたのに不思議ですね。

    もともと作業療法士さんだとお聞きしたのですが、大学が医療系の学部だったんですか。

    いえ、普通の大学でした。スポーツ推薦で入学したのに辞めてしまって。

    えっ!? 何をされていたんですか。

    ボートです。高校でボート部に入ってスポーツ推薦で大学に入学しました。入学当初は、大学でもボートを続けるつもりだったんですよ。でも、大学で出会ったボート部の部員たちの体格差は想像以上でした。このまま続けても結果が決まっているように思えてしまい、札幌のキラキラした街並みで別の青春を楽しんでしまいました。

    大学生活を謳歌されたんですね(笑)。

    そうですね。ただ、僕が大学にいたときは就職氷河期でした。網走に戻って就職したかったので公務員を目指していたら「平成の大合併(※)」が重なってしまい、就職先がさらになくなって、しまいには採用募集を数年しないと言われてしまいました。「どうすれば地元に帰って働けるんだろう」って悩んでいたら、医療系の仕事に就けば網走で働けると教えてもらい、そこで「作業療法士」という職業を初めて知りました。
    ※平成の大合併…1999年から政府主導で行われた市町村合併。2005年前後に最も多く合併が行われた。

    では、大学卒業から作業療法士の学校へ進まれたんですね。

    そうですね。作業療法士になる理由は、地元に帰るための手段でした。そんなギリギリの時期に学生募集をしていた徳島の専門学校に惹かれて、北海道から徳島に渡りました。そこで今に続いていく、不思議な縁があったんですよ。

    今に続くとなると、かなり長いですね。とても気になります!

    僕は「作業療法学科」だったのですが、「理学療法学科」の同級生にリハビリテーション部の池村さん(※)がいました。
    ※ひとプロジェクト リハビリテーション部 部長 池村 健さん

    えー! すごい偶然ですね。

    ですよね、まさかの同級生です(笑)。当時、学生寮に住んでいたので学校が終わると寮に帰りますよね。そしたら、隣に住んでいる理学療法学科の友人が毎晩騒いでいて。朝になると決まって僕の部屋に謝りに来る人がいたんです。それが池村さんでした(笑)。

    (笑)。当時から交流があったんですね。 

    いえ、当時は学科が違っていたので隣に住んでる友人と同じの学科の人っていう印象のほうが強かったです。「平田くん、いつもごめんよ〜!」ってよく謝ってくれる池村さん(笑)。でも、当時からまとめ役のような存在ではありましたけどね。

    その後、池村さんと同じようにグループ内の病院に就職されたのでしょうか。

    いえ、僕がグループに入職したのは、今から7年ぐらい前です。ちょうど、リハビリ部内で教育制度の基礎を作り始めている時期でした。

    何か、グループに入職するきっかけがあったんですか。

    いろいろとありましたね。僕が以前勤めていた職場は、連続休暇が取得できない環境でした。最初は我慢できていたんですが、祖父の葬儀に参列できなかったことがきっかけで、親族のお別れにも行けない労働環境では長く働けないと思っていました。

    それは辛いですね。

    いろいろ考えた結果、当時の制度や環境は合わないと思い、退職の道を選びました。
    退職してフリーターのような感じになって(笑)。友人に仕事の愚痴話をしていると「池村くんが平成医療福祉グループで改革してるから仲間に入ってみたら?」と言われました。ちょうど、就職先も探していましたし、僕が動く前に友人が池村さんと連絡を取ってくれて、入職に至りました。友人に恵まれた結果ですね。

    新しい取り組みがスタート
    改善したい気持ちが逆効果を生むことも

    満を持して入職したリハビリテーション部はいかがでしたか。

    当時、今のような教育プログラムが完成する前でした。僕はすでに教育プログラムを導入していた病院で勤務した経験があったので、以前のような環境を変えたいと勢いづいていました。そんなときに、池村さんから「僕がいなくても、その場をピリっとさせる存在が欲しい」という話を聞いていたので、僕が自ら演じていくようになりました。

    場をしめる役割を担うことになったんですね。

    上から言われたわけじゃなかったので、虚勢を張っていた部分もありました。こうやって振り返ってみると、当時の現場の方にはご迷惑をかけていたなぁと思います。

    今の雰囲気からは想像できませんが…。

    恥ずかしいですね(笑)。優しく柔らかく後輩を指導することもできたかもしれませんが、間違いをきちんと注意して怒る係をしなきゃいけないときってあるじゃないですか。その役を自分がしないとって思い込んでいました。そうやって厳しい先輩風を吹かしていたときに、兵庫県の南あわじ市にある平成病院へ管理職としての異動を打診されました。

    徳島から病院を異動されたんですか。

    そうなんです。ただ、僕は徳島から引っ越すつもりがなかったので、異動先の平成病院が「地元」にはならない。言い方がまずいかもしれないんですが、「地元」のスタッフがずっと働き続けるほうが、スタッフにとっても患者さんにとっても最良の環境だろうと考えていました。管理者としてスタッフ育成がある程度できたら、自分のポストを「地元」のスタッフに譲れるようにがんばろうって決意して淡路島に行きました。

    目標を定めたうえで、また厳しい平田さんになったと。

    (笑)。結果としてそうなっていましたね。決めた目標があったので、2年ぐらいを目処にして現場を整備するつもりでした。厳しく指導しすぎたこともあったと思いますけど、今となっては、病院のスタッフから「自分が平田さんの立場になって理解できたことが多かったです」って言ってもらえたことが、励みになっています。

    監督のつもりで見ていた
    ココロネ淡路の開設準備

    ココロネ淡路の開設のために平成病院を離れることになったんですか。

    実は、先頭を切ったのは僕じゃなくて、もっと若いスタッフでした。奮闘できるように病院の管理職と並行しながら裏方で支えていくつもりだったんですが、ココロネ淡路が開設する直前に僕が責任者になりました。

    今だから言える苦労話をお聞きしてもいいですか。

    たくさんありますよ(笑)。まずは「知らない」っていう問題が大きかったです。実は、ココロネ淡路の責任者になるまで、障害者福祉のことを全く知りませんでした。医療と介護はすごく近い距離で携わることがありますが、福祉になると、ものすごく医療とは遠いところにあるような感覚でした。

    なんだか大変そうな雰囲気が漂ってきました。

    そうなんですよ。医療とは違う福祉の分野だけじゃなくて、「商売になるか」「継続的に稼げるか」ということを考える日が来るとは、想像もしていませんでした。結果的に決まった「つながる」っていうキーワードにたどり着くまでも長かったですし、これからの活動を「つながる」と関連づける覚悟も必要でした。

    「つながる」というのは、何を第一に考えたものだったのですか。

    年齢や性別、障害の度合いに関係なく「地域とつながれる場所」を目指そうと思いました。ココロネ淡路は、3障害(身体障害・精神障害・知的障害)すべての方を受け入れているので、垣根なく「つながれる場」であることを念頭に置いて決めました。

    「ココロネ」という名前の由来についてもお聞きしたいです。

    ココロネは、「心の根」が語源になっています。心の奥にある根っこを大切に育てたいという意味と、地域に根をはった活動ができる施設を目指したいという想いを込めました。グループには、ココロネ淡路以外にもふたつの障害者福祉支援施設がありますが、どちらも都心部にあります。そういった意味でも、立地面の弱みを強みに変えて継続していきたいと思っています。

    グループにある障害者福祉施設とのつながりはあるのでしょうか。

    大阪にある「淀川暖気の苑」は、障害者福祉事業の活動歴が長く、多方面での活動実績があります。商品開発をするためにいろいろとアドバイスをもらいました。東京にある「OUCHI」は、精神障害の方が地域に戻るための就労サポートをメインにしている施設です。ここは、大内病院が母体になっているので、医療機関との連携という意味で、これから参考にすることが増えていくと思います。グループでさまざまな取り組みがあることが強みや支えになっていますよ。

    商品開発に奔走!
    悩みに悩んだ商品決め

    開設直後のことも教えていただけますか。

    最初は、建物が先にドンっとできたのですが、まだ商品ができていませんでした。クラフト素材とコーヒーを商品として決定したのが11月だったので、2ヵ月ぐらいは、利用者さんに請け負ってもらう作業が清掃業務ぐらいしかありませんでした。

    今は、クラフト素材とコーヒーの販売を始めていますよね。

    そうですね。でも、商品が完成するまでが大変だったんですよ。PALETTE やOUCHIのように、すでに明確なコンセプトがあったわけではないので、まずは思いつくものを提案していく形からスタートさせました。っていうと聞こえがいいですが、商品化をするためのアイデアが浮かばなくて。

    相当悩まれたんですね。

    めちゃくちゃ悩みました。いくつかアイデアが閃いても、少し時間が経つと「絶対無理だ」って思えてきたり(苦笑)。作業療法士とは全く違う目線で物事を見たりアンテナを張ったりする毎日が来るなんて、想像もしていませんでした。最初は、悩んでいることをどうやって伝えればいいのかもわかりませんでした。数ヵ月前までは作業療法士だった僕はどこに行ったのかな…ってぐらい、全然違う世界ですね。こんなに生みの苦しみがあるとは知りませんでした。

  • 次回:試行錯誤の商品開発。苦心の末に決まった商品、そこに込めた願いとは!

    後編を読む

    profile

    ココロネ淡路 施設長 平田 哲也(ひらた てつや)

    【出身】北海道網走市
    【趣味】家族とキャンプに出かける
    【好きな食べ物】麺類(ラーメンは徳島ラーメン派)

    施設情報

    ココロネ淡路

    兵庫県淡路市小倉153

    障害がある方のためにできた、就労のための練習と就労の場を提供する支援施設です。仕事や就労練習を通して、障害がある方が自立した日常生活や社会生活を営むことができるようにサポートします。