お知らせ ひとプロジェクト

ひとプロジェクト【第34回・前編】HMW Rehabilitation Clinic / 隠田 良祐さん・伊藤 瞬さん

    • 日本からインドネシアへ、グループのリハビリテーションを伝えに
      穏やかな理学療法士コンビの熱い想いをお聞きします!

    • インドネシア南ジャカルタ市に当グループが開設するHMW Rehabilitation Clinicに関わるスタッフインタビュー。第3弾は、現地リハビリスタッフの指導役としてこれから赴任する理学療法士(PT)、隠田 良祐さん、伊藤 瞬さんです。隠田さんは大阪府の平成記念病院、伊藤さんは東京都の世田谷記念病院でPTとして働いていますが、このクリニックのオープンに伴い、指導役として期間限定でインドネシアに渡ることとなりました。前編ではそんなお2人の経歴を中心にお聞きしています!
      インタビューは開設前の式典時にインドネシアで実施。落ち着いた話ぶりのお2人ですが、仕事へのひたむきさが伝わるインタビューでした。ぜひご覧ください!

  • インドネシア行きが決まって
    初めて会った2人

    今回、現地PTスタッフの指導役として、インドネシアに半年間赴任することになったわけですが、お2人はそもそも知り合いでしたか。

    伊藤

    いえ、このタイミングで初めて会いました。

    お互い東京と大阪で職場も離れてますしね。

    隠田

    以前は一緒に研修する機会もあったんですけど、今は規模が大きくなったので、関東・関西で分かれて開催しています。

    では、いざ決まってから初めましてだったんですか。

    隠田

    テレビ会議で初めて会いました(笑)。

    インドネシアに行ったことはありましたか。

    伊藤

    10年くらい前、バリ島に観光で行ったことがありました。

    隠田

    僕も5、6年前、同じくバリ島行ったことがあります。

    ではインドネシアの場所とか、だいたいどんなところかというのはイメージもあって。

    隠田

    そうですね、全く知らない国ということではなかったです。

    お2人のご出身はどちらですか。

    隠田

    僕は兵庫県の三田市っていうところです。

    伊藤

    千葉県の館山市の出身です。

    それぞれどんなところでしょうか。

    隠田

    住みやすいところだと思います。神戸にも大阪にも40分ちょっとくらいで行けるのでベッドタウンとして発展していて。今も住んでいます。

    館山は海があって、観光地というイメージが強いです。

    伊藤

    海は家から割と近かったですよ。でも地元の自分からすると、何もないところだなって(笑)。

    そういうものなのでしょうか(笑)。

    伊藤

    もちろん観光は力を入れていますよ。最近だと、都内に住む方が別荘を建てています。

    小学生から始めたラグビーで
    最近も骨折…

    小さい時はどんなお子さんでしたか。

    隠田

    運動が好きでよくしていましたね。バスケットボールやラグビーは小学生の頃から。ラグビーは今もやっています。

    ラグビーはW杯もありますしタイムリーですね! 小学生でラグビーを始めるというのも早い感じがします。

    隠田

    ラグビースクールっていう、学校の部活とは違う、地域のクラブチームみたいなものに入っていました。

    そもそもどうして始めようと思ったのですか。

    隠田

    もともと全然知識もなくて、先にラグビーをやっている友だちから誘われたんです。「ラグビーは足だけじゃなくて手も使えるからいいよ」って言われた記憶があります。

    その誘い文句だったんですね(笑)。いつまでやっていたんですか。

    隠田

    小中学校ではバスケと並行して、そのラグビーチームに所属してました。高校生の頃は学校のラグビー部に入って。社会人になってからもOBチームを作って、ちょっとした公式戦みたいな試合に今も出ています。

    活発ですね! 激しいスポーツですけど、けがをされた経験はありませんか。

    隠田

    中学1年生の時に、腕を踏まれて折れたことはありますね。

    それは辛い…。

    隠田

    粉砕骨折みたいな感じで、完治まで長かったですね。その時期は体育の成績が1になりました(笑)。

    伊藤

    それはもうしょうがないですよね(笑)。

    隠田

    あとは鼻も折りました、2年前に。

    最近も折っているんですね(笑)。

    秘密基地を大量に作った少年時代

    伊藤さんは小さい頃どんなお子さんでしたか。

    伊藤

    僕も外で体は動かしていましたけど、サッカーや野球ではなくて、主に自然の中で遊んでいました(笑)。

    館山の大自然ですね。

    伊藤

    海に行ったり川で泳いだり、野性味のある遊びが多かったですね。

    隠田

    三田市も自然が多いんで、同じような感じでしたよ。秘密基地とか作りました。

    伊藤

    僕もやりました! 秘密基地を50くらい作りましたもん。

    それだけ作ると秘密にならなそうですね(笑)。自然豊富なところで遊び育ったと。

    伊藤

    ただ、外で遊んではいたんですけど、スポーツはほとんどできないっていうか、今も苦手です。

    運動部で部活に打ち込んだようなこともなかったですか。

    伊藤

    でも高校では興味があって弓道部に入って、良い成績を残せたわけではないんですけど、けっこう楽しかったです。

    どういう興味があって入られたんですか。

    伊藤

    弓道は純粋なスポーツとも少し違いますし、漠然と、かっこいいなってとりあえず思っていましたね。それと、集中力もつきそうだなって。結果、全くつきませんでしたけど(笑)。

    体を痛めた経験が
    PTになるきっかけを生んだ

    お2人がリハビリの仕事を志した経緯を教えてください。

    隠田

    僕は高校の時にもけがをして、リハビリはしてないんですけど、柔道整復師さんに治療してもらっていたんです。そこで初めて施術をする仕事に興味が出て、いろいろ調べたうえで、PTを目指そうと思いました。

    PTという職業もそこで初めて知ったのですか。

    隠田

    そうですね。柔道整復師はPTと違って開業ができるというのが特長なんですが、どちらかというと病院とか施設とか、いろいろなところで働けるというところでPTに魅力を感じましたね。

    伊藤さんはどんな経緯でしたか。

    伊藤

    自分は大学を卒業してから、スポーツインストラクターとして働いていました。でも仕事で腰を痛めてしまって、このままインストラクターを続けるのが難しいなと思っていた時に、会社の先輩が「PTになる」って言って退社したのを見て、その先輩が進んだのと同じ専門学校に翌年入りました。

    同じ職場にもPTを志した方がいたんですね。その頃は地元で仕事をされていたのですか。

    伊藤

    いえ、実は高校を卒業してから、新潟の大学に入って、そちらで就職していたんです。リハビリの専門学校も新潟でしたし、計9年間ほど住んでいました。

    ちなみに大学ではどんな勉強をされていたのですか。

    伊藤

    化学を学んでいました。有機化学が専門で、シンナーとか有機溶剤とかの研究室にいたんですよ。今となっては全然思い出せないんですが(笑)。

    そういうものですよね(笑)。バリバリの理系だった伊藤さんが、インストラクターになったのはなぜですか。

    伊藤

    特別やりたいことも決まらないまま就職活動をしていたんですが、東京に説明会を受けに行ったついでに、何かほかの説明会も入れようと思ったら、たまたまスポーツクラブの就職説明会があって。話を聞きに言ったらとても楽しそうだったんです。新潟にも支店があるしちょうど良いなって。

    それは、もともと体動かすのが好きということで。

    伊藤

    それはあります。深く考えずに就職したんですが、結果的に良い職場だったのでラッキーでした。

    学生時代の実習で
    グループと出会った

    ちなみに作業療法士(OT)や言語聴覚士(ST)は選択肢になかったのですか。

    隠田

    高校生の頃は、理学療法以外の仕事内容があまり理解できていなくて。実際に働き出してからOTの仕事を理解して、「これは好きな分野だったな」と思いました(笑)。

    後々気がついたと(笑)。専門学校の生活はどうでしたか。

    隠田

    3年制だからか、やることも多くて慌ただしかったですね。

    実習は何年目で行くものなのですか。

    伊藤

    学校によって違いますね。1年目から見学に行くところもあれば、2年生から始まるところもあります。国家試験が最終学年にあるので、そこに差し支えないように組まれていることが多いと思います。

    実習で印象に残っていることはありますか。

    隠田

    どこも楽しいものでしたね。実はグループの東浦平成病院に長期実習で行ったんです。

    学生の頃に既にグループの病院と出会っていたんですね。

    隠田

    すごく濃い実習ではありましたよ。だから就職をこのグループに決めた、というわけではなかったですけど(笑)。

    そこは違うんですね(笑)。平成記念病院はどうやって選んだのですか。

    隠田

    ちょうど平成記念病院がオープンするタイミングで、回復期にもどんどん取り組んでいくということを聞いて、それが面白そうだと思って受けました。東浦平成病院と同じグループだと知ったのは、病院見学に行った時でしたね。

    偶然だったのですね! ちなみに東浦平成病院での実習で会ったスタッフと、その後会うことはありましたか。

    隠田

    このインタビューにも以前出られた平田さん(※)が、当時リハビリスタッフとして東浦平成病院にいたんですよ。で、いざ平成記念病院に入職してみたら、立ち上げのスタッフとして平田さんが働いていました。
    ※ひとプロジェクト 西宮回生病院 事務長 平田 洋一さん

    今は事務長をやられていますが、当時はPTとして働いていたのですね。隠田さんのことを覚えていましたか。

    隠田

    覚えていてくれましたね〜。

    インストラクター時代からの
    先輩の誘いが就職のきっかけ

    伊藤さんは実習で印象に残ったところはありましたか。

    伊藤

    3年生の最後の実習で行った整形外科のクリニックですね。ちょうどこのクリニックみたいなところで。

    どういったところが印象的でしたか。

    伊藤

    学校で勉強したリハビリとはまた違ったというか、「こんなことをやるんだ」と思わされました。病院だと、ある程度の期間入院されて、まとまった時間をリハビリに使うと思うんですけど、そこでは30分や1時間といった、限られた時間のなかで結果を出すという考え方で、とても刺激を受けました。

    そこで働きたい、とは思わなかったんですか。

    伊藤

    そういう気持ちもありましたし、お誘いももらいました。でも場所や条件などの問題があって、辞退させてもらったんです。

    世田谷記念病院にはどのようにたどり着いたのですか。

    伊藤

    僕にリハビリの専門学校を紹介してくれた先輩が、当時開院したばかりの世田谷記念病院に就職していて、声をかけてくれました。新潟ではなく関東で就職しようと思っていたので、タイミングが良かったんです。

    インストラクター時代から一緒に働いていた方ですか! 随分長く一緒なんですね。

    伊藤

    そうですね。ただその先輩は割とすぐ離れてしまったんですが、もう1人、同じ専門学校の先輩も世田谷記念病院に入職していて、そちらはつい最近まで一緒に働いていましたよ。尊敬する先輩たちです。

    では東京の病院をたくさん調べて決めたというよりは、その先輩からのお誘いで。

    伊藤

    当時は新潟にいると東京の就職情報がなかなかわからなかったので、そういった誘いも貴重でした。学校にも求人案内が来ていたんですけど、多くはなくて。ただ、そのなかで条件や仕事内容を見て、いいなと思ったのが、世田谷記念病院、多摩川病院、緑成会病院の3つだったんです。

    あれ、 3つとも当グループの病院だったのですか。

    伊藤

    その時はグループのことも知らなかったので、本当に偶然ですね。あとで知って驚きました(笑)。

    それだけ求人に力を入れていたということだったのかもしれないですね。

    隠田

    僕がいた奈良県の専門学校でも、似たようなことがありました(笑)。

    わっ、関西でもあったのですね(笑)。

    新人として奮闘!
    その時感じたこととは

    お2人とも実際入職してみていかがでしたか。状況は違いますが、どちらもスタートしたての病院でしたよね。

    伊藤

    僕は開院2年目の年に入ったので多少落ち着いていましたけど、1年目はまだ患者さんも少なかったうえに、経験年数の長いリハビリスタッフもあまりいず、大変だったと聞きました。

    隠田

    平成記念病院もやっぱり1年目は同じく患者さんがそんなにいなかったです。でもその分、ゆっくり患者さんの対応ができたのは良かったですね。ただ、医療療養病棟で対応が難しい患者さんもいて、初めは落ち込むこともありましたね。

    入ってすぐだとなかなか大変なものがありますね。心が折れたということはなかったですか。

    隠田

    そうはならなかったですね。「こういうこともあるんだな」っていう認識をしました。

    徐々に慣れてもいかれて。

    隠田

    すぐに、隣接する豊中平成病院に移ったんですが、その時はリハビリスタッフが今より少なかったので、回復期リハビリテーション病棟と医療療養病棟を同時に担当していて、どっちも勉強になりました。回復期の患者さんはゆっくりとみられますし、療養は療養で、いろいろとゴールを決めながら進めていけるという。どちらもできていたのは、後から考えたら「良かったなあ」って思いました。

    伊藤さんは入職してみて印象に残っていることはありますか。

    伊藤

    PTとして初めての就職先だったので「これが病院の現場なんだな」って思いました。あとは、できたばかりだったので雰囲気も少し今と違いましたね。

    開院直後の病院で働くというのもまた特別な経験ですよね。リハビリテーション部の雰囲気はどんなものでしたか。

    伊藤

    開院の年にスタッフをたくさん採用していたので、その分、2年目は採用がほとんどなくて、先輩がとても多かったです。厳しくはありつつもよく面倒を見てくれましたね。でも、そこで先輩たちに甘えようと思えば甘えられたんですけど…。

    甘えなかったと。

    伊藤

    みなさんとても優しくしてくれたんですが、甘えすぎるのは良くないと思って。僕は大学を卒業して、社会人経験もしてからの入職だったので「ひとつ上の目線で仕事しよう」と思ったんです。

    隠田

    すごい!

    伊藤

    そうしないと自分がどんどんダメになっていってしまいそうだなと。

  • 次回:インドネシアの患者さんのために! 新たなフィールドに挑戦する2人!

    後編は2019/10/25公開予定

    profile

    平成記念病院・HMW Rehabilitation Clinic(PT指導役)
    隠田 良祐(かくれだ りょうすけ)

    【出身】兵庫県三田市
    【職種】理学療法士
    【趣味】ラグビー、ゴルフ、ダイビング
    【好きな食べ物】グミ、アイス(クリーム系)

    世田谷記念病院・HMW Rehabilitation Clinic(PT指導役)
    伊藤 瞬(いとう しゅん)

    【出身】千葉県館山市
    【職種】理学療法士
    【趣味】ジム通い
    【好きな食べ物】パクチー以外の全て(5年かけて克服中)

    病院情報

    HMW Rehabilitation Clinic

    JL. Daksa 4 No. 69 Selong, Senopati, Kebayoran Baru,Jakarta Selatan 1220

    当グループが培ったリハビリテーションなどの技術を普及するため、インドネシアの南ジャカルタ市に開設するクリニックです。当グループで学んだインドネシア人のスタッフや、指導者として日本人スタッフも常駐し、日本式のリハビリテーションを提供します。日本のリハビリテーションロボットも導入を予定しています。