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ひとプロジェクト【第36回・前編】平成横浜病院 事務長/日高 正明さん

    • 良い病院にしたい、でもできなかった…
      事務長職としての挫折がリスタートのきっかけを生んだ

    • 今回は、平成横浜病院で事務長を務める日高正明さんです。ケーキ屋の息子として育った日高さん。最初の就職先である病院では、旅館や農業など、なかなか経験できないさまざまな仕事をされました。しかし、その後体験した事務長としての大きな挫折が、当グループへの転身のきっかけとなったそうです。当時の奮闘ぶりやバラエティ豊かな仕事のエピソード、「開墾」「デコポン」など気になるワードが飛び出す前編、ぜひご覧ください!

  • ケーキが好きじゃないケーキ屋の息子

    では出身から教えてください。

    出身はあまりピンとこないです。引越しが多くて、幼稚園も小学校も3回くらいずつ変わっていて。

    頻繁に引っ越されているんですね。差し支えなければ、どんな都合だったのでしょうか。

    親が職人としてケーキ屋に勤めていて、その関係で異動が多かったんです。小学5年生くらいの時に群馬県の前橋市に自分のお店を持ったので、そこからは前橋に住んでいました。

    ケーキ屋さんは今も前橋にありますか。

    今もあって、もう30年は続いていますね。今でも年に1回、クリスマス時期には帰って手伝いをしていますよ。

    ちなみに職人になってお店を継ぐということはなかったのですね。

    全然なかったです。まず、甘いものが得意じゃなくて、ケーキもあまり食べないんです(笑)。

    家業なのに、意外ですね(笑)!

    それと手先が器用じゃないですし、ケーキに興味が薄いから商品開発もできませんし。

    ご両親から、お店を継いでほしいと言われたこともなかったですか。

    本心はどうかわからないですけど、両親は自営業の大変さを知っているので、同じ想いをしてほしくないという配慮から、そういうことも言われてこなかったのだと思います。

    当時からお店の手伝い自体はされていたのですか。

    一通りは手伝ってましたよ。学校が終わった後とか部活が終わってからとか。基本的にお店の仕事が終わってから家族そろって食事という感じでした。

    なるほど、食事は必ずお店の仕事を終えてからだったのですね。そういう生活が当たり前だったと言いますか。

    家が自営業の人って、そうじゃない人と感覚が違うと思うんですよ。仕事場も家も一緒なので、そこに差がないというか。育ちながらずっと仕事も見てるので、仕事とプライベートがそんなに分かれてないんです。それが良いとか悪いとかではなく、そういうものだと思っていましたね。

    田舎から都会に憧れる学生時代…

    ちなみに部活動はどんなことをやられていましたか。

    中学時代はバスケットボール、高校時代はハンドボールをやっていました。

    けっこうしっかり打ち込んだ方でしたか。

    そうですね。ハンドボールは県3位でしたよ。

    おお〜っ。

    ただ、全部で12チームしかなかったので(笑)。でも県優秀選手にもなりましたよ。

    おおすごい!

    全体が少ないから、1年からベンチ入りさえしていれば、誰でも入れるんですよ。そもそも部員も少なかったですし(笑)。

    (笑)。高校卒業後はどうされましたか。

    大学に入学して、神奈川に引っ越しました。

    では一人暮らしも始められて。大学生活はどんな感じで過ごされたのでしょう。

    完全におのぼりさんでしたね。せっかく都会に出てきたし、遊びたいが先行していたわけですよ。

    大学生らしい自由な感じですね。どんなことをしていたのですか。

    バイトもしていましたし、あとはパチンコとか。

    なるほど、ほどほどにギャンブルも嗜まれて。

    ほどほどに…ですね(笑)。

    え〜、この話はこのくらいにしておきましょう(笑)。

    デコポンを作り、旅館のフロントもやった
    なんでもありの総務職

    大学卒業後はどのように進まれましたか。

    当時は就職氷河期ですから、そもそも採用が少なくて、卒業時は内定がない状態でした。なので一旦、実家でも手伝おうかなと思って。ただ、2年くらいはそんな感じで生活していたんですが、このままじゃ良くないと。そこで、ある病院に経理として就職しました。

    病院を就職先として選んだのはどんな理由がありましたか。

    当時は不景気で会社がたくさん潰れて、企業に対する信頼感がなかったので「病院なら国に守られているから、それなりの規模のところは潰れないだろう」って、わかってないのでそう考えたんです。

    安定を求めた結果だったと。実際入職されてみてどうでしたか。

    いろいろ学ぶことがありましたね。まずはデコポンの作り方を教わって。

    えっ、柑橘類の?

    病院にはオーナーがいたんですけど、病院のほかにも法人を持っていて、不動産やエステやロッジ、飲食店と、手広く事業を展開していて。

    数ある事業のうちの1つが病院だったのですね。

    500床以上ある病院だったので、それなりの大きさがあるところなら安心かなと思って。で、入ってみたら、入職時研修という名の農作業があったんですよ。地方に農地を持っていて、そこで新人が作業をするんですけど、山の高いところからオーナーが見守っているんですよ。

    なるほど…そこでデコポンの作り方を学んだと(笑)。

    そうこうしているうちに旅館事業が始まって、なぜかそれも担当することになって、仲居さんから「旅館業とは」を教わりながら、フロント業務もやりましたよ(笑)。

    予想だにしない仕事ですね(笑)。それは病院の仕事もやりながら?

    そうですね、病院のことをやりながら、月に何回かは旅館に行ってという感じでした。

    全く違う仕事も振られて、大変ではなかったですか。

    それはそれで面白かったですよ。カリスマ性のあるオーナーで、怖い存在ではあったけど、僕からしたら人間味があって魅力ある人でした。だから農作業にしても「今度これを植えよう」って嬉しそうに話されたら、もうやるしかないなと。その人がそうしてほしいって言ってるなら、やってあげようって。

    そこで働くうちに、立場も上がっていかれたんですか。

    そうですね。いろんな事業が増えるたび、なんだかんだ全部に関わっていて。市場への買い付けとか、フードコートの店舗管理とか。病院の仕事もしながら、やらないことはない、っていうくらいいろいろやりました。畑を作るために開墾もしましたから。オーナーから「あの山を開墾してこい」って言われて(笑)。

    人生でなかなか言われる機会がないセリフですね(笑)。それだけたくさんの仕事を抱えて混乱しませんでしたか。

    何かわからないことがあるたび、いろいろな部署に行って、わからないことを教えてもらっていましたからね。これを経験したからか、今も仕事が多くなっても、混乱することはあまりないと思います。

    いよいよ病院業務に本腰
    しかしそこで味わった挫折

    そこでは事務長職もやられたのですか。

    そうですね、いろいろあっていつの間にか事務長になっていました。

    オーナーの方は「こういう医療がやりたい!」という方針はありましたか。

    医師ではなかったですし、方針は現場に任されていましたね。なので、そんなに力を入れていたという感じもなかったです。で、そのうちにオーナーが代替わりしたことをきっかけに、病院のあり方を見直さないといけないなと強く感じるようになっていきました。

    病院を本業として本腰をもっと入れていくと。

    ただ、そこで変革したいなと思って働きかけたんですけど、僕と幹部たちのなかであまり考えが合わなくて…。僕としては、時代が変わっていくなかで、ずっと同じやり方ではやっていけないと考えたんですけど、なかなか提案も受け入れてもらえず…。

    変革したい気持ちがあったけれど、全体には波及させられずに。

    それと「良い病院」っていうのが漠然としていました。そこで、日本慢性期医療協会(日慢協)に入ったんです。このグループの武久代表が協会の理事長を務めていて、病院にとっては耳の痛いことをストレートに言うわけですよ。でも、それを聞いた時「その通りだな」って。

    そこで聞いた話を現場に生かそうと。

    でも、結局どうしてもうまくいきませんでした。僕も当時はその病院しか知らないので、事務長が自分だからうまくいかないんじゃないかって、最終的には思ったんですよ。少なくとも「変えられない」と思ってしまった人が事務長なのは良くないし、あらためて一から病院について学ぼうと思って、10年くらい働いた頃、病院を離れることにしました。

    釣りをして一休み
    新たな場所で医療を一から学ぶ

    辞めた後はどうされたのですか。

    釣りに行きましたね。

    え、釣り?

    釣りをしてみたかったんですよ。でもなかなか時間がなかったので。

    せっかく時間ができたからと。釣れましたか?

    道具も色々買ってみて、海に行ってみたんですけど、全然釣れませんでした(笑)。ちょうど時期が冬で寒かったですしね。

    時期が悪かったですね(笑)。そこから転職活動をされて。また医療系で探されたのですか。

    その頃にちょうどこのグループの事務長候補の求人が出てました。実際に、日慢協で話を聞いて共感したところがあったので、応募してみよう、と思ったんです。

    事務長経験をこのグループで生かそうと思われて。

    でも、別に事務長が絶対やりたかったというわけではなかったです。やっぱり「自分は事務長として、変えていけなかった」という意識がありましたから。前職でいろいろなことをやらせてもらいましたけど、次は医療に専念しているグループで、病院のことをちゃんと勉強したいと思いました。

    悔いのような気持ちが自分のなかに残っていたのですね。

    変えたい気持ちがあったのに変えられなかったので「どうしたら病院が良くなるんだろう」ということはずっと考えていましたね。

  • 次回:家業のケーキ屋での経験を生かした仕事術。患者さん、スタッフ、最大多数の幸せを求めた病院経営とは!

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    profile

    平成横浜病院 事務長 日高 正明(ひだか まさあき)

    【出身】群馬県前橋市
    【趣味】作ったことのない料理を作る(今は)
    【好きな食べ物】蕎麦(ザル)

    病院情報

    医療法人横浜 平成会 平成横浜病院

    神奈川県横浜市戸塚区戸塚町550番地

    内科・神経内科・呼吸器内科・消化器内科・循環器内科・外科・泌尿器科・皮膚科・整形外科・リウマチ科・リハビリテーション科・眼科・歯科・歯科口腔外科・麻酔科・脳神経外科

    地域に根ざした病院として、一般病棟、地域包括病棟を備え、回復期リハビリテーション病棟を新設しました。さらに救急告示病院として24時間365日、患者さんの受け入れを行っています。2018年6月には、総合健診センターがリニューアル。地域の健康を支えていけるよう努めています。