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ひとプロジェクト【第23回・前編】平成医療福祉グループ 第一医療事業部 部長 田村 大輔さん

    • 理学療法士としてスタートしたキャリア
      科学的なリハビリテーションを提供するために奮闘した日々!

    • 今回は、主に関東のグループ病院の管理・運営に携わる、第一医療事業部の田村部長にインタビューしました。もともとのキャリアを理学療法士からスタートさせた田村さん。前編では、お仕事を志したきっかけや、当時の現場で戦ってきたエピソードなどをお聞きしています。しっかりと理論立てたリハビリテーションを提供するため、現場で奮闘した貴重なお話は必見です! ぜひ後編とあわせてご覧ください。

  • 父親ゆずりのノリの良さ
    お酒を飲んだら…?

    出身を教えてください。

    生まれは埼玉県です。ただ、田舎は大阪の堺市の上野芝というところです。今は堺平成病院として合併されましたけど、以前にグループの浜寺中央病院があった辺りで、縁があるなと思いました。少年時代は親の仕事の関係で引っ越しも多かったです。

    どんなお仕事をされていたんですか。

    父が木材の研究をしていました。合板がJIS規格の基準に通るように検査をする仕事で。

    すごい堅そうなお仕事ですね。

    本人は全然堅くないですけどね(笑)。

    そういう血を受け継いだようなところはありますか。

    まあ若干ありますね、お酒を飲んだらちょっとはしゃぐところとか(笑)。さすがに最近は抑えていますよ。

    障害者福祉に携わる祖父からの勧め
    リハビリの道へ足を踏み入れる

    医療の道へはどうやって入られたんでしょうか。

    うちの祖父が大阪の身体障害者福祉センターの病院長を務めていて、リハビリテーションに積極的に取り組んでいたんですね。

    身近にそういうつながりがあったと。

    よく話は聞いていて、仕事についても若干レールが敷かれていたところがあったんですよ。

    おじいさまが医療職を勧められたのですか。

    祖父と、親もですね。祖父は息子たちを本当は医師にしたかったという想いがあったようで、僕に合っていると思ったのか「医療関係の道に進んでもいいんじゃないか」っていう話はしていましたね。叔父が所沢にある身体障害者リハビリテーションセンターで義肢装具関係の部署にいて、そこへ見学にも行きました。

    実際に現場も見られたんですね。

    当時は興味がまだそこまで無かったんですが、何となくいいなと思って、専門学校に進みました。

    終業後にレンジでお酒をチン!
    衝撃の実習先

    何の専門学校でしたか。

    理学療法士(PT)の学校です。ただ学校が全然面白くなくて。例えば実習に行ったときも、教える人が悪い意味で職人っぽかったというか。

    それはどんな意味でですか。

    仕事が終わったら日本酒をレンジでチンして飲み始めるんですよ。

    えっ!

    で、「つまみを買いに行け」って言われて。

    とても医療現場とは思えない環境ですね。

    昔のPTはそういう人も多かったみたいです。「何でこんなことしなきゃいけないんだろう」って思いながら実習を受けて。仕事についても「見て覚えろ」っていうような時代でした。

    本当に職人っぽいですね。まだ理論立てられていなかったと。

    当時はそんな状況でしたね。「こんな教え方はしたくないな」って思いました。ただ、もうひとつ実習があって、そこで沖縄に行ったんですね。

    ずいぶん遠くに行くんですね。

    縁あって行かせてもらいました。そっちはとても楽しくて。沖縄の雰囲気が良かったのもありましたけど、そこで出会った先生たちが想いを持って仕事をされていて「リハビリっていいなあ」って思いましたね。最終的にはスタッフの方から「沖縄で働きなよ」と誘ってもらい、気持ちが傾いたんですが「もう少し自分の中で考えを固めてからでないとダメだ」と思って。

    一緒に働きたい気持ちはあったけど。

    もっと成長してから、あらためて一緒にできたらいいなと思って、泣く泣くお断りしました。みなさん本当に熱い想いを持って取り組まれていましたし、今もずっとがんばっています。

    急性期病院でキャリアをスタート
    しかし、再びぶつかる上司という壁

    理学療法士のキャリアはどのようにスタートされたんですか。

    急性期のリハビリテーションに取り組みたいなと思って、神奈川にある急性期病院に就職しました。28、9歳くらいまでは務めましたね。

    けっこう長く働かれたのですね。

    ここからは話すと長くなりますよ(笑)。

    どうぞ(笑)!

    仕事を始めてみると、やっぱり葛藤が出てくるんですよ。

    それはどういう気持ちなんですか。

    「面白くないな」ってまた思ってしまったんです。実習の時と同じで、その職場の上司には悪い意味の職人っぽさが残っていて。

    またそういった現場に当たってしまったと。

    ただ同僚はけっこう熱い人が多くて、そこからの紹介で、とても良いリハビリの先生と知り合ったことがとても大きかったです。PTをしながら、大学でもリハビリを教えられていて、同僚のつてでその先生の勉強会に参加させてもらったんですが、理学療法を学問にしたい、という考えを持った人でした。今でも尊敬している先生です。

    具体的にどういった考えだったのでしょうか。

    ただ「マッサージする」「歩いてもらう」ではなく、科学的なアプローチをしていました。検査データや脳画像から評価をしっかりして、そこから理論立てるシステマティックな考えに初めて触れたんです。

    当時の田村さんには新鮮だったんですね。

    そういう話を聞くと「このままじゃダメだ」という想いが出てきまして。入職して2、3年目だったんですけど、機械工学の大学に入り直したんです。

    働きながら大学へ入学!
    理学療法に機械工学の理論を生かす

    大学へは働きながら通われたわけですよね。かなり大変になったんじゃないですか。

    週6で働きながら、1時間くらい早く帰らせてもらって、夜間の学部に通って勉強を続けました。理系なのでもちろん研究もして。かなり辛かったですけども。でも負けず嫌いな気持ちもありましたし、「ここで手を抜くのは止めよう」と思って、必死に取り組みました。

    機械工学を学ぼうと思ったのはどういう理由からでしたか。

    バイオメカニズムに興味を持ったんです。人はなぜ動くんだろう、なぜ回復するんだろうと考えたときに、そこには力が関係してくるわけです。人の動きを3次元のモデルやロボットで解析すると、例えば関節がダメになったときのシミュレーションができる。そこから、リハビリをすることによって患者さんがなぜ良くなっていくかがわかるようになるわけです。

    どのリハビリが体にどう作用していくかがしっかりとわかるようになるんですか。

    そうやって、なぜこのリハビリが良いのか、っていうことを言語化できないと、再現性が無いですからね。

    それを現場でも生かしていったんですか。

    同僚もそうやってがんばっていましたし、感化されましたね。

    周りの環境がそうさせたところもあったと。

    いい意味でウザいやつらが多かったので(笑)。その同僚たちと、物事の捉え方とか評価基準についてとか、喧々諤々と日々話し合っていましたからね。ただ上司からは完全に排除されていました。

    良く思われてなかったんですね。

    休みを返上して学びに行っていたし、患者さんもちゃんとみていましたが、新しいリハビリに取り組もうとする僕らに対して、上司からの風当たりは強かったですね。それに対してつい僕も抗うような態度を取ってしまっていました。

    ぶつかってきたんですね。

    そこで病院の現場から、訪問看護に異動になりました。それが27歳くらいで、大学を卒業する頃でしたね。もうその時は病院を辞めて大学院に進学して、研究だけやろうと思っていましたから。ただ、いろいろな大学院を受けたんですが、やっぱり難しくて。

    相当高いレベルだったわけですか。

    実際勉強をしていると、過去にやってきた人たちの後追いで、先に進めないんです。そこで「向いてないな」と思いました。

    研究だけやっていくのは合わないと。

    何となくそう考えていた頃に、このグループと関わるきっかけがあったんです。

    訪れた転機
    多摩川病院のリハビリ責任者へ転身!

    何か転機が訪れたのですか。

    先ほど話したリハビリの先生から「知り合いが多摩川病院にリハビリ部門を立ち上げるにあたって責任者を探しているから、田村やらないか」という話をもらったんです。ちょうど迷っていた時なので、せっかくなので受けようと思って、移ることにしました。

    リハビリテーションの役職者として立たれたんですか。

    はい、5、6人の少人数体制ではありましたけどね。

    当時の多摩川病院は、まだ平成医療福祉グループに加入する前ですか。

    そうなんですよ。そこがまた面白いところなんですが(笑)。

    どういうことでしょう(笑)。

    2010年の1月頃、多摩川病院に移ったのですが、当時コンサルタントとして病院経営に入っていた人が厳しくて。新しくリハビリテーションの外来を始めるので、内容をどうするか詰めたり、集患方法をどうするか考えたり、日報を送ったりしていくなかで、どうしてもウマが合いませんでした。僕も生意気でしたし「なんだこいつは?」っていう風に見られていたんです。今思えば当然のことなので、僕が未熟だっただけなんですが。

    けっこう戦ってこられたんですね。当時は外部からコンサルタントが入っていたのですか。

    そうやっていたんですけど、経営状況があまり良くはなかったんでしょうね。どういう流れかは詳しくわからないんですが、結局その年の10月に法人が変わったんです。

    それが平成医療福祉グループだったと。ちなみに当時のリハビリ現場ってどういう感じでしたか。

    多摩川病院に移ってからは、治療について理論立てて考えながら、っていうことは実践でき始めていました。

    グループに加入して、どのような変化がありましたか。

    僕の中では変わりませんでした。もともと方針として、本当に良くしたいっていう想いが強かったですし、グループの「絶対に見捨てない」という理念についても共感できるところが大きくて、あまりギャップはなかったですね。そこは今も現場では変わってないですよね、リハビリテーションも患者さん第一で考えていますし。

  • 次回:管理能力を買われ、グループ病院を管理する仕事へ! より良い病院経営や、事務長としてのやりがいとは!

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    profile

    平成医療福祉グループ 第一医療事業部 部長 田村 大輔(たむら だいすけ)

    【出身】埼玉県
    【職種】理学療法士
    【好きな食べ物】天下一品のラーメン(もちろんこってり)

    病院情報

    医療法人社団 大和会 平成扇病院

    東京都足立区扇3-26-5

    内科・リハビリテーション科・精神科

    2016年4月に開院。精神科と内科を併せ持つ「こころとからだに寄り添う」病院。認知症ケア・ストレスケアを軸とした精神科病棟と、医療療養・回復期リハビリテーションという2つの内科病棟の4つの機能を持ち、地域のみなさんが安心して在宅で生活できる後方支援病院を目指します。