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ひとプロジェクト【第19回・後編】堺平成病院 救急センター長/定光 大海先生

ひとプロジェクト 定光 大海先生
ひとプロジェクト 定光 大海先生

未来を見据えて医療職を目指した
グループ病院を支えしながら、多くの患者さんを救いたい!

今週は、当グループに移る直前、大阪でのご経験や、堺平成病院についてのことなどをお聞きしています。 東日本大震災の際に行った被災地での活動など、貴重なお話も伺いました。長らく救急医療に関わってきた定光先生だからこそのお話ばかりです。ぜひご覧ください!

福島原発でも活動
災害医療に携わる

―当グループに移る直前のことをお伺いします。

山口大学から、今度は大阪大学の関連病院で国立病院機構 大阪医療センターに16年勤めていました。

―そこではどんなことをされていたんですか。

救命救急センターのセンター長をずっと担当していましたね。

―管理者として仕事をされていたんですね。

最初は当直もやっていましたけども、ちょっと働きすぎて体を壊しまして。当直からは離れて、それからは管理職に徹しました。

―管理業務に携わるっていうのはご自身としてはいかがでしたか。

救急の現場は若い人に任せて、役割分担だなと思っていました。やっぱり救急医をハードにフルタイムでやる歳ではなくなっていたので。その間に日本DMAT(※)も立ち上がって、その事務局の副事務局長も兼任していましたし。
※Disaster Medical Assistance Teamの略。大規模災害や事故の発生時に活動する、専門的な訓練を受けた、医師・看護師・業務調整員からなる医療チーム。日本DMATは2005年、厚労省により発足。

―病院だけにとどまらず、救急医療に関する活動をされていたと。

全国のDMAT訓練にも行っていました。そもそも事務局は東京にできたんですけど、首都直下型地震が起きたら対応できないので、各地に分散させようということで大阪にもできまして。

―東日本大震災の際にはどのような活動に関わったんですか。

DMATでは管理職として、チームを編成してスタッフを送り出していました。初期は現場入りしてなかったんですが、福島原発での被ばく医療の対応のため、私もその後福島県には何度も行きました。私は原子力安全研究協会で被ばく医療の講師も務めていましたので。

―実際に原発まで行かれたんですか。

津波で建物が根こそぎ流されているところを通り、人のいない街を抜け、防護マスクをつけて、原発の敷地内まで実際に行っていました。

―どういったことを行われたんですか。

原発で働いている人たちの健康管理や、けがをした人への対応などをしていました。全国から医療班的な役割として、交代で人が派遣されていたんですね。

―そういった活動にも携われたんですね。

そういったこともあったので、救命センターでの現場の診療は主に部下に任せていました。大阪医療センターにいた時は、病院の活動というよりはそういったDMATに関わることや、講演とか学会の座長とか、普及活動などに力を入れてましたね。
 
 

再び臨床の現場
堺温心会病院へ

―そこから当グループの堺温心会病院に移られるのはどういった経緯がありましたか。

やはり臨床の現場を一度離れてしまうと、現場の細かいことが自分にフィットしなくなってしまう。そこで、もう一度臨床をやりたいと思ったんです。

―そう思ったのに理由はあったんですか。

いずれ、どこか地方に移り住んで、小さい病院規模で地域医療の担い手になりたいなと思っていたというのがまずあったんです。人口密集地ではなくて、高齢者がいるけど、病院にはちょっと行きづらいよね、っていう場所で。

―そこで医療を提供したいと。

やっぱり地域にちゃんと医療があれば、そこに住んでいけるわけです。実際に移住して医療を提供しながら、ゆくゆくは自分も面倒を見てもらえるようにしたいなと。

―そのために臨床の現場にまた戻るというのがまずあったのですね。

臨床医としてまた現場を経験しようと思っていたところで、ちょうどこの病院に声をかけてもらったんです。ここは慢性期医療の病院ですけど、救急は断らないということを標榜していますので、それならば救急医が総合診療的な仕事をする場があるなと思って、来させてもらいました。

―実際声をかけられてみて、いかがでしたか。

グループの武久代表は日本慢性期医療協会の会長ですし、そういう研究会に誘われたこともあって面識はありました。それと、大阪緊急連携ネットワークができて、このグループの診療本部長である井川先生(※)とも一緒にやらせてもらっていましたので、関係性があるところでお声がけをいただいて、ありがたいことです。
※ひとプロジェクト 第6回 平成医療福祉グループ 診療本部長/井川 誠一郎先生

―堺温心会病院の印象については。

古い病院だとは思いました(笑)。でも、ここの外来は急性期の機能を持っていて、病棟では高齢者の方も多いですけど、透析医療もやっていて、一般病床もあってと、さまざまなことができるなと考えました。
 
 


 
 

急性期病院と慢性期病院
連携がとても大事

―超急性期から慢性期の病院に移られたわけですよね。

患者さんと十分時間をかけて接することができるという良さがありますね。急性期は、どんどんと患者さんがいらして、その分どんどんと出てもいくわけです。それと、慢性期の病院に移って、急性期で治療をした後の患者さんがどうやって家に帰れるかっていうところまで見られるというのは大きいですね。やっぱり自分の専門分野だけ治ったら終わりというわけにはいきませんからね。私はそういうやり方はしたくなかったので。

―急性期と慢性期とどちらからも見ることで得られる視点もありそうです。

それぞれがそれぞれでやることがありますので、そこの連携をうまくやる必要がありますよね。お互いのことをちゃんとわかっておかなければいけないので、急性期を経験して、慢性期をに取り組むというのは意味のあることだと思います。

―ひとつのキャリアモデルとも言えるのでしょうか。

救急医は、体力的にずっと続けていくというのが厳しいですからね。管理職の仕事をやるのもそうですし、その次の道をどうするかっていうのは、先に行く人間が「こういう道があるよ」って作らないといけないなと。

―道を示しているわけですね。

示すというか、身をもって苦心していると(笑)。でも救命センターと慢性期病院で、患者さんも違うと思うでしょう。

―違うような印象があります。

でも外来にいらっしゃる患者さんは、やっぱり「お腹が痛い」とか「けがをした」とか、基本的なところでは変わらない。重症度の違いで、救命センターに行く必要がないというだけで。だからこそ、救急医の総合診療的な見地が生かせるわけです。
 
 

堺平成病院は重要な
モデルケース

―堺平成病院が開院してからの先生の仕事内容に変化はあるんでしょうか。

大きくは変わらないですが、対外的な堺市の会合などにも出る機会も増えると思います。救急の受け入れを行うには、地域との関係を築いていくことがとても大切ですので。

―堺平成病院では、救急体制はどのようになりますか。

基本的には堺温心会病院と変わらず、「断らない」ことが前提です。依頼があればすべて受け入れを行えるよう、救急医療体制を整えています。1次・2次の救急(※)の治療のほかに、初期応急治療後に、3次救急への転送も行います。
※1次救急:軽症患者に対する救急医療/2次救急:中等症患者に対する救急医療/3次救急:重症患者に対する救急医療

―堺市自体の救急医療は、どういう現状ですか。

急性期の拠点病院があって、2次救急の受け入れ病院も増えて、形は整ったと思うんですね。もともとは救命救急センターもありませんでしたから。以前はみんな大阪市に搬送されていたんです。

―受け入れ先はできたわけですね。

体制そのものは整ったんですが、各病院で連携していくマネジメントについては、さらにこれから進めていくことだと思っています。

―もうちょっと進めていける余地があると。

そうですね、そこは課題と言えると思います。堺平成病院として大事なのは急性期での治療後の受け入れですね。治療後、自宅へ帰るまでの病院として、という意味で大きな病院になると思っています。

―特にその点においては大きな役割が果たせればということでしょうか。

そうです。加えて、一部救急患者さんを引き受けて、さらに外来で、地域でちょっと具合が悪くなった患者さんも診ていく。

―堺市も高齢化は進んでいると思うのですが、この病院の役割はいかがでしょうか。

大きいと思います。回復期リハビリテーション病棟の病床も多いですからね。そのために地域のみなさんとの信頼関係を築いていくことが重要です。そうした患者さんを、ちゃんと診られる体制をつくっていく。その気持ちでスタッフみんながいないといけませんね。

―そのためには、どういったことが必要ですか。

看護師さんとかソーシャルワーカーさんとか地域連携室のスタッフとか、実際にたくさん動いてもらっていますので、しっかりコミュニケーションを取って連携することが必要ですよ。仕事の仕方として、「俺に話を全部持ってこい」みたいなことでは難しいわけです(笑)。

―まさにチーム医療ですね。

今後どうなるかわかりませんけど、ひとつのモデルケースに近い病院と言えますね。注目している方も多いと思いますので、がんばっていきたいです。
 
 


 
 

院内外での連携で
患者さんを受け入れる

―今は開院直前ですが、どんな準備をされていますか。

これから、実際に救急患者さんの受け入れの流れをどうするかっていうのを作るのと、病院のすぐ隣が消防署(堺市 中消防署)ですから、相談して軽傷救急の受け入れネットワークを作れたらと思っています。

―地域との連携ですね。

うちだけで完結することではなく、他の病院とどう分けて、シェアをどうしていくか。それと地域として、この病院がある深井周辺の住人や人口、バックグラウンドを調べて、どういう世代の方がどれくらいいらっしゃるとか、そういったことを整理していきたいですね。

―なるほど、実際にどういった方が患者さんとして病院に来るのかと。

このエリアの救急を、100%は無理にしても大部分診ることができる病院にしないといけないと思っています。難しさはあるにしても、患者さんを受け入れる流れは、阻害ない方法を考えていきたい。すぐには無理にしても、取り組んでいきます。

―定光先生としては、どういった目標を持っていますか。

まずは、日々患者さんがいらっしゃるのを、できるだけ断らないように診ていく、その積み重ねでしょうね。大風呂敷を広げず、地道に続けていきたいです。
 
 

踊り食いの果ての悲劇!

―お休みはどう過ごされているんですか。

基本的に土日はお休みです。だいたいどちらかには研究会や勉強会がありますね。

―熱心ですね。そういう研究会などが入ることが多いですか。

学会や委員会は土曜日が多いですから、2日間とも丸々休みは少ないかもしれませんね。でもできるだけ休むようにしてます。ウィークデーは時間内にできるだけたくさんの患者さんを診て、週末はしっかり休んで。

―ほかにお休みの過ごし方はいかがですか。

僕ほとんど趣味ないんですよ、仕事一本で来ましたので。休みも女房と買い物いったりするくらいで。旅行は時々行ったりはしますけどね。以前は車で長野県に日帰りで行ってましたよ。今はしんどいから行きませんけど(笑)。山口にいた時には、山口から鹿児島の指宿まで行って帰ってきましたね。

―日帰りで九州を縦断したようなことですよね。すごい距離ですね!

朝出て、夜中の22、23時に帰ってくるような。最近もたまには温泉に行きますよ。

―ちなみに好きな食べ物は。

食べ物……(しばし考える)。と、いうくらい、僕は何でも好き嫌いなく食べてしまうんですよね。ただ、ほとんど何でも食べられるなか、ひとつ食べられないものがあって。

―なんでしょうか。

昔大阪に出て来た頃、大阪駅の地下の第三ビルとかあの辺で、魚のおいしいお店がたくさんあって、エビの踊り食いとかをよくやってて、生でたくさん食べてたんですよ。

―ああいいですねえ〜。

そしたら食べ過ぎたのか、アレルギーになっちゃったんですね(笑)。

―わっ、それは残念ですね。

以後、生の甲殻類は食べてないですね。火を通せば大丈夫です。

―好きだったのにちょっと寂しいですね(笑)。

 
 


 
 

 



profile


堺平成病院 救急センター長
定光 大海先生(さだみつ だいかい)

【出身】広島県庄原市
【専門分野】救急医学
【好きな食べ物】好き嫌いなく何でも食べる(生エビ以外)

 

病院情報



https://sakaiheisei.jp/

医療法人恵泉会 堺平成病院

大阪府堺市中区深井沢町6番地13

内科・循環器内科・消化器内科・リウマチ科・放射線科・眼科・整形外科・泌尿器科・歯科・リハビリテーション科・脳神経外科・皮膚科・外科・糖尿病内科(代謝内科)・人工透析内科・心療内科

2019年4月、長らく堺市でご愛顧いただいた堺温心会病院と浜寺中央病院が合併して誕生する病院です。救急医療から回復期医療、慢性期医療、そして在宅サービスまでの幅広い機能を持ちます。地域にあるさまざまな事業者と遠慮なく無駄なく連携できる関係を作れるよう、地域医療のハブになり、地域全体で患者さんをサポートできるよう、努力を重ねてまいります。