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ひとプロジェクト【第29回・前編】山口平成病院/看護部長 山本 さゆりさん

    • 優しかった看護師さんに憧れて
      山口県で長く医療を見守る看護部長に聞きます!

    • 今回は、このコーナー初となる、山口県のグループ病院スタッフのインタビューです。山口平成病院の看護部長、山本さゆりさんは、もともと沖縄のご出身。関東での生活を経て、山口県岩国市にある山口平成病院にたどり着きました。前編では、山本さんの看護師経歴を中心に、看護師を目指したきっかけや、今では珍しい、住み込みでの学生時代のこと、山口で仕事を始めて感じた葛藤などについてお話しされています。ぜひご覧ください!

  • 沖縄で過ごした
    元気で真面目な学生時代

    ご出身はどちらですか。

    沖縄県の沖縄市です。

    地元は沖縄なんですね! どんなところでしたか。

    沖縄市の中心のコザと呼ばれるところでした。基地が多い場所なのでアメリカの方も多くて、街並みもアメリカっぽさがありましたね。山口平成病院がある岩国市にも米軍基地がありますけど、その近くにも雰囲気が似たお店が多いですね。

    最近も沖縄に帰ってますか。

    年に4、5回は帰っていますよ。岩国錦帯橋空港ができたので、頻繁に帰るようになりました。今までは福岡を経由して帰らないといけなかったんですが、沖縄直航便ができて便利になりましたね。

    沖縄での学生時代はどんな風に過ごしていましたか。何か部活動などは。

    陸上部に入っていて、100mハードルの選手でした。

    障害走だったのですね。速かったですか?

    ん〜、どうだったんでしょうか。高校生の時は校内で記録賞をもらいましたけど、県大会に出ようとしたら先生が申し込みを忘れて出られなかったんですよ(笑)。

    そんなことあるんですね(笑)。真面目な生徒でしたか。

    そうだったと思いますね。当時そんなに遊ぶところもなかったですし。部活がない時は、ハンバーガーショップで友だちと延々お喋りして楽しんでたくらいで。

    高校生っぽくて良いですね〜。特に周りが荒れていることもなく。

    進学校だったこともあってか、みんな受験に向けて勉強していましたね。

    沖縄にはいつまでいらっしゃったんですか。

    高校を卒業するまです。その後は横浜にある看護学校に進みました。

    今では珍しい?
    住み込みで働きながらの看護学生時代

    そもそも看護師になろうというのはいつから思っていたんですか。

    小学生の頃から「看護師さんっていいなあ」って思っていたんです。当時は脱臼グセがあって、鉄棒にちょっとぶら下がっただけで外れてしまうほどで、頻繁に病院に通っていました。

    そこで看護師さんと触れ合う機会があって。

    病院で接する看護師さんがみなさん優しくて、気がつけば憧れるようになっていたんです。

    地元の沖縄ではなく横浜の看護学校を選んだのはどうしてですか。

    当時は沖縄を離れて、都会に出たいという気持ちがありました。やっぱりもっと違うところに出たかったんです。今なら逆に沖縄に帰りたいですけどね(笑)。あらためて、私にとっては住みやすいなあと思うこともあって。

    実際、学校生活はいかがでしたか。

    楽しかったですよ。年齢層も幅広くて、いろんな方がいて刺激を受けました。実は今でも会ってるんですよ。毎年1回、横浜でクラス会をしています。

    まだつながりがあるのはすごいですね!

    そうなんですよ。ちなみに当時、今では珍しいと思うんですが、医師の方の家に住み込んでいたんです。

    え、ご自宅にですか!?

    クリニックをやられながら、東京女子医大で週1回診察もされているっていう女性の先生のお家で。クリニックの上の階に学生用の部屋とお風呂やトイレもあって、そこに何人か学生が住んでいたんです。食事はお手伝いさんが作ってくれて、先生たちと一緒に食べていました。

    生活を完全に共にされるんですね。

    ほかにも何人か一緒に住んでいたんですが、みんなそこから学校に通って、さらに先生が経営するクリニックでも働いてっていう生活でしたね。

    なるほど、最近だとあまり聞かないお話なので、新鮮に響きますね。

    もう30年以上前の話ですから(笑)。今はもうないかもしれないですね。働く代わりに学費もほとんど出してもらえましたし、働いた分もお小遣いっていう形でお金が支払われて。食事も3食出ますし、仕事が終われば自分の時間もありました。准看の資格を取ってからは、正看護師の学校へは自費で通うことになるんですが、その分時給が支払われるようなります。

    また待遇が変わるんですね。そういったことは、人材の確保が目的でやられていたことですか。

    そういうことになりますね。卒業したら、そのクリニックで働くっていうことになっていましたから。

    遅くても帰れない…
    厳しかった当時の実習

    ちなみに、看護実習って当時と今とで違いはありましたか。

    辛かったですね〜あの頃は。今より厳しかったかもしれないです。1週間が本当に酷でしたね。よくやったなと思いました。金曜日が終わると、よく帰りに同級生のみんなで横浜のルミネで打ち上げをしてました。

    かわいい打ち上げですね(笑)。

    「来週もがんばろう!」って励まし合ってね。やっぱり泣いてしまう子もいましたし。

    教え方は当時厳しかったですか。

    今と比較すると厳しかったかもしれないですね。例えば産科とかオペの実習は、出産が始まるとか、オペが始まるとなると、ずっといないといけない。それが夜中2時になったとしても終わるまでは帰れないんです。

    それは実際に手伝うんですか。

    いえ、見学です。深夜に「残るか帰るか、自分の気持ちで決めてください、どうされますか?」って聞かれて。そんなの断りづらいじゃないですか。「残って勉強させていただきます」って言うしかなかったですね(笑)。

    見学でその時間まで残すっていうことは、今ではなさそうですね。

    いくら遅く帰っても、次の日はまた朝から出なきゃいけない。あれはね、辛かったです。今はそういうことはないと思いますよ。

    実習で指導を受ける時も圧は強めでしたか。

    キツかったし怖かったですよ。何か言われるたび、ビクッてなりましたから。

    それを経てから、ご自身が教える立場になったらどうなるんですか。

    そりゃもう、怖くするのは嫌だなと思いましたよ。

    住み込みしていた横浜のクリニックでは、しばらく働かれたんですか。

    4年ほど働きました。そこからは、横浜市内の別の救急病院で働いていましたね。

    クリニックから救急病院だと、だいぶ雰囲気が変わりますね。

    大変ではありましたけど、学校の先輩や同級生もいたので働きやすかったです。

    そこからまた色々移られたんですか。

    いえ、その時点で結婚をしまして、主人の実家である山口に移ることになったんです。今は合併して岩国市になったんですが、当時はまだ玖珂町という名前で、私も退職して一緒に引っ越すと言うことになりました。

    生活、仕事
    山口に移って感じたあれこれ

    引っ越してみて、この地域の印象はどうでしたか。

    もう長年ここに住んだ身だから言えますが、最初に思ったのが「田舎だな〜」と(笑)。電車で出かけようとして時刻表を見ても、書いてある情報が少なすぎて、駅員さんに「ほかの電車はどこに書いてありますか?」って聞きましたよ。

    電車の数が少なくて空白が多いから、ほかにも運行があると思われて。

    思ったより電車の数が少なかったです。車両もボタンを押してドアが開くっていうことが最初はわからなくて「どうやって降りるんだろう」って思って。横浜にいたときは3分に1本くらい電車が来ていたのでギャップがありましたね。最初の頃は車の免許を持っていなかったので、50CCのバイクと電車でどうにか通っていました。

    のどかなところですからね。そこから徐々に馴染んでいかれて。

    最初は友だちもいませんでしたし寂しかったですよ。でも仕事をするようになってから、同僚とも出かけるようにもなって、それからどんどん楽しくなっていきましたね。

    岩国に移って、最初はどんな病院に務められましたか。

    もう初めからこの病院でした。ただ、その頃はまだこのグループには入る前で、病院名も玖珂同仁病院という名前でした。

    こちらに長くお勤めなんですね。入った頃はいかがでしたか。

    とにかく慣れるので精一杯でしたね。私が入った頃は准看護師がほとんどで、正看護師は少なかったんですが、主任さんはベテランの方で、だいぶ言われましたね。

    どういうことですか。

    「あんた正看護師なんだから、1人で点滴全部回ってこい!」なんて言われました。今そんな風に言ったら問題になりそうですけど、それを普通に言われたので、最初は「ああすごいところに入っちゃったなあ」って思っていました(笑)。

    雰囲気が変わった
    グループへ移行した頃のお話

    そのうちに経営がこのグループに変わったわけですか。

    そこから何年かして、平成医療福祉グループの代表がコンサルタントとして関わるようになり、さらにその後、完全にグループに移行して、病院名も山口平成病院に変わりましたね。建物もその時に新しくなって。

    病院としてどういったところが変わりましたか。

    今、グループホームが隣接しているあたりも当時は病室だったんですよ。言い方は悪いですけど、収容所みたいな雰囲気があって…。それが本当に病院らしい形に部屋が変わったので、きれいになって良かったと思います。

    ほかにどういったところが良かったですか。

    研修に関しても意欲的でしたね。学びの面でもプラスが大きいのはとても良いことだなと思いました。

    プラスとなるところが多かったと。

    建物から変えて、スタッフについても新卒の方を採用しようとか、病院として若返りをしようという変化もありました。

    その頃は新卒採用がなかったんですね。

    今と採用の仕方が違いましたね。スタッフの雰囲気もだいぶ変わりましたよ。言葉遣いとか態度にも問題があるスタッフさんもいましたので…。

    接遇での問題を感じていたと。このグループに変わって、徐々に人も変わっていくうちに、現場にも変化がありましたか。

    変わりましたね。もちろん、考え方の違いで離れた方もいましたが、私は前向きでしたし、意地でも残ろうと思いましたね。

    病院の機能も変わっていって。

    以前よりリハビリに力を入れるようになって、新しくリハビリ棟も作られました。それがあるから来ていただけるという患者さんが増えていきましたね。

    リハビリテーションに力を入れているというのはやはり強みなんですね。

    それと、病院に付随して施設が作られましたので、入院患者さんに動きがあるんです。その点は職員も刺激になっていると思います。

  • 次回:まさかの人事で事務長に!? 山本さんの意外な経歴に迫ります。

    後編は2019/08/16公開予定

    profile

    山本 さゆり(やまもと さゆり)

    【出身】沖縄県沖縄市
    【職種】看護師
    【好きな食べ物】マンゴー
    【よく作る沖縄料理】ゴーヤチャンプルー、麩チャンプルー

     

    病院情報

    医療法人 山口平成会 山口平成病院

    山口県岩国市玖珂町11340番

    内科・消化器内科・呼吸器内科・循環器内科・リウマチ科、リハビリテーション科

    1986年12月に開設した入院医療を中心とした病院です。山口県最東部の地域医療を中核的に担う病院として、広々とした病室の中で、個人にあった治療とリハビリテーションを提供しています。また、周辺にさまざまな介護関連施設を併設することにより、退院後の入所、在宅復帰後もご利用いただけるサービスを整え、総合的に患者さん・利用者さんを支援しています。