お知らせ ひとプロジェクト

ひとプロジェクト【第27回・後編】平成横浜病院/看護部長 古谷 茂美さん

    • 「古谷さんが変わらないと病院が変わらない」
      より良い病院となるため、踏み出した一歩とは!

    • 後編は、古谷さんが見てきた病院の変遷、平成横浜病院としてスタートを切ってからのことをお聞きしています。現在は以前と比べて「より病院らしくなった」と話す古谷さん。そこに至るまでにはいろいろな変化があったそうです。古谷さん自身が衝撃を受け、考え方がガラッと変わったという言葉や、そこから訪れた病院の変化とは。また現在のお仕事のことや、プライベートについてもお聞きしています。
      ぜひご覧ください!

  • 積極的な受け入れで
    より病院らしい姿に

    古谷さんは、このグループに経営が変わる際、どのように考えていたんでしょうか。

    私は当時外来の師長を担当していまして、その話が来た時に、自分の目で見てから残るかを決めたいなと思ったので、お願いしてグループの世田谷記念病院を見学に行かせてもらいました。そこで、病院の雰囲気とか取り組みがとてもいいなと思えたんです。それを決め手にして、このまま残ることにしたんです。

    そこで見た印象が良かったんですね。

    もちろん考え方の違いで離れたスタッフもいたので、残ったメンバーで「一緒にがんばっていこう」と。師長さんたちとも毎日のように打ち合わせをして、かなり大変でしたが、それはそれで楽しかったです。今も、「あの頃を乗り越えた私たちってすごいよね」っていう話をします(笑)。わだかまりなく話ができるようになったのはそれがきっかけで、今もその空気が残っていますね。

    前回、再オープンして「より病院らしくなった」とおっしゃっていましたが、それはどういうことですか。

    お話ししたように、前身の病院は企業の福利厚生という一面が強かったので、患者さんの受け入れについては、必ずしも積極的ではなかったと思います。入院患者さんはいましたが、いつも満床ではないので、患者さんが少ない状態で働いて、それに慣れているスタッフも多かったです。

    その状態が普通のようになっていたのですね。

    もともと看護師をしたいと思って働いているのに「これでいいのかな」って、思っていました。でも当時、病院全体では、満床が普通っていう観念が薄かったです。やっぱり病院は満床じゃないといけないですから。今はより積極的な受け入れをしていて、むしろ空床があるとスタッフも焦ってくれます。

    衝撃を受けた一言
    「唯一動く手を縛ってはいけない」

    古谷さんから見て、そのほかに変わったと思う点はありますか。

    実は、変わる過程で私が衝撃を受けた一言というのがありまして。

    どんな言葉でしょうか。

    グループの副代表に言われた言葉なのですが。当時、片麻痺の患者さんが入院されていて、自由がきく片方の手で、どうしてもマーゲンチューブ(※)を抜こうとされるので、身体抑制をしていたんです。

    ※主に経管栄養などのために、鼻から胃に通すチューブ。

    抜くことがないようにということでやられていた。

    その時に「唯一動く手を、なんで縛るんだ」と言われて衝撃を受けたんです。「本当にその通りだ!」と思いました。

    そこで初めて気がつくことがあったのですね。

    その患者さんからしたら、唯一自分で動かせるはずの手です。縛られてしまっては、鼻をかきたくてもかけないし、触りたいところも触れません。それまでは「危険だから仕方ない」って考えて、見過ごしていたんです。でも、自分だってそうされたら嫌だろうなって。

    これまでは当たり前のこととして見過ごされていた部分だったのですね。

    副代表からは「古谷さんが変わらないと、この病院は変わらないんだよ」って言われました。その時にそう言ってもらえて良かったなと思います。

    なかなか重みのある言葉ですね。実際、患者さんが抜いてしまう場合、どうやって対応されるんですか。

    どういう環境であれば外せるのか、を考えるようになりました。外す前にセンサーでキャッチできるようにしたり、見守りの時間を増やしたりといった工夫をし始めました。

    まずはその対策をしてから、っていうことですね。

    何もない内から対策しておくことが大事だなと。「自分の口から食べる」とか「自分でトイレに行く」とか、健康な時であれば普通にできることをできなくなってしまった時、それをまた普通にできるように私たちがサポートしていかないといけない、という考えになりましたね。

    そこからはやり方を変えられて。

    初めは大変なこともありました。でも、事務長をモデルにして身体抑制の体験もやって、それでみんなさすがに衝撃を受けたのか、やり方が浸透していきましたね。転院して来られた患者さんに抑制帯がついていると、スタッフが「なんでこの状態でついてるのかな?」って言うようになったり、「抑制していた時より患者さんの顔つきが明るくなった」っていう報告もあったり、まだ途中ではありますが、段々と良くなってきているなと思いますね。

    辞めなくても大丈夫
    長く働ける道がある

    古谷さんが長く同じところで働き続けられた理由があれば教えてください。

    前身の病院時代から、同僚との仲は良かったというのはあります。それと、福利厚生も充実していて、特に子育てしている間はありがたかったですね。

    今、スタッフさんが育休・産休をとる際にあたって、相談されることはあるんでしょうか。

    むしろ「育休明けに戻ってきて、どう働けるか」という相談が多いですね。常勤で戻って来ても、1年目は保育園からの呼び出しも多いので、それにみなさん悩まされますから。私も同じ悩みを乗り越えてきました。

    一つひとつクリアしていかないと、安心して復帰できないですよね。

    誰しもが平等に働ける期間って、なかなかないと思っています。女性は子どもを産むとなると、必ず一定期間は休むことになるわけです。さらに私たちの世代になると、男女問わず、今度は親の介護が始まることもあります。

    ライフステージごとに、いろいろなことがありますからね。

    そういうタイミングで休んだ分は、自分が働けるようになった時に、次の人に返してくれたらいいと思っています。私もそうしてもらったので、今は私が返す時だなと。「次の人に返せばいいから、今働ける形で働けばいいよ」ってスタッフには伝えています。そうしていかないと、長くは働けませんからね。

    無理なく長く働ける環境はとても大切です。

    ご家庭にもよりますが、長い目で見れば一番大変なのは一時期とも言えるので、そこを乗り越えてもらえたらと思って、「辞めなくても働く道があるよ」と伝えています。

    もちろん女性だけに限らずですよね。

    やっぱり夫婦2人の子どもですから。必ず「2人で育てる」という考えをしっかり持つのが大事ですね。

    積極的に関わっていく
    看護師としてのやりがい

    管理者側になる時、現場から離れることで葛藤するとよく聞きますけど、古谷さんはいかがでしたか。

    やっぱり現場で働くのは楽しいっていうのは、今も思いますね。管理者として当直もするんですが、その時に救急の患者さんや救急車の受け入れがあって、点滴をする瞬間に「あ、私看護師だな」って思うんです(笑)。管理者は、また違ったやりがいがありますね。

    やっぱり現場で活き活きされるんですね(笑)。ちなみに今は具体的にどんな仕事が主になるんですか。

    看護部全体の管理と、病床の運用・管理、看護師の教育が大きなところです。

    外来や総合健診センターもあって、管理も大変かと思います。

    それぞれに師長さんがいるので、現場は師長さんにお任せしながら、問題があるときにこちらにあげてもらって、私が対応するという感じですね。

    じゃあ常に俯瞰で全体を見ながら。大小さまざまな相談がありそうですね。

    そうですね、看護師だけで110人はいますから。

    そんなにいると、なかなか顔とお名前を覚えられなそうですね…。

    それが、看護師と介護士は全部覚えているんですよ!

    失礼しました!

    当直の時に夜勤のスタッフと話す機会もありますし、病棟にも顔を出して、スタッフとも話しています。介護の質ももっと向上していこうと、介護士との会議も始めましたしね。

    確かに、ご自身の部屋にずっといたら、関わりが減ってしまいますよね。

    以前グループの世田谷記念病院を見学しに行った時に、加藤看護部長(※)が廊下で患者さんと話しているのを見て、看護部長でもこうやって入院の患者さんと顔見知りなことに驚いて。もっといろんな方とお話しできた方がいいなと思って、積極的に出るようにしています。

    ※ひとプロジェクト 平成医療福祉グループ 看護部 部長/加藤 ひとみさん

    看護師と介護士
    さまざまな職種が協働して取り組むチーム医療

    先ほど介護士さんの話が出ましたが、病院で介護と看護の仕事をどう切り分けているのか、ということは意外と知られていない気がします。

    グループとしては、介護の部門がちゃんと確立しているのがいいと思います。病院では「介護士は看護師の下で働く」というイメージがある方もいるかもしれませんが、そういうことはないようにしています。回復期リハビリテーション病棟もあるので、介護士の目線で環境設定をしてもらいたいですしね。

    環境設定というのはどういったことですか。

    例えば、患者さんがベッドから起き上がって移動するのにも、どこに手をついて、どこに物を置けばいいか、逆にどこに物があっちゃいけないか、っていうのは、介護士の目線の方が慣れているんです。なので、そういったところで意見を出してもらいたいですし、記録もちゃんと書いてもらおうとしています。

    介護士さんならではの視点というものが大事なんですね。

    それと、介護士も離床チーム、排尿チームと分かれてもらっています。それぞれの問題について、やっぱり介護士だから気づくところもあるので。病棟の中に、看護師もリハビリスタッフも介護士も、横並びで協働していくのが理想だなと思って、取り組んでいっています。

    チーズケーキは
    真夜中に焼くんです

    お休みの日はどう過ごされていますか。

    帰りが遅い日もあるので、休みのうちに一週間分のご飯を作っていますね。それと、お菓子を作るのが好きで、夜中にケーキ焼いたりとかするんですよ(笑)。

    えっ、夜中に!

    「今からケーキ作ろうかな」って思い立ったらひたすらやっちゃうんです。「よくできたなあ」なんて思いながら、翌朝子どもたちに「作ったから食べて食べて!」って言うのが好きなんです。

    最近どんなものを作りましたか。

    チーズケーキを作ったんですけど、大成功でしたね!

    いいですね〜。何か趣味はありますか。

    スキーと、昔はバイクに乗っていたのでツーリングでしたね。以前はオフロードのバイクに乗っていたんですよ。

    わ、かっこいい〜〜!

    でもこの背なので乗れるバイクがあんまりないんですよ、足が全然つかないので(笑)。

    (笑)。ちなみに、どんなところを走っていたのでしょうか。

    林道とかですね。東北や北海道、四国、九州、佐渡島とか、あちこち行きました。最近乗っていないので、また乗りたいですね。キャンプしながら。

    お仕事以外でやりたいこととか目標はありますか。

    アメリカに住んでみたいですね。若い時にできなかったので。昔、行ってみたいなって思ってたんです。住んだら気が済むのか、もっといたくなるのかわからないですけど。

    以前から希望されていたんですね。

    最初の病院に勤めていた時に、実は留学しようと思って。そのつもりでお金も貯めて学校も探して、英語も勉強していたんですね。で、いろいろ決めてから親に伝えたら、父にすごく怒られました。

    反対されたのですか!

    まさか自分の親がそんなに反対するとは思っていなくて、とても驚きました。一人娘だし、向こう見ずなことさせられないっていう気持ちがあったみたいです。それでその時は断念しました。

    親心だったんですねえ。では最後に、尊敬する人物を教えてください。

    やっぱりうちの両親です。絶対自分たちの味方でいてくれますし、辛いことがあった時「どんなことがあっても、見放さないから」って言ってくれて。そう言われて救われたので、親子ってそういうものなんだなって思ったのと、自分もそういう親でありたいって思いましたね。

    影響を受けているんですね。でも、そうだとすると確かにアメリカ行きを反対されたら驚きますね!

    本当、そこだけが腑に落ちないところですね(笑)。

  • 前編を読む

    profile

    古谷 茂美(ふるたに しげみ)

    【出身】大阪府岸和田市
    【職種】看護師
    【趣味】スキー、ツーリング(以前はオフロードに乗っていた)
    【好きな食べ物】チョコレート(どんなものでも好き)

     

    病院情報

    医療法人横浜 平成会 平成横浜病院

    神奈川県横浜市戸塚区戸塚町550番地

    内科・神経内科・呼吸器内科・消化器内科・循環器内科・外科・泌尿器科・皮膚科・整形外科・リウマチ科・リハビリテーション科・眼科・歯科・歯科口腔外科・麻酔科・脳神経外科

    地域に根ざした病院として、一般病棟、地域包括病棟を備え、回復期リハビリテーション病棟を新設しました。さらに救急告示病院として24時間365日、患者さんの受け入れを行っています。2018年6月には、総合健診センターがリニューアル。地域の健康を支えていけるよう努めています。