お知らせ ひとプロジェクト

ひとプロジェクト【第16回・前編】堺平成病院 院長/正木 浩喜先生

ひとプロジェクト 正木 浩喜さん
ひとプロジェクト 正木 浩喜さん

「人のために尽くしたい」
その一心で医師となった、新院長に迫ります。

今週からの「ひとプロジェクト」は、いよいよ2019年4月に大阪府堺市に開院する、堺平成病院にまつわる方に話を聞く『堺平成スペシャル』を2カ月に渡ってお送りします!
まず登場いただくのは、現在、堺温心会病院で院長を務め、堺平成病院でも院長となる正木浩喜先生です。「インタビューは苦手で…」と話される正木院長ですが、医療に携わる動機となったある想いや、堺平成病院開院に向けた意気込みなどを、まっすぐに語ってくださいました。「ちょっとビクビクしていた」と言う研修医時代のお話も。
ぜひご覧ください!

自転車、水泳、登山
アクティブに過ごした学生時代

―ご出身はどちらですか。

大阪府の泉大津市ですね。

―泉大津市はどんなところですか。

「だんじり祭(※)」で有名な岸和田市の少し北側に位置するんですが、繊維産業が盛んで、毛布の製造シェアが全国で約90%、それとニットの製造でも有名ですね。ただ、今は地場産業よりもベッドタウンの性格が色濃いと思います。ちなみに泉大津にもだんじり祭があるんです。
※毎年9月に岸和田市北西部で行われる。重さ4tを超えるだんじり(山車)を引いて街中を駆け回る勇壮な祭り。

―そうなんですね。やっぱり当時も今もお祭りは楽しみですか。

今もちょっと見に行くことはありますよ。泉大津市のだんじり祭りは岸和田と違って、だんじりをぶつけ合うんですね。だからさらに荒っぽいです。

―迫力が凄そうです! 先生は参加されたことは。

いやあ、もう全然(笑)。せいぜい小中学生の頃くらいですかね。

―幼い時はどんなお子さんでしたか。

近所のコミュニティっていうんですかね、隣近所に年長の人や小さい子もいて、学校終われば、一緒にみんなで野球したり、川でザリガニを釣ったりとか。そういう昭和の遊びをしていましたね(笑)。

―活発にみんなで遊ぶ方だったんですね。

どちらかというと外向きだったと思います。

―では学生時代にスポーツとか部活動は。

中学時代は水泳部にいて、主に自由形を泳いでいました。

―高校では続けられなかったんですか。

高校では水泳部がなかったので、部活はしてなかったんです。ただ、趣味であちらこちらとサイクリングに行ってまして。今も流行っているような競技用の自転車で、友人と遠出しましたね。

―アクティブですね! どんなところに行かれたんですか。

高校時代は大阪近辺ですけど、大学生の頃は、四国一周をしましたね。八十八ヶ所めぐりじゃないですけど、海岸線沿いをグルッと周りましたが非常に広くて。昔はユースホステルが多くありましたから、そこを点々と泊まりながら一周しました。

―大学時代ならではのエピソードですね。

そうですね(笑)。10日から2週間くらいかけて行きましたけど、一周してスタート地点の徳島県庁に戻ってきた時は、やはり達成感がありましたね。

―体を動かすことが好きだったんですね。

自転車以外にも、大学時代はワンダーフォーゲル部に入って山歩きもしていました。関西近郊の山だけでなく、夏は北アルプスに登ったりね。

―本格的にやられていたんですね。最近は山登りや自転車はいかがですか。

この仕事を始めてからはなかなか趣味の時間がなかなか取れていなくて。家族もできましたし、残念ながら最近はやっていないんですよ。
 


 
 

「人のために尽くしたい」
父の影響を感じながら医療の道へ

―医師の道を志したきっかけを教えてください。

父親が開業医をしていまして、産婦人科医だったんですけど。母が一緒に手伝っていて。

―じゃあもう幼い時から医療が身近にあったと。

そうです。自宅の隣に診療所があったので、そこで診察や分娩、入院もみなさんされていましたからね。

―やはりそれがご自身にとって影響として大きかったのでしょうか。

中学生までは医師を志すっていうことは考えてなかったんですよ。ただ、高校生になると、大学を選ぶことがこの先の進路に関わってくるので、職業のことを考え始めて。高校2年生の夏休みの間にいろんな書物を読んだり、考えたりした結果、医療系の大学を受験することにしたんですね。

―お父様からは特に医師を勧められたというわけではなかったんですか。

それは特になくて、進路については本人の意思に任せるという形でした。

―どういう点で医師という仕事に憧れましたか。

いろいろな職業がありますけど、医療に関わる仕事っていうのは、特に人に対して尽くす仕事ですよね。最近では医療もサービス業的な見方もありますけど、やはりその側面だけではなく、どれだけ相手を想って治療に生かすかっていうことがあると思います。その中でも医師となると、自分の判断や選択で進めていける仕事なわけで、「自分の責任で人に尽くす」というところが「素晴らしい仕事だな」と思ったんです。

―それは、高校2年生の時に「医師を目指そう」と思った時にはもう考えられていたんですか。

実際に近畿大学に進学して医大生になり、それから医師国家試験に通って、という中で、さらに実感を持って思うようになりましたね。

―どの科もそれぞれ大変さが違うと思いますが、産婦人科医のお父様を身近で見ていて、「医師になるのは厳しそうだな」と諦めそうになったことはありませんでしたか。

もちろん大変な仕事だと思っていました。夜中でも電話があれば医院を開けて患者さんを診ますし、24時間、日曜・祝日も関係ないわけです。逆にそれを見ていたので「医師になったら、違う働き方をしよう」と、医師は目指すけど科目は変えようと思い、内科を選びました。同じように考えた先生もおられるかと思いますね(笑)。

―医療という道は共通していたけれど、ということですね。

選択の方向は違いましたけれど、同じ医療をしているからこそ、父親のことは尊敬しますね。大変さがとてもわかりますので。

―実際、医師になるということを伝えて、産婦人科を勧められることはなかったのでしょうか。

内科や産婦人科以外の科を勧められましたね(笑)。

―(笑)。それはどういう意図で。

なるべく生死に関わる確率が少ない診療科を勧めたい、という親心でしょうね。

―ご自身が一番よくわかっていたからこそですね。

気持ちはありがたかったですけど、私なりにどういう道に進むかと考えたうえで、内分泌代謝内科に入局をしましたね。
 
 

紙とペンがあれば仕事はできる
内科医としてのモットーとは

―先生が専門とする「内分泌代謝内科」とは、内科の中でもどういった疾患を診る科目なのでしょうか。

「内分泌内科」と「代謝内科」が合わさった科目なのですが、「代謝内科」の方は体内の糖とかタンパク質とか脂肪の代謝に関わる臓器の疾患です。糖尿病が一番有名ですね。

―なるほど、では「内分泌内科」の方は。

主にホルモンですね。甲状腺とか、ホルモン分泌に関わるもので、バセドウ病などが有名です。

―先生にとってこの内科のやりがいはどういったところにありますか。

一番は、患者さんを一対一で目の前にして、全身像を見て訴えを聞いて、そこから病気を絞り込んで診断していくところです。

―推理すると言いますか。

患者さんの訴えに対して、どういう病気でその症状が出ているのか、っていうのを医学的知識を持って突き詰めて治療につなげるということですよね。

―そこにやりがいがあるわけですね。

だから本当は大きな器具もいらなくて、僻地の診療所だって診療スタイルは変わりません。基本的には机とペンと椅子と、聴診器があれば、ある程度のところまで類推して絞り込んでいきながらということになりますね。

―もちろん内科に限らないと思いますが、知識と経験が問われますね。

最初の5年、10年は、なかなか経験値が上がらないなかで苦労します。いろいろな患者さんの診察をしながら知識を増やしていくというか。もちろん国家試験を受けているわけですから、いろんな知識が入ってからのスタートではありますが、結局はその都度考えながら判断しなければならないので、内科の一般的な知識をちゃんと網羅しておくことが重要ですね。
 


 
 

大変だった研修医時代
厳しい指導医の先生…

―それこそ大変なこともあったと思うんですけど、研修医時代などはいかがでしたか。

まず検査値が全部英語で苦労しました。GOT、GPTとかね。それと特定の患者さんを持つ担当医になっても、その患者さんの検査値と検査項目が把握できない。あとその頃は指導医が厳しく指導し、まさにスパルタでしたね。

―ああ、やっぱり今よりも…。

今がどうなのかはわからないですけど、当時は師匠と弟子みたいな関係がまだあって、指導医の指示は絶対でしたので、そういう意味では非常にビクビクしてました(笑)。

―かなり鍛えられてきたんですね。

ただ、指導医の先生たちも、一人の医者をしっかりと育てるという責任を持っておられ、その気持ちが強い形で現れて、指導してもらっていた時代だったと思いますね。

―くじけそうになったことはなかったですか。

大学の診療だけでなく、当直業務がついてくるんで、さすがに3日続けて病院で当直した時は倒れそうになりました。昼間は大学、夜は当直っていうのを繰り返すわけですから、4日目は持たなかったです(笑)。

―寝る間がないですもんね。

それとやはり、病院で宿直してるっていうのは常に緊張していますので、睡眠ではなく仮眠ですよね。実際のところは神経が張り詰めていて、次にどんな患者さんが来るかわかりませんし。特に自分の知識や経験が十分じゃない時なので、非常に緊張します。

―当直中だと、周りに助けてくれる人も日中より少ないわけですよね。

そうなんです。最初に言ったように、自分の責任でもって人に尽くす仕事だとわかっていたわけですけど、実際に自分の責任で進めるとなると…、当時はやっぱり大変でしたね。
 
 

こちらの想いだけで
医療を提供してはいけない

―先生が診察の時に気をつけていることを教えてください。

どんなに小さいことでも、患者さんの変化に気づくっていうことですね。それと、相手の訴えをよく聞くことです。患者さんは医師に伝えたいことが必ずありますので、まずはそれを聞くという姿勢が大事。それを最初にしないと診療は始まらないですし、患者さんとの関係がうまくいきません。

―常にそういう姿勢を大事にされていると。

患者さんはたくさんいらっしゃいますので、そこでブレないことを続けていかないと、患者さんごとに不公平が生まれてしまう。診療自体も、かかる時間の違いはあるかもしれないけど、やはり平等に診る姿勢っていうのは大事だと思います。

―それはやはり先生が経験を積まれて、そのようなブレない芯が出来上がったんでしょうか。

やはり自分の診療技術が不十分な時は、自分のことでいっぱいいっぱいでしたね。経験を積んで視野が広がることで、患者さんの目線に立つことができるようになるんです。

―医師と患者という立場はもちろん違うんですけど、目線は合わせて。

医師の側からだけで物を見ないことが大切です。こちらの想いだけで医療を提供することが、必ずしも患者さんのためになる、満足につながる、というわけではないんです。説明することだってそうですよね。本当は時間をかけてゆっくりとお話をしたいんですけど、ともすると一方的なものになりがちです。患者さんにとってわかりやすい言葉で伝えられているかは、患者さんの目線で見てみないとわかりません。

―常にその視点を大事にされながら診療をされてきたと

人生の中で病気っていうのは非常に大きな障害ですから、そういう状況で、支える場所が病院です。私たち医師だけでなく、専門職の人たちがチーム医療で合わさって、ケアしていく。その連携で、入院している患者さんやご家族が安心できたらいいですよね。
 


 
 

次回:いよいよ開院する堺平成病院! その強みや開院に向けての意気込みは!


 



profile


堺平成病院 院長
正木 浩喜(まさき ひろき)

【出身】大阪府泉大津市
【専門】内分泌代謝内科
【好きな食べ物】ブリ、タイ、マグロ(大好き)

 

病院情報



https://sakaiheisei.jp/

医療法人恵泉会 堺平成病院

大阪府堺市中区深井沢町6-13

内科・循環器内科・消化器内科・リウマチ科・放射線科・眼科・整形外科・泌尿器科・歯科・リハビリテーション科・脳神経外科・皮膚科・外科・糖尿病内科(代謝内科)・人工透析内科・心療内科

2019年4月、長らく堺市でご愛顧いただいた堺温心会病院と浜寺中央病院が合併して誕生する病院です。救急医療から回復期医療、慢性期医療、そして在宅サービスまでの幅広い機能を持ちます。地域にあるさまざまな事業者と遠慮なく無駄なく連携できる関係を作れるよう、地域医療のハブになり、地域全体で患者さんをサポートできるよう、努力を重ねてまいります。