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ひとプロジェクト【スペシャル・前編】新人座談会 〜看護師編〜

ひとプロジェクト 新人スペシャル座談会
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入職1年目の看護師たちの
熱い想いにクローズアップ!

2019年初めのひとプロジェクトは、フレッシュな新人たちに話を聞く、「新人スペシャル」をお送りいたします。まず今週と来週に渡って、2018年4月に入職した看護師の新人スタッフたちに話を聞きました。前編では、この仕事を選んだ想いや、グループ病院に入るまでの紆余曲折を、あれこれお話してもらいました!
対談場所は、東京都足立区の平成扇病院。4人の新人に加えて、平成扇病院の磯貝佳江 看護師長にも、見守り役として立ち会ってもらっています。

〈西宮回生病院〉
松根 加奈

〈平成扇病院〉
外間 海貴

〈大内病院〉
浅野 敏也

〈世田谷記念病院〉
塙 優花

〈平成扇病院〉
磯貝 佳江 看護師長

意外な経歴も…?!
まずは自己紹介

―では一人ひとり簡単な自己紹介をお願いします!

松根 松根加奈です。西宮回生病院の一般病棟で看護師をしています。 香川県の丸亀市の出身です。
外間 平成扇病院の外間海貴です。回復期リハビリテーション科で働いています。千葉県松戸市出身です。
浅野 大内病院の浅野敏也です。老人療養病棟で働いています。出身は東京都足立区です。
塙優花と申します。世田谷記念病院の医療療養病棟で看護師をしています。出身は茨城県の行方市です。
磯貝 見守り役として立ち会わせていただく磯貝です。ここ平成扇病院の看護師長をしています。

―では、新人のみなさんの看護師になるまでの話をお聞きしたいんですが、学生時代はどんな感じで過ごされていましたか。部活やアルバイトなどの経験があれば。

松根 中高生の時は特に部活はやってなかったです。大学生になるタイミングで神戸に出たんですけど、そのころはアルバイトをしてました。

―ちなみにどんなアルバイトですか。

松根 居酒屋とか、飲食系でしたね。
外間 私は中学生の時、剣道を1年間だけやっていました。

―高校時代は何をされてましたか。

外間 アルバイトです。スーパーのお惣菜売り場で揚げ物を揚げていました。
私はバスケットボールと、バドミントンと、バレー部のマネージャーをやってました。

―けっこうたくさんやられていたんですね。

そうですね。バスケが9年間、バドミントンが3年間。運動は好きで、最近もジムにちょくちょく行くようにしています。
浅野 僕は高校まで野球をやってました。大学では硬式野球がなかったんで、ビーチバレーを始めて。
磯貝 あの、ビーチバレーってもちろん水着ですよね。ちょっと気になってしまって(笑)。
浅野 ひょっとしたら、ブーメランみたいな水着を想像されているかもしれないんですが、海水浴で履くような長いやつですよ(笑)。
一同 (笑)。
 
 

動機はそれぞれ
看護師を目指した理由

―みなさん、それぞれどういうきっかけで看護師を志したんでしょうか。

浅野 あの、僕だけほかの参加者のみなさんと少し年齢が違って、今年で31歳になるんですね(笑)。

―伺っております(笑)。

浅野 ありがとうございます(笑)。僕の場合、家族とか親戚に看護師が多いというのがまずあって、その影響から「看護師をしてみたいな」っていうのは前々から思ってたんです。ただ実行にまでは至らなくて、一旦別の仕事に就いたんですね。

―もともと気持ちはあったわけですね。差し支えなければ、どんなお仕事でしたか。

浅野 カメラの販売と撮影の仕事でした。カメラ自体は好きだったんですけど、働くうちに「ちょっと違うな」と思い始めて、看護師を目指すようになりました。

―「違う」っていうのは、どういう意味合いで感じたんですか。

浅野 どんな仕事でも、人のためにはなっていると思うんですけど、その時は実感があまりなかったんです。「やっぱり人を助けたい」って思うようになっていって。

―明確に、医療を通じた形で助けるっていうことをしたくなったんですね。

浅野 そうですね。3年くらい勤めてから退職して、看護の道を目指しました。
 


 

―では外間さんはいかがでしょう。

外間 小学校の夏休みの宿題で、身近な人への職業インタビューみたいなのがあって、沖縄で看護師をしている伯母にインタビューをしたんですね。そのときに「看護師ってかっこいいな」っていう印象を持ちました。でもその時はまだ「自分にはなれるかわからないな」って思っていました。

―ただ印象深くは残っていたと。

外間 はい。高校生になって進路を考える時、やりたいことが見つからなくて迷っていたんですけど、母から「看護師もいいんじゃないの」って言われて、初めて「目指してみよう」っていう気持ちが湧いたんです。

―実際看護師になって伯母さんも喜ばれたでしょうね。

外間 そうですね。伯母は准看護師として働いているので、私が正看護師の資格を取ったのを、自分のことのように喜んでくれました。

―浅野さんもそうでしたけど、身近な人の存在っていうのは大きいんですね。

浅野 やっぱり影響は受けますね。
私も親戚に看護師がいたことが影響としてありました。それと祖父母が亡くなったことで看護師さんと関わることも多かったので、目指すきっかけのひとつになりましたね。

―ほかにはどんな理由があったんですか。

一番の大きな理由としては、もともと人と関わることが好きで、さらに誰かのために何かをするっていうことも好きだったんですね。それで、中学生になって進路を考える時に「将来は看護師になりたい」って思ったんです。それからずっと目指していました。

―気持ちが変わらずに進んでこられたんですね。

むしろ高校に入ってからの方が、なりたい気持ちが強まりました。みんな大学進学を目指して入ってくる高校だったので、私も「看護学科のある大学を目指す」っていう目標に向けて集中できましたね。
 
 

悩みながらも進んできた
それもまた糧になる

―それでは松根さんはいかがですか。

松根 祖母が昔から糖尿病を患っていたので、自分で薬を飲んだり注射したりしているのを見ていたのもあってか「医療の道に進みたい」っていう気持ちがあったんです。で、「せっかく勉強するなら医学部に行こう」と思って受験して、浪人もしたんですけど、ダメで…。

―なるほど、最初は医学部を目指されていたんですね。

松根 それでも医療以外の道は考えられなくて、いろいろ考えて悩んだなかで、看護が自分のイメージができやすい仕事だと思って、神戸大学の看護学科を目指すことにしました。

―そこが看護の道へのターニングポイントになったと。

松根 ただ、一応合格はしたんですけど、入学してしばらくは「夢だった医学部に入れなかった」みたいな感覚があって…。

―迷いながらのスタートだったんですね。

松根 そんな中途半端な気持ちでいたら単位を落として留年も経験して。「このままズルズルしていてはいけない!」って思った頃に、祖母がちょうど入院することになって、そこで病院に行く機会も増えたことで、診察や治療の様子を目にするようになって「看護師って素晴らしい仕事だな」と、あらためて思うようになったんです。

―現場を目にして、また気持ちに変化が訪れて。

松根 「せっかく学べる立場にいるんだから」と思って真剣に取り組んで、卒業することができました。
 


 

―心が決まるまで紆余曲折があったんですね。ちなみに、みなさんの先輩となる磯貝さんは、多くの新人スタッフの入職を見守ってきたと思うのですが。

磯貝 私も浅野さんと同じで、別の仕事を経て32歳で看護師になったんですね。だから、まっすぐこの道を選んだ人は本当にすごいと思って尊敬するんですよ。でも、ほかの業界を経た人とか、悩みながら目指した人も、必ずその経験が糧になる、っていうことも思うから、いろんな人がいていいなって、思いながら聞いていました。
 
 

大学を卒業した2人が
平成医療福祉グループにたどり着くまで

―それぞれ皆さん、大学や専門学校に通われて、その後どういった理由で今の病院を選ばれたんですか。

松根 私は、実は就職の時に看護師になるか保健師になるか迷っていて…。

―けっこう要所要所で迷われてきたんですね(笑)。

松根 そうですね(笑)。それで就活の進みがだいぶ遅くなっていて「そろそろ決めないと」と思った時、以前神戸平成病院に見学に行ったことを思い出しまして。小規模でいい病院だなと思っていたので「まだ履歴書を持って行っても大丈夫ですか?」って確認したら、面接をしてもらえたんです。ただ、それが国家試験の2日前くらいで(笑)。
一同 えーっ(笑)!

―通常は2月の国家試験より前に内定をもらうわけですね?

浅野 そうですね。そのあと試験に受かって学校を卒業して、4月から仕事がスタートっていう流れです。

―つまり松根さんの場合は…。

すごいギリギリです(笑)。
松根 (笑)。ただ、神戸平成病院では、すでに新卒の看護師の採用を決めてしまったあとで、受け入れが難しいかもしれないと。そこで、ほかのグループ病院だったら紹介できるよ、と言われたんです。

―そこで紹介されたのが、西宮回生病院だったんですね。

松根 最初は、「もしかしたら淡路島のグループ病院になるかもしれない」っていうお話もあったんですけど、家からも通える西宮の病院でとても良かったです。

―塙さんはどんな経緯でしたか。

私は福井大学に通っていたんですけど。

―福井に行かれていたんですね! そこの理由は聞いてもいいですか。

国立大学の看護学科に行こうと思っていて、そのなかで行けそうなところが福井だったんです(笑)。

―なるほど(笑)。そこから世田谷記念病院にはどうやってたどり着いたんですか。

同級生はみんな急性期病院を希望する人が多くて、私も最初はその方がいいかなって思ってました。でも実はもともと、患者さんとゆっくり長く関われる慢性期で働きたいっていう希望があったんですね。都内で働こうと思っていたので、そこで慢性期病院を探したら世田谷記念病院があがってきて、場所もいいし受けることにしました。

―あがってきたっていうのは、インターネットで検索してっていうことですか。

そうです、「東京都 慢性期 病院」で探しました(笑)。

―シンプルな検索ワードですね(笑)。実際入られてみてどうでしたか。

福井での実習で行った慢性期の病院は本当にゆっくりしていたんですが、今は実際すごい忙しいですね。でも、慢性期だと疾患も多岐に分かれていますし、医療療養病棟なので精神科や循環器、呼吸器と、いろんな患者さんがいるので、学びが多いっていうのは感じています。

―日々勉強することが多そうですね。

技術面でも、もちろんまだまだなんですけど、半年経ってやれることが増えてきて、徐々に身につけられてるのかなって思ってます。入れてもらったからには、学べることは学んでがんばりたいですね。
 


 
 

グループの専門学校から進んだ2人
自分に合った病院選び

―浅野さんと外間さんはグループの聖和看護専門学校を出られたとのことですが、それぞれ今の病院を選ばれたのはどういった理由でしたか。

浅野 僕はもともと、学校に入る前に大内病院で看護助手として働いていたんです。病院の隣に聖和看護専門学校があるのは知っていたんですが、まずは現場を知っておこうと。

―先に現場を見たうえで専門学校に進まれたと。

浅野 そこで1年働かせてもらってから学校に通い始めたんですけど、いい病院だなと思っていたので、その時からもう大内病院で働こうっていう風に考えていました。

―お〜! もう入学前から心が決まっていたわけですね。

浅野 そうなんです。
外間 私は聖和看護専門学校に入るときに、奨学金をお借りしていて。

―卒業後にグループの病院に就職すると、奨学金返済が全額免除になるというシステムがありますよね。

外間 それもあって、まずグループの病院を選ぶことにしていました。なかでも平成扇病院に決めた理由は、見学時に3階の病棟の師長さんが案内してくれたんですけど、すごい気さくな方で印象的だったんです。病院もまだできて3年で新しいっていうのもよかったですし、スタッフが患者さんと接している雰囲気が、すごくいいなっていうのも感じましたね。

―見学時の印象が強かったんですね。

外間 「ここは自分に合いそうだ」って、直感的に思いました。
 


 

―外間さんは以前、別の取材で私とお話しした時「看護業界は人間関係が厳しいんじゃないかと思ってたけど、この病院では意外と厳しくなかった」っておっしゃってましたよね。

外間 厳しくなかったというか、なぜか「看護師はいじめがある」っていうイメージがあったんで(笑)。
一同 (笑)。

―そんなことを考えられてたんですね(笑)。実際に入ってみたら、そんなことは一切なかったと。

外間 そうですね!
松根 私も実習で行ったほかの病院では、無視されたことがあったんで…。

―えっ!

磯貝 名前で呼ばないで「学生さん」って呼んだりしますもんね。指導者研修では「大事に育てましょう」っていう姿勢なので、そういう対応はダメだって話が出ますよ。
松根 実際に入って無視とかそういうことがなくて良かったです(笑)。

―みなさん、いい環境に恵まれているようで安心しました(笑)。
 


 
 

次回:苦しいとき、そこには仲間が…! もっと成長したい新人スタッフの悩みや希望とは!


後編は1月18日(金) 公開予定

 
 

profile

西宮回生病院 松根 加奈

【出身】香川県丸亀市
【職種】看護師
【好きな食べ物】メロン
(あれば嬉しい)

平成扇病院 外間 海貴

【出身】千葉県松戸市
【職種】看護師
【好きな食べ物】サーモン
(サーモン歴は長い)

大内病院 浅野 敏也

【出身】東京都足立区
【職種】看護師
【好きな食べ物】ラーメン
(特に蒙古タンメン中本)

世田谷記念病院 塙 優花

【出身】茨城県行方市
【職種】看護師
【好きな食べ物】お肉
(牛肉、特にタン塩)

※所属などの情報は取材時のものです。